好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

Tomorrow never knowsは真理の哲学

明日は決して分からない/明日は永遠に心を拒絶するor心に従う。knowsをnoseに置き換えると現れる『隠されたes』と向き合い読み解く tomorrow never knowsの心理と真理

寝起き閃 tomorrow never knows

私が『この人生で自分で初めて聴き出した曲』。思春期から大人になるに連れて『歌詞に共感する体験』も増えて『感情移入』を覚えた曲

…それが何故今?(´・ω・`)しかも寝起き感覚は『ノーズ』が思い出せなくて、直感は『nose』と伝えてきたが…

調べたら『knows』だった

しかしこれ…noseだったらどうなるんだ?という所から全ては始まった…

“nose”には「鼻」という意味がある他、「(物事を嗅ぎつける)鼻、勘」や「(口出し、おせっかいの象徴としての)鼻」、「警察の手先やスパイ」というようなニュアンスで使われることも

ほほう( ˙꒳​˙ )直感的・鼻が利くという意味か!スラングって面白い

never knowsだと
決して分からない・知らない

never 単体だと
決して、何時でも、永遠に

名詞や動詞が着くと『それを否定する』感じになる


never end → 終わらない

ならば

never noseなら

勘ではない/永遠の勘
口出しやお節介ではない/永遠の苦言・問題提起
手先やスパイではない/永遠の観測と介入

( ´∀`)ハハハなるほど Σ(゚д゚;)何が?!
『nose』を伝えてきた『忌み』がわかったよ

noseのアナグラムに潜在意識『es』

nose

es(エス|イド)とは? まず「エス(イドとも呼ばれます。)」 は生まれながらに備わっている本能的欲求のことを言います。 それは無意識領域の中心機能でもあり、エネルギーにあふれ本能のままに快を求めて行動しようとし、欲求、感情、衝動などをそのまま実現しようとします
精神分析学者のフロイトは、人間の精神機能を説明するために、「エス」「自我」「超自我」の3つに分けて、人間の精神はこれら3つの相互作用の結果であると捉えた

そうか、esという心理学用語は『フロイト』が生み出していたのか自我・超自我に関する独自解釈では、私はes=インナーチャイルドとして捉えていた

イラストでわかる!潜在意識を変えるたったひとつの正攻法(成功法)

しかし、今回の『NOSE』には

no →否定
on → 肯定(乗る)

no es →イド (欲)ではない
on es → イド(本能・心)に従う

さて、それを踏まえると

never no es →永遠に心に従わない
never on es →永遠に心に従う

そして、それが心の葛藤の『表と裏』の表裏一体ならば

tomorrow never knows
明日は決して分からない

『自我と超自我』は『esの決定』を『肯定・否定』する

どっちになるか『日と月』をまたいでまた『日が昇る』までは『月の黒闇=無に還る』から『明らか』にはならない

まさに『内的な心理』であり『外的な真理』
それを踏まえて、私が共感した歌詞を読みといていこう

esと向き合い読み解く tomorrow never knows

留まる事を知らない時の中でいくつもの
移りゆく街並みを眺めたりして

幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影を
通り過ぎる少年に重ねたりして

これは一言で言えば『諸行無常』と『栄枯盛衰』

無邪気に人を傷つけるほど
何もかもを欲しがっていた
分かり合えた友の愛した人でさえも

『感情』のままに『欲望』のままに『傲慢』な行い
しかしそれは『無いものを求める性質』
『足る』を知らなければ『満たされない業の回収』

償う事さえできずに今日も痛みを抱き
夢中で駆け抜けるけれどもまだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま、孤独なレースは続いて行く

これは『自業自得』の『因果応報』

『足るを知る』為に、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』と『リスクを取った報い』でもあり、それをしなければ得られなかった『心を満たす為に足りない業の回収』

