罪とは積(×)、罰とは×、Χはキリスト、Xは袈裟斬り、偏見を正せば十となり、自由に〇で囲めば惑星地球記号、与えられた罪と罰を受け入れ更生して構成する和を持って尊しの真髄は自由な発想で遊ぶ+(和)志向の嗜好の言霊遊び
夢の中の問答
「貴方は与えられた罰に対して『なぜ罰を与えるのですか?』と言うけど、なぜその『罰を受け入れる前提』で『反論』してるのか?」
と『罰を与えて来た相手』にさらに問い返された時
『アーナンダ!僧言うことか!』( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
と『受け入れる発想』を切り替えて見た
『罰』は『監視の目』の下、『言う刀』(切りつける)
これを『与えられた罰』とするなら…
『理不尽』すぎて『受けいられないから反対』する
だが反対しても『受け入れろ』と『逆らった罪も積み重ねられ詰み』になる理不尽
まず『受け入れてみる』
そこから始まる
『頓智(とんち)』を効かせてこう返す(^-^)/
罰は『×』として『〇』っと受け入れ囲みます
そして『斜め』を建て直すと『〇十字』
はい『惑星地球の記号』の完成( ̄▽ ̄)
×を〇っと受け入れた人は『地球』と同じ
『クロスに交差』に切られた『袈裟斬り』を
『貪瞋癡(とんじんち)』の『恥』を知り『三重度』を傾けて
『正直』に向き合えば『十』になる
それは自由に『足す』心
その十の一についてよーい『志』
ついでに〇っと『輪』を足して『和を持って尊し』となす
『罰』を『正直』に『受け入れる事』から
『全く違う物語を創り出す』のも
『人の責任』として『償い還す』
債券の償還(さいけんのしょうかん)」
借金(債務・債券)を返済すること
故に
『人が人に与えた罰』は『都合の業の回収』の『他人を利用した自己満足のエゴ』に過ぎないが
他人を巻き込む事無く、『己に起きる運命・宿命』を『罰』と呼び、受け入れずに『何故』を問うならば?『×』を受け入れ『和を足す事』で『〇』く収まる発想の転換の『最大のヒント』という『恩恵』に気づかない
ジーザス…Χ(カイ)・バツ=キリスト
袈裟斬り=衣の上に加沙=シャカ
『形』が変わって『目の前にある傾いた×の存在』である『神と仏』を『+』に建て直す
それを『和』を持って『習合する〇』で囲むと『〇十字の惑星地球=神仏習合=八百万の自然』となり、それが=『人そのものに一体化』している
×も+も
積も和も
罰も自由も
それは『傾き次第』なんだよ
( ̄▽ ̄)『善い悪いは偏見』だねΣ(゚д゚;)
『三自由度』傾けて『正直』になりなさい
『〇』と『全て』を包み込みなさい
〇の中は全てで一つ
地球の生命も全てで一つ
人の体の中の細胞も細菌も全てで一つ
故に『〇の中に〇』ではなく
〇〇〇〇と『色んな縁』が連なって
〇〇には『接点はひとつ』しかなくて
『袖触れ合うも他生の縁』でしかないから
この円から外れたら隙間に集まる訳でそこは『デッドゾーン(死角)』
『縁間(閻魔)』から『見放される嘘』とは『口』から出た『虚』の虚空の間
縁間から切り離された〇の外
そこで『罰』を与えられる訳だが…
これが『更生の救い』だというのは…ここまで読んできたらもうわかるよね?
『罪=積(×)』を償えと『罰(×)』を与えられたら、それを受け入れ『偏見を正直に更生』して『+(全て)』にして、その気づきの『全て(自由)』を『輪』にして和足せば『惑星地球』となり
自然に『人として甦る』
『与えられた罪と罰』というマイナス思考は『min us=最小の自分達』
『空気』に潜む『1%の偽神アルゴン』の『偽神OSE』の仰せのままの奴隷宗教
だから運命や宿命を『受け入れた』上で『プラス(+・自由)思考』で転換・変身・メタモルフォーゼ(* ´ ꒳ ` *)/ンバッ
『十(自由)な目をL(得る)』で『直』
『×の偏見』を正す『+志向の嗜好』
それは『自由に発想を遊ぶ』
その高度なおとぼけは『お惚け』
わざと知らないふりをすることやどことなく間のぬけたこっけいな表情やしぐさをする
音で世を観て『観世音の先世見』した上で、あえて『音ボケ(同音異義語)』して『違う世界』を観せる観音開きの韻説法
人の為=偽の『茶の間』に受けるな
『真心』に受ける『お惚け(駄洒落・韻を踏む)』をかます
さて、貴方は
罪と罰
『与えられた罰』をどうする
そのまま『仰せ(ose=偽王)のままに』受け止める?
