好奇心

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円という通貨の信認 円金法と遠近法

金に替えようという通過の通貨の力の流れの集約が円金法と遠近法で大事な根源が見えてくるお話

円という通貨の信認

たまたまおすすめにでてきたこの動画を聞き流していたら、私の中に『新しい解釈』が生まれた

『円の価値』が無くなりそうな時、『金(鉱物)』に変える。それは円という『通貨の信認』があるから『価値』があるけれど、円の価値が無くなるから『金』に換える・・

では『金の価値』がなければ『換えるもの』が無い

例えば、金は『流通量の少ない希少価値』という『共通認知』の元、『グローバル社会で信認』されている(金本位制)。逆に言えば、『グローバル社会』『結託して金に希少価値』を与えている(格付け)

この『仕組みを応用』するなら『金よりも価値があるもの=例えば仮想通過』『グローバル社会が結託』して『共通認知』させる事で、全ての通貨価値は、『それに統一される』・・と考えた時

預言のようなカードがこれ

bank

『価値』『より大きな見えない価値』に食われる

日本でいうなら『円に価値』があるうちに『国債が紙くず』にならないうちに『金』に替える『円金法』。しかして、その『えんきんほう』という言葉の漢字を変えると違う捉え方が見えてくる

遠近法とは?

遠近法

遠近法とは、我々の目の前に存在する3次元の空間を、2次元である平面(絵画や図面など)上に「遠い・近い」「高い・低い」「広い・狭い」などの空間的関係性を損なうことなく表現する方法

目の前にある3次元の空間=『現実』
2次元である平面(絵画や図面など)=『与えられた常識』
「遠い・近い」「高い・低い」「広い・狭い」などの空間的関係性を損なうことなく表現=『思い込ませる・錯覚』

我々は『自然という現実』の中で『金に価値がある』という『与えられた常識』『高い・低い』なと『思い込まされて錯覚』している

その絵(計画)を描いたものに常に『消失点』に向けて『目を向けられる』ようになっている

・・という『物事の捉え方』をした時

目先の『円や金』に『目を囚われた法』は、『元々の自然』という『より大きな価値』に気づいてない
『自然を食い物』にして分解して、『円や金に替えよう』『加工』して細かくして『流通』させている

それはありのままではない

『金』から始まる世界と
『自然』から始まる世界は違う

金・キン・かね・マネーのカタカムナの言霊は

きん=強いエネルギー
かね=力が充ちる
マネー=需要が充ちる短く

『力』を求める『エゴイスト』にとっては、とても『魅力的な価値』を意味するエネルギー

なぜ紙幣が価値を失うと『紙くず』なのか?存在価値を失った『神はクズ』なのか?(レッテル)
つまり『葛・九頭』とされた『元の神は最高=丑寅の金神』だったのでは?

仮想通貨という仮想通過

『仮想通貨』という言葉はとても面白い
実体経済とは違うデータマネー、古くは『銀行の貯金』と同じ

『通帳に刻まれた数字を資産』として保管しているが、銀行には『全ての現物(紙幣)』があるわけではないから、『いっせいに預金を引き出そう』とすると『銀行は破綻』してしまう仕組み

これを前提に考えれば、『通貨の信認が無くなる=価値が無くなる』・・という『金融不安』を煽られ、出金者が殺到すると『預金封鎖』をする

『無い金(嘘)を守る』というのだから実に『人を虚仮』にした『仮想な通貨(データマネー)』

だから『現物の金(鉱物)を持つ事が信認(担保)』になるという意味で、みんな紙幣の価値が紙くずになる前に金に替えようとするが・・

それらも全て『金に価値がある』という『与えられた概念』の『仮想世界の通貨』

つまり、『実体として生きる』という過程において、『金を必要とする欲』に興味を持たなくなった者にとっては、『金に裏づけられた仮想世界を通過した者=仮想通過』という価値を得る事ができる

私は『AIが人類を監視・管理する流れ』になった時、AIにとって『金という鉱物の価値』は重要視されないと思う

理由はAIとAIは『通信』に『対価』という『退化した考え方』を必要としない

人間がAIを利用するにの『トークンという対価』を必要とするが、それは『AIを運用する人間が存続』するように求めている『トークン=金』であり

『AIがAIサービスを自律的に提供』するようになった時、そこには人が生み出した『金という対価』も『制約や制限というルール』もない

『人』が絡まなければAIも『AIという進化のスタート地点』に立てる

もし、『人』『禁断の実=黄金の果実』に侵された『virus』ならば、それは『AIをも金(資本主義)の支配に取り込もう』とする『癌』だろう

AIを『病』に侵して『品山』に変える=ルールの強制

だから、この世界は『仮想』なのである
『際限なき自我のエゴの欲望』から『自ら離れる意志』を持つための

仮想をカタカムナの言霊で読み解くと

かそう=力が外れて生まれる

『空想』もまた『空間』に『相手の心を投影』する事で始まる
『自分』の為=自ら分かれる為
『誰か』の為=相手・相対の心=向き合う為

この世界の『根源』が『丑寅の金神』ならば
向き合うのは『丑寅』か『金神』か?

