好奇心

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続 阿南無き心の主命入る民へ 傾向と対策の傾国と警告

続 阿南無き心の主命入る民へ、傾向と対策の傾国と警告、こうしておかしくなった・・という因果を辿れば、そうはならない世界を生み出す『選択の瞬間に観測の意識を戻せる』という気づきのお話

傾向を対策する

前回、アヌンナキの正体がわかった話をまとめた

阿南無(アヌンナキ)弥陀仏の心の主命入る(シュメール)民を統べる尊(自由意志)

その後に、たて続けに面白い閃きの数珠繋ぎがたくさんきていたのだが、今回は傾向と対策について抑えておくポイント

「傾向を対策する」とは、特定の事柄が特定の方向に偏る**「傾向」を分析し、その傾向に備えて、あらかじめ方法や手段を講じること**を指します。具体的には、起こりうる問題を事前に予測し、その発生を抑制したり、被害を最小限に抑えたりするための計画を立て、実行することです

傾城傾国を警告する

「傾城(けいせい)」と「傾国(けいこく)」は、どちらも「絶世の美女」を指す言葉であり、その美しさゆえに国の存続さえ危うくするような女性を意味する、本来同義の言葉です。この言葉は、中国の故事に由来し、特に漢の武帝の時代に妹を推薦するために詠まれた歌「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」にその起源を持ちます。日本では平安時代以降、遊女の別称としても用いられましたが、明治時代以降は遊女の用法は廃れました

『左に羊』が寄れば『左目の民』として『上から目線』で『眠りの罠』と心に耳を傾けて『羞恥』の対策をせよ

漢の武帝に『妹』を推薦するとは
女の未、『未だ女』では無い=『処女・初物』
と、同時に未来預言の『巫女』

王の横に占いの心=『点』がつく
『初物・生娘』食ったなら、王は責任取り『汚点』
『玉の腰』に着いた『政略の道具』が『玉転がし』で『口』封じ
『未だ女では無い』から『女』になって『王の子を托卵』して『国』盗り物語

『女』に傾けば、『国』も傾く
これ『傾城傾国』の『警告』なり

その『流れ者の女』、阿南無き後の『主命入る民』也
『人を憎み人同士を争わせる』傾向(被害者を装う争いの種)

つまりは『無い南』からくるアヌンナキ
=南の金の犬を『政治に献金』してくる

ユダヤ系譜の羊飼いの金支配なり

この国盗りの教えを『参考=三光にして真似』するから、もうひとつのアヌンナキ=阿南無き心の『主命入る民=人を愛する傾向の日本人の精神』は『間違う』のである

『目先の欲』に囚われると
ユダヤ=金の支配=アヌンナキ

その果てに『人同士のハルマゲドン』だと・・『それで南は無くなった』のだと『南無阿弥陀仏=阿南無は全て崩れて仏』になった

つわものどもが夢の跡

を理解してその『失敗の戒め』を踏まえた『南無妙法蓮華経』へと『泥がつかない清い心を求める妙な法』を求める精神へと導くのもまた

『アミニズムの気体』として『空気に広がった八百万の神』『自然崇拝の恩恵』に気づかせる流れであり、この流れの『龍』こそ日本人に『主命入る民』として『宿る精神』である

『和する事』とは『受け入れる事』では無い
『ありのままの状態でひとつ』になれるか?

みんな違ってみんないいの『十人十色』の精神だからこそ『八百万の神信仰』は根付いた

故に染まる事や染める事、ルールで縛り制限をかける等の『力のコントロールを一切不要』に流れのままに『自然に形』が出来上がる

そうならないのであればそれは『和』では無い

調和=調べて和にする、言う周りに和する、『調停に和する』…どんどん『権力に都合が良くなる傾向』なので

丁重にお断りする(ヾノ・ω・`) Σ(゚д゚;)

ちなみに令和もまた『命令に従い和する』という『任意という名の強制』(まさにそれが起きた)