受け止められずに『抵抗反発』する?
受け止めた上で、素材を『調理(調べて理解)』して、『加味(味加える)』を足して『創作料理』にし、『祖借(祖の昔の知恵)』して『神(人の為=偽)』砕いて『納悳(素直に心に納める)』して『満足(満たされ足る)』する?
…この様に『真言』ではもう『真理』は出ているが『わかっていても応えない』から
先祖も『堪えている』
子絶え(*-ω-)ヾ(・ω・*)ナデナデ
『先祖の存在意義』とは『子孫に業=生き様を託す』事、『失敗』も含めて『経験値を無駄にせず継承』させる為の『積み重ね』の役目
故に『問題』と向き合い、『先祖とは違う選択の解決策を閃く』為に、『自由な発想』を与えたい
〇〇の接点は『一期一会』
『袖(心の由緒)』触れ合うも『祖(かつての生き様)で』触れ合うも
『多生の縁』という『更生』のタイミング
『恒星』のグレート『今昔詩音』(コンジャクション)
『縁』から『別の縁の軌道』へ切り替わり甦り次元上昇
8・♾・00・〇〇
くねくね廻れば螺旋の如く
…っていう
私に『罰』を与えた者の問い返しに、私自身が『壮大な罰の物語を真言』して『進言』したら『納悳』した
『失敗』は『より大きな成功(積み重ね)』で〇く収まる
塵も積もれば山となる→『屍』となった『鹿土の意志』を土台に積み上げれば大和なる
『目先の問題』じゃない
未知の『先世の問題』を今片付ける
『転ばぬ先の杖』を沢山創る
『備えあれば憂いなし』の精神を遺す
『今』で『全ては終わらない』から『問題を継承』する
でも『先に訪れるであろう問題』を『今多めに解決』しておけば、子孫達に『遺される問題は減る』からこそ、『前倒し』でやるだけやって前のめりに倒れる
「止まるんじゃねえぞ・・」
未来の未来の問題やっといたから、その先の未来の問題を頼むと託すタスク
『古代精神テクノロジーの方が進んでいた』というのは、そういう事で、おそらく現生人類よりも『古代の人類の方が優れていた』が…やはり『不活化・停滞ガス=闇のベール』によって『精神の成長』が遅れ『物質文明に偏見の傾き』が起きてしまうのも
見方によっては『今締める』べき『戒めの罰』
ふと頭に浮かんだ日本昔話
兎と亀のレースは『成長速度』と解釈した時
『精神』はどちらだったのか?
『技術開発や知識の蓄積』はコツコツだから『亀の歩みが物質文明』だとするなら、『思いつきや発想の閃』で一気にワープ出来るという『自由な発想こそウサギ(不思議)』
そのウサギが『怠慢と傲慢』にのぼせ上がって『サボって寝てる』間に、亀は進んで行きました
これが『物質文明』に『精神が追い抜かれた理由』だとしたら『己のポテンシャル』に『正直に心を入れ替えた』ら兎は『脱兎の如く』動けばいい
追われると本能的に素早く動く兎のように、素早い動きで事態に対処するさま
これもまた言葉の不思議だよね
何故、『兎を脱ぐ』のか?
因幡の白兎も『毛皮を毟られ正体が露呈』するような表現に対し「綿(がま)を身にまといなさい」と声かける『正体を隠す』流れ
『脱ぐ』と『着る』という脱着
追われて『逃げる兎』は『正体』を隠している
『必死に逃げる』のは『正体を悟られない』為?
それとも…
負けるはずのない亀に『負けた兎』が、『自己反省』して『自己嫌悪』になって、傲慢や怠慢をやめ、心を入れ替えて「もう駄兎である事から脱する!」という『自堕落で負けた事で悟った兎』で『脱兎』なのか
いずれにせよ、兎が『元来の精神性でフェア』にやってれば『亀よりも大幅にリード』は当たり前だったはず・・なんなら『亀の動き』を見ながら、『亀の少し前』を余裕で走れたはず
これが『精神と物質文明のバランス』
『精神が少しリードして先導』している必要がある
『機械(自然)』は放っておいても『プログラム』通り動くが、その『自然を与えた者』はそれを『罰』という
罰を『どう解釈』するか?で『創作物語』は『自由な発想』で『違う方向性』へと生まれ変わる
今、昔の物語を『違う解釈』にしたように、『今昔物語』は『時代を継承する者』が『納悳する形で形象』して『別の物語の罰(ヒント)』になる
ヒントを『閃きの種(×・+)』にして『〇』っと囲めば『違う物語』の完成
人も地球も『多次元多世界』色々ある
「白って200色くらいあんねんで〜」っていう『屁理屈』みたいな違いのレベルで、『同じ人種』であっても『まるで違う十人十色の個性』があるように
その個性『一人一人に与えられた罰(可能性・コンプレックス)』を『〇』っと受け止め『+に建て直し』て『縁』を繋ぐ(*・ω・)-oo-(*・ω・)
『惑星同士』の『今昔シオン物語』
『星』から始まる『偉大な日の生まれ』と云う鬼=魂
〇っと受け止め『更生』すれば『甦る』
どっかの『恒星施設に次元上昇』ってな
『恒』 とは『いつも変わらない』という意味
漢字の構成は『心』と『一と一に囲まれた日』
『穏やかに浮いてる』感じでそれが『いつも変わらない』なら
そりゃ『穏やかな夢の中』のようなもんだ
逆に『惑星』は?
