健全な魂とは抗い戦う目的ではなく、神も仏もいない間違いの世界で光を目印に動く者の目印となる地上の星になる事だった。私は既に2人を闇から救っていた余生と気づくお話
寝起き閃ワード 健全な魂
夢の中で私はある女の子たちと花火大会に行く予定だったが、それを常に裏側で邪魔してくるのは職の業がつくものだった
そして私の目的も、女の子達に気に入られようとか、自分がその子達を欲するというより、何としてもこの子達に花火が打ち上がる場所、それも見応えのあるいい場所へと連れていく事を目的にワクワクしていた
という夢を見て目覚めた直後
「それが健全な魂の役目なのか!」(๑•̀ㅂ•́)و✧と気づいた
健全とは
『人を建てる全て』と書く
私の名は
『人を建てる太極に郎(の役目)』
『水先案内人』であるが、『先導者』というよりは『エスコート』で必要な役目に繋ぐ者
言うなれば『先の見えない暗闇』を歩く時
『そこだけ照らす街灯の明かり』のひとつ
私はかつて、夢の中で『二人の男女』を救ったり、共に逃げたり、共に立ち向かったりした夢を思いだした
この夢では、光がない闇の中で、私が『手を光らせる』と同じように『手を光らせた二人』と合流、その空間から三人で脱出
で、この夢を読み返してみると・・『金縛り』『ゲイ』が私にとりついて「居心地がいい」と言った・・のが後の夢で、あいつか?wと思った
また別の夢では、私の肩に大きなフクロウとコウモリが乗っていたこの夢では、兄妹のような二人と合流し廃墟のアジトにて三人で隠れていた(共通点)
これが何を意味するか…『長い人生スパン』で捉えた時
私は『現実で闇落ちして絶望した二人の人生』の『精神を元に戻した』という『役目をこなしていた』と気づく
ひとつは十数年ぶりに再開した親友
今でこそ笑い合い連絡を取り合うのが当たり前だが、最初のコンタクトは、『隠し事だらけの精神錯綜状態』を隠した『逃避行動中』に、事情も言わずに『一週間程の滞在』から始まる
楽しくて居心地良くてだんだん『安心して精神が穏やか』になるに連れて、経緯を話し始め、不意に涙がでてくるのを止められなかったようだ
ここでは書けない程、人生が波瀾万丈、奇奇怪怪の摩訶不思議なアドベンチャーすぎて、私にとっては逆に現実感が無さすぎる経験をしてきたが(自業自得)
元々、『私の心の中にいた元の親友像』を伝え、『過去の親友自身の発した言葉や行動』を『思い出』として語り聞かせると
彼は『闇堕ち』した事を理解し、元に戻る為に、様々な『抱えた問題をひとつずつ向き合う気持ち』になっていった
そして、あの『ワクチン強制(任意)』が始まり、『世の中が狂い始めた』時も、何も言わなくても、陰謀論とか知らなくても
会社も同居の家族も『皆打っているのが当たり前』でも、『自分の直感』で『ワクチンを打たないを貫いていた』
久しぶりに連絡を取った時「やっぱりお前もか!」とさらに親友との『精神的な絆が深まった』のを覚えている
言いたい事を素直に言えない世の中で、お互いの『心のままに言いたい放題』とても気楽だった
もう1人は母
最初は『肺転移ステージ4の癌』、そして後から『胃癌』も見つかり、petCTに放射線治療と『やりたい放題やられて体の細胞も壊され免疫が弱って行く』中、『コロナ禍』が始まった
医者は「弱ってる病人程、打て」と勧めたが、抗がん剤による効果がないだけで苦しみ寝たきりになり、『抗がん剤が完全に抜け切る』とやっと『人並みの生活』ができるのに
『その病人に率先して打て』とテレビが流し出した時
父は『新聞やテレビ、周りの世間体』のまま、母に『善いと信じて勧めた』が、母は嫌がり、私も『母側の意見を尊重し援護』する形で父のワンマンな『家族への対応』に対抗
一時は、「打たないなら家から出ていけ!」と『癌と闘病中の母と私』に投げかけた言葉は『恨み』はないが『覚えた、そして悟った』
『正常ではない判断の世の中』を『善いと信じている』こういう人、『世間体』には決して『迎合や同調しない』と『覚悟』した
そう言い放って口を効かなくなった2週間後くらいに、父は大きな『車の事故』を起こした
やはり『お天道様は見ている』と感じた
車は半壊して自走ギリギリなのに『本人は無傷』
まさに『死なない程度の事故』が『人の意識を大きく変える』きっかけ
本人も反省して『思う所』があったのか、それ以降は『ワクチンの話』をしなくなり、自分の意思で『4回目で止めた』ようだ(5回目の通知は隠してたけど何も言われなかった)
この『善いという世の中を盲信』して暴走した父の精神を元に戻したのは、私ではなく『交通事故で戒めを与えた先祖達』だろうから、私の役目ではないとノーカウント
結果的に『mRNAワクチンが何を示すのか?』について『懐疑的な見解』をいち早く伝えた新潟の医学教授の40分もの解説動画を見せた時