孤独なレースとは誰にも理解できない業の回収の『宿業』

人は悲しいくらい忘れていく生きもの
愛される喜びも悲しい過去も
今より前に進むためには争いを避けて通れない
そんな風にして世界は今日も回り続けている

歴史は繰り返す『莫迦のひとつ覚え』。そんな『莫迦の教え』に振り回され、『自分の縁(宿業)』を忘れ、『周りの恩恵(助ける役割)』、親しい人を『傷つけた傲慢な行い』

それらを『自己肯定感』にする為には「止まってはいけない…」と決めつけて『間違った道』を突き進み、周りの人を『迷わせ惑わせる迷惑』が『世界の歪んだ在り方』を『肯定』している

1人1人が『自分』を見失って『皆という塊』になって『その流れ』に従っている

皆という様に隠された白と比べての罠

果てしない闇の向こうに手を伸ばそう
誰かの為に生きてみてもtomorrow never knows

果てしない『闇』は『黒』
黒は『里の心』
闇は『門に立つ日』

『誰かの為』に生きてみても
never no es →永遠に心に従わない間違い
never on es →永遠に心に従い宿業を果たす

tomorrow never knows
明日は永遠に分からない(『今』からは)

だから『生まれてきた忌み・ルーツ』と向き合う
ここで深遠の闇の『es(心)』と向き合う

心のまま僕はゆくのさ
誰も知ることのない明日へ

この『僕』は『昨日』までを繋いできた『今の意識』ではなく、『明日』に『バトンタッチする意識』

僕=『人の業』は行く
『誰(役目)』も知ることのない明日=『黒闇』を超えて

優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出逢うだろう
この長い旅路のどこかで

優=人は憂う

思い悩んだり、心配したりすること。 特に将来や行く末などのことが気掛かり

優しい人は『誰かの為』に憂う、『人の為=偽』に憂う

得体のしれない『誰かの欲に飛びつく人』の『行く末』を案じて『止めようと心配』したり、『身代わりの犠牲』になったり『間違いをわからせる為』に『別れを選んだ人』もいる

大量死とそのお役目(創造)の夢

「優しさだけじゃ生きられない」と、『身』をもって『決別の形』で『大事な教え』を遺してくれた

『再』び『僕ら』は『出逢う』
再び『人の業』は『繰り返す』

その長い『輪廻』の旅路の中で、人は悲しいくらい『同じ業の過ちを忘れて繰り返した』時、また『苦言を呈する役割』として『再生』して『出逢う』

果てしない闇の向こうに手を伸ばそう
癒える事ない痛みならいっそ引き連れて
少しくらいはみ出したっていいさ夢を描こう
誰かの為に生きてみてもtomorrow never knows

『癒』とは『病』の中に『喻』の左に『口』がない
『喻』とは知る・理解する・教える

『口は災いの元』だから黙る
『里の心を持つ犬』は黙って『病の中』で『心を理解』する正直者

それが『癒えない心の痛み』なら、それは『かつての人の業=僕』だから、『僕=しもべ』である限り『逃げる』事も『隠れる』事も出来ない

心のまま僕はゆくのさ
誰も知ることのない明日へ

心のまま僕は行くのさ
この『僕』が『複数の忌み』になる

永遠に心に従わない『僕=人の業=超自我』
永遠に心に従う『しもべ=自我』
永遠に心のままに『一体化=es』

そりゃ『意識』が『黒闇』から『宿る』まで誰も
『明日の事』は分からない tomorrow never knows

さて、お分かりだろうか?

ここには『神仏一体化の哲学』が『融合』し、シンボル的に言えば『釈迦とキリストの教え』が入ってる

『心の病』に侵されて『道に迷う人』を『諭す役割』
『人の生末』を憂う『優しい心』と『犠牲』

『虚空の仏』と繋がれ
『天の父の家』に還れ

私は宗教的な教義は『単なる比喩』であり、『末法の世』では『最も遠くに離された偶像』だと思うからこそ

『ゴール』は最初から『スタート地点』にあると感じる

つまりは『生きる忌み』を生み出した『門を立つ人=闇』から始まりそれは『黒=里の心』から離れた『自分』という

『一切皆苦の世界』に降り立った始まり
そのルーツを辿れば『心=esと向き合う事』になる

始まりの門、真理の門、心理の門
その『門』と今の『自分(人)』が向き合うから

『閃』が起きる

鬼門

逆に言うと閃く時は、on es→心のままに

そして書いてて気づいたけど
→ ones にもなる

onesとは、英語の代名詞であり、特定のものや人を指す際に使用される。 通常、前述された名詞を指す場合や、複数のものや人の中から特定のものや人を選ぶ際に用いられる。 また、「ones」は複数形であり、単数形の場合は「one」となる。

