真言念仏を唱えた住職が急に高熱を出して葬式を欠席・・母の遺体の咽に異変、私の思いでの母の記憶の声が消えた事から、咽と喉とノドの地に潜む仏と聖書の教えが真言でひとつになるお話
通夜をした住職が高熱で欠席の偶然
葬式の当日、「先日きたお寺の住職さんが、高熱を出したらしいので、本日の葬儀のお経は別のお寺のお坊さんになります」と係の人が言われた
最初に、納棺の枕お経、その後の納棺の般若理趣経を唱えていた時は、別に『咳』などはしてなかったし、前日の通夜の時もしっかりとお経の後に『説法の講話』も行い、そんな症状など見ていなかったし・・
天気も母の恩恵だろうか?と思うほど穏やかだったから、『気温の急激な変化』があった訳でもない
それなのに突然、翌日に体調不良で高熱とは・・
葬儀は代理できた住職によって円滑に行われたが、『突然の高熱』という事で・・ちょっと『偶然とは思えない事象』を想定して洞察してみようと思う
棺の母の遺体の喉が青黒くなっていた
これについて調べてみると
死後硬直と並行して、ご遺体の腐敗がはじまります。消化器系である胃や腸から腐敗がはじまった後、体内にガスが発生し腹部が淡い青色に変色するでしょう
その後、さらに腐敗が進むことで赤褐色→黒色へと変貌し、身体の組織崩壊とともに腐敗汁や骨の露出などが確認されるでしょう。
なるほど、そうなると母は腹部ではなく『ノドが腐敗した』という事になる。これは『癌治療で胃を切除』していたから、消化は口の唾液、そしてダイレクトに腸に食べ物が至っていたから、『ノドが青黒くなっていた』と仮説できる
さて、49日の不思議シリーズで起きた記録をさかのぼると、こんな事があった
最初は、『母の声が夢枕のメッセージ』として受け取れたのは『死後の世界のルール』ではないか?と捉えたり、その『母の声が記憶から消えた』のは、『気の毒』を解消(毒-母=主)とする為の『般若理趣経の念仏の効果』かな?と捉えたりと
『主観的なモノの考え方』をしていたが、『客観的』には出棺の日の朝に、母の顔を見た時、顔の表情は変わっていないのに、『喉が青黒く』なっていたのが『気』になった
仮に『ノドから潰れる』という事は、生きている人の場合、『声が出なくなる』とも仮説できる。ここで夢でも現実でも『母の声が聞こえなくなった』という独自体感の不思議体験において、『偶然が一致』した
今の心(因・はじまり)が仏(果・終わり)になる
『念仏』とは『因果』であると見つけたばかり
そうなると・・ノド、声、念仏、唱える、高熱・・ふーむ、実に面白い
『咽』にはなぜ『因』がある?
咽とは
口の奥の、食道・気管に通ずる部分。「―がかわく」「相手の名は―まで出かかっているのだが」「―から手が出る」(欲しくてたまらないたとえ)。比喩的に、(歌う)声。
「―がいい」
渇き=満たされない・欲深い
そんな『口』の奥に『因』がある
ノドの地とは聖書ではカインが追放された後に根付いた地でもある
聖書では、カインは弟のアベルを殺害して神によって追放された後、エデンの東にある「ノドの地」に住んだとされています
「ノド」という言葉は「彷徨する者、放浪者、逃亡者」という意味。神から離れたまま、人生の真の目的もなく彷徨する人類の姿
なぜ、カイン?と思うかもしれないが、医学用語には『炎症=サイトカイン』という言葉があり、『カインの刻印を持つ者の種はその地に根付かない』という『大地の呪い』がある
これは炎症とは『争い』であり、『細胞(大地)』にとっては『異物』なんです
この事から私は聖書は医学を説明した人類構造と相似していると感じました
さて、そんな意味深い『ノド』ですが、そこには不思議な事に『仏』がついて『咽仏』という言葉があります
どうして、他の体の部位にない、『仏』が『咽』にだけつくんでしょう?
