好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

以内居ない場の赤ん坊あやし遊びに隠された神話と仏説

寝起き閃ワード いないいないばあ(/\)\(^o^)/…なんで?赤ん坊をあやす遊び?と思ったら、そこに神話伝承と観音開きが隠れていた神話仏説の集合話と…それが夢観る子供になる必須条件だった

以内居ない場?

以内とは

ある限定された、空間・時間の範囲のうち。

居ないとは

人や動物などが「存在しない」「留守」「いないこと」

いないいない(/\)ばあ\(^o^)/(^p^三^o^三^q^)

という赤ん坊をあやす子供騙し

大人が見るとこう思う

いないいない…(/\)Σ(゚д゚;)いるやん

全身隠して…からのはい!ひょっこりはん!\(^o^)/

これなら場に『いないいない』は成り立つがただ『自分の顔を隠して』いないいないは…

それは『貴方の主観』で…『あなたの視界の範囲内』『赤ん坊も居ない世界』を勝手に作ってる『自己暗示』であって

赤ん坊からは『ずっと見えている』…にも関わらず?赤ん坊は喜ぶというのは…

いささか不思議では無いだろうか?

赤ん坊って実は『意識や意志』がはっきりしてるが、『コミュニケーションが取れない』から『泣くを手段』にしてるだけなので

もしも『達観した赤ん坊』なら…

(目を塞いで勝手にいないいない…とか言ってるけど、気づいてないのだとしたら、相当阿呆なんだが…ノッてやらないと拗ねてへそ曲げられて、気持ち悪いと思われても嫌だしな、しゃーねぇ喜ぶ振りするか)

ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ (๑ ́ᄇ`๑)そうかこれ好きか〜

このくらい『発言と行動』が一致していない

そこで、この子供、特に『赤ん坊をあやす風習』の中に意味を見出した時、はっきりとこれは『遊びを介した精神継承』なのだと感じた

天岩戸伝承 闇で覆った後の陽を崇め

『目の前の範囲以内に居ない場』を作るなら
『赤ん坊の方の目を塞ぐ』のが正解だ

おそらく最初はこうだったはずだが、いつの間にか『自分の顔を塞いで変顔する』という

『赤ん坊にする目隠し行為』が
『自分を目隠しする行為』になっている

以内居ない場(空間)は元来こうやって生まれる

1 赤ん坊の目に映る『光の観測世界』を一度閉じるバタン|Ю ⊂(´L_` )
2 『強制的な闇に不安』になった頃、再び開いた時に飛び込んでくる『明るい笑顔』

これは『天岩戸伝承』をモチーフにした『子供のあやし方』

『暗闇の向こう』『光』がある
例え一時『お先真っ暗』になっても必ず『陽は登るsunrise』

これが

その『闇の範囲内に居ない』が、必ずその『闇のVeilを払って光が差す場』が有る

という

『親が子にとっての光という存在』である事
『親が子に闇をもたらす存在』である事

『闇(手)』に包まれた『範囲に居ない場』『元から居る光(存在)』

実際に『手当』から伝わる『温もりの安心観がある闇』である事が重要

ただこの『光の手』も色々あるよね
それが『変顔』という『千手観音』

ばぁ!と目隠しを払う動作は『観音開き』=中に有ったのは『仏様』

居ない以内場〜に観音開きで現れる度に『違う顔に変わってる』から、『闇に覆われ隠された』後、『何が出るか楽しみ』になる(((o(*゚▽゚*)o)))

『一時の闇』なんか『ほっとけ=仏の精神』になる

しかしてこれもまた千手観音と書いて『先手』とも取れるから面白い

千は千里をかける『子を慮る母親の配慮』
手は手段、『先手と後手』があり

この場合、『目を覆われる闇』に慣れ、『後から来る光』をワクワクしている『子は後手(受け身)』に回っている

…くっ( ´꒳​` ) .。oO(喜ばせるネタが…

変顔も『千の手』がありゃ『千手観音』だが、『あの手この手』と手を変え品を変え、内心慌てふためきつつも『親はほっとけ!』と『子に悟られて』はいかんので、平静を装って『子を喜ばせる為の親の鏡写し』の姿

