体感が先で理論後付け。目を瞑ると見えていた光の粒子と呼吸瞑想の連動によるエネルギーの性質変化の過程を見た!こいつはパラメータいじりや!に気づいた話
目を瞑ると見えていた光の粒子の話(前提)
200人に一人の割合で発生するような現象というのが子供の頃から起きていた(伏線)
この時の私は、まだ見えていた色とチャクラという考え方の部位には色があるんだ!を知っただけの状態で、チャクラを意識するとか、呼吸瞑想といった実践はなく、ただの自己分析だけだった
そして、しばらくして色んな体験をしてからもう一度、目を瞑ると見えていた光の粒の正体はもしかして・・と導き出した答えが
あれは目のゴミだww というなんとか納得する現実的な分析からの結論だった
なーんだ!ゴミだったんだ(゚д゚)(。_。)ウン スピリチュアルじゃねーじゃんww的な自己完結に至った後、それからまた人生色々な体験をした結果、またしても受け止め方が変わった
目を瞑る場所・環境によって見え方が違う!?という事は、普段日常的な自分の周りに見えていたもの=ずっと同じ場所での繰り返しだっただけで、実際は、違う場所では違う見え方だったのか!という気づきを得た
そこからさらにあれこれ色々の体験の実践があって、光の粒子には意志がある事に気づく
そして、様々な旅を終えたのちに本格的な独自チャクラ体感シリーズの特訓を始めた結果、それまでの無意識の積み重ねもへて、気が付けば、釈迦の呼吸瞑想を実践していた
自分の体や意識・内観という概念を経てから、呼吸によって痛みや暑さ・寒さの無効化すらも意思氣でコントロールできる!
その状態に実践して独自体感として確信した今、また新たなステージに立って実践したお話( ̄▽ ̄)本編始まるよ~ Σ(゚Д゚)ココカラ
呼吸瞑想と目を瞑ると見える光の粒子に意志氣を巡らせたら・・
瞑想は基本目を瞑る・・目を瞑るなら光の粒子が今までも見えてたはずでは?と思うかもしれないが、呼吸瞑想とは、体の内側、意志氣した部位にゆっくりと呼吸を回す流れを感じるということに集中するために
あえて、言葉で表現するならば 目という機能は使ってない
各チャクラの部位に、意志氣した呼吸=空気=エネルギーがすぅっと入るわずかな感覚に全集中しているために、実は体の構造という輪郭すらも考えていない
例えるならば、第一チャクラを壺のようなカタチの器とするならば、周りの見えない真っ暗闇で一滴ずつ慎重にこぼれないように貯めていく作業
そのぴちょん!という水滴でもいいし、つつ・・と滴り落ちる感じでもいいけれど(その時の呼吸が落ち着くまでの違い)そこに意志氣した呼吸をしてる時
集中すればするほど、体という輪郭の感覚は消え、壺と水滴の空間しかなくなり、その壺も目で見てるのではなく、その水滴の溜まった感覚でしかない
そういうイメージなので、呼吸瞑想をする時は目を瞑るという動作の後の眼球機能に意志氣を回してはいなかった
しかし、冷静に考えてみてると、内観でモニタリングという肉体チェックの時は、呼吸の乱れを整える際に、心臓の鼓動に意志氣を回すと映像が浮かぶという複数の部位の連動は実際に確認した事があった
あの時は、目は目でも第六チャクラ=第三の目への意志氣の集中だったために、やはり、昔から無意識に見えていた光の粒子には意志氣を向けてなかった
って事は?・・これどうなるんだ?(;´∀`) と思いたったのは、久しぶりに酒を飲んで酔いを醒ますためにチェイサーの水を飲んで、体が本調子ではないから、内観して調整しようとした時に、久しぶりにふわっと目の前を動いた光の粒子を見たのがきっかけ
さぁ、各チャクラ部位を意思氣した呼吸瞑想+光の粒子に意志氣を合わせるとどうなったか?について語ろう( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
チャクラと呼吸で光の粒子の量も動きも変わった!?