これにも私は『因果関係=念仏』が関係すると思いました
というのも、『果=仏=ほっとけ』(執着を手放す)
ノドの地は満たされない欲望が溜まった放浪者、逃亡者、彷徨う者の巣窟であり、決して安住の地ではない地獄と仮定した時
物理的な事を言えば、口には免疫機能があり炎症を抑え、体の中もまた異物を発見次第、追い出す免疫メカニズムがあります
健康であればあるほど、その機能は異物(サイトカイン)を受け入れませんが、ノドという『途中の空間』は免疫機能がなく咽に『異物が隠れる溝』があります
母の火葬を終えた時、遺骨を拾う際に火葬場では、係の人が最初に『咽仏だけを別』に分けていたのが気になりました
首を支える頸椎(けいつい)の2番目にある骨のことで、軸椎、第二頚椎などと呼ばれるところです。性別問わず存在します。この第二頚椎の形はとても特徴的で、中心が空洞になっています。
その形が、『仏様が座禅を組んでいるように見える』ことから、ご遺骨の中でも特に大切とされているのです。『体の中に仏様が宿っていた名残』だという考えです。
たしかに、輪になった部分が座禅を組んだ手足に見えます。『棘突起(きょくとっき)』と呼ばれる部分は、まるで合掌をしている手のようです。
火葬をした後に喉仏がきれいに残ることは生前に良い行いをした証拠であり、極楽浄土にいけるという説があります
火葬して残った『骨のカタチが仏様の合掌や座禅の姿』・・というのは『物理的な捉え方(盲信と偶像)』だと私は感じます
現在の『言葉』として残った漢字の『喉仏』では、口の先に『人とユと矢』になってます
これは、因がユと矢になると、『ユダヤ』とも読み解く事ができ、口の先に入るのがユダヤ=聖書=カインとも繋がります
どちらにしても炎症=争いの原因はユダヤ=カインであるけれど、『果=仏』となる『因果』でもあります
咽の地が『穏やか』ならば、『空気の通り』もよく、『声』も通り、『病気=炎症』になる事もありません
口の先のノドの正体がわからない『虚空』の段階では『嘘』になります
つまりは、『欲深く』、『満たされたい渇きの理由』がわからない
何をもって『足るを知る=穏やか』になるのかはっきりしないから『言葉が彷徨う』
『声を明らか』にできない=『声明』にならず口の奥が『虚』になって『嘘』を吐く
さぁ、ここまでくれば、『真言念仏』と『咽』と『住職の高熱』に繋がってきそうだ
念仏の仏罰?消えた声と腐敗した咽と高熱の住職の謎
今日の葬式のお経でも感じた事だが、時間が決まった現代のビジネス的葬儀の為か、お経を端折っていると感じたのは
私はちょうど、遺族席から『正面がお坊さんの作法を観れるポジション』にいた事(有難い)
始まる前の儀式は前日の住職と同じだったが、ある程度読み上げた後に、この言葉を繰り返していた
ひろだ~じゃぶ~・・ひろだ~じゃぶ~・・
この間にペラペラと次に読むお経のページをパラパラとめくっていて・・見た感じ、前半からかなり後半までページが飛んだのを確認
そのページを開くと別のお経に切り替わり、何事もなく進んだ~ようにみせて・・またページや本を切り替える際に
ひろだ~じゃぶ~・・ひろだ~じゃぶ~・・
なんなんだろう?と思ってカタカムナの思念読みをすると・・
根源の空間が反対に分かれ短く内なる示しが自然に飽和して内側に増える短く
ふーむ、こういう事か
根源から反対に短く分かれる(真言を端折る)
短く内なる示しが自然に内側に増える短く(時間や自己都合でまとめる)
49日法要なのか、百か日法要なのか、わからないが、最後に読み上げたのはまんま、『般若心経そのもの』だった
私は部屋に般若心経を貼り、『独自で納悳する解釈』を理解しているので、それが法要の真言なのか?と疑問に思った
これこそ『莫迦のひとつ覚え=経典鵜呑み』ではないか!と肩透かしを食らった気分だった
『一子相伝(師弟)の真言』として言い伝えた空間から、現在の『免許皆伝の教本読み上げ(カンニング)』のビジネスに至る末世
世も末だな・・┐(´д`)┌ヤレヤレ と感じた時
真言念仏を『間違える』『時間の都合で端折る』という行為が『住職の咽』から出た訳だ
真言が『今の心の因』となり『果ては仏へ』と至る道を・・
『伝える者が間違える』だけでなく、意図的に『教えを端折る嘘』を『咽から出す』のか
そりゃ『喉』の地だわ=追放されて彷徨う『嘘』つきの『ユダヤ』
そりゃ鵜呑みに『飲み込めない』
私が記憶の母の声を失った原因が、間違った・端折られたお経を鵜呑みにカタカムナに翻訳して聞いた結果が、納悳できない『真言ではない嘘』だったとしたら・・まだ腐敗していない母の魂が、飲み込めないでノドの地が腐敗が進んだとしたら・・
声を明らかにする『声明を失う』という『仏罰=果ては罰』を受ける
当然、それを『伝導した住職』も同じ『報い=幸せに反する』を受けてもさもありなん
ちなみに、『馬の耳に念仏』、心に耳を傾けない『恥』を知らない者は、そもそも『有難いお経(真言)』を聞いても馬耳東風で『スルー』だから影響はないだろう(笑)
馬=宇摩(百済の民)はそもそも鼻先人参の欲の『金』にしか興味を示さない
だから、それと正直に向き合う『信徒』や『心者』にしか『真言』は影響がない
仮にそうだとしたら、母も私の魂も『鵜呑みにして見事に騙された』のかもしれない
『嘘つきユダヤ』によって『炎症=サイトカイン』させられたのだ
だが、その『炎症』を体験するからこそ『抗体=問題解決の意志』が出来上がる
嘘を嘘と見抜く『感性』が身につく事で、『莫迦の一つ覚え』を『鵜呑み』にしなくなる
『真』に辿り着く為の最後の壁に『嘘』が待つ
人の為という『偽』を見抜かなければ『真』には至れない
『真言念仏』を『本当』とすれば、『本に当てる』であり『当たった本(人気パターン・聖書)』として『嘘に利用』される
『嘘』は『咽』からやってくる『原因』であり、口の奥の喉には『人のユダヤ=聖書』が潜んでいる
あなたの風邪は『喉』から?『鼻』から?
