明晰夢を意図的に見る色々な方法があるという科学的論文に基づいて試してみて感じた真(精神の成長)と偽(人の為)
明晰夢についての動画
私がとても楽しみにしている動画主のFloating Storiesが、最新のテーマとして掘り下げてくれたのが『明晰夢』だったので、久しぶりにワクワク見たら・・
この動画の中で足るを知った(知らない知識)
S・ラバージという幼少の頃から夢体験を軸に明晰夢を研究し科学の分野に発展させたという存在を初めて知った
私も子供の頃から同じように夢・幽体離脱、明晰夢、そして夢の記憶を夢日記につける習慣だけでなく、同様に『自分を被検体』とした『ブレインストーミング』のような『睡眠中の脳波測定』など様々な観点からやってる事が相似してると感じ
『シンクロニシティ』というよりもはや『シンパシー』すら感じた訳で
なう(2025/06/22 09:36:53)
これを『弥勒の自己表現』をするのが『五味』であると『閃きの加味サポート』もあるのでまとめていこう
明晰夢体験者の経験とポイント
必要なのは『夢を思い出そう』とする事
夢を『日記として記録』しようとする事
目覚めにどんな夢を見ていたのか自問自答を習慣づけ
夢の『特徴に気づく』というのは、パターン・癖のような『類似性』
あるいはスケールが違うけど、起きてる物事は同じという『相似性』
私の夢の多くはストーリー性の中に『シンボル的な強く印象を残すもの』が登場したりする
それが寝起きの『夢日記の基点・転換点』など『読み解きの軸』になる事が多い
最近見た明晰夢の中では普段は見た事もない『アケビ』という植物だったが
そのアケビを調べて理解する事で、夢の中で『私が取った行動』に納悳した
私がこれは夢だなと感じるのは『相似性』を意識が観測した時
(まるで~のようだ)とバターンで例えられる状況
『完全な一致』を感じた時は『デジャヴ』
すると、このパターンは『次にこういう事が起きる』と『予測』できてる頃には
それはもう意識が『観測の先』を捉えているから『明晰さ』が保たれている
これは、機械的なデータ的な例えでいうならば、デジャヴとは『キャッシュデータ』
Webサイトやアプリの表示を高速化するために、一時的に保存されるデータ
一度見た『ページ=夢を覚えている』から、また『ゼロから読み込む必要が無い』ので
『創造(ページ表示)をし直す重さ』を感じないで『快適に見れる状態と相似』する
つまり、夢の体験を記録・記憶するというのは
『現実認識』と『夢の観測』の『二つのキャッシュデータを保持』するようなもの
そういう意味では、動画の中で解説されている眠りに落ちていく時に
「私は夢を見ている×回数」を数えるというのは・・自己暗示・自己催眠のようなものなのであまり意味はないと思う
これは「羊が一匹、羊が二匹」と数えるのと同じで、それで夢を見るなら
羊を数えたら、『羊の夢を見るのか?』という事になってしまうが・・
まぁ、『眠=左目の民』=監視されている『羊飼いの柵の羊』という意味では
「羊を数えなさい」というのもまた・・『羊を強く意識して眠る羊の自己催眠』とも言えるが・・
MILD(記憶誘導明晰夢)
記憶を思い出し明晰夢を導く方法
①早朝夢から覚めたら何度も夢を思い返す
②また眠りに戻りながら「次に夢に戻る時には自分で夢を見ているとわかってる事を思い出したい」
③夢の中に戻った時、実際に夢を見ているとわかっている自分自身を視覚化する
④自分の意図がはっきりしたと感じるまで②と③を繰り返す
これは『体験を繰り返した後』の『認知の変化した人』がより『精度を高める』という意味ではとても有効だと思います
明晰夢見れてラッキー!な人は①で止まる
もっと探求したい!どうすれば?と意欲が生まれると②に進む
③に関しては、これは夢か?現実か?という認識変化の方法を決めて置く②を達成した人
これについては動画の中で『リアリティチェック』とされている
映画『インセプションのコマ』を取り上げていたのも相似する
コマの回転が『途切れれば』現実、コマの回転が『続けば』夢
そして、『夢から戻った現実』でコマは『回り続けていた』・・←これが意味する現実とは?
