孔子が付け加えた八個目の信という概念。人が言う=教→土と子を袈裟斬りで仏陀切って鞭で叩くという自然の子の洗脳…それで生まれた人が言う信の中身を和に変える。またしても八只只烏の繋がりのお話
自然の八と只只烏
和する心
『八』悳を持たねば
『山』の龍(流れ)が怒る
自然は『七』
『上』には『七』(日月火水木風土)があり
下にはそれを『思』う人の『一』がある
その『一の思いが全』となる
『虍』を支える『思』=『慮』
その自然の七徳に『孔子の信』を載せて『八徳』
だが私はこの『信=人が言う』を『人の為=偽』であると切った
大は『一人』、七=(斜め反転で)力
『一人切』で『仏陀切る』=『大切』
そして『一切皆苦』という
『一』と『それ以外』で『全』と知り
皆苦の『世の音を観る=観世音』として『苦しみの中の問題』と向き合い、その苦しみを『癒す治癒の言霊』を探し『薬師如来』の如く、『訳詞で処方箋』を書いては
お大事に=『一人事』( ̄▽ ̄)をしていた
人の為という信仰から『信』を切り
『仰げば尊し』と、自然の七の恩恵へと…
『人の身』で…『一人のみ』で行うならば、それは私が『和足す』という『真言の信念』を持った、『今の心を言う人』として、自然の七に『素直な心』の『八悳の信』を和足している…
お前も『八=山・一人和=大和』やないけ!
( ’-‘ )ノ)`-‘ )一人の和の塵も積もれば大和なる
前回、蜂子皇子→『八』乙女、『八』皇子=『八大龍王』→『大和の降り地』に和を以て貴しと為すの『八岐大蛇』あり、『大和(都)落ちの武者』で『大蛇武者』という
『朝廷(西)の八咫烏』を離れた『自然(北国)の八咫烏』に気づいた
その直後にまた『八の話』に導かれるのが…
老子…これが『タオ(道)』ですか?
一度は切り離して『別れた信』
その信の『中身』が
『朝廷=上の言う事を信じる=令和』ではなく
『和=和を以て貴しと為す=靈和』を人に言う
『天地』を『繋ぐ人の信の中身』が『和を以て貴しと為す』の方向へと導く、潜在意識を変える・・そんな『八=自然の只只烏』であればいい
それなら『自然の七の力の恩恵』を活かし支える『八悳の信』になる
孔子という『講師の信』は『格子』による『行使』であり、『公使』と『公私』が『混同』される『金堂』
最終的に『金と力』を持った『公式』が『金混の金色堂を建てる(税金対策)』方向へと進む
『生臭坊主』でも『首に金のネックレス(資産価値)』のように『孔子を説法』として『騙る坊主は丸儲け』のビジネスや支配の傾向が強い
『孔子はエゴイスト』で『自分の能力』を『周りに認めてもらおう』と売り込んだ
老子はそんな『人の為という権力環境』から能力を持って離れた=『能除太子(蜂子皇子)』と同じ
と言うがそもそも老子の『タオは自然の法則』を伝え、『人の為に制限』されるものではなく、万物は『役目が相似している』という事を見抜いて、人もまたそんな『自然の一部』である
『進むべき道』もまた時として『川の流れ』のように本流から『別れ、後に合流』するように
そう、『別れた人=別人』に『役目』を渡したんですよ
人には『孔子の役目』も必要だったが、それは『老子』がする必要は無かっただけ
また孔子の世界に老子の説法は目の仇にされるのをわかっているから山へ隠居してほっとくように
私は( ̄▽ ̄)和足しをスルーパスし、ゴールへ運ぶドリブルは別の私に託した
前回の記事の中で
「そんな大厄の大役は御免です…」と『白羽の矢』が来てるのを断った
そしたら、その後意識を失って目覚めたら、『その大役を果たしてきたであろう私の体験記憶』が…
信の『念』を改めよ
『信=人の言う』を否定するのではなく
『信=人に言う』を改めればいい
『教師』=土と子を斜めに袈裟斬り、無知を鞭で叩く『洗脳の師』ではなく
『尊師』=問題解決・和を以て尊しと為す・『和建命(ヤマトタケル)』になりなさい
『今日』しなさい
『損』しなさい
『今損』と『共存師』なさい
損して『悳摂り』なさい