これが『観音開き』『純真無垢な素直な光』と向き合う『闇を生み出し与える親』の感情

基本的には大日如来
太陽よりも明るい大光明の如く来る=微笑み

笑顔を『親が与える』つもりが笑顔を『子に与えられ』
『癒されるから癒したい』と『愛は育まれる』

・・が

以内居ない場の莫迦のひとつ覚えの観音開きが『飽きられる』
子にしてみれば「それはもう子供騙し」と真言を体現した『成長の証』

それは『神話や仏説』からの卒業
「起きなさい・・起きなさい勇者(遊者)」

そして伝説へ=『口人が云う説=現実』へと進む物語

これは『闇を恐れるな』という『心構え』であり『人為的に造られる闇はいずれ払われる』のだから…

「大丈夫!トラブルを楽しめ!」という
どっしり構えた『大胆不敵な心構え』になる

この『天岩戸神話』と『観音開きの千手観音』という『仏説』を『神仏集合して解釈』すると…

赤ん坊の時に親が以内居ない場で、赤ん坊の『目を手』で塞いで『現実の光の影の闇』を見せ『観音開きで解放する』と『親の明るい笑顔が待っていた』という遊びを繰り返した場合

『観測してる範囲』がどれだけ『人為的な闇』に覆われても、闇を恐れず、むしろ闇が開かれた『後の光(愛情)』をワクワクと『元の陽がまた登る』という心構えが、『物心着く前の深層の景色』にシンプルに根付いている

と、同時にダメ押しのように『日本昔話』『寝物語』に読み聞かされて育てば、観世音=目を瞑って音で世を観る事で、日本昔話は「君ならどうする?」という『先人の生き様の道徳と未来哲学』だから、完全に『闇耐性=未だ知らない』はつく

闇耐性とは、『闇に強い』とかではなく、『闇(絶望)が現れた』という事は、確実にその後に、『元の巨大な愛ある光(大団円)が必ず現れる』という、願望でも思い込みでもなく、理屈とか知識とかじゃなく

ただそう『強く確信のように感じる』のだ

だから居ないいない場という『遊び伝承』でも

親が『赤ん坊の目を塞いだ』
親が『自分の目を塞いだ』

重要なターニングポイント

前者ならば『天岩戸神話』と『観音開き仏説』の集合による『闇』が訪れてもその『後光が射すから大丈夫=釈迦』という『希望を根付かせる事』が出来る知恵

後者は…ただ『親の自己満足』

「こうすれば赤ん坊って喜ぶって聞いたけど?」な行動をそれっぽく真似しただけ

親が目を逸らして『自分で観る事を止めた』のだから、その以内居ない…の瞬間は赤ん坊も別に『親を見なくてもいい』

つまり、ちゃんと『物心がつかない頃の生活』の中の『親の子供のあやし方』一つ一つに

『子供に将来訪れるであろうお先真っ暗闇』『慣れさせて耐性付けさせる事』でもあり

自分で目をつぶって『闇を観た』としても、それを恐れず、『その先に変わった光が現れる』のをワクワクする

これが『夢観る子供』になる始まり

『夢』とは闇の向こうに現れる『投影のVISION』
『映画のスクリーン』のようなもので、つまり『闇の中の光を観ている』

現実で親にあやされなくても『眠る事』『心が観音開き』して『仏様』に向き合っている

イム=忌=『己の心の様』

生まれてから見た『記憶の現実景色(光)』
それを眠りの空間に『光』として映す

寝る子は『精神』が育つ
=静かに眠る→親も時間が取れる親孝行

どうして寝太郎…というくらい寝るのか?
『体力が無い』訳じゃなく、『闇に夢中』なのだ

闇耐性とは『闇を好む事』だが
『目に見える闇(結果)』ではなく『目に見えない闇(未知)』

ここが『認知』のパラドックス

現実で闇とは『光の影という一部』を指す
『光がなければ闇は存在しない』と『目に見える闇』ばかりを捉える

しかし、目をつぶって観音する精神の闇は
『闇の中で光を観る』という、『目に見えない闇』そのもの

光を浴び際立たせる舞台の

『暗幕』がかかる
『帳』が降りる
何かが『これから始まる』

そして『浮かび上がる光の動き』に目を向ける

光の三原則を体験する夢

『目に見えない闇』とは『目を使わない』からこそ観れる心の闇

現実で『客観的に見せられる闇』ではなく
精神で『主観的に観る事ができる闇』であり

心の闇が現実に『影(光の一部・閃き)』を落とす
だから『闇』が現れたら『ワクワク』する

その『闇の向こう』に『星=日の生まれ』から漏れる『元の光が有る』から

グレートスピリットのスターダストメモリーを感じた夢

それが巨大な光が開かれる時、その光が現実に『巨大な影』を落とす

…という事は?