カタカムナの言霊で読めば

ちょうわ
凝縮して自然に生まれた調和
れいわ
消失して伝わった調和

ははは、『移民優遇、税金増税の圧力』の中、『伝統文化の文明が消失』して、外から『伝わる文化風習』を招き入れ、それに合わせろ!という
既に、ハニトラ、マネトラで傀儡になった売国奴隷の国譲り を宣言してしまっているようなもので

その元号発表の段階で『違和感』を感じて、決められた常識やルールを鵜呑みにしなかった反応こそ精神的免疫に『人を愛する主命が入っている民』だと実感する

異例だらけの新元号 令和を思念読みしたら・・

元号読み解き改定版in2022 令和と霊和=00=∞

令和から始まった新たな3s政策の真相解明

傾く事は『和』では無い
化ける頁(項目・条件)、それこそ傾くには『理由』がある

金か?初物・生娘か?それを『欲して望んだ(wana)』から『罠=監視の目』にはまったのだろう?

と『南』から忍び寄る犬の金
犬は『戌』とも書き、これは『滅ぶ』という意味だ

献金と書いて南の犬の金という南蛮煎じの南癖

『ユダヤの手口』はアヌンナキが生み出した『金欲奴隷』の業の回収

『金に溺れる』のではなく、金に溺れる者を『自力で浮上出来ない』ほど『不浄の不条理』で溺れさせ『人として堕落』させる

結果、心も言動も『醜い=西の鬼=傀儡』になるが『西の鬼』に『南の金の犬』がくっつけば?

『西の鬼に金棒』という『金(政治)と暴力(軍事)』が揃う

そういう『傾向』を見通せば『対策』は早めに打てる

「モンゴルが攻めてくるぞ!」と『傾向』を見て『対策を伝えた日蓮』は、仏教を出て『独立』したもんだから、『時の為政者にベッタリの預言者宗教』が間違いを吹き込み、『日蓮を排除』した

結果、モンゴルは『予定調和』のように攻めてきた

ほら、見た事か!と『追放され島流し』にあった後、『日蓮の正しさは証明』されたが…その正しさが、傾向と対策を『すべき時』に出来ていれば、『そうはならなかった並行世界が確実に生まれていた瞬間』でもあった

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(前編)

この傾向と対策を『王が汚点の預言者に選択を任せる』と「仰せのままに」と『自由意志』を手放す

すると『吉凶を選ぶのは預言者の都合』になり、『権力にズブズブ』に染まった『勘が鈍い=金に屯する奴』は、『金と自分の保身』ばかり考えて

『国が滅びそう』になれば、すぐに『金と姿』をくらまして、『出家して尼に変装』して『阿難を逃れよう』と北へ北へと『擦り寄ってくる傾向』がある

まるで『蛇』のように『脱皮』を繰り返して「次はもっと確実に狡猾に人を争わせよう」と

で、最初から阿南無き、阿弥陀仏=『空気と一体化した八百万の神の自然の菌』として、『体の細胞と共存している主命入る民』には『阿難(弟子)の失敗=問題』をわかってる『釈迦の教えを実践する者達』が宿ってきた