これは…言葉遊びのようで、前回の銭湯で、『戦闘の記憶(十全武功)を淡々と語った皇帝の夢』のように生き様が説法になってる
言葉を『慎んで』受け止めると
素直に正直に『今、損をすると感じる失敗』を重ねると、『何が失敗の原因』で、『どうすれば問題解決に至る』のか?、『やるだけやって失敗』すれば『足るを知るに至るロジック』がわかる
『夢』を通して『大厄の大役』を『別人の自分達』として『今損する事を共存』している
夢の向こうの私がそれを行う時、『死に目覚め』である
『死を覚悟』して受け入れ、『渡す師』になって消えていく・・
「これでお前の役(厄)は払われたから為すべきをなせ」と
誰も『教える師=人が言うには従わねえ』から『失敗しまくってる』けど、『自分の選択で傷つく』から『人は人に優しく』なれる
そんな『苦しみを伴う選択』に『苦しむ人の痛み』に気づいて、「損な事はしなくていい」と『人(自己を労る)を憂う心』が育まれ、方向性が『波動・波長』が同じなら支えて『和』を『足したく』なる
『苦』を知らなければ『楽』はない
『古』が自然の流れで『薬』になる by草の移動
その『落差』を取る『差取り』をする『和』を足す
お前は『大厄を一人(エゴ)で主役』だと思うな
自分達、『皆に苦しみを小分け』にして『厄祓い』してる『小役人』だから
お前に『巡ってくる困難はお前の役目』だが『道理がねえ』と思ったら『無理』はしないで受け流せ
そしたら『その厄』は『こっち(悪夢)』が引き受ける
お前が『見たくねえもんを見ている』のはそれはお前が『その役を避けた結果』だ
『今日のお前』を生かし活かす為に『損したお前自身』が死して伝える
『今日損する共存の尊師の物語』が切り離した『悪夢』なんだよ
そこで渡される記憶は『怖い』とか『嫌だ』とかの『目先の感情』の元にある…
『こうならない為にどうする?』
という『問題解決を閃く為』の忘れちゃいけない『再発防止のLogic』を伝えている
こうして夢の中で私は『別の私が覚悟を決めて死ぬ夢』を見て、この『死を師』として『看取り稽古』して、先の祖として人と共に養う=『先祖供養』をして宿す
その一人が
『信』という字は『人の間』である内は逆らえない『業の法則』
昔の人、先の人が云う→『伝』、今の人は言う→『信』
言う吾=『語』は『物事』を現す『物語』
今も昔も人が云い伝え、人に言う『今昔物語』
だから信とは『中身が何』であるか?
物事の始まりのウ冠の中の『示=宗』『元=完』の因果を辿れ
この宗の中身が『和心』からなら、そこからどんな風に『派生や変化』しても、『和を以て貴しと為す』という『根源理念』から崩れない
これが『聖徳太子の十七条の憲法』のいわく『1~3』のブロックの『大元の和の精神』である
そして、その地に至る自然のエネルギー法則の軌道は幾何学的に六角形となり、宇宙的にはラグランジュポイントととなり、シンボル的には平和のロゴとも一致する
逆に言えば今の世の中は、どこまで行っても下は『争いや奪い合い、騙しあい』の社会構造の『一人勝ちのピラミッド』の時点で
『人の為の和』に見せかけた『エゴイズム』
人が言う信は『都合に合わせる』という『調停』
結果に不服なら『争えばいい』
勝者に『価値』を与えよう
『争いの自由』を与える
さあ、『殺しあえ!』
という中世ローマ帝国の『見世物のコロシアムの中の剣闘士』のように感じる…
そりゃ、聖闘士星矢だよww(最初は奴隷拳闘士から始まる)
という『苦を感じる波動』を身につけることで、『免疫耐性』として、これは『和には絶対に入れてはいけない波長』だから覚えとこう(´・ω・`)
と『冥土の土産』に持っていく役目
『夢の向こうの私が死ぬ』のは、『その大厄』を引き受け、そしてその得た『冥土の土産』を『今の私』に託す
「詰まらない(オチがない)物語ですが…」と粗品をそっと和足す(⊃^-^)⊃