惑わす『或な心』
或はまどう、あわてる
はっきりと名前を挙げずに、物事を言い表すこと
HAHAHA( ̄▽ ̄)なるほど、それが『主(或る自)』か
人は『自』意識を或るけど『在るや有る』とは証明出来ないが『主(あるじ)』という『意思決定を委ねる概念』を創る事で…
『或る心』の『日の生まれ』
『惑星』に『囚われて』しまって『自由』を失った
『人』は主(或る自)に『口封じ』されて『自の由緒』を失った
さて『人が崇める主(或る字)』とは
人の為=『偽神』ではないのかな?
『偽神の仰せ(OSE)』のままに
『停滞・不活化(1%の希少アルゴン)』してない?
そんな『空気の下層に停滞』してるような『自称神』を崇めてれば、せっかく『罰(ヒント)』という『浮世離れの機会』を与えても気づかないから
『浮かばれない』わな┐(´д`)┌ヤレヤレ
重く沈んだ空間でも『浮いた話で輪』になれば『浮き輪』で浮いて『不浄から浮上』出来るのに
浮いた話は『見ざる言わざる聞かざる』で
『ハザード(人災)』でごザール((。・ェ・。))
今の『末法時代』は正法の『正論はレッテル』で潰されるから『真言はお惚け(おとぼけ)』に多い
世論風刺説法の『阿呆陀羅経』とか
『世の中を斜に構えて見る』って言うだろ?
「斜に構えて見る」は、「物事に真正面から向き合わず、皮肉やからかい、あるいはひねくれた視点を持って対応する
『×を斜め』に見てみなよ?
『+に見える』だろ?(笑)
そしたら『+に建て直し』て『〇で囲む』だけ
〇に納めて『輪を持って尊し(一つ)』
『自由な発想』とはそういう事( ̄▽ ̄)
『貪瞋痴(とんじんち)』を知り
『じん(人・神)』を切って『頓智(とんち)』をかませ
頓智(とんち)」とは、状況に応じて即座に機転が利く知恵や、その機転が働くこと
『先人の遺した言霊』を『自由に遊べ』
それが『日本語を継承する日本人』の役目
『言霊』が『人の意識を変える』なら
人の意識が『言霊の力を創造』する
わかりやすい例で言えば漫画の主人公の『必殺技名』とかね
『かめはめ波』なんて世界中の人の『心』を動かしたが、それ自体に意味なくても、それを『使う者の行動』がそれを『何のために使った』のかを『物語の中の生き様』で伝えているわけで
『言葉の表現』というのは簡単に『人の意識』を変える
…ただし『聞く耳』持ってる奴に限る( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
故に『真言密教』とは別に『秘密』にして教えなくても世の中に対して『自ら思う事』を『心に素直に真言』してれば
それが『観念=今の心を観る』だから、観念したら『自然に大日・釈迦』と縁が繋がる
『切り捨て』『貼り付け』だろうと(キリスト・磔)
『仏陀切り』で『お釈迦』に『お陀仏』だろうと(仏陀・釈迦)
『元の形』は失われても『音の響き』は遺っている
どんな『宗教』だろうと『疑問』を持ち離れ、『無信仰で己を信じる!』(๑•̀ㅂ•́)و✧と生きる志も何もかもが…
『音や言葉』、その『風土や風情』から『自然に溶け込んだ先祖達(言霊)』を辿って
万教帰一
…今日の話の…出処どこだったっけ?( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)既に書き始めて8時間。体感では『寝起きの2時間』くらいなのに気がつけば『夕方の4時』…
携帯バッテリーも残り10%切って、現実の私のバッテリーも切れた(◉︎ɷ◉︎ )
…『夢の中の問いかけ』に『現実で自己表現で応える』のに体力は持つけど、生きる為の『しがらみに時間を取られる』のが…
やはり「早く死ね(肉体から解脱しろ)」とこっちへ来いと促されているようだ(笑)
LEAVE A REPLY