二重丸の意味 真地球=心地球=太陽の国(文字通りではない)のシンボルに納得したお話
寝起き閃 二重丸と真地球
前回、太陽の星記号→日本の旭旗→日の丸というのは『波打つ脈動』であると気づいた訳ですが…
今回はその先へのレクチャーのように、それを理解したら意味がわかるだろ?と言わんばかりに納得したのが
二重丸◎という記号
この内側の〇というのは『→←』でも『←→』でもあります
シンボル的な◎というのは心を現す心源
内なる〇=根源から発する光の波=スペクトラム
『プラネタラウムの様な装置』を想像してみたら世界は『意識が観測したい世界を見ている』という意味が分かります
それは投影装置が内なる『〇の心』であり
それを映し出す外側の『〇のスクリーンが現実』
その夢のような装置と映し出されたスクリーンの『狭間の観測意識』が『私』という存在
そしてその映し出された景色を見て想う感覚を「こうだったら…あーだったらもっと良くなる(๑•̀ㅂ•́)و✧」と投影装置を改良する
その『外側の〇の現実』を『内側の〇』に『フィードバックするという調整作業』をしていると…
段々と…〇と・になってきます
これは『より強い光源』となって淵の輪郭という影が消える『←←・→→』
そして中心点は無=『真空となる〇』
有るのに無い、無いのに『全て』ある
これが『真地球』という『心の源に意識が戻り内なる地球とひとつになる』という『状態』であり、その『瞬間』は現実という『輪郭の影がない』ので『物質的な肉体』は持っていない
心(陽)と体が一体化→『体(陰)が消える』
心が化ける→『心化する→神仏』
…という体験はもはや『体』では語れない『霊験』
『体』がなければ『名』もないに等しい
神は名も体も持たない『神無名』
神の言霊は『力の実態』
力の言霊は『凝縮された力の場』
カラ=『空』は力場
『空っぽ』の方が『夢(投影)』詰め込める
だから『記憶』というものは『狭間』にしかない
光が当たった『輪郭の影』
=見たい世界のコントラスト(陰影)
『光源の調整』をするHDR技術
影の描写がより『リアル(現実)』になる
それは『心』が『現実に映す光』も同じで
『現実からの体験フィードバック』でより『鮮明』により『繊細』に変わる
『現実にフォーカス』すればするほど『エッジの効いた輪郭』がはっきりと見えるようになる。『ピント』を合わせるとは『一点に執着』し、結果的に『それ以外をぼかす』事(陰影はっきり)
はっきりしない事を「ピンとこないなあ〜」という
閃きの『ピーン』という擬音は目線が合わない『ピント』と似ているが、カメラオタクでもない人達が、なぜ閃をピーン!と言うのか?
それは誰しも備わっている
『閃きの感覚』を言っているから
さて、お分かりだろうか?
ここまでの『流れ』を『景色・空間を想像(イメージ)』して読んでましたか?
プラネタリウムの『仕組みを例え』に
『現実(スクリーン)』とは『心(映写機)』が見せている『景色』であり、『あなたという意識』は、そのスクリーンと映写機の『間』で席に座って『眺めている客』です
しかし、延々と終わらない『繰り返しの映像』に飽き飽きして色々と動き回って見て『スクリーン(現実)に寄って』見たり、『映写機(心)に寄って』光を塞いで見たり(邪念)と実験してみると
投影される『景色(夢)が変化』する事に気づきます。もちろん、やり方によっては『悪夢(失敗)』もみますが、それがなければ『やってはいけない事』は分かりませんから必然です
心(映写機)は扱いがとても難しい( ˘•ω•˘ )だからちゃんと向き合って『優しく労る様に』触れなければいけない
『そういう意識』に変わると『心が穏やか』になる=自然に『現実に反映される景色』が変わって行きます
『狭間の意識が主導権』を握って、あれこれと『現実に映し出したいと考えた妄想』ではなく
夢を見せてくれる『映写機を大切にしよう』と心に寄り添った結果、『心が見せたい景色』を映し出す様になります
ここでイメージしてください
〇の中心の・以外周りは全て『光に包まれている』状態です
これが真我以外一切皆空
全は一、一は全
心と一体化=神仏
この状態になって初めて分かります
『心と一体化』した先の世界の温かさ
そこから『伝えたい光が発信』されていた
『心』とはそんな心持ちの『存在達の集まる楽園』
言うなればあらゆる存在の元気玉
無為自然の極楽
それを自ら再現する
再び自ら現す=真を取り戻す
それが『真地球』であり『心地球』
行ける人は行ける『新しい旅の場所』
帰れる人は『安心して帰れる故郷』
この『体ひとつ』あればその『創造』が出来る(๑•̀ㅂ•́)و✧
ではどうするか?