原因は『空気』の通り道の口の奥の『虚空』に潜む『嘘』
cov+aoz コロナ国際標準品
cov+azo コロナ導電性酸化亜鉛
cov+oaz コロナゲノム編集技術
cov+zao コロナ遠隔医療システム
cov+zoa コロナ在米シオン団
真を偽にするのは、真を『真似』してすり替えればいい簡単な妨害工作(ショックドクトリン)
DNA→mRNAの逆転写=遺伝子組み換え
逆に言えば、『偽を疑う』事で、『真似た元』となる『元来の真』が見えてくる
故に、『疑心暗鬼』という『心を護る鬼=陰謀を見抜く目』が重要
正常ならば疑心暗鬼になる事はないが、『騙された』という体験があるから、『次はそうならない!』という『抗体』が現れる
かつて「念仏を唱えるのは間違いだ!」と伝えた人がいた
それはおそらく『念仏=因果』に問題があったのだ
『与えた念仏』を唱えておけばいい=『与えられた教本』の莫迦のひとつ覚え
唱える事に『忌』はなく、念仏=今の心(因)が仏(果)となり巡る=『因果応報』
これが『真を言う念仏』なんだ
つまりは真は自ら『問題に巡り合い解決する=釈迦』である
『真を真似』しようとする『人の為』に与えられた
『人の言う事』を『信用』するなという『有難い難題』
・・という訳で
私の魂、母の魂、時間都合で端折った念仏を唱えた住職・・みんな『仏罰』を受けたと仮定(笑)
母は現世との繋がり=『夢の中で伝える声』を失い
私は現世での『思い出の母の記憶の声』を失い
その『原因』を作った真言を端折った住職は『高熱』に
争いの元は『咽=喉=嘘つきユダヤ=偽ビジネス=間違った聖書の解釈』を広める事
聖書は『人間模様』を通して、『人類を自己治癒』に導き、『果ては仏(争いはほっとけ)』となる物語
『理趣経』を唱えた中で、住職が『端折った部分(時間都合・自己都合)』が『嘘』にとって『都合が悪い真言の部分』だとしたら
「ここは端折っていい、ここは省いてもいい」・・と『都合』で生まれた『莫迦の一つ覚えの免許皆伝方式』に問題の『因』があるんだろうな
ちなみに『都合のいい法華経』の『平家納経』を作った『平清盛』も『高熱が死因』だった(偶然かな)
これがほんとの釈迦に説法
「ある分野の達人にその道を説くことの愚かさ」を示すことわざ
釈迦とは、問題に巡り合い解決する=釈迦力とは自力に頑張る事
その釈迦が伝えた教えに頼る『他力本願』が『経典の莫迦のひとつ覚え』の間違い
今の心は『今』にしかないから『念』
『念ずれば通ず』
強い思いを込めたり、祈るように努力をしたりすると、願いが叶うという意味のことわざ
意の理=『意識して理解』する『努力』をする
その果てが『仏』に至る道
あの世(母)とこの世(私)の架け橋に潜む『真言』という『嘘』
観世音=音で世を観る=観音
私は『現代の真言が間違っている』と身を持って感じた
現代の時代に合わせた人の為の真言の『恥』を感じた
『元来』ではない・・
それは、流れ流れて、東の果てまで到達した『言葉』の変化、『発音の変化』なのか
いずれにせよ、『観音の影響』というものは軽視できない『探求対象』だと理解した
故に『存在』に『届く』という言霊ロジックの『二言』を失ったのは大きいと感じる
現代における音は周波数=波動
『耳に聞こえない領域』にもそれは『存在』する
『無い事が有る』と認知する
ただし『意識して理解』する努力なしに『偶像や盲信』してはいけない
曖昧で有耶無耶な『祈』ではなく『ヰ(存在)の理』を持つ
これは『大きな一歩』だと感じる
こんな『滅多に無い機会』と『有難い難題』を与えた『授業』に感謝(一人一)
LEAVE A REPLY