好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

月夜見の導き 士別三日の不確定性原理

男子三日会わざれば刮目して見よ、士別三日は量子の不確定性原理。栄養・波動、叡智の吸収が浸透するまで約三日という月夜見の気づきのお話

男子三日会わざれば刮目して見よ

ひとかどの男子は三日も経てば成長しているので、再会したときは注意して見るべきだという意味。 『三国志演義』や『三国志・呉書 呂蒙伝』の呉の武将・呂蒙の言葉『士別三日 即更刮目相待』から。

と、出典は三国志において『男子に限定』される伝え方であるけれど

士別三日 即更刮目相待

これが元の言葉なら、士=一人前の男の意に限定しなければ重要なのは『三日という期間で志は別になる』と想像出来る事から

三国志・呉書 呂蒙伝…という作品に『既に存在していた先人の知恵の言葉が引用』されたと見れる

そうでなければ例えるならこういうことになる

漫画の中で産まれた言葉の「クリリンのことかー!」『覚醒の呪文の意味』として後の教科書や日常会話の一部に『出典はドラゴンボールという伝説の書物』から

と書かれるのを『鵜呑み』にするくらい馬鹿馬鹿しい思考停止┐(´д`)┌

男子というのも『英雄や武将』という『漢達が主役』の目線に偏っていると感じたので(ヾノ・ω・`)ナイナイ

そこでリセットして、元の言葉を読み取って行く

士別三日
仕える物事から別れて三日
±(2元)と別れ三日

こういう観点で見たらなんとなくわかった

『二元性のエネルギーの干渉・観測=相対』から別れている為、量子的には『不確定性原理=有無=空』になる

どんな変化をしているかシュレディンガーの猫(*ΦωΦ*)思考実験

つまり、士別三日とは「三日もあるとどんな変化」をしているか分からない( ̄▽ ̄;)

まさに現代の日本語と漢字解釈でも意味が読めてしまうし、士という字を『±』という記号で読みといても、『二元性=相対性』でありそこから別れる=『観測がない・観測しない』

つまりは二元性の外の『第三の変化の可能性』が生まれる
まだ三はないが二から離れる=二つ目(視野)に映らない

だから=すなわち

即更刮目相待

更に目を皿にして刮目して
注意深く相対する物事の変化を待て

こんな風の意味も読み解ける

目を離すと変化を見逃す

一度『二元性』で見失ったら『第三の目』で可能性を『先読み』しろ

月夜を見ると、月は『満ちる・欠ける』
満月・半月・三日月(上弦・下弦)の三つのパターンにおいて

半月というのは満ちるのか?欠けるのか?『継続的に観測』してなかったら『その瞬間』は『どちらに傾くか』は分からない

だまし絵のひとつに捉え方によって見える絵が違う物があるように

例えば月が『欠ける(minus)』という捉え方は『光に焦点』があっているが、同時に月を『飲み込む(plus)』と捉える場合『闇に焦点』があっている

これが『白き月と黒き月』の表現の始まりだと思うし継続的な観測なしに『半月』の時から見ると『どっちに変化』するかは分からない

白き月の『反射光が満ちる』のか
黒き月の『影の闇が満ちる』のか

暗躍と陽動
陰謀と計画

『予測』を立てるにはやはり『先に月夜を見る預言者』がいるかいないかは『二元の勝ち負け』には重要

それが天下の相撲の神事の土俵を管理する行司の『月夜見一族』か

八卦良い、残った遺った(遺恨)
負けるが卒業、勝ちは補習の『居残り』システム

なるほどね( ˙꒳​˙ )納得

という事は『士別三日』という四字熟語はおそらく『預言者が生み出した格言』だろう

さて…なんで今朝これが私に降りてきたのかと思い返せば、ひとつはこれから向かう予定の『月夜見神社』が関係しているであろう事と…

『体感は先で理解は後』という『結論』に至るまでには、まるで食べた物が栄養吸収されるまで・・あるいは筋トレの効果が出始めるのは『3ヶ月後』のように

『三日くらい経過』しないと『どういう結論』になるか分からない事

例えば

寝起き閃きで直感にしたがって書き出したメモは、例えるなら掘り出した原石のパワーストーン

その下書きを読み手にも伝わるように形を投稿フォーマットに『削る作業』をして

そのまま『熱も冷めない内に即投稿してさっぱりする事』もあれば…三日くらいしてから書いた事と『違う認知』に変わったりする事もある

つまり、『仕事(記事を書く)から別離』して『3日間に起きる様々な出来事(シンクロニシティ)』が

『時間をかけて変化して吸収』される事で『意識そのもの』が変わる

食べ物を食べて1時間後に眠気がくる
数時間後に便意を催す
継続して動ける活力を感じる ←結論

筋トレを開始して翌日に筋肉痛がくる
その痛みを堪えて更に痛めつける
継続すると今までの限界を超えても痛くなくなる←結論

高波動に触れると何も手につかなくなる
眠い・だるくて何もやる気にならない
数日して漲るような活力を感じる←結論

これは士別三日の『主観バージョン』
本来は『状態がどう変わるか?』の『客観的警戒』

この観点から言えば

士とは『土』に立てた『十字架墓標』
そこから別れて『三日』もあれば

死体を掘り起こす事(墓荒らし)もできるし(客観)
死んだ者が蘇る(イエスの復活)かもしれない(主観)

目を放す=事実を観測していない
『憶測・可能性』が生まれる

可能性は様々なものを有無
前向きな『プラス』の発想
後ろ向きな『マイナス』の発想

合わせて±(プラスマイナス)=士
そのエネルギー(士)に人が翻弄される=『仕事』

力学では『運動エネルギー』の事を『仕事』という
これはそのまま『人は可能性(士)の事』

だから人は気を集めたがる=『人気』
陽気もあれば陰気もある『運気』

何と結びつくかはあなた次第で、その結論も『三日くらいは猶予』をもつ

白き月か黒き月か、吉と出るか凶と出るか
『半月』は可能性、『判決』も可能性
『三日』くらい『猶予』があって『変化』は現れる

…けど、ずっと月を見てた月夜見はもう『結果』がわかってる

なぜなら三日後の月=『三日月』が
『上弦』となるか『下弦』となるかを『先夜見』できる

それが『先見の明(半月後)』
光か闇か『転換点』が見えている審神者

現代の人間が『月の影響を受ける』という事は、『運気=人の気の流れは読みやすい』という事

これを『私利私欲』という小さな観点にすれば『占い師(邪な利益の損得への干渉)』(・∀・)ニヤニヤ

だけど、利他に教え広める大きな観点にすれば『売らない師・裏無い志(自然体の尊悳・人の気への不干渉)』

『なるようになる』とは『諦め』では無い

『人』が『陰陽(プラスマイナス=士)』と、どう『月逢って』きたか?(自業自得)
『運』を『天』に任せて運転し『心』に『素直』に『月従って』きたか?(悳)

それがそのまま『因果応報』するだけ

ふむ( ・・ )月夜見神社、参拝が楽しみである

ps 既に行ってきましたが、その話はまた別記事出まとめます…やっぱすげえわ昔の古神道

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