亡くなったばかりの母から、母の携帯にかけられて来た電話はまるで緊急連絡のように父への警告の夢だった…と言う体験からあの世との繋がりと49日の現世通信なお話
夢のあらすじ
ならないはずの母の携帯に着信
もしもし?と電話に出ると
「お父さんの!決断の時間が!!…」と機械音声のような遠くからメガホンで音割れしているような母の声で聞こえた
目覚めなう(2025/03/12 07:16:36)
リアル時間で言えば、今日のお坊さんのお経をあげる時間まではまだ猶予がある(10:30くらいに到着する予定)
父は今、 母の遺体の安置所に寝泊まりしている。お父さんの『決断の時間』とは何なのか
が…の後に『無音』になったのは、『まだ伝えたい言葉(迫っている)』とかがあったのではないかと想定できる
母が亡くなった事で気落ちして生きる気力が無くなるかもしれない事を、まだ現世を彷徨う母が、ゴーストニューヨークの幻のように、なんとか電話をかけて緊急連絡で教えてきたんだろうか…
そして、仮にそうだとしたら初めて使う力だから『届かせる文字数が足りなかった』のか
母は思い立ったらやる!と言う行動力がある
しかも電話の声は、年老いて声が出なくなった『末期の母』ではなく、子育てしていた頃のような『張りのある声』だったから
ちゃんと伝えようと、一語ずつ丁寧に発音して機械音声のようになり、また『音圧のパワー』がありすぎて『音割れ』させていた『天然』の可能性も高い
そのまま、『緊急性』を考慮して親父に電話をかけ、「何を決断しようとしてるかは知らんが、おかんは早まるな!と夢で言ってたよ」と報告
普段は夢の話等、馬鹿にしてまともに聞かない父が、「そうか…」と素直に聞いたという事は…やはり、『気持ちが弱っている証拠』だろう
そういう父の変化を『現実でも察知していたのが母』だけだからこそ、見守ってはいるものの…『伝える手段』は『私の夢』を介してと言う方法
やはり子はかすがい(繋ぎ止める)
それも『レム(夢)』と『リア(現実)』を
この不思議体験をただ日記として終わらせるのはもったいないので洞察していこう
現世の霊の夢干渉
さて、概念的なもので言えば『49日』と言う『現世に留まる猶予』が語られている。なぜ49日なのかは諸説あるが、私の直感的語呂読みでは、『死に苦しむ事』から『解脱』するまで
生きていた『肉死身』から離れた『精神体・意識体』となっても、現世の『仮名沁み』や『死絡み』な最後の身内への気持ちが、『自分の葬儀』とその後の『自分がいなくなった世界』という『空間の観測』に意識が向けられるだろう
私の母は「私の存在を忘れないで!!」と家族や現世に執着するタイプではなく、『礼に始まり礼に終わる礼子』さんなので向こうにルールがあるなら『逸脱』するような事はしない
「見守る事しかできません」と言われればそれに従う
しかし…『許可された方法』や『可能な範囲』であれば、挑戦した事がない『未知の物事』でも「これ面白そう!」と思ったら『飛びついて夢中』になってしまう『示し豊かな禮子さん』でもあるので
( ´ ▽ ` )ノ『夢』でなら伝えられるよ Σ(゚д゚;)オモシロソー
古来より『故人が夢枕に出る』と言う体験談は多い
今まで私は夢枕に現れた存在を掴んでは投げ飛ばすと言うストロングスタイルでやってきた
しかし、それが『母と認識』したら投げ飛ばす事は無い。つまり、『先祖・故人が現れる』と言う事を『自分の体験として認知』した結果
今まで私に投げ飛ばされて来た『現れた存在達(知らん人)』も皆、『かつて縁がある先祖達』だったと言う事でもある
その掴まえて投げ飛ばしてからの「お前誰やねん!正体を見せろ」と向き合い確認した後に…『夢の中へ意識が移る』
これが私の不思議体験をする時の『夢の始まり』
まるで『向き合った相手が見せたい世界に入って行く』ような印象(時に誘拐されますが…)
なぜ『夢枕』なのか?言葉も気になる
夢枕とは
神仏や故人などが夢の中に現れて、ある物事を告げる
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。 また、苦しまぎれに考え出した手立て。 苦肉の謀はかりごと
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ 片方が、まるで『エクソシスト』に対抗する『悪魔の言い逃れの洗脳』のような(笑)
ま、そんな『盲信的』かつ『迷信的』な所説はおいといて、私は素直に『音の響き』で読み取ってみた
枕・まくら
カタカムナの言霊では
需要・受容に引きよる場
枕は『眠る時』しか使わない
枕に頭を乗せたらする事は『目を瞑る事』
つまりは『お先真っ暗』
そのお先真っ暗の『前』に『夢』がある
夢の言霊は 湧き出る思考
『思い描くシミュレーション』を『真っ暗なスクリーンに投影』する
この時、思い描いていないのに、そこに『指向の試行を試みる』のが『故人が伝えたい事を投影する夢』だとしたら
『私が見た夢』というのは『縁ある先祖が見せたいメッセージ』
それが『故人が夢枕に立つ』と言う事と読み解ける
こうして夢の中のワンシーンに『突如かかってくる電話』と言う形で、夢枕にたって『割り込んできた』と想定
私にとって『寝ている間の夢』というのは、『意識』が『肉体から離れた空間を観測』しているのだから、同じように『意識体のエネルギー』が、姿を持たず『音(声)としてメッセージ』を伝える事は可能ではないかと思う
観る世界(色)も『周波数』
音で伝わる『空』気の振動の声もまた『周波数』
『波の波動の影響』で少し世界が『揺らぐ』
観世音
その『音の世』を観た時、伝えてきた相手の声で、『かつての母』と認識し、『母が思う世界観』が私に伝わった
母の思う世界観は『先世見の苦言』
私が受け取った世界観は『未だ来ない未来』
既に『現実では亡くなった母(過去)』だった存在の意識が未だ来ない『未来』を観て、『今の私』に伝える
この事から『常世・あの世・向こう側』では『過去も未来も見通す先世見ができる』と言う事
その『先世見』を『夢で伝える』からこそ古代では夢で占う『審神者・神官』は、『あの世とこの世を繋ぐ架け橋』
『レム(夢)リア(現)』と言う『大事な役目』
『仮の体』は眠っても『意識』は眠らずに『この世=夢』を観ている『夢現人』
ならば、『仮の役目の体は返却』し、中身の魂意識が『夢旅人』と言う『夢中の自由に戻った』ならば
それは『母と言う役目』から離れた『遠距離の通信仲間』と言う『新たな繋がりの力』となって私に『先祖供養』で宿ってもおかしくは無い
49日、『欲(死絡み・肉死身への執着)』から離れるまでは、『霊の干渉』は多少は許されているのかもしれない
( ´ ▽ ` )ノ連絡とる候補はいるかい?
