阿の響き、羅天のリズム、発音の響きが世界に広がる神の名に繋がる名を漢字ひとつにまとめる不思議な発見、アブラハム=ハムラビ法典な気づき
アブラハムを漢字にすると…
寝起き閃( ¯꒳¯ )ᐝアブラハムは…この間
唐須、なぜ泣くの?唐須はや山にカウアイ(ハワイ)7つの子があるからよ〜♪からの〜
アブラハムには7人の子(山)
1人はノッポ(世界最大の山)で後はチビ♪
で、唐須由来の釈迦牟尼は『アブラハム』では?と感じた訳だけど
何やら今朝の私の頭の中で、文字が入れ替わって行く…( ¯꒳¯ )ᐝ
羅天(ラテン語)は右から読む
カタカナ漢字でハム=公?
『松』という字は『松竹梅の最上』であり、『唐松』など『唐文化』を匂わせる重要なキーワード
またイム=『仏』、厶牛=『牟』、『大那牟遅』『釈迦牟尼』とハムは『公』として『尊敬』に付くと感じる
そしてイロハ歌の読み解きで感じた『カタカナ漢字の法則』で考えると
同時にそういう『外来語』と『日本語』を合わせて読み解く為に生まれた『カタカナが封印』されたとしたら?
『名は体を表す』…『カタカムナが封印』されていたとしたら、失われないように『漢字に隠す過程』で『力を言霊に集約』したと仮定
羅天の右読みで始まればムハ=『公=尊敬』から始まる
『阿』からきた
阿に『属』する=阿部
『羅天』の法則=阿部羅
伝来した『公』=尊敬される
阿部羅公
そしてこれは右から読むと…『ハムラビ』と読める
『ラビ』とは村長・集団の『リーダー』であり
『ムラビト』とはその『グループ所属』
『ラビ公』が伝える阿(ルーツ)=『ハムラビ法典』
『ルール破り』を戒める『反村人法典』
ならば『阿=法典』となると
阿弥陀 陀弥法典
阿闍梨 梨闍法典
阿羅漢 漢羅法典
阿部羅公(アブラハム)がもたらした法典とは…阿部法典=アヴェスター
なるほど(´・ω・`)合点がいった!!
私は以前…安倍氏=安倍晴明が生み出した『陰陽道は陰陽を悪用した邪悪な何かを感じる』とまとめた時
その安倍氏が『大陸から持ち込んだ法典』をこっそりと盗み見たという『蘆屋道満』が内容を見て
「安倍は倒さなければいけない!」とまとめたのが『カタカムナ』だった事から、この蘆屋道満にとても強く惹かれて、どうして安倍晴明側の歴史は『蘆屋道満を悪党に仕立てあげている?』と氣になった意味がわかった
原典アヴェスターは『アフラ(神)・マズダー(化物)』という『善悪(陰陽)の役割を厳しく裁定する審神者であるべき』という教えの伝来が、陰陽を都合よく使う邪な法典として陰陽道を生み出してしまった
平安京に蔓延る魔物を式神を呼び出して退治するという、他の人にはできない功績を持って京の政治に入り込んだ陰陽道
それって私利私欲で『マズダー(魔物)』を呼び出して、人々を困らせて、誰か助けて!救世主を求む!・・という頃合いを見計らって、天敵の『アフラ(神)』を呼び出して『退治する=引っ込めるだけ』と考えれば
単なる善悪を自作自演した邪なマッチポンプだろ?と
だから『陽動』や『乗っ取り』『なりすまし、嘘、騙し、能=猿芝居』のような『邪悪なノウハウ』が生まれてしまった
そして、その手口、『ノウハウを暴露』する者、いわゆる『里抜け』をする者を厳しく罰する
『反村人法典=ハンムラビ法典』という、『自己防衛の罰則を正当化』してムラビトに広める事で、『陰陽道を疑わない』ように変えたんだ
そりゃ、その『真理の法則の原典』を見た『蘆屋道満』は、その『本当の原典を暗号化』して書き記して遺して『隠す』よね
カタカムナが『時が来るまで世に出なかった』のはそんな気がする・・
阿部羅公=アブラハム=エイブラハム
アメリカに持ち込まれたハンムラビ法典
その『都合のいいラビに属するムラビト(白人至上主義)』以外(黒人・インディアン)は、そのムラビトの法則から外れるから『悪』
悪には悪をしていい というハンムラビ法典
阿部羅公には7人の子…