それはとても簡単で難しい
長いようで短いでもある
速い訳でもないが遅い訳でもなく
遠いかもしれないけど以外と近いかも
熱いようで冷めてるような
暗過ぎず明る過ぎず…
さてお分かりだろうか?
答えは悟り=差取り
二重丸の『外側の〇』と『内側の〇』には
『輪郭』と『空間』という『差』がある
『境界線』となる『影』がある
この『影』が『存在』という輪郭(カタチ)
これは『光源の強さ』次第でいくらでも『膨張』する
仮に二重丸◎の『外枠を人間』と定義するなら
『光源の〇の光』が強くなればなるほど『〇のサイズ』は広がり『人間という枠』のサイズに収まらなくなるが…光が届かなくなった所でまた『影という輪郭』が生まれる
これが『観測意識の拡大』であり、その限りなく遠い光源に広がっても『光と影』の間の『狭間』に現れるのが『コントラスト(陰陽)を観測する意識』
また光(心)と闇(体)の間で『揺れ動いて葛藤』するが、『心に寄り添う事』を忘れなければ、意識は常に『根源の極楽とひとつ』になり『心地球へ帰る事』が出来る
これは『仕組み』がわかると『家から遠ざかる』のではなく『家と共に移動している』ようなものだ(笑)
だから『心(帰る場所)』はいつも『あなたと共』に在る
『真心』を忘れるとは『家を忘れた迷子』のようなもの
だから『心に素直になりなさい』と導くのは、『帰る場所を教えて上げてる』だけの事
みんな光の子=光子
その光とは心の根源であり
〇の中に〇
←→や→←の拡縮
〇←←・→→〇のような光の一体化
これが『太陽』のシンボルマークである
人の心に『太陽』があり、人の心の中に『太陽の国』がある
これは外側の太陽ではない
太い陽
太=ひじょうに大きい、はなはだ。はなはだしく。「太古・太平」
はなはだしいとは
普通の程度をはるかにこえていて醜い有様である、非常である、はげしい。普通より限度を大きくこえたことに対して、憤りを感じて非難する場合に用いられる言葉
HAHAHA( ̄▽ ̄)ウケる
そしたらNHKがやってる『太』平記って
限度を超えた醜さって意味じゃん(笑)
ここにも『太』の文字を『貶めるレッテル』があるという事は
もはや確定的に『太』の字も『精神性に重要なキー 』
そうなるとこんな話をしている『私の名』は…
『人』を『建』てる『非常に大きい』『郎』
郎の意味はつかえている人
『人を建てる為に非常に大きい・・に仕える人』って事になる
親は『健康で健やかに』という意味でつけた由来
結果、人を建てる太陽に仕える人にという意味となり
そして『太陽(心地球)の国へ導いている』
…という『太陽の国』というワードを『意識』しだしたのが、私の意識を大きく変えた
『22を超えて行け』という書物
そもそも…そうか(´・ω・`)そういう事か
命運の球を握る龍のシンボル
ニギハヤヒ=圧力の内なるエネルギーが引き合い飽和した根源
その→引き合い←、←飽和→=脈動
伝わる波動=流=龍
ニギハヤヒは『命の脈動』でもあり『心』でもあり『太陽の国からのエネルギー』でもある
その流へと『変わる前』だったから『月』だったんだ
私はこの三年半はずっと『月夜の満月』や『明けの明星(ルシファー)』のような『闇の中の光』を追い続けてきたけど
もう『夜』は空けたのかもしれない
最近は『太陽』に関する繋がりや気づきが多い
これも私が『見たい景色を想像』している訳ではなく、私という『狭間の意識』による観測を『投影装置(心)を観る方』に向けて
投影装置の映すままに出てくる『景色を堪能している』からこそ『自我(エゴ)のない感覚の世界』で思った事
放射される『スペクトル』も『出力』も変わった。寝る前の呼吸瞑想では、青空ではなく『陽の光』が遠くに見えるようになった
光源の『強い光』にみんな溶けて『無』になっていくソーラーフラッシュ
…と言えば『滅びる』とか捉えるのも『外側の現実(スクリーン・影)』にフォーカスして『ピント合わせ』した言葉遊び