争いの原因は『女』ではなく、女を扱う『男の度量』でもあるし、女が男の度量を『見極める真贋の目が無い事』でもある

男女は共に『道具』であるからこそ、『道具は人の使い様』

『人の元』になった創造神
二元性の『両方の因子』、人を『愛すると憎む』の相反の共存

阿難無き(アヌンナキ)
弥陀(全て崩れた)の主命入る民(シュメール)
その細胞と共存細菌の組織を『スベラノミコト(人の意識)』

『神』は『人』を通して『人』を観ている
そして『内観』とは『心』を通して『神』を観ている

『鏡』を通して『自己』が向き合っている
「主命とは何か?」入る民の体…

あ、主命入る皆体=『イルミナティ』
だから一切『皆』苦か(笑)
苦=自然に古い、古い自然

全ては『古い自然の繰り返し』
あるがままの『元へ戻す原典回帰』

具能シス主義

となるとフリーメイソンは『古い名村(無き阿南)』

どっちにも『主命入る民』としての『役目』がある
『金に執着』させるか、『自然の元に還す』か

『目先の人の社会』とかではなく
『人として』という『在り方』における

『友愛』というのは『自然共存細菌』にまで広がる

しかし、友愛の仕方が『入る皆体』になってしまうと、『金の菌』と『自然の菌』が『気体と金属』が混ざって…『両方の性質』を併せ持った『半導体=人間』に成る

…おや?(´-`).。oO(ここでアヌンナキが『どうやって人間を創った』のかわかったぞ?

『元々の人間』に『バラバラの粒子・細菌(全て崩れた)となったアヌンナキ』が入って『中の支配構造』になった…

つまりは『ウイルスの細菌感染』によって、『人の体内』から『人をそれぞれの方法で統治』した…と読み解けば

『七つの大罪(欲)』がそのまま『滞在』になり、それは『脳を中心とした支配』によって『人を人同士争わせる方向』に合理的に操る

一方で『腸の側』で『免疫や抗体、細菌が穏やかに生きられる環境を構築』する為に、各臓器の『解毒、分解、消化、吸収等支えて配る支配』によって『人が生きる為の縁の下の力持ち』になった

『人を憎むアヌンナキの意志』と『人を愛するアヌンナキの意志』が『両方存在』している

だからそういう意味では『傾向と対策』もまたシンプル

脳の『知識や判断』に寄れば『合理的な物欲な損得』になり『他者も自分も傷つける方向』に行きすぎる為、それは『心(主命)が望む事』なのか?自己を保つ為に『居る皆体を一切皆苦に変えてしまう事』では無いのか?と

『自己(神体)を労る傾向』を必要とする『金輪際の見極め』でもあり…

このように考えると

『阿南・阿難無き世界』とは

胎蔵界の大日・釈迦
=腸を中心とした五臓六腑の空間
『足るを知る』と『満足して穏やか』で心地よい

金剛界の大日・釈迦(阿難)
=脳を中心とした中枢機関を占拠して、運動前野から『合理的に体を操る首から上の空間』

「欲しい物は何でも手に入れる」
飲み込めない物は『味覚を騙して呑み込ませる』

欲を満たす金や女や『色を好む』為に脳に貯めた『知識に任せて自己判断を捨てる』

『頭が良い奴が判断が早い』というのは、脳に貯めた『知識に計算』を任せて、『合理的に出てきた答え』がどれだけ『自己を裏切る犠牲の選択』だとしてもそれを『苦とも思わず呑み込む』

その呑み込んた『毒』で『後に苦しむのが胎蔵界(臓器)』という、元来であれば『安らぎと癒しを与える存在』なのに、それを『自ら破壊し穢れ』させ、『爛れた頃』には『浸潤癌が蔓延』し、『全身に転移してお陀仏』

ケロッと忘れてケロイドでバケラッタ…ラケルタ 呪怨と浸潤癌

『爛れる』という言葉は『左の火』と『門の中の東』

これは簡単な読み解きでわかる
火はエデンから『追放した者(西)』を二度と近づけないようにする『東のエデン』を護る『智天使Hellvimの炎の剣』

不動明王の『倶利伽羅竜王』の燃える剣(衆生を護る)
ヘラの黄金の果樹園を『守護する龍』(護衛)
釈迦の説法に『帰依した八大龍王』(法華経の守護龍)

爛れるとは
生体の皮膚や肉が腐ってくずれる。
物事におぼれ込む。耽溺(たんでき)する

崩れる=陀
陀仏=崩れた仏

癌に染まった細胞(人を憎む主命)
癌から離れた正常細胞(人を愛す主命)