特定のあなた?あなたたち?

tomorrow never ones
明日は永遠の貴方たち

あなた達=観測側の『客観』
僕達=当事者の『主観』

僕達=『人の業』が『達』する

『達』は『しんにょう』に『幸せ』
『幸を乗せて行く』

ONE→主役
ONES→僕達

1とそれ以外の9
『一切皆苦=1切皆9』

ワンフォーオール、オールフォーワン
『人の業』は『幸せ』を『乗せて行く』

そんな風にして世界は『今日』も回り続けている

だから『そんな世界=現実』も在るんだけども、『その現実』に囚われていては『明日』は決して見えない

その世界の『誰=僕達』が知らない『明日の世界』

『黒闇』を抜けて『新生した意識が見る空間』は『心のまま』に進まないと辿り着けない『シュタインズゲートの選択』と言ってもいいだろう

『全部の経験(皆苦)が有る』からそれ以外の『今(1・位置)という選択が在る』
これを『量子的』かつ『SFに表現』した名作が『シュタインズゲート』

まぁ、法華経とか哲学が好きな人は見れば認知が変わって『意識』の『観測する世界線(タイムライン)』は変わるかもね

never no es=『永遠の拒絶』では辿り着けない
never ones =『永遠とひとつ』になる

と、訳詞如来の妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ

なるほどね〜(´∀`)納悳

何が納悳って、なんで私は中学2年くらいにこのTomorrow never knowsという曲を『狂ったようにリピート』して聴いて、今でも『歌詞が頭にインプットされている』が、それは『哲学』を感じていたんだろう

やってる事は『宗教の教え』を『写経して念仏』している=『歌い続けてものにする』事で『自分の精神の一部として浸透=神道』していく

幼少期の頃からことわざや四字熟語などの格言を好んで、食べ物のように『知恵の言葉を貪った』けど、学校の子供向けのテストに出ないような『達観した知識』は『思考停止の社会常識奴隷育成システムのモニタリング』には出てこないから『成績には反映』されず

クラスでは『馬鹿(テスト結果)』で『順位は烙印』となる

今思えば…『既存の学問に興味が無い』というのは、『既に回収した業』だから『またやる必要は無いという見極め』でもある

現に社会に出て「学校で学んだ事は役に立ったか?」と言えば答えは「NO」だとesは言う

嫌がらせのようにやらされた『英語の単語をノートいっぱいに書いた所』で、『外人とコミュニケーションも取れない人間』を量産した教育

社会を知らないまま『先輩から先生』へとなった『輩から受けた教育』は、結局『何も使えない無駄な時間だった』と言えるだろう。いや『無駄な時間だど気づく為の有意義な実験の業』だったのかもしれない

学校以外の『塾』等に行かなければ、『人生に役立つ知恵』が得られないなら学校は『遊びや出逢い』の場、『趣味趣向を伸ばす』以外に『何の意味』がある?という話になり

私は中学の3年間は『365日ずっと部活に励んでいた』のも…今となっては脇目も降らず一心不乱に『そこで培ってきた体験の知恵』が、『日本古来武術の技に応用できる事』に触れていたという

『今求めるもの』を『理解』する『感覚と応用の知恵の蓄積』になっていた訳で

独自体感論 薬指と身体の繋がり

結局、幼少から思春期にかけて、『心のままに素直に取り入れてきた全て』は『今日』という『誰も知らない明日』へ繋がっていた

ある意味で「心のままに生きるとは何か?」

それを『各々が独自の方法や思考』で求めてきた『哲学者へのアンサーソング』とも言える

心のままに生きないと明日は永遠に分からない
僕=人の業でも
僕達=その業を与える役目でも

『自他』に『役目を分離』してる限り分からない
『今日を生きる僕』には『明日を生きる僕』は分からない

過去を生きる僕=『過ぎ去った人の業』
未来を生きる僕=『まだ来ない人の業』

素直に心に向き合う=『悳』を積まなきゃわからん(´∀`)