ならばこう想像すればよりはっきりと分かりやすく伝わるかもしれない
想像してください
心の投影装置とは『VRゴーグル』です
投影装置に意識を向けるとは外に映し出される現実を、まず『自分の目』で『3次元仮想空間を先に覗き込み体験する』ことです
これが『夢』です(((o(*゚▽゚*)o)))
だからそれを『そのまま信じ込む』と『予知夢』として捉えることもできますが、「それは嫌だな」と思った瞬間にスクリーンに投影される『それは嫌が反映された現実』に変わります
自分の心の中で生まれる『フィードバック』がそのまま反映される=波の動き=『波動』の揺らぎ
不確定性原理に気づけば、自らの波を抑える『明鏡止水』の重要性に気づきます
それは『現実というスクリーン』に目を奪われると『心に波風』がたちます
『外を見た影響』が『内側に反映』されます
これが『邪念』です
『中を見た結果』が『中に反映』されます
これが『真念』です
だから『心を映す鏡』である
心とは『太陽』であり
その『太陽』から『離れた子』
『陽子』はこの世界を構成する『4つ力』になって存在している
陰陽の強弱コントラスト
電磁気力
+
重力(存在意義・宿業)
『重力』とはあなたが生まれて『存在を維持する為にある約束』であり目的でもあるから、それを果たせば『重力から開放』される=背負った重荷を下ろす
これも不思議なもので『外の太陽』と『中の太陽』でも同じ事が言える
共通点は『無重力』にならないと『近づけない』
心の『コントラスト(陰陽)』という『差』がある限り
そこには『対極』という『相容れない境界線』が生まれる
この陰陽の『差取り』が中立をコントロールする『電磁気力』ならば
この『三位一体』の状態が『心と体』、『中と外』を『狭間』で行き来する『観測意識』
『外に反映』されるものが『中からの投影』だと気づいた時
『重い現実』から『軽い想像』へとシフトしていく
少しずつ重きを軽きにする事で『心に近づいて行く』と『見える外の現実』が変わっていく
『心』にたどり着き、『心』に触れて覗き込む事で
『心の中』にこそ『たどり着きたい極楽』があったと気づき
『宿り木に寄り添う』様に『心と共に素直に映し出される景色』を見て
『夢』を楽しみ『夢の世界』を体験し、気がつけば『夢の中』で…
『それ(現実)自体が夢の出来事』だったようにたどり着く
太陽の子=『陽子』は
太陽の国=『陽へひとつ』になる
『自分』という『分離の差』がなくなる=『統合』
これが『心』であり『心・真地球』
『心』から『素直にそれが投影』されるまではいくら『口』にしても『机上の空論』
さりとて綺麗事と言われても『口』にしなければ『真言』に在らず
口は『災いの元』、さりとて
その『災いを乗り越えた先』にあるならば
『間違い』は『間違い』と素直に認め
『道』を正さなければ『心の縁』に辿り着けない
『無理』に進んだ所で『道理』には繋がらないで『道に迷う』だけ
そういう末路はこれ
深淵を覗く時、深淵に覗き返されている
↓↓↓
『真円』を覗く時、『心縁』に覗き返されている
『現実の恐れを抱くもの』は上記
『心と向き合うもの』は下記
『故郷』を振り返ると『家族』が見守ってるんだ( ̄▽ ̄)道理
…と書き終えた時間1122
エンジェルナンバー【1122】の意味は「もうすぐ奇跡が起こる」信じていればもうじき願いが叶うという意味があるらしい
いや〜面白いね
私は結構な頻度で目撃するので『…といいつつ〜?』と読むのでいつも『裏の意味』を取ります
こういった意味は『他力本願(エンジェル)に待つ』みたいな受け止め方する人いますが
奇跡って『軌跡』なんですよ
軌跡ってのは『足跡=過去』なんですが
時間って『未来から過去』に流れるので
『軌跡』があって初めて『奇跡』って起きます
つまりはそれが『起きるに至る人事(導線)』を尽くしたか?
