超真理緒(網)世界=スーパーマリオとという世界観には、神話のような法則=兄弟の争い、九鬼と桃姫というお話と普段はおとなしいが目的を持つと力を発揮する人間性がある・・という伝統を伝え広める事を任された天堂?を日本語と英語のアナグラムで読んでみたら・・というお話
夢のあらすじ
昔いた空調配管工の会社にしばらくしてから再び入社しているような感覚だった。若い自分、でも中身は今の意識のまま、様々な屋根裏や軒下など周り支給されていた粉塵マスクはめちゃくちゃ汚れていた
みんなで飯という状況で、社長の奥さんが
「みんなそれぞれ捕まえてきた虫を出して!私はこれ( ´∀`)σ」
みたいな現実の『虫という生物』ではなく、どちらかと言えば、『問題となってる概念』のような感じで、それを聞くと(゚ー゚)(。_。)ウンウン確かにと、飯の場のもの達が『同意や賛同』していた
私もなにか『虫(概念)』を提出していたがそれは覚えていない。店から出ると社長が、店から出されたサービス券を全部私にくれた
「これ人数分だけどお前に全部やる(๑•̀ㅂ•́)و✧次来る時使えよ」
と会社のハイエースに乗ってバイバイ(^_^)/~~と私は置いていかれた。( ‘ω’)?俺も会社から乗ってきたのに?…と思ったら私は帰るかと思ったらもう家に着いていて、そのまま目が覚めた(。ρω-。)
その寝起き( ¯꒳¯ )ᐝ閃が…
マリオブラザーズってなんで『配管工』なん?
なんで『マリオシリーズを続ける』の?
この『キャラと世界観をゴリ押し』するの?
まるでディズニーのように
『配管工と桃姫を世界に広めよう』としている
任天堂はどうしてこれを『軸』にしてるのか?
二人の兄弟がクッパに攫われた桃姫を助ける
構図を文字に起こして見ると
『クッパ』という固有名詞は何処の国か?
『桃』はどこの国から伝来したか?
クッパもピーチも『出処同じ』
毎回『攫われても無事』
そうなるとマリオが『素直』なのか、『馬鹿』なのか、毎度の事で
「またクッパめ!ピーチ姫をさらいやがって!( º言º)」と発狂する
そんな、攫われた→助けを求めてる→助けなきゃ!→という真理男は、その度、その度、『能力』を身につけて『障害』を超えていく
そんな『超単純真理男』を『行動に操っている』のは、『桃姫とクッパの結託した思惑』による操り人形=『マリオネット』
『超真理男』は『操られた網』の中で転がる『粒子の粒』の如く『桃姫とクッパの波動の影響』を受けている世界
それが超真理男(網)世界
=スーパーマリオ(ネット)ワールド
そもそも、『助けてもまた攫われる流れ』はマリオと姫が元々、『生活スタイルが違い過ぎる』から
『豪華絢爛目立ちたがり』と『質素倹約贅沢しない堅実』という育ちの違い
なんだこの組み合わせは?となるが、その明確な『助ける!』という面での『力を発揮』してる時だけは、桃姫も「マリオ、カッコイイ(*´>ω<`*)」と惚れ直す
『襤褸は着てても心は錦』の精神が発揮されるんだろう
つまり普段は『目立たず、縁の下の力持ち』=土管の中?
『水の流れ』を司る施行を行う『配管工』
それは『鬼(建築施行)』である
普段は温厚で贅沢もしない
しかし、ひとたび『大事な桃姫』が奪われたら
クッパに取って『マリオは鬼』となって襲いかかって来る
この『大事な女性』を奪われたら『温厚な人も鬼になる』という単純な男の真理
これがマリオシリーズの始まり
その鬼となった男は
『高い飛躍力』を持ち
『キノコを食って巨大化』し
『花』を取っては『火』を放ち
『亀』を踏み、蹴り飛ばし、投げ捨て
ぶつかっては『小さく』縮こまり
『星』を手に入れて『無敵』になる
なんかこう…ひとつひとつのアイテムと設定が、『神話』っぽいのでひとつずつ深堀する
なんで『配管工と跳躍力』が関係するのか?