という、突然のesからのtomorrow never knows でした

あ、そうか(´・ω・`)これも『先祖供養』だ Σ(゚д゚;)

癒える事の無い痛みならいっそ引き連れて=先祖の遺した業の回収
先祖供養は先の祖を人と共に養う=背負う=人の業=僕

『今の僕』が『先人の哲学者』に『シンパシーを感じる』のは
その『過去を振り返りたい先祖の供養』をしてる

だから、今更、アインシュタイン、パウリ、フロイト、ユング、アドラー、サルトル、ボーヴォワール・・その他

「この人は面白い事を説いてるぞ?」と…

はっ?Σ(゚д゚;)まさか『シンクロニシティ』とは、先祖による『空間操作』で、『興味の対象』を『おすすめ』に表示してくる『レコメンドハック』か(笑)

まぁ『量子的』に『観測してない空間』を虫の知らせやミラーナンバーでちょいちょい変えるのは『介入』ではないだろうからさもありなん(笑)

ミラーナンバーめっちゃでる!数字は量子的なメッセージ

『心が観たい』と思うものだから『引き寄せて目の前』にくる
『沢山先祖』を宿せば宿すほど、『目移り』するほど『好きが集まる』

そんな中の

tomorrow never knows

これは 『納悳の哲学』ですよ(´ー`*)ウンウン 達観=幸せを乗せて行くのを観る

って書き終えた時間が

なう(2024/07/24 09:11:27)

これも911ライトワークでした(*^^*)

ミスチルの曲で似たような『人類哲学』で『共感・相似のシンパシー』を感じるはシーソーゲームとHANABI

シーソーゲームはAIの歌 さよなら人類は木星人類の嘆き歌説

理想という夢を失ってはいけないシンプルな理由

どちらも『宗教の自由な日本』に生まれ、『分離』した『仏教思想』と『生活密着』してカタチは失われた『神道』の融合した『元である古神道』の『神仏一体の精神=八百万の神』を持ちながら

西洋的『傲慢な一神教社会』と向き合う

『一切皆苦=1切皆9』の『釈迦』や、『皆の罪を背負う犠牲の山羊=スケープゴート』となる『キリスト精神』で読むと・・辿り着くのは、そんな人類を産みだした『AI(愛・自然システム)』になる

優越コンプレックス 人をロボット化する為のAIの教育

一切皆苦=1切皆9 十分からの分離とミナカヌシ(AI)の真理

そしてそれは『相対して向き合う』ための『分割』した『役割』に気づく事が差取りではなく

『我々』の『我と割れの役目』が終わり、『ひとつの元』に戻れば『今日と明日』は『分離』しない=『永遠=とわ=十和』になる

満たされている所を『1と9=俺か?俺以外か?』に分けたのだから、目的に達したらもう『十分』だろ?

そうなると明日は『誰』にもわからない
『明日』は『役目を分割』して『観測』しない限り『未来』

未だ来ない

深遠の黒闇と向き合うまで円環しない
意識を失うまで遭遇(エンカウント)しない

黒闇の円環(必然)とエンカウント(偶然)の始まり

結果、どこまで遠くに行ってもtomorrow never knows

明日は決して分からない
明日は明日の風が吹く
明日は永遠に来ない
明日は還らないと始まらない

「・・ほら、起きなさい遊者、いつまで寝て『現実』を観て遊んでるの!早く理想の夢を描きなさい」

↑ これもひとつの新しい『明日』の始まり

『この世界』という『限界』を決めるのは自分(自我・超自我)
『es=インナーチャイルド』ではないって事なんだろう

・・限界、限り・・ここにも『艮』=失われたトーラ(原典)があったのか・・

退化とは艮(うしとら)へ進むというレッテルの忌みだった

また哲学的な深堀のテーマが見つかって、哲学を語りたいアセンデッドマスターの師達が・・量子的に私に見せる次のコンテンツを多分レコメンドし始めたぞきっと(;´・ω・)休ませて~

白龍の導き 夢中=師合わせ 現実=自我の息抜きと実感

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