物事の始まりの流れの因は、その流れをどう捉えるか?の心の巡らせ方で、恩の感じる果てが全く違う方向に至るという面白い哲学的な発見のお話
同じ曲を同じタイミングで聞いても解釈が違う謎
最近、別の記事の為に過去に書いたこの記事を引用した
これは2020年3月19日に書いたもので、当初は、この動画が世に出て見た時は、まだ再生数も1万も行ってなかった
あれから5年の歳月が過ぎて、どのくらいこの歌が世の中の人にメッセージとして響いたのか?コメント欄を見て見たら、結構な人が思い思いの事を書いてて
あ~よかった!たくさんの人にメッセージが広がったんだ~と思ったけど・・よくよく内容をみて行くと・・おやおや?食い違いがあるぞ?と面白い『観測点』と『誘導性の違う思想』がぶつかり合っている事に気づいた
私が当時感じた直感
ただの風邪すらもビビり、しかも感染したら社会的に抹殺される対象になるような、新型コロナやPCR検査は人間不信を生むメディアの扇動による先入観の思い込みであり
「侵されたのはその脳内なんじゃないですか?」という、どっちかっていうと、情報に洗脳されて、いわれるがままに思考停止して『正常性バイアスが狂ったほうに向かっている事』への懸念
一人一人がよく考えて、心に素直にやりたいと思った事を実行していけばいいじゃないか!という、まだ当時、『答えのない不安を抱えている一人一人へのエール』として捉えていた
そんなPVの最後の街を歩きながら、DMMの看板に北野武が『左目が覗いているシンボル』として見せたかったんじゃないのか?(そこが構想に入ってそう)そして、歌のメッセージは踊らされるなよ?という警鐘
しかし・・コメント欄は・・
愛のある思いやり=マスクをする事
こっちの方向で多くの人が同調していたと知って・・
改めて、そっちの立場=羊飼いの羊
『左目の民=眠った人達』はまさにそれを都合よく捉えたのだと
もうね・・『同じ曲』を『同じタイミングで聞いている』にも関わらず『まったく違う世界を観測』している
これはアーティストがどっちとも取れる哲学的な真理をついた言い回しをしているからだと思う。まさに生涯一度きりの、ショックドクトリンのメディアコントロールの最中に産まれた曲だからこそ
『空間を俯瞰で捉えた達観した曲』だったと言える
左目で覗く看板の下を歩くマスクをした多くの羊達
それは羊飼いの『柵(しがらみ)に誘導』されている羊の左目の民=『眠』
ただ『街歩きのPV』のようでいて、『強烈な風刺』も入っているが眠った羊達は、こんなにはっきり示しているのに、羊飼いの柵への誘導が見えていないという『ぞっとする形象』
そう感じたのは、やはり、『羊飼いの新たな柵(しがらみ)』の『メディアコントロールのショックドクトリン』に気づいて
「その柵の死絡みの策から出なければいけない!」と『頭角を現した山羊』の精神
反逆のカリスマの『ルシファー(DNA)』の目覚め
私はこの時、なぜか今まで一度も聞いた事がなかった『ADO』に興味を持った。その声質が何かビリビリと『周波数』がざわつかせるエネルギーを感じた
「うっせぇわ!あなたが思うより健康です
一切合切凡庸なあなたにはわからないかもね?」
この『一切合切凡庸なあなた』というのが左目に覗かれている左目の民=『羊飼いの柵(しがらみ)に囚われた眠った羊』
その後もADOが出す、ADOに『楽曲提供する作詞家』たちの世の中を『高度な説法』でぶった切るような『痛快な狂言の明言』の数々
ここまではっきりと、『警鐘を形象』として『後に継承』できるように歌になったが・・まぁ、このADOの曲に込められたその『当時に真価を発揮した言霊』であっても
『羊飼いの柵(しがらみ)に囚われた眠った羊』達はただその『人気』にあやかって、ミーハーに飛びついて、結局ADOも『大衆娯楽芸能』に貶められて
『カリスマ』が『凡庸』な芸能になっちゃった時に出した曲もなんか納得して聞いていた
望まないナイフ握ってただけ
butオキニで変な気分だぜ
非常時だったから『強烈な反骨のメッセージ性』だったけど、平時では『普通の中』に埋もれる
ただ、その大事な『孤高の選択に影響を与える』という意味では、自覚はなくても必要な人には伝わる『ルシファーのエネルギー』だった