まずは手始めにと第一チャクラに意志氣しながら呼吸瞑想を行いつつ、目を瞑った状態の目の機能にも意思氣を回す
実際目を瞑るといっても、まぶたが物理的に光を遮断している状態なので、暗闇が見えているだけの話で実際目は機能している
ただ目を瞑った時に、脳が目の機能を使う神経のスイッチをオフにしてるだけの所を、瞼の内側で目の機能をonにして、瞼が閉じた状態で目に映る何かを捉えるセンサー機能(感度は最弱)だけ利用する感覚
すると第一チャクラでは赤い粒子がちらほら見え始める
呼吸を続け、第一チャクラの呼吸が安定してくると、だんだんと赤い粒子の量が増えてきた
そして、次のステップの第二チャクラも同様に目のセンサーをonにしたまま呼吸瞑想すると・・やはり気のせいではなく、赤や青、それ以外の色の粒子が一緒に飛び始める
これは、厳密に言えば、順番を意思氣した呼吸・・と自分では思っているけれど、完璧な精密機械でもなければ、酒が入って正常な状態ではないからこそ、どのチャクラ部位にどういう風に意志氣が散ってるかもコントロールできてないため
正確な事は言えないが・・確実に私自身を興奮させたのは、これは呼吸瞑想での各チャクラ部位への影響が光の粒子の量や動きでモニタリングできるぞ!!という発見
当初、光の粒子の動きは、眼球(についた傷)の物理的な動きの方向に左右されて流れると思っていたのだけど、チャクラを意識した呼吸のルート(体表・中心・脊髄)の組み合わせによって、粒子のうねりが変わる事に気づいた
なにこれおもしろーい!(;゚∀゚)=3ハァハァ (゚д゚)!
チャクラを意思氣した呼吸の向きや通るルートによって、独自体感の理論で言えば、様々な肉体的な変化が現れる事については前にもまとめてる通り
それはもはや感覚センサーでしかつかめてなかった。しかし、この呼吸と内観に光の粒子の動きというモニタリングできる色が連動するという事がどれだけワクワクする事かを語ろう
難易度別!俺的、呼吸瞑想の難しさ5選
音による雑念
目を瞑ってからしばらく周囲の空間認知は消えない
今はここにいて、こういう状況という情報だけじゃなく音の鳴る方向や広さ。これらは音がなった瞬間に条件反射的に五感のセンサーが働き、そこに「気」を放出して気にしてしまうために外への「気」の放出を内への「氣」の循環に変えて音に反応しなくするまでが大変
意志氣する集中力の散漫
意志氣するとは、特定の場所に対するイメージをより強く集中させる。上記で第一チャクラを壺と表現したが、実はその日のその時の状態によって器のカタチも大きさも違う
自分の体なのに不思議だよね(笑)
だけど、その「今」の自分のカタチを知るのが内観であり、それに素直に合わせられるのが呼吸というカタチのない陽のエネルギー
氣を練るとは、カタチなきエネルギーを器のカタチに合うように調和させる作業。溢れてしまえば、そのとたんに、器のカタチがわからなくなる繊細な作業
ゆえに意志氣する呼吸とは暗闇で感覚センサーの手探りゆえに、集中力を高める作業は難しい
心境による不安定
これは自分の心がぐらつくような精神的に安定してない状態を落ち着けるために呼吸瞑想をしようとするのだが・・上記で言ったとおり、その日によってカタチもサイズも変わる器を感覚の手探りで探すのも大変なのに
心がぐらつく=器もぐらついてる状態のため、はっきりいってその日は瞑想は成功しない(笑)そういう時は、気持ちを切り替える=すでに中にある気を発散して、新しい氣を巡らせて心機一転が必要
器のカタチを探るにも、そのカタチに合うように氣を練るにも、まずは器を安定させないと話にならない
光による影響
はっきり言おう、これは電磁波だ。スマホの急な着信やテレビやパソコンの物理的な光は、目を閉じても実は影響がでかい。そのため、本格的に瞑想する時は、光を完全に遮断した所や、電磁波環境をさける事が重要
外で光のグリッド線が肉眼で見えるような自然での呼吸瞑想は、強い太陽の光だけが突き抜けてくるけれど、実は、その光を第六チャクラの中心に捉え、その光を全チャクラ部位に流し込むように取り入れると