だから深い映画(一見の価値あり)
私も明晰夢では、一番最初にリアリティチェックをしている
例えば、私は夢の中で(これは明晰夢だ)と『五感の自由』を感じた時
まっさきに『掌』を見て『指が5本』あるかどうか?を確認する『癖』が身についている
明晰夢に入りたての時は、まだ『自分自身の視覚化(空間に描画生成)』が追い付いてない
『意識の世界観測が先』で『肉体(役割)は後から生成』の為、3本、4本・・5本と指先が後から形になる
これを確認しないで明晰夢が『始まってしまう』と『夢世界の住人』として普通に過ごす事になり
『自分の主観』はあったけど『違う誰かの世界』のように『見せられる夢と認知』してまう
ここが『明晰夢』と『夢』は違うという『線引きの認知の境界線』と言える
だから、②と③の『目的を見失わない』ように『はっきりさせる④が重要』というのもさすがは体験者の教え
ただ、これ・・実は『自己暗示で観る明晰夢』というのは『ガイド(後述)』がないので
単純に夢という『肉体を離れた世界(ランダム)』に行く事になる
私もこれで『様々な夢世界』を『明晰さを持って旅』した事があるが・・
『飽くなき夢世界探求』をすると『精神は無限』になるが『肉体が機能』しなくなる『生命の危険』がある
寝ている時の明晰夢に『夢中になる』という事は、『肉体の存在の必要性』が失われる
『意識』の帰らない『体(空っぽ)は存在する意味』はあるだろうか?
ある意味で、これが明晰夢や夢日記の『恐ろしい反面』でもある
ただ『ここではない現実(五感)体験』ができるので『認知が大きく変わる事』は間違いない
S・ラバージは新聞や文字を読もうとし、「その文字は一度たりとも同じでは無かった」と表現している
これは『文字に関する夢』の不思議として、私も何度も感じた結果、『文字や日付は見るべきではない』と結論
理由は『意識の観測』が『現実の時間軸との比較』が起きる為、『整合性』を取ろうと『固定概念』で世界観が歪む
明晰夢はたったひとつの『間違いの行動で崩壊』する体験で『創造した世界』を『エゴが破壊した』という体験と反省も経験した
そのエゴとは「この世界は過去か?未来か?」と『新聞の日付の西暦』で整合性を取ろうとした結果
新聞には『日付』がなく、またその日付を観ようと『カレンダー』を見た結果
その世界から『日付という概念が消失した』と声が聞こえた
その『夢の創造主』からすれば「日付とか時間とは気にしないでいいのに・・」という思いやり
しかし、それを全部「見たい!知りたい!」という『エゴ(知的好奇心)』がぶち壊して世界そのものが消失
私の『知的好奇心』のせいで『理想の世界は崩壊』した・・という体験を『明晰夢=自分の意志と行動』でしてきたから行動を振り返り反省し
『夢の中に現実的なエゴを持ち込んではいけない』という認知の変化が起きた
このように、知的好奇心で明晰夢を求めて体験する者は皆、『似たような探求過程』を辿るのかもしれない
WILD(覚醒誘導明晰夢)
意識を持ったまま夢見が加わるとは、簡単に言えば
眠気に抗う状態の『変性意識』と言えるだろう
私はよくデスクで仕事をしている時、椅子によりかかった『仙骨滑り』のような体制で眠気に襲われた時
『現実的な意識』が有りながら『周囲が変容する』という『半分眠って半分起きている』という事がある
これが『現実から夢へと意識スライド』しているような『覚醒誘導明晰夢』だと思う
『めちゃくちゃ浅いレム睡眠』とでもいうか『起きようと思えばいつでも起きられる』
この時の明晰夢は・・眠ってから覚醒する明晰夢とは違い
現実に『複合する現実=AR・MR・XR』とでもいうか、どちらかと言えば
『並行次元の自分』を『見る、体験する』という感覚が多い
『夢で覚醒する時明晰夢』は自分かどうか『わからない』
しかし、『覚醒状態で夢に入る』時は確実にそれは『自分意識』のまま
例えば、この明晰夢では『手』が見えて『引っ張り出したらもう一人の自分』とかね?