d(ゝω・´○)息子がいます!
母から見て『息子(私)』とは…『自心の子』
親の心に寄り添った『精神を継承した子』
まぁ、あっちが『電話の親機』ならば、私は『子機』なので、とりあえず『ホーム回線(家族通話)』であれば、チャンネル合わせるとかしなくても、近くにいるうちは『内線』で繋げられます
…となれば
ちゃんと息子の方が受け継ぐ為の『精神エネルギーを充電』しておかないと…と考えた時
もしかして…
母の携帯の『充電(残り残量)』が持たなかった?
受け取る為のデバイスが、その夢のシーンの中ではまだ『回収した遺品』だったから、まともな充電はしていない
『電波=波動』は届いて繋がっても、繋がってる状態を『維持する力』はなかった…とするなら
私は今後、夢の中の『あらゆる通信手段』にも『意志氣の観測を巡らせて察知』できるように『感度を上げられる』ようにしなければいけないという事だろう
音の世を観る能力
空間の波動の揺らぎに気づく能力
それは現実では、ミラーナンバー、エンジェルナンバー、龍雲、虫の知らせ、鳥の知らせ、直感、閃等
その『瞬間』に視界に飛び込んでくる『縁』
えんの言霊は『強い投影』
それは『夢枕』で見せられる『目を瞑った』真っ暗な『スクリーン』ではなく、『刮目』して『明るい空間』に現れる『現象』
夢も現実もそれぞれの領域の周波数と言う『波動空間』で分かれているが、『夢と現実の間』を『魂意識』が途切れる事無く移動する『夢現人』ならば
夢を通して伝えてくれる『死者(使者)の伝言』を『現実に届ける役目=先祖供養』になるだろう
とはいえ、現時点では49日と言う『忌中の家族間の内線通話』のようなものであり、『自心の子機』を持たせてない家族には伝わらんだろう
と言う私に起きた(*pω-)。O゜寝起きの感覚
『真理の探求』に『意欲と好奇心』を燃やすような『私』の『母(根源)』ですよ?
不自由な体から『意識が解放』されて『未知の世界の事』を知ったら、まず『私に教えたがる』と思います(笑)
それは『息子を思う母の気持ち』でもあり
友達感覚で『秘密を共有する仲間』でもあり
そう感じさせる不思議体験を『与える側』に回ったと言う意味では私は『楽しみ』が増えましたね
…あ、そうか(´・ω・`)そう言う事か
どうして母が死ぬ時のエンジェルナンバー『111111』の解釈の中に、『これから嬉しくなる出来事が訪れる』と書かれていたのか
『これ』の事だったんだ
赤の他人の情報では、『自身の体験』がないから『自信』がなくて『納得できない事(霊現象)』も
『自分自身』で体験し、『独自に解釈』して…しかも、その『志』を知った上で共に『夢診断を楽しんでいた身内』が『あの世』に別れてから起きた『夢通信』
これ以上、疑う余地もなく納悳しました
『体感』無くして『理解』なし
理解したいなら『業を修める』しかない
『何の業を授かるか=選択』で
『現世の授業』が決まり『修業』が始まる
私は私の心が納悳する形の『親孝行』と言う『業を修めた』気がします
それによって継承された能力
『向こう側の存在を確実』にして繋がる
繋がる『方法』も『相手』も『世界』も有象無象にあるだろうから、『何の授業』を選ぶかは『自由意志の選択科目』
キリスト『教に帰依』してれば西洋の天の『父なる家』に(母はいない)
弥勒の仏『教に帰依』してれば東洋の地獄と『極楽に』(天国行っても地獄巡りは繰り返し輪廻)
八百万の『自然に帰依』してれば、生まれそしてまた『地に還る循環』の一部に
それらの『役割の学びの授業』を修めて、自分の感覚で「もういいかな?」と『役目への執着』を手放せば、また『次の選択の自由』に戻る
49日までは『家族の縁』
それを過ぎたら『50=御自由』
忌中は『己の心の中』
死者は『死んだ事に気づかない』と言うが、自分の家に『忌中』と貼ってれば死んだ事に気づくだろう。そして、それは死んだ故人に『欲(49)から離れるタイムリミット』を伝えて、「己の心の中をよく考えろ」と言う捉え方もできる
彷徨う魂のリミットは49
現世でやり残した『欲』を見届けて来いと
…うーん(*pω-)。O゜なんかそんな感じかな
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