めちゃくちゃ気持ちいい(*´Д`)アフーン Σ(゚Д゚)
私はこれを光合成と呼んでいる
思考による雑念
これが最大の敵。目を閉じた瞬間に脳が思考タイム・雑念タイムのように急におしゃべりになり、直近で起きた事や日常で何気なく気になった事など、有象無象の情報整理や分析を始める
私は好奇心で動いてるようなものなので、日々、その瞬間に気になる事を思考して分析したい衝動に駆られ「今」という瞬間にいくつものタラレバの並行次元を生み出している
という話はこちらにまとめている
この思考の雑念が瞑想の邪魔!と思ったら、その思考の役割を別次元に分散してしまえばいい。核は情報を与えると分散するが、役割を終えたら核融合でひとつに戻る
つまりは、考えたいし分析したい(*´Д`)ハァハァ という欲に駆られた私の魂の一部を分離する事で別次元でそれを実行する私が生まれ、魂の目的を達成したら、その答えを持って、分離元に帰ってくる=直感や閃き(゚д゚)ピコーン!
そして「今」という瞬間にその思考したい自分を手放す事で「今」という私は瞑想に集中する事ができるのだ( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
ただし知的好奇心というのが底なしなもので、ifの分岐世界が多すぎる(笑)
以上、この5つの障壁を越えて、はじめてチャクラを意思氣した呼吸瞑想による効果を私は実感&体感しているのだが・・それでも今までは、手探りの感覚、想像イメージと体感という結果しかなかったために、なぜその結果に結びつくのか?という
エネルギーの量や性質変化の過程がわからなかった。ちなみにエネルギーの性質変化について夢の中で二度レクチャーされてる(笑)
一度目は摂り入れたエネルギーの性質を変える方法
二度目は、エネルギーの性質変化の応用
それが精神的な修行を実践する前の、子供の頃から見えていた光の粒子が、ここにきてその性質変化の過程をモニタリングするために必要なテクニックだったと気づいて
そうか、俺は最初から、エネルギーの動きは見える の能力は持っていたのかと納得(゚д゚)(。_。)ウン
これを俗っぽい言葉でいえば
霊能力?超能力?才能?
結局、言葉なんてあてはめようとすれば、無理矢理なんでもカタチに収める事はできるけれど、独自体感した私的にいえば、この三つのどれにも当てはまらない
私がもし、このエネルギーのモニタリングを例えるならば、こういう
画面の外のパラメータのデータをみている感覚
精神系の話から急にMETA的な表現になってしまうけれど、自分という存在がデータの集合体だとしたら、そのデータに影響を与える外的因子の流動的な変化を見る感じ
それが氣?というのなら、そうかもしれないけれど、そうなると、東洋思想の氣という概念は、アナログではなくデジタル的な捉え方がしっくりくる
呼吸による肉体的エネルギーのコントロール
呼吸による痛みや暑さ・寒さの精神感覚のコントロール
脳の思考を切り離して別空間に新たな並行次元を構築するリソースの分割
まさにオリエンタルマジックとは、存在状態のパラメータいじりと言えるのかもしれない(笑)
あぁ、そうか、だから少林寺とか空手の鋼の肉体強化系って呼吸コントロールで物理パラメータいじってんだな(゚д゚)(。_。)ウン
意志氣した呼吸にはいろんな組み合わせや使い方がありそうとは思ってはいたけれど、その過程のエネルギーの動きを粒子で見れるとなると・・
オラ、ワクワクすっぞ( ̄ー ̄)b Σ(゚Д゚)
あくまでも独自の体感で得ている実践による気づきの備忘録なので、万人に当てはまるものではないという事はご了承ください。ただ似たような意識を持って実践してる人にはヒントや参考にはなるかも?くらいに軽く考えて5つのポイントに注意して実践してみてください
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