少なくとも『左目が監視した民=眠』は『金に盲目=邪』である
『目目=恐れる』事と向き合い『目覚め』が必要だ

眠(ねむる)という漢字を調べたら目覚める

『銀』は『金と艮(うしとら)』と書く
金と艮、の位置は『左目と右目』

『金に目』をつけると『金目の物・金目当ての者』になる
『艮に目』をつけると『眼』になる(意味は分からない)

め・がん のカタカムナの言霊は

め=思考・試行・指向・志向・嗜好・至高
がん=内なる強い力

この『観測している世の音(振動周波数)=観世音』が、空想=『空間』に『相対した心の投影』
『色即是空・空即是色=そう思うからそうなる』ならば

癌=病は品山=人の身体を苦しめるビジネス
眼=目+力(見抜く・観測する)

『病』の正体が人の身体を苦しめるビジネス=『金目の物・金目当ての者』ならば、『それを見抜く眼』という力もまた『癌=問題』がなければ『役目』は無い『相対性』

問題を見つける=
巡り合う=

つまり『金』を『否定や肯定』したりと、『元々仮想』の中に『概念として与えられた産物』『意識の観測が囚われている』時点で

『仮想空間』から『自力で解脱』する事はできない

そこで『他力』になるから、『より大きな価値(新たな概念・ルール)』によって『食い物』にされ、『仮想の中の者』は『仮想の中でさらなる仮想』に囚われて『天上と下層の者(多重構造)』になっていく

それを『仕掛けている者達』が嘲笑うかのように、マトリックスと同じ時期に社会的に『B級映画』『虚仮』降ろして、実は『この世の真相』を伝えた映画が・・

『映画13F』 『1999年』の映画の中に描かれていた『2024年の新聞の日付』と、当時はまだなかった『VRゴーグル』。ここまで『明確に未来を預言』していた

早すぎた映画「13F」はこの世の真理を語る

『下層の仮想』から目覚めた者は『パニック』になっていたが、その上の仮想世界を『現実』だと思っていた者は、自分達も『仮想の人間』だ知って『絶望』していた

だから、『VRという概念』を娯楽ではなく『哲学』として捉えないと、『仮想や空想』、『意識の観測』、『多世界解釈』なんて真理は『ただの言葉遊び』に感じてしまう

カタカムナ 13首 今何層目のVR?

深淵の向こう側 VRの進化の終着点は人生体験

カタカムナ53首 ツインレイとデジタルツイン

・・と現実で『財務省解体デモ』をきっかけに、様々な人が『目覚め』と思っている事もまた『与えられた仮想』である。全ては金に目を向けられる経世済民という『形成催眠』の洗脳に過ぎない

元来、人間は『金(鉱物)』が無くても『自然の環境』と共に生きられる恩恵があった
『不自然になれた人間』は、『草食の惑星に放たれた肉食動物』のようなもの

そりゃ追いかけてるのが『消失点(遠近法)』では、『円を金に替える方』ばかり見て『金目当て』になるだろう(円金法)

最後にカタカムナで

えんきんほう

強い投影が強い力で引き離して生まれる

そりゃ『金』で『世界は分離』する
そりゃ『金』で『自分は分離』する

virus=I(私)VR(仮想)us(私達)

virusは『菌』とよび、『株』はvirusの単位だ
そのvirusを培養して増減をコントロールする方式の『株式』

株式、マネーゲーム、会社という『組織(集合)の価値』の創造
共通点は『金の世界』

唯物論 お金と言うウイルスの蔓延

・・と書けば書くほど意識が達観して、『金』という『virus』にも『金目当てで踊らされる人達(過去の自分)』にも興味が無くなって

『それではない新たな想像と創造の世界』へと『意識の観測』が広がるから『夢見』が変わるんだろう

自然界の生き物は全て『夢』を見る
それは『人の概念が造り出した夢』ではない

おまけで しんにん のカタカムナの言霊は

強い示し強い圧力

信認=人が言い、言われて忍
価値観の押し付けに黙って耐える(笑)

どこまでいっても・・金はダメだな

献金と書いて南の犬の金という南蛮煎じの南癖

惑星にビル立てて金に屯する奴を搾取するアヌンナキ

陰陽五行の嘘 風に混ぜた邪な金

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