これはアヴェスターで言う
アフラ(神族)7人=マズダー(化け物)7人 仮面で役割が変わる
どちらかで言えば、どちらもである
ハンムラビ法典(目には目を)なら
悪には『悪の正義』があり善に『善の正義』がある
目には目を(監視)
歯には歯を(歯止め・抑止力)
血には血を(戦争)
これも『仏の顔も三度』みたいなものだし『当たり前(事件が起きる前)の事』なんだよね
『変な人』がいたら監視する
『変な事』をしようとしたら注意する
『変な事』をしてしまったら…
殺す?裁く?=究極の二択
多分、許したらまたやるからそうなるんだと思う再発防止(´-`)oO{ラビも大変だ
そういえば『イサク』が気になった時に、そのイサクを生贄にしようとしたのが『アブラハム』だったわ(今思い出した)
だから『解かなきゃ』いけないんだ『その呪縛』
だから『説かなきゃ』いけないんだ『その法則』
今回、私は阿部羅公が産んだ7人の子とは『善悪の仮面を持つ役割』の事だと思ったのは、青森に伝わる『女酋長 阿屋須と7つの鬼面』の話と聖徳太子コードの中で書かれていた、『伎楽の仮面を被る』のは顔を隠す為ではなく
『心に忠実に動く』為に『仮面(匿名)を被る』という『大切と裏切り』の観点から『善悪は表裏一体』の立場を変えた『役割の自作自演』
つまりは『今は悪』だと思っている事は『いずれ善』になりすまし、『善だ』と思っている事は実は『悪がやっている事』だとなりすまし…
陽動して、騙し、嘘
ハンムラビ法典なら最後はそれを使う
ムラのしきたりラビ公のルール
その『ムラに囚われている』限り『同じ土俵に上がる』という事
蛙=両生類
まさに蛙の子は蛙
阿部羅公の7人の子は『蛙』
どちらにでも『なりすます役割』
どちらに属しても『ハンムラビ法典=相対的正義』
これを日本に持ち込み『都合のいい陰陽術』に貶めた時点で『日本もハンムラビ法典』の術中にハマった
井の中の蛙大海を知らず
…という結論?というか、一気に俯瞰の目が、全体の法則を捉えた朝、言葉遊びのように次々と繋がっていくシンクロニシティ。鳥獣戯画がなぜ『蛙』が『兎』と『相撲』を取っていたかもわかる(比喩)
なら『七人の侍』は『竹林の七賢(世を憂いて立ち上がった侍)』か?『大切』な事を護る為に『裏切り』という『太刀周り』
仕えていた者が『敵の首領の首』を落とす?
仕えていた者が裏切り『主君の首』を落とす?
皇帝が『奴隷に』おい落とされる?
圧政に苦しんだ『民が総理や大統領を失脚』させる?
『時代』を変えても『環境』を変えても
アブラハム=アヴェスターの七人の子=『善悪表裏一体の役割』に踊らされている『舞台演劇』の余興
(´・ω・`)だから『それを観測』する事が『色即是空』で意味がない。そこから離れて『真我以外一切無常』なんだな
囚われてれば一切皆苦
解放されてれば一切皆空
阿修羅とはそんな『羅(方向性め指針)』を修める法典
『法則』を『業の中』で『納めて得』する『徳を積む修業』
『郷(業)』に行っては『郷(業)』に従え
さもなくば『ハンムラビ法典』
『善悪に加担する』という事は『大切な事を裏切る』という『二元性』なんだ
そうなると、読み解き方が変わってくる
カムイ=仏力
ア・ラー=阿羅=法典の導き
ラーは『真実の目』というが、それも善から見たものいいで『二元性の片側の役割』でしかない
そう考えると…
古代・神代文字を枕の下に起きカタカムナカードを額に貼って寝る。これで『夢』やら閃きキーワードやらが『体験出来る』という事は、文字という『シンボル・記号・形状』・またはそれを『用いた行動』は
『物質領域の中に非物質のエネルギーが干渉している』って事だ(๑•̀ㅂ•́)و✧新しい観点
あ、でも昨日の夢では明確に…夢の中で『私を導く半透明の女性の幽霊』見たな(関係あるのかな・・)
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