夢ヨーガを初めて知る
夢ヨーガの主な目的は、夢を観察し、夢が現実ではないことを認識することで、現実世界もまた幻想であるという「空性」の理解を深めることです。
まさに、現実と変わらない『五感とクオリティの明晰夢の体験』を繰り返して『夢の記録』を付けていくともはや『旅日記』である
『この世は仮想空間?』現実も数ある『多次元の夢の世界の一つに過ぎない?』という空を想う
空想とは『思考シミュレーション』であり、その『思考(仮想現実・夢)の中でどう動くか?』という『今の心と意識の試行シミュレーション』でもある
そういう意味では、ヨーガに置ける『バガヴァッド・ギーター』も夢体験物語と言える
バガヴァッド・ギーターは、カルマ・ヨガ(行為の道)、バクティ・ヨガ(献身の道)、ギャーナ・ヨガ(知識の道)といった様々なヨガの実践を通じて、解脱(モークシャ)を目指すことを説いています
『全ては夢』であり、夢で体験する明晰夢を記録して、その世界で 『どのような事』があり、どのように『考え』、どのように『行動』したか?を『明晰に夢を語る事』でもある
以前、チベットの修行僧が『瞑想死』という最高の幸福の中で息を引き取るという『トゥクダム』が気になった事がある
これもまた『理想の夢の世界への意識のシフト』であり、『明晰夢の世界』へ移って、『意識の戻らない体は静かに活動を止める』とも言える=生への執着を手放す最終形態
WBTB法を試してわかった事
WTBT法=起きてから夢で見たいイメージを考えながら寝直す
これははっきり『成功』します・・成功したけど、『だから何?』という
『夢に意味や未知の目的』を求める今の私の意識では
これは単なる『私利私欲の自己満足の欲の具現化』であり、『自己顕示欲、性欲などのエネルギーを発散』していると感じた
理由は私は(なんでこんな夢を見てるんだろう?)とよく分からないシチュエーションにいた
明晰夢ではあるけれど、別にそこに『自分はいなくてもいい』と言うような『既に出来上がったアセットを読み込んだ』ような、言うなれば『映画の中を動くドローンカメラな自分』
まず『興味の対象』を探した時、ある場所にすぃーっと誘導されるように部屋に入ると、そこでは『ある行為』が行われていた(想像にお任せします)
それを見ていた私は…
(もっとこうシチュエーションをだな…モデルの体型は…顔は…)
と『口出し』ではなく『想像を浮かべる』とその空間が『そのように変化』して『結果』を見せる
どんどんいい感じに…と『変化の要求を重ねる』と
だんだんと『VRAMのメモリが足りない』ように、『意識』が『現実の目覚め』に近づき『スロー』になる
(このままでは目が覚めてしまう…)と息を整えようとした時、『心臓の鼓動が少し苦しい』のを実感する
まるで『明晰夢で想像を創造』している時は『息を止めているのだろうか?』と思うほど「はぁはぁ」となっていた
仮にとんでもない『無理な変化の創造を実行』したとしても、『スローになって目が覚める』だけだろう
この事からWTBT法は精神力ではなく『精神力と体力』を使って見る『現実的な明晰夢』
つまりは『オフライン・ローカルサーバー環境』で構築する『スタンドアロンVR』
自分と言うマシンスペックの『GPU(想像力)』と『CPU(現実理解)』と『容量(体力)』の状態によって見る事は『比較的簡単』だが、その『クオリティと維持』に関しては
ただ『一時的な自己満足』の欲求を満たす
『箱庭』と言う『偽ユートピア感』がある
これについて、S・ラバージも同様にこう伝えている
夢の中でなんでもできて、どこにでも行けるが
夢の中で自分自身の目的の為だけに魔法の力を使うのは
慢心し自我が肥大した状態であり当人の真の目標とは相いれない