『母自身』が『自分の意志でワクチンを拒否』してから、やっとコロナ茶番が開け始めた2024年あたり
もう、『癌も相当進行』し始めた時、母は『死にまつわる癌患者の本』を共鳴するように読み漁り始め、『仏教の死後の世界観』、いわゆるよくある『地獄や天国等の話』を話題に出すようになった
この時、『精神修行』や『夢の精神世界を旅』するようになって大きく認知が変わっていた私は、母を始め『一般的な人が盲信する仏教観』というのは『大乗仏教という衆生=皆様』という
『死を恐れる人』に『死の先を説明』する「貴方が望むのはこちらです!」という考えに疑問を感じていた
これは…例えるならば
『確定申告の仕方がわからない高齢者で素直な人』を狙った『係の人になりすました詐欺師』の間違いへの誘導
そう強く感じたのは、『釈迦の呼吸瞑想』から、「釈迦とは何か?仏教の原点は何か?」について語る『上座仏教のスマナサーラ長老』の言葉が
心にビシビシと響くほどに、『死生観への姿勢感』が大きく変わり、同時に『ヨーガの道』の先には、『死の先に夢を通して行った』という修行の段階、またその方法が…
既に『無意識にやっていた事』ばかりだった
そういう『夢の体験』を母に言って聞かせると、母は『想像力豊か』だったので、私の『実体験の夢の話』を『ひとつの物語の朗読』を聴くようにしている内に
『母自身も見た夢の話』をし始め、その体験で見てきた『シンボル』を聞き、診断していくことで、母自身が『それを意識して改善する事』に取り組み
その取り組みの結果、色々と『変化があったと実感』してまた『認知や言動』が変わっていった
特に実際に自分も『夢の体験を記録できるようになった』頃には、最初は囚われの仏教観の六道輪廻の天国と地獄を『否定されるとイライラ』してる感じだったのが
「夢の世界の延長上に行くだけだと思うよ」という『私の死後の死生観』に『素直に共感』するようになって、『死』が近づいても『死を恐れ慌てる事』はなかった
『諦めで意気消沈』していくのではなく、まさに『死は旅立ちである』という最後の生き様を見て
私にとっては『釈迦の涅槃寂静を見届け』
『虚空蔵菩薩を見た』ような『感無量の達成感』すら感じた
母が『病み堕ちしていた世間の闇に埋もれていた魂』であり、私はその『魂を導く為に配置された道案内の光』
つまり、『私がありのままの私』であるという『生き様』が『二人の闇・病み堕ちしていた魂』を見つけ、『目指すべき方向を照らす光』だった
それが『健全な魂=人を建てる全て』の役目
暗いと不平を言うよりも
進んで明かりをつけましょう by釈迦
釈迦とは『個の存在』ではなく『役目』
釈=問題を解決する
迦=巡り合う
私は既に『二人の魂』を『あるべき健全な元に戻す』という『大役を務めた余生』だったのだ
その『私の名を産み与えた魂』を救い
その『私の名を呼んだ魂』を救い
『私が私』としてありのまま、『元の健全な魂存在』で共に居るだけで、『他力』にならないで『自力』で動き出し、『自分の抱えた命題と向き合う魂に戻す』という
『釈迦(自力)』が『釈迦(自力)』を産んでいた
釈迦とは『権威』でも『権力』でも『名誉』でもない
ただ『問題に巡り会い解決』する事
その解決方法は
『必要な縁の傍』に『ありのまま』で居る
まさに『祈りの意志=仏舎利(釈迦の遺骨)』
遺骨って『遺された骨』って書くと『仏教の墓や死』を連想しやすいけど
『骨(こつ)を掴むのは筋がいい』という言葉がある
この骨が仏舎利=舎利石=『意志を掴む』とするなら
筋がいいとは、「その調子!道筋がいい」という事にもなる
だから『釈迦の骨=石=意志を拾って修める』とは『問題に巡り合い解決した物事』を『舎利石』として積み重ねる
心に素直に『悳の意志』を積み上げて土台にする
五重の塔の『心木の下の舎利石』のように
それは、一人一人に『生まれた場所』と『使命の役目』がある
『一人の和』を足せば『大和』になる
以前、『大和の帰還』という記事を書いた時はわからなかった
だけど、今なら自分はもう『やるべき事をやった余生=人事を尽くした』なんだなと(笑)
母を支えて『魂の生き様』を見届け、『親友の心をあるべき元の状態』に戻した
『心から救いたいと思う存在』の『心』を言葉と行動で治していた
『二つの修業=修める業』を終えていた
『宿した命題』はもう終えていたのだろう
だから最近は何をやっても『金輪際の見極め』という『執着の氣締め』ばかり意識が向くのかもしれない
飛ぶ鳥跡を濁さず
夢でも『執着』なく『遺産相続を放棄』してたし・・
次回は『万教帰一』についてかな(笑)
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