跳躍には『口止め』が入ってるので外すと『兆曜=曜の兆し(物事の始まり)』
個人的にはここに『隹』が入ってる事から『古伝=鬼の元に繋がる点』を感じる
『黒曜石』などの鉱物は『縄文』と繋がりがある
つまり躍の左の『口』止めが『日』ならば
『日の光が美しくかがやく兆し』
『高い跳躍力を持つ真理男』は漢字の『口止め』から解放されると
『兆曜=日の光が美しくかがやく兆し』を持つ
『赤茸』を食って『巨大化』
『青(緑)毒茸』を食って『死亡』
『青茸(緑)』を食って『1up』
茸は『草(自然)に耳』と書く
しかもこの真理男世界では『茸』が動く(‘ω’三’ω’)
これは『自然は動く(変わる)』
『状況』は刻一刻と変わる
それを『目先で追いかける』のが『現実(赤)』
『リスク(最悪の可能性)』をおっても手に入れたい『精神(青)』
どちらも『自然由来』
『花』を取って『火の玉』を放つ
ここで気になるのがその『火の玉の軌道』
通常のゲームの多くは『重力無視の横方向』に玉が出るが、スーパーマリオは火の玉の軌道が『半円のアーチの軌道』を描く
なぜ花から生まれた火の玉は、半円を描き、『円の軌道の中には当たらない面倒な物理設定』なのか
それは『当たるも八卦、当たらぬも八卦』=『巡り合わないのは縁が無い』のだろう
『亀』を『踏』み、『蹴り』飛ばし、『投げ捨て』…
『亀』はひっくり返しても『亀(文字形状)』
亀は『大事な教えの形(六角形)』であり『精神』
普段は『温厚な者』も『怒りに我を忘れ鬼』となれば、『大事な事』を踏みつけ、蹴り飛ばし、投げ捨てという『何でも武器』へと変えてしまう
投げた亀が『反射』して『加速』して『ぶつかってきて死ぬ』というのはまさに『自業自得の因果応報』の末路
踏まなければ、蹴らなければ、投げなければ、使い方を間違えなければ、そんな『悲劇』は起こらないのに
ぶつかっては『小さく縮こまり』、赤い目先の欲の茸を取って『大きく増長』していたのを、ちょっとぶつかる『事故』があると
真理男は単純だから「あ、ごめん( ´・ω・`)」と『自己反省』して冷静になり小さくなる
『星』を手に入れて『無敵』になる
『日の生まれ』=『目的への原動力』
『無敵』とは強くなる事ではなく、『敵が無い』、『敵対しないで無視』できる
『人為的な障害』を『物』ともしない『精神(物理無視)』
こんな風に
『1人の男の成長物語』として読み解くとスーパーマリオとは『超真理男』
『ブラザーズ』と『兄弟が売り』だが、どうしてボディは『対称的なフォルム』なのか
どうして『兄は中肉中背(日本人)』なのに、弟は『スラッと足長おじさん(ユダヤ人)』なのか
全然、見た目は『ルイージ=類似していない』
これは日本の『昭和の漫画』に多い『アンバランスな組み合わせ』
例えば
バカボンの『パパと嫁さん』
少年アシベの『パパとママ』
銀河鉄道999の『鉄郎とメーテル』
『クイーンエメラルダスと敏郎』
この『兄弟なのに類似』というまるで『父は同じ』で『母が違う』ような…出生の違いの匂わせ
真理に『類似=真似』であり真似は『人の為=二人プレイ』で生まれた
そうなるとマリオブラザーズは『真理男の真偽』となる
道理で『初代地下戦争(マリオブラザーズ2)は兄弟対戦』だった訳だ
そうなるとだ…
これは『主役はマリオ』だが、マリオが『活躍する環境を与えている』のは、『クッパと桃姫』であり、やはりその『思惑の意図』に踊らされているマリオは『操り人形のマリオネット』である事に変わりは無い
『九派』か?『旧派』か…と捉えるとやはり見えてくる
『九頭・葛(鬼扱い)の城』に『傾城傾国の絶世の美女(桃姫)』
これは歌舞伎の『十八番の一番の演目』と一致する
まさに、ガンダムSEED Distinyの結末と同じで、『ラクス・クライン(姫)が命を狙われる争点』の中で、次々と『ガンダムを製造するプラントのデュランダル(鬼)』は『キラ(温厚で平和を求める)に負ける』のと同じ
うん?(´-`)oO{そういえば
HUDSONの桃太郎伝説の中で『桃太郎とカップリング』になってたのは『夜叉姫(鬼)』ではなかっただろうか
…と思うくらいに
マリオが『攫われた桃姫を追ってクッパワールドへ向かう』という流れが
『桃から生まれた桃太郎』…ではなく
『桃』を奪われて『復讐の鬼』になる話
ある意味で『桃が原因で生まれた物語』
それがスーパーマリオブラザーズ=『超真理男真偽』
それをしつこいくらいに『看板演目=十八番の一』にしている『任天堂』ってなんなんだ?