私はその『慢心した自我の拡大』も経験し、そして「お前はやりすきた、反省しろ」と『幽閉される明晰夢』も体験した
明晰夢なのに『自由がない無力感』
まるで『自由な翼をもがれ地に落ちた存在』と相似
その力を『周りの為』に使う事で結果的に『自分の為』になるように
『自分という存在』がそこになくても『伝える事』で活かす=『知恵』
『周りを活かす事で自分も生きる』という『気配りして縁の下の支える心』になった事で
明晰夢の中での『魔法の力(念動力)は周りを活かす為に使う』という認知に変わった
…と感じるのはやはり、WBTB以外の明晰夢の方が圧倒的にクオリティが高く
『想定外の中での学び』に連れていかれる『ガイド始まり』だから(後述)
WBTB法がなぜ一度寝て起きてまた寝ると言う方法か?と言えば、2つ理由がある
認知の書き換え
寝る→現実から意識が離れる
一旦起きる(目覚まし等使う)→望まない意識の強制送還
これにより意識は『現実』ではなく『眠りの世界を強く求める』ようになる
これがまず『認知の書き換え』
もうひとつは『意識が無い肉体』は『疲労回復のオートファジーの自己治癒』が早い
例えば起きてる時は『痛みや痒み』など、『一部の部位に意識』が持っていかれたりすると『他の治癒へ回るはずの流れ』が偏ったりするが
意識がなければ、体には『自我によるコントロールの抵抗』は無いため、言い換えれば『邪魔者がいないためメンテナンスが捗る』
この短時間睡眠、あるいは自然に目覚めたとしても『体力や精神力は寝る前よりも回復』しているため、意識は『明晰夢さを保つ事』が出来る
つまり『明晰さ(余裕)』を持って『夢を見る事』で
「あれ?これは夢か?」と『気づきやすく』なる
またこんな夢を見ようと言う『イメージの具現化した夢』の場合
自ら『夢を創造した望みの空間』に『明晰さ』を持って『具体的な体験』する事が出来る
これに関しては、動画のS・ラバージも言ってる事に繋がる
それだけの労力を払える意欲が求められる
この『労力が体力』であり、『意欲が精神力』であると感じる
まさに『自ら得る体験を想像して創造する』には必要不可欠(体験者談)
これが現実感を持って簡単に体験出来る明晰夢のWTBT法だとは思うが
私はこれは『偽=人の為』だと思う
これがまさに『現実逃避の夢』の場所
WTBT法→『現実感を想像する』と言うことは『現実にないもの』は創造できない
また現実で『嫌なものは想像』しない
つまり『未知との遭遇』は起きない
そこは『既成概念=既に成った既にある今の心』が反映される
『自己満足の空間』は『孤独の王様』
何でも好き放題『やりたい放題』出来る
何かを『周りに求める性質欲』があった時は、この明晰夢空間が『遊び場』であり『実験する学び場』であったが
今の私はこの『WBTB法で観る明晰夢』はあまり重要視しない
ガイドに導かれ意識が外に出る明晰夢
私の明晰夢の多くは
何かに『足』を掴まれる、『手』を引っ張られる
『脇』から抱き上げられる、どこかに突然『ぶっ飛ぶ、落ちる』
など、その『環境』が変わった後に『落ち着いた所』で、急に『肉体の五感』が始まるため明晰夢の『世界観』を一切把握していない
周りの人との『意思疎通の会話』の流れの中で心が『違和感』を感じたら
ここが『今の私の意識』が「体験してきた事から学んだ和を足す発言をする所だ!」と
『その世界にはない新しい発想』を『和足し』
それに『共感して動く周り』を生み出す
その『和足しの一滴の雫』が『その世界に変化』を与えるように
今の心の私が『オンラインサーバーの明晰夢(共同創造の場所)』に引っ張り出されて
「こうすればいいよ」助言パターン