その『体験の玉手箱』を開くと…『あっという間に年を取る』ように『色んな体験をしてきた気分』になって、『自己表現や自己解釈』で、「きっとこういう意図があったのだろうから、こうすれば良かったのかな…」と時間を忘れてレビューを書き終えると
『抗えない眠気に襲われ』…
↑↑↑『訳詞の大厄の私の意識』も消える尊師の損死(´・ω:;.:…
『詰まらない(オチがない)物語』に、『ドラマチックな展開のオチ』つけました
と、そっと『冥土の土産』を和足して『経典を納品』(⊃^-^)⊃
うん、やってる事は『役所仕事の小役人』なんよ(笑)
たまに『演者として役者』もやるけど、基本は『訳者』なんよ
訳詞兄の『ヤクシニー』なんよ
ヤクシニーとは、インド神話における「ヤクシャ」の女性形で、森や水辺に宿る自然の精霊、または豊穣や財宝の神であるとされています。仏教に取り入れられてからは仏法を守護する存在とされ、一般的に「夜叉(やしゃ)」と表記されますが、代表的な例として「鬼子母神(きしぼじん)
やっぱり元々が森や水に宿る穏やかな精霊だったのが、『自然が荒らされた怒り』で生まれる『仏法護る守護の鬼子』なんよね(笑)
どう寝転んでも、寝直し、寝返りしても『ここ(鬼)』に戻ってくる
そして絶対に『人の朝廷・調停側(西南)』には迎合してない
故に『向こう』から見れば『地獄』なんだろう
そうなると『地獄という概念』も『只のレッテル』であり
その『只只』邪魔な『八徳の信』を押し付ける
『うるせえ鴉』の朝廷側の『八咫烏』
都会の『鴉』は自然の『烏』に馴染めねえ
自然の『烏』も都会の『鴉』に馴染めねえ
自然は自然、人は人
天地と人は別物だ
導く烏も北へ南へ別れ
それが『摂理』だが、天地と人は、人が変われば『天地人』
『統一争い』ではなく『和して繋がる心』
天もよし、地もよし
葦=よし=あし
…あ、ここまで来てオチがねえ(*>∀<)ノ))Σ(゚д゚;)
(⊃^-^)⊃詰まらない物語ですが、続きは、玉手箱として置いていくので、忘れた頃に蓋を開ければ、黄泉帰りの冥土の土産とさせて貰います Σ(゚д゚;)
こうして…大厄の大役を責任分散した小役人達による役者と訳者の仕事のパススルーのスルーパスによってお鉢(八)が回ってくるという
『八解』祓い 『八』を解く?『八徳』? やはり『八→8』なんだな
天の穴(星)→八→下で流れが8(循環)
八の上にはやはり一(全)がある
慮=空間 虍+思(一人)=八の空間
その上から見れば皆苦に見える人を何とかしたいと憂う優しさ、それが配る慮かるで『配慮』
やはり『自然法則』の中で 『人の存在』というより 人という存在の中で
『生まれる心』、その『心が支える立つ日、音』
『思い立つ意欲の初志』
『音に心が弾む好奇心』
それが『人の和心の根源』から生まれた時
その人の『信念が八悳』になれば 『停滞の龍・流れ』ではなく 『昇龍』として『優しさに秀でた向上心』となる
そんな『配慮の空間=世界・理想・信地球』が創造されるのは間違いない…いや『間は違う』けど それは『自然の法則として在る証明』だ
そうでは無い そうならない世界が在るなら この世界は『そう言う役目の世界』
その世界で『和にならない物事』をとことん見つけて『吸着』して『冥土の土産』として持って行く
『直す』のは『この世(限られた)』ではなく『あの世(限りは無い)』なんだ
それを…
あかん繰り返しや やっぱりここまで引っ張って残業してもオチがねえ(*>∀<)ノ))Σ(゚д゚;)
(⊃^-^)⊃詰まらない物語ですが、続きは、玉手箱として置いていくので、忘れた頃に蓋を開ければ、黄泉帰りの冥土の土産とさして貰います Σ(゚д゚;)また外注
こうして…『大厄の大役』を『責任分散した小役人達』による『役者と訳者』の仕事の『パススルーのスルーパス』によって『お鉢(八)が回ってくる』という
『天の下請け』なお話でした (*>∀<)ノ))Σ(゚д゚;)なんか違くね?
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