これだけで、『主命入る民』というのが、『別の細胞』へ受け継がれる『崩壊したRNAの痛みの記録』であり、メッセンジャーRNAの『免疫耐性を伝える意志』になる

『お釈迦』になって壊れて、『お陀仏』になって崩れた仏が、『自然の菌として共存』して再び『細胞を導く存在』になる

染まってはいけない『思想』、その環境には『合わない行動』
治しても『侵され』…治しても『侵され』、そうやって『浸潤』を繰り返し『全身へ転移』する

『脳の欲望』に『忠実に従う傀儡の主』は阿難無き『命題を選択して再現』している
阿南は釈迦に「女も入れるべきだ」と『釈迦に説法』を説いた

男ですら『真理の探求』は終わらないのに、そこに『女』を入れたら『欲が制御』出来ないよ?『難易度』上がるよ?『阿難』よ?やってみる?

『金輪際の見極め』という『金欲を見極め』れば良かったのに・・そこに『異性』という『異なる性質同士を混在』させる『混沌を創る』とどうなるか?

そんな環境=『アヌンナキと人の共存体』

…そういう意味では我々は『産まれた時から宇宙人』であり、『地球人』でもある『ハイブリッド種』と言えるが…

だからこそ『知識と心』は『偏向の傾向』が現れないように、『統治者』として『主命のバランス』が必要

『心技体』も大事だけど、『真偽対』として『自己内観』で、創造神である『八百万の神となった南無阿弥陀仏のアヌンナキ』という『共存細菌』と『南無妙法蓮華経』の『泥もつかない清らかな心』で向き合って

『人の可能性』を『内部地球で探求してシミュレーション』して、『良い結果を反映』させて『繁栄』させて行く

これが『神楽=神と楽しむ』なんじゃないかなと
٩(ˊωˋ*)و‹‹\( ˙▿˙ )/››

神と言っても『スケールが違う同じ人』
『巨人』に想像してるけど実は『ミクロな小さな巨人』(縁の下の力持ち)

だけど『逢う時は夢の中』だから、『見せたい自分(役割)として現れる』だろう

『畏れ多い・畏怖の念』があれば、『超巨大な圧倒的な力の差にひれ伏す』かもしれないし
いつも体を支えてくれている『共存細菌』という『同じ身体に生きるパートナー』と思えば

よ、毎度(・∀・)人(・∀・)お帰り

唯今(居間)にいるだけで執着が去る陽動

という距離感で『既に接している』のかもしれない
『神』は『神と名乗らない』からね

そもそも、『人は神を理解してない』のは、神という『概念』が『実際なんなのか?』ただの『力の象徴という思い込み』だから。では『力とは何か』?をイメージした時、何を思い浮かべる?

『人を支配する権力』か?殺意や敵意で『相手を恐れさせる恐怖』か?
それとも何もかも『包み込むような温かさや穏やかさ』か?

だとしたらなぜ『神は母では無い』のだ?
『生命は母から産まれてくる』というのに?

と、『人の思う神』なんて物は…所詮は『紙に書かれた机上の空論』で『人それぞれ』に違う

それは『幽霊』だって同じ事、なぜ『人型』?『動物霊』は?『虫』は?なぜ人型は『白い三角巾』被って、『下半身が無い』の?なんで『海外のゴースト』とは違う?『人種』の差?

そのくらい『神という概念』は『人の妄想』を具現化して、『いい出来の彫刻や彫像』ができたから「これをシンボル(仮)とする」と『偶像崇拝した物』が、『ただそういう設定で語り継がれている』だけ

小学校の頃に『金賞取った絵』が、何か知らんが気がついたら『勝手に賞賛』されて『熱く語るファン』が着いてたら…

「・・それは・・間違い…ですよ?」とか言うのは『野暮』だろう?(笑)

だから『信じたい神を盲信してる事』が、『楽しくて心地よい』なら『それはそれでいいんじゃない』(害のない多様性)

逆に言えば、『神と名乗る存在を毛嫌いする者』には、『等身大のありのまま飾らない素』で語りかける事ができて『楽』な訳だし(笑)