任天堂 任される天堂のアナグラム
『名は体を現す』、『社名は看板』であり『理念』である
『老舗』であればあるほど、名に『責任と誇り』を持つ
名に課せられた言霊を読み解いてみよう
nintendoのアナグラムに
・・in to end?=最後まで
・・in not end?=終わりではない
堂=神仏をまつる建物、多くの人を入れる建物
天任せ=神頼み、運任せ
n(nature・natural)を省くと
『最後まで』天の神仏をまつる場所
『最後まで』天の多くの人を入れる建物
n(nature・natural)を含めると
天の神仏をまつる場所は『終わらない』
天の多くの人を入れる建物は『終わらない』
それを踏まえて、『任天堂の看板キャラ』である『真理男の物語』に当てはめるなら
『目的』を決めてそれに取り組む時、人は『困難を乗り越える為に飛躍的に成長』する
それを『GAMEで試す=demonstration=鬼の憂さ晴らし』で伝える過程で
『亀(伝統・教え)』をどのように『活用』するか?
時には『踏み留め(戒)』
時には『手に持って使い(道具)』
時には『蹴り飛ばす(禁忌)』
そんなマリオ『メーカー』は『自由に創作』していいと
『神(プレイヤー)』頼み、『運(ネット)』任せ(笑)
主軸は『桃』によって『男の心理=真理男』は動かされる
桃は『木の兆し=種・若芽』(木が生える兆し)
『自然(n)』を省けば、『最後まで=持続可能なSDGs』
『自然(n)』が活かされれば『終わらない、in not end』
・・深い(;・∀・) Σ(゚Д゚)勝手に深くした!?
そういう意味では私も『真理男』だったのだろう
『跳躍力』ではなく『超訳力』を持つ(笑)
『訳』って、『言う尺』だから
『長々、時間かけて真理を語り続ける』と
そこに『新たな真理男世界観(マリオワールド)』が創造される
私は夢で『配管工(過去の現実でも)』だった
『人目につかない汚れた環境』を『綺麗に整備』する仕事
その中で『体験した事や会話』を持ち帰り、『言語化』したら『超真理男(網)世界』になった
そこまで飛躍的に『日の光が美しくかがやく兆し』を見た結論として…
私はだいぶ前にマリオシリーズに『興味』が無くなっていた(;^ω^) Σ(゚Д゚)えぇ!?
『正法』が時代をまたいで徐々に『元型』が失われて『末法の世』に向かっていくように
もはや今のマリオには『真理』は無い
ただの『(周りの)人の為の便利男』
『自然(n)の真理』が無くなる『結末=最後まで=in to end』まで含めて、栄枯盛衰、万物流転、諸行無常の真理なのかもしれないが
『夢・理想=ideal=愛である(自然・n)』を『繋ぐ意志』が消えなければ、『in not end=終わらない物語』が続くのだろう
そのためには、『子供に愛される名』が必要だ
「・・そうだ、終わらないの『意志を漢字』にしてみよう!」
=任天堂
知ってか知らずか、『名前を英語』にしたら、そのアナグラムに『終わらない』という『意味の気持ち』が籠っていた『不思議な話』だ
なんつってな(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
任天堂 創始者 山内房治郎
1859年、京都に福井宗助の長男として生まれ[1]、1872年に山内猶七の養子となる[2]。1885年より石灰問屋「灰岩」でセメント(小野田セメント京都代理店)を取り扱うかたわら、1889年9月23日に、「京都市下京区正面通り大橋西入る」の地にあった空き家を買い取り、その地に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業した。灰岩の経営と並行して、自らの工芸家としての腕を活用し花札の製造販売を始め、今日の世界的コンピューターゲーム企業「任天堂」の基礎を築いた
スーパーマリオシリーズの歴史
スーパーマリオシリーズの歴史は、1985年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』から始まりました。 とにかくジャンプするだけでも気持ち良いこのアクションゲームは、発売されて以来、日本だけではなく全世界的な大人気ゲームとなり、まさしく爆発的だったファミコンブームの立役者となりました
会社の名づけ親の創始者は『1929年に他界』しているので、その後、『終わらない物語』が『看板』になって支えている事を知らない・・
エモい話やで
終わらない物語と言えば・・
『ファイナルファンタジー』も『ドラゴンクエスト』も終わらんな・・(だんだん詰まらくなってる)
=行き詰る=in to end=持続可能なSDGs
やはり『人為的、不自然』になると『歪』になっていくんだろう
リマスターして、リメイクして・・
『新しい=種・若芽』が生まれない=『自然』ではない
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