「俺ならこうする」行動パターン
それを『見た者』『聞いた者』『袖触れ合うも多少の縁』と繋がった者
その『影響』が『反響』になれば逆もまたしかり
私が『行き詰まった時』にも『夢』を通して
「こうすればいいよ」助言パターン
「俺ならこうする」行動パターン
と、かつての『弟子や友』が、今度は『師匠』となり私に『和足しのサポート』してくれる
それが、『別次元』と繋いでくれる『ガイドが導く明晰夢の役割』だと感じる
私にとって明晰夢とは、私の『今の心』を『必要とする場所』に呼び出される『ミッション』のようなものであり
また、たまにこの『現実以外で使える念動力のトレーニングと習得』を行う『精神と時の部屋の試練』のような明晰夢もあったり
それは『現実』では確かに『役に立たない』が
『現実そっくりの明晰夢』では『確実に使える力』
その力の多くは『使い方次第』では『戦い、奪い、支配をする事も出来るほど強力』だが
『争いが起きないように止める、遮る抑止力』として使う事も出来る(๑•̀ㅂ•́)و✧
私はその『抑止力』と言う使い方で『明晰夢世界を旅』するように呼ばれるように
普段は『優しい仏』だが『有事』の際は『脅威を止める抗体の役目の鬼』として『問題解決に巡り合う』
『仏鬼釈』と言う現実では『廃された精神性』
それが全て『明晰夢の中で発揮』されている
それは『二つの事』を示している
元々、『意識が存在する世界』はそっち側
『間』違って入ったのが『現実(この世界)』
いや、あえて『間違い』に放り込んで
『そこには無い仏鬼釈の精神』を取り戻して『復活して甦る修業』
なるほど(´・ω・`)これか!昨日の『ルシファーの気持ち』
神はルシファーを『追放』し『地獄に落とす』も
実は『正体』隠した『加味としてサポート』して見守っている
獅子は『子』を『先尽の谷』に突き落とし「自力で這い上がってこい」と言う
鬼は『鬼の子』を『鬼が嫌われた世界』へ送り込み、「なぜ鬼が嫌われるのか?」
嫌いと言う『レッテル』を貼って『貶めているのは何か?』
気づけば鬼子は素直に『鬼』と向き合い、『鬼門の禁忌』と向き合い
ただいま(≧∇≦)b( ˘ω˘ )おかえり
私にとっての明晰夢はいつも『試練』と役目の学び
『突然抜き打ちテスト』か、『資格取得の試験』か
そんな『形式で表現』するのも『現実的』だけど、『伝える』ためにエネルギーを『言葉やシチュエーション』に『例えて表現』しなければ『共感』しにくい
『体験』とは『言葉』では言い表せないほど『密度』が濃く『膨大な情報』である
だから百聞は一験に如かず
「口で云うより自分で体験しろ(追放)ヽ( ・∀・)ノ┌┛ガッΣ(ノ*`_´)ノ」が手っ取り早い(笑)
結論 明晰夢の真と偽
ひとまとめにすると『ガイドによるコンタクト(金縛り、手足。体に触れられ連れていかれる)』
これは『金縛り』で感じる『得体の知れない存在に恐怖』して(早く終われ)と逃げてる内は起きない
その得体知れないものと『向き合い受け入れる精神力』が身についたら…『ガイドの導き』が始まるが…
最初は『地獄』を引きずり回される
これは『自業自得の業の回収』『積み重ねた罪を体験』するのだが
自分自身で『その罪が何なのか?』がわかってない『得体の知れない状態』だと文字通り、『化け物や怪物』が出てきて『悪夢に魘される』だろう
それから『逃げ続ける』と『現実で疲弊』していくが、(もう逃げても無駄だ・・)と『観念』して「来るなら来いや!」と『正面から向き合おう』とするとひとつ精神は成長する
それは『得体の知れないもの』ではなく、実は『過去のトラウマ』であったと『体験の見え方』が変わり、今度は化け物よりも『心にストレートにグサグサと刺さる現実的な悪夢』を見るようになる