実はもう『精神世界』では『闇は取り払われ大光明がさしている』故に、その『強大な光の影』が『症状として現実』に現れている

心が病んでいたから『現実が偽りの平和』になっていたが、心が解放され軽くなった時、現実にその『病んでいた原因の癌が広がる』

そう言う法則だから…

精神では『巨大な光が既に勝利している』というのは、『現実にはこういう影』になるという事

例えば、『インデペンデンスデイ』のように『空に巨大なフラットな円盤が現れる』のも、ある意味では『巨大な闇』だが、それは・・神話伝承を辿れば、『天空の城ラピュタ』や『黄金の国』『高天原』など

もしそれが、『アヌンナキ』だったら?『金の奴隷に集めさせた金を回収』するから『黄金の国』なんじゃねーの?とすら思う

仮にこれに『人類』が向き合う時、『金(属)に執着する者=菌に侵された汚染細胞=癌』となった人は、『金属を武器に変え戦争』をしかけたり、『金を人を支配する力』にして『癌細胞組織』になったり

錬金術が『医療=金属・鉱物を体に埋め込む』から始まったのだとしたら?
それはアヌンナキが人類(猿)に行った『金に対する予防接種』のようなものとも言える

予防接種とは、『健康な体に毒』を入れる事で、自己免疫に『抗体を獲得』させる事が目的

かつてムーだか、レムリアだか、名前は知らんが、『夢見る者達』がいた訳だが、それは『金を克服した抗体を獲得した者達』だろう

逆に『アトランティス』など、なぜか『有名な物質文明』においては『科学の発展』がついて回るのは

それはもう『金属を克服』したように見えて『金と共生』し始め、『金を集める操り人形として脳を支配された者達』
『金を奪う』ためならば『同族をも殺』すような『年貢・税金システム』というのもかつてもあったのだろう

「皆で苦しみを分かち合いましょう」 という『思いやり』が、じわじわ刺さってくる『重いヤリ』に変わる
表面は『金』に興味かない(入口は無料)ように見せかけて『依存』させ、『サービス継続は金をとる』みたいな?

非常に法則がわかりやすく、金の支配(毒に侵された)奴隷の症状が表面化してくる
これが『精神の光が強く』なればなるほど『現実の闇は色濃く』はっきり出てくる

ここで、『予防接種後の実験結果』が出たら
純粋な抗体と凶悪化したウイルスは分離するよね?(合理的かつ科学的にも)

それが『人類選別』

金に対する抗体=金が無くても自然と共生すれば困らないという生き方を想像と創造する力
病は気から、金を気にする=エネルギーを与えるから悪さできるようになる

つまりは『禁忌』として『隔離』する

免疫力が強く『抗体を獲得した者』は『金欲を隔離して禁忌』として『封印』する=エデンの園
そうここで『禁断の実として封印』されたのは何か?がはっきりわかる

生命の実=金
智慧の実=金の使い方

金と本=鉢・八・8・∞
八はのウ冠の『穴』から降ってくる

つまりは上空の闇の穴=星降る夜という事になる

もし『金欲を克服する抗体』を獲得し、『禁忌の禁断の実』だと『自ら隔離』して、『金輪際の見極めとして封印』する意志を持つ者がいたら

それは『その者の周りがEden』となり、『管理者たる責任を自覚したアダム』として、『人類の抗体として選別』される

この周りがEDEN=正常な細胞組織とと捉えた時、その環境を管理する『人類の祖アダム』とは、その体に宿った貴方の自由意志

主と体性が『金無くてもさ、争わないで和心あれば生きていけるさ』と想像して創造した理想が、その闇の向こうの光にある

上を向いて歩いていく

一方で、抗体獲得失敗で逆に『金の菌に侵され金属』に操られるようになったものが、各地に『戦争兵器の金属感染』をまき散らす『金属まみれの癌細胞』となったとすると

この世は、元素周期(錬金術・悪魔議定書)では『第六ピリオドで自然の元素』は消えて、『第七ピリオドでは人工化合物』しかなくなる

つまりは、『元の自然がなくなる』という事

錬金術と元素周期表 錬成と練成

八百万の自然の循環の恩恵が消えて、不自然で歪な人工化合物だらけになる。人間も機械と融合しようとしたり、動物同士を融合させて、キメラを生み出したりと・・そんな世の中になるのは目に見えてわかる