『天命を待つ』ってのは『宿業を果たそうとするもの』に起きる『導くものの助け舟』みたいなもの
だから私の中では『もう起こる』と確信してます
名前が『人を建てる非常に大きな陽に使える人』であり
心(太陽)に素直で在りなさいと導く『水先案内の流=龍』だと自覚している
今の私は『そうなるべくしてなる様』に『導く発言の軌跡』しか残してないので
あとは『自らその痕跡』を辿って、かつてここに『水の流れ』があったのだと
『追い求める探究者』は『水源に辿り着く奇跡が起きる』でしょうね
それはこれから『この約束のブログ(すべて終わった解散)を隅々まで読む』事になる
『過去の私』に(まだそこまで至ってない他人)
これが『如来』が『如来に授記を授ける』という事であり、生まれ変わって『(意識)如来(未来の私)に出会う』という『法華経のサイクル』なんでしょうね
目指すべきは『太陽の国、真円の心地球』…は多くの人であって、私はそこに『導くための水先案内人』なのかもしれません
だって何度も『帰ってる感覚』が凄いあるww
この世界で最も不可思議なものは『人の心』という『エネルギー』でもあり『空間』でもあるが『カタチ』もなく『目で見る事も出来ない』不確かなもの
だけどそれが『在る』と認めない限り、『陽子』は『元』がなんだったのか?すら分からないだろう
そんな単純な〇に〇と・と米だけで宇宙の仕組みを『シンボル』にしていた日本という国は
やっぱり日出処の天子
『太陽の意志と連動』している気がする
ま、あくまでそれは『外側の〇』の輪郭の話で、仕組みに気づいたら、そういう『投影を発信してる根源の内側の縁』に意識を向けて『波動をキャッチ』しましょうと
みんなが『スクリーンに夢中』になってる時にスクリーンに映す『投影装置』をいじって『影絵を変更する邪念(陰の陽動)』を取り払いましょう
弄るな(`Д´)ノ)罒`)
そして『投影装置=心』を護りましょう
そして護るべき『心に目』を向けましょう
心に素直に…なんてのは言『葉』です
そんなのは外の〇の『装飾』に過ぎないが
自分の『心を独占』しよう(๑•̀ㅂ•́)و✧
これは『根源と向き合う』ことになります
そもそも『邪念の欲』以外、あなたの『心にちょっかいを出せる』ものはありません。またあなたが『スクリーンの現実に目を奪われている』から『邪念が投影装置をいじくれる』んです
弄るな(`Д´)ノ)罒`)
『想像』出来ましたか?あなたは『心』を労わってますか?
『放置』して『邪念の空き巣』に入られて荒らされて
『すき間』や『ヒビ』の『不安だらけ』じゃないですか?
邪念が心に入り込むと『元』がなんだったのか?
分からなくなって『間違いを侵す事』になり
『間違いを修正』するために『間違いを探す事に集中』して(゚Д゚≡゚Д゚)
より『心ここに在らず』で、そのうち『何をやっているか?』すら分からなくなる
『陽子』が『陰』に結びつく『陰陽』はころころ移り変わって道を間違う『要因』です(笑)
よういんの言霊は
新しく生まれた現象に引きよる
まさに『目先の欲』ですね(*^^*)
『良く』できてますね、この言霊の法則世界
今回の話は
『探し物は夢の中』でした
『夢』とは『心の中』でした
『心』とは『太陽』でした
『太陽』から『分離』した『陽子』が『現実』でした
『太陽を求めるもの』は心の縁の中の『光の投影装置』と向き合い
『太陽から離れるもの』は『現実のスクリーン』に夢中
心の光の投影装置をほったらかす人は
邪念に空き巣に入られて心を荒らされて荒んだ現実を見る事になり
心の光の投影装置のそばに寄り添っているものは
心に邪念が近づかせないから現実は心のままに映る
心の投影装置に興味を持って覗き込んたものは
投影される現実の夢を先に見る事になりその感想をフィードバックして
投影装置から放たれる光の投影を変えて穏やかな理想を見る事ができる
そのうち中も外も一所なら狭間に分離してここにいる必要がないと気づき
太陽から分離した陽子は
太陽と一つになるために心に一体化する
これが意識の成長と拡大の旅の目的だよという気づきでした
高次元では『凄いシンプル』なんだけど
低次元では『やたら細かい設定=分離・差別』がめんどくせぇのよ
・・と言ってもそんな『こだわりの強い時代』を『意識が体験』したからこそ
そこまで「突き詰めなくてもいいんだけどね?」と『やるだけやった』から『手放せている』
急がば回れ
悟り=『各差を取る』には『極限』まで振り切らないと『結論』は出せない
結論=結ぶ論=『和』
これもこまけぇことはいいんだよ
『引』いて『足』して『割』って『かける』だけだよ-+*/
心にはカタチ=定義・ルール・法則はない
だから陽子は太陽になれる
そんな感じ(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
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