なぜ『化け物→現実トラウマの記憶』になるか?それは『得体の知れないもの』と『向き合う精神に成長』したからであり、この『トラウマ克服』もまた『精神が成長拡大』して、『今まで当たり前と思ってきた物事の捉え方』が『大きく変わるきっかけ』でもある
このように『明晰夢でのガイドの導きの試練』を達成していくと、そのうち『悪夢』を見なくなり、『問題』と『願望』が切り離され、願望もまた『理想の夢』として『心地よい癒しの明晰夢』を見る事が出来る
その癒しを感じて『今の心が楽しいと感じる明晰夢世界』は『生まれる前の世界』なのか、『過去世』なのか『別次元』なのか、それは『未知(未だ知らない)』である
これが『真の明晰夢=人の精神を成長させる』
周りに『意志の具現化された全て』があり『その中』で『今の心の念』を『和足す孤高の役目』
完全に『人間→オンライン』で計り知れない情報処理能力を持つ『クラウドのスペック』を使わせて貰って『クオリティの高い体験』が出来る
・・一方で『偽の明晰夢=人の精神を堕落させる』
周りに『意思』は何も無く『思い通りに動く傀儡人形を捏造』する『孤独の王様』
完全に『人の間の脳内』と言う『オフライン・スタンドアロン』の個別のスペックで『可能な限りの現実情報再現』を組み込む『低解像度VR体験』
こうして客観的に振り返って見ると
これも
胎蔵界(真)の大日・釈迦如来
金剛界(偽)の大日・釈迦如来
明晰夢もまた『繋がる先』が違っていたのか(金輪際の見極め)
新しい発見で認知が変わって、またひとつ『相似』パターンが増えた( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
夢を見ない、覚えてない
金縛りにあった事がない、幽体離脱もない
明晰夢という夢で夢を自覚する事もない
これはとても『現実的』であり、現実の観測に意識が向いている状態
S・ラバージも言っているように、明晰夢を観るためには『労力と意欲』をかけなければいけない
これは現実でも同じ事で、『労働力』をかけて『欲望』を満たさないと『生きがい(夢を達成)』を感じない
だから、『夢の探求をする人』と『現実を生きる人』との違いというのは
『追い求める夢の方向』が『違う』だけである
だから、どちらが『正しい』とかではなく『間』違いなのである
『この現実に満足している人』にとってはまさに『夢中で楽しんでいる理想世界』
『この現実では満足できない人』にとっては『別の理想』を求める『精神性を高める修業世界』
この世界の外の世界を『夢見ている=観測』
しかし、その世界は『この現実の概念』を求めていない
この世界で『最も忌み嫌われ封印された禁忌』こそ
この世界の外で『必要な核たる心』である
『第三次世界大戦(概念宗教戦争)』なんて誰も望んじゃいない
その争いの中間にあるのは『和の心』である
その『和の心を向上心』とするものが『和足しを渡す』という意志を示す
足るを知り、足りないを和足し、~たるを知り『そうなる法則』を伝える
S・ラバージが遺した『明晰夢の研究』というのは
未来永劫、『人の本質を問う柱』になるだろう
しかし、明晰夢にも二つの違う道がある
私利私欲の傲慢な『自己満足を満たすだけの明晰夢』か
周りを気配り『支える心を必要な場所へ和足す明晰夢』か
前者はオフラインのスタンドアロンの個人の想像と創造スペック
後者はオンラインのクラウドでガイド(導師達の多次元共同創造)のスペック
そして後者には『成し遂げなければいけない役目』がある
その為に夢の使者達は『明晰夢で思考・試行トレーニング』を促す
『精神の成長、意識の拡大』がある明晰夢はどっちかな?
LEAVE A REPLY