もしかしたら、当時、あの感染源の動画に集まってコメント欄で『マスク同調=みんな空気読んでおとなしく』を推進し、『思いやりワクチンに同意』していったであろう人達の中には・・すでに『帰らぬ人』になった人もいるかもしれないがね
そんな感じで
同じ音楽に同じタイミングで出逢っても、人それぞれ、その音楽の『波動エネルギーの活かし方』で『進む次元』が変わる
私は、当時、出たばかりでコメントが無かった時だったから、『他の意見』を知らなかった。ただ自分が感じた事を自分の発信媒体で『エネルギーを活かす方向性』を決めていた
しかし、『他人の感想』というコメントを見て、『選択を同調』させる人が増えていくと、多勢に無勢で『反論ができない空気』になれば
その音楽を産みだしたアーティストは意志表示を明確にしていないにも関わらず、その曲は『不安を抱えたファン=信者の思想』によって塗り替えられて利用されてしまう
これが宗教が『開祖の伝えたい事』から逸脱して派生して『宗派』が分かれていく『正法なき末法の世』が生まれる根本原因と同じ
コメント欄をずっとみて行くと、まるでこの歌は、社会的に隔離されてステイホームをして出歩かないという政府の命令に従っていた人達が、この時期にこんなに出歩くなんて・・
「感染源になって広めている自覚はあるのか!」
という『ヘイトの同調圧力を肯定』するような曲になってしまっていたと感じた
左目が監視して覗いている民は『眠る事を選んだ羊』
羊飼いの『死絡みの柵』に自らしたがって入っていく世界しか見えてなかった
山羊は柵を変える為の『死絡みの策(契約更改)』に気づいて、『頭角』を現した結果「うっせぇわ!」と策も柵も壊して『外に出るアウトロー』になったから
今まで見えてなかった『秘密のベールの向こう側』を見た
そして、『外の真実を伝える伝導者』となったが・・
羊飼いの柵の中の眠った羊には「それは陰謀論と認識しなさい」としつけられているから、柵の中で、半分眠った羊には夢のごとく、何を言っても『世迷い事』に聞こえるのだから
聞く耳持たない『馬』に角突き合わせる『鹿』になって『馬鹿』になって『分断のハサミ』として利用されず、「知らね!ほっとけ!」と『知らぬが仏』になって離れればいいだけの事
そういう『別次元』がいくらでもあるから『自由』であり、その『自由』を『選ぶ意志』があるかどうか?『選択』ってそういう事
物事の始まりの流れの因は、その流れをどう捉えるか?の『心』の巡らせ方で、『恩の感じる果て』が『全く違う方向に至る』という面白い発見のお話でしたw
余談として、コメント欄で、私の心をドぎゅーん!と目からウロコの一言
君っていう漢字は『コロナ』で書く
確かに!!!Σ(゚Д゚)うおおぉぉぉぉぉ!こういう発見できる奴、好き
「だから何?」って凡庸な奴は思うだろう
これをこの状況で冷静に『君という一文字』に注目して『アナグラムの組み合わせ』を見つけられる達観した目線
君が『コロナ』だったら、『王冠や太陽』を示すので
君子危うきに近寄らず=『太陽の子』危うきに近寄らず
君が代=『太陽・王冠の代』
君子(くんし)の過(あやま)ちは日月(じつげつ)の食(しょく)の如(ごと)し …
君子(くんし)の九思(きゅうし) …
君子(くんし)の三畏(さんい) …
君子(くんし)の三楽(さんらく) …
君子(くんし)の徳(とく)は風(かぜ)
太陽の子、王の子への『苦言』というか『心構え』というか、捉え方の違いで『違う世界観が広がる』だけでなく
コロナ=病気・風邪となると、『統治者(資質)が問題そのもの』になる
そこで、曲の歌詞をもう一度振り返る
『君』に『優』るものなんかない
『太陽』が人を憂う、優しい=『自然の恵み』
『王』が人を憂う、優しい=『天皇による民主主義の安定統治』
『病気』が人を憂う、優しい=『抵抗力を強める必要悪』
どれもこれも、『因(はじまり)』に『心』を巡らせて『恩』してみたら、『果(おわり)』に辿り着く世界(次元)が変わるよね
その『恩』を周りにも『恵(めぐむ)』という『恩恵が愛』である=ideal=『理想』
君はコロナ=感染源=愛を広める
素晴らしい哲学として集束した!
やっぱりこういう『豆知識的』な心が軽くなるほっこりくるのが楽しい閃き(笑)
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