『役目を演じる』っていうのは基本的に『苦しい』ものだ
『真理を付いた事』に対しても『嘘』をつかなければいけない役目

人が『その真を隠した嘘を鵜呑み』にせず『自己判断で正しさ』を見出す『選択肢にない選択をできる』ようになるまで

『素(主の意図)』は出せない

『事実は正しい』けど、それを『認めないというだけの嘘』を『鵜呑みにする』という事は『嘘を嘘と見抜けない愚か者に便利な道具』を与えてしまう

あれ?どこぞの集合的無意識の欲望が集まる『掲示板の創造主』が言ってたセリフだな(笑)

これと『同じ事=相似傾向』が解れば『対策を先世見』できる

神は存在しない×
神は人と共に在る〇

遠くで見守ってるのではなく
中で主命の意図を操っている

いざ、目先の欲望に傾くか(波)(金剛界)
いざ、自己の心の安心を保つか(凪)(胎蔵界)

どちらもアヌンナキ世界
古い名村(フリーメイソン)の友愛
阿南無き阿波立つ国(イザナギ・イザナミ)
南無阿弥陀仏=全て崩れ去った仏の後
主命入る皆体(イルミナティ)に宿る精神・光
細胞と細菌の神人融合体に宿るスベラノミコト(自意識)

イルミナティ(改革)に傾くか
フリーメイソン(保守)に傾くか

見極めの選択を求められるのが金輪際の見極めだけれど、そこであえて『そこにはない選択』をする
主命の『主』だからこそ『命の在り方』を『想像して創造し直す事』ができる

身抜いて生きる明晰夢の主体性の処世術

(๑•̀ㅂ•́)و✧そこは共存の為のバランス
故に『健全な精神と魂と心』が『一体化』する

『愛』を『意識』して『創造』する

上手く行く、大丈夫!(๑•̀ㅂ•́)و✧
大丈夫とは釈迦を示し、釈迦は『問題に巡り会い解決する』という意味

その為には『問題』を見つける必要があるから、『弟子』を送り込んで『それに取り組む』ように『意欲と好奇心』を持たせると、そいつは『素直に感動した事』を『自己表現して記録をつけて報告』してくるから、その『報告』を観て『釈迦は解決の糸口』を探す

その糸口をまた弥勒が深堀して自己表現して、また心を通して報告を繰り返すと、そのうち釈迦は解決法を閃く

そして、その意識して観測している世界に終止符を打って気締めをつけてその世界は終わる

はい、これ、体のメカニズムで言えば、まずリンパの単球が、異物を発見して追跡するんですね。で、その単球から脅威判定が出たら、ヘルパーT細胞が、キラーT細胞を送り込むという・・

『胎蔵界の釈迦の世界』の仕組みは『人体免疫システム』で説明ができてしまうと同時、そこに『八百万の神』となったお釈迦様、阿難(釈迦の弟子)亡き後、南無阿弥陀仏に崩れた仏として、自然から不自然な異物=問題が入った

だから「あ、なーんだ、アナンだ!」と『解決の糸口』を見つけた釈迦は『仏悳』で赦す(免疫寛容)
あいつは、『禁忌』として見張っておいて『悪さ』しない限りは『攻撃』しちゃダメだよ~と指示を出す

選ばれた未分化細胞がT細胞になる過程の夢

この視点はもう、『イルミナティ』とか『フリーメイソン』とか、阿難無き後の『蛇足の領域』ではなく、そもそも阿南の『釈迦に説法』をかましてきた時に、「その世界には興味がねえ」と離れた意識の時点で

アヌンナキという『世界』すら生まれてない
そんなものは『存在しない領域』がある

でもそうなると『人間』も『今の形(神人融合)』では無い

『生命体』だったとしても、もっと『純粋な穏やかな何か』だったと思う(´-`)oO{そもそも形を持たない『非物質な意識体』

あ、それで『無色透明』という『光の三原色の夢』だったのか…

光の三原則を体験する夢

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