だから、この先、『その世界』で生きていく意味はない

私への導きは「その現実を生きる事に執着しないで死ね!」という手段の提案ばかりなんだ(笑)

死人に口なし つまり囚ではない人として

感覚的量子論 空腹幸福論 安楽死の体験練習

ただ『生き急ぐ』事なく、じっくり生きて、色んなものを『差取って』、足りないを『和足し』て、そんな『継承をして潔く死ね』と

この死が『結果的に肉体の終わり』なのだが、『痛みや苦しみを伴う方法では無い体験』ばかりだから面白い

要は私がこの世界に『意識を戻さない』と『自由意志で自意識を確定』させた時

ただ『その世界に意識の観測が定着する』だけ
その後の『この世界の体の事』は気にしない

『元』から『この世界』という『存在は無かった』
ただ『長い?夢を見ていたのだ』と忘れるだけ

母の背中におぶられ、寝物語として日本昔話を聞いていた赤ん坊の頃に・・

カタカムナ48首 日本昔ばなし

END(終・完・死)に込められた嫌われた方角

人類は『一人一人』が『選択の場』に戻る為に、長い長い『自己理解』の為に『自分達に分かれて夢』を観ていたのだ

さながら、『精子の夢』とでも言おうか

『卵子に着床=生まれる事ができる』のは『1つの精子』のみ
『その世界創造』の為に『何億』もの『志し半ばの犠牲になった自分の誕生の可能性』を…

『先祖として供養している』という『観点』で捉えて見れば、あなたという『意識の観測を産む』ために散って行った『あなたの欠片』が『縁として巡ってくる先祖』のようなもの

私は子供の頃から『光の粒子』が見えていた。それはきっと『自分の欠片』がそばにいて『可能性の世界を夢』として見せてくれていたのだろう

感覚的量子論5 質量を持つ事を選んだ素粒子=意識

独自チャクラ理論 光の粒子と呼吸の連動に気づく

感覚的量子論9 固有振動と粒子と波動

以前は、光の粒子というエネルギーで表現してきたけど、最近は自然の共存細菌として八百万の自然を巡る先祖供養として、私という意識もその一部なのだと感じ始めている

一切皆苦と生病老死の認識で分岐するパラレル

ラグランジュポイントとピースマークとBlack cubeとフラワーオブライフ 魂の成長の真理の道程

と、『以内居ない場』は神と仏の習合的無意識、『八百万の自然の風土となった先祖』が『目に見えない夢の世界を観る能力』を与えていた

子供あやしは『子供怪し=心は又土』に
妖怪は人知を超えた不思議な存在や現象の心は又土に=先祖返り

子供の相手をする親は『子供騙し』をしてはいけない
『騙した子供』は『騙す大人』になるからね?

そういう意味では、やっぱり『赤ん坊の頃』に『親から愛を受け取った』かどうか
ここも人格形成・魂レベルの成長に大きく関係するだろうけど・・

それもまた『心亡き=忙しい損得』を理由に雑にされた赤ん坊は・・
やっぱり『心亡き役目=busyness』で『人を雑(損得)に扱う大人』になる

はじまりは終わり
因果は応報する
物心つく前にそれが確定する『生まれる前の環境の業』

「そんな運命は嫌だ」と感じるから、『そんな世界には生まれない』を選択する
という事は、『生まれる前の世界』に『光が集まって大光明』になるのも道理である

こっちに赤ん坊を求めるのはではなく、あっちに『赤ん坊として生まれる選択』をする
ただそれだけの事ができないのが、金属に支配されていく世界

さて、この金属に支配される世界について、実は面白い閃きと気づきが来ていたので別記事でまとめる
自然の法則の「78:22」の相似は実に面白い( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)なんだ!?

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top