神秘十字線と仏眼という手相の事を知り、調べて納得守護の実感!今までの不思議体験も含め、魂の年齢、使命、カルマの解消など腑に落ちる事だらけだったお話
神秘十字線と仏眼に気づく
先日こちらの記事の一部がコピペされていくのを見て思った事
そういえは、この頃は夢・明晰夢・幽体離脱とか精神世界の探求と研究に没頭して、肉体の健康をおろそかにしてたな〜と思い出した。寝る事は体にいい事…のはずが、精神世界で様々な未知の恐怖と向き合うのはなかなかに生命エネルギーがすり減り…
健全な精神のためには健全な肉体必要だよね!(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
と、過去の経験を思い出した時に、その都度、色んな守護・導きを受けていたのかな~と感じた時にたまたまた目に入ってきたのが、神秘十字線と仏眼の手相の話
仏眼に関しては、以前友人と話した事があって、両手の親指にあったのを…?!あれ?( ´・ω・`)前は両手の親指にあったはずが、今は左手の親指にしかない?!
左手の方はくっきり目があるのに
右手には全くない(前はあったのに)
これをどう捉えるか?
人は生きていく環境による行動や習慣によってしわの付き方が変わるため、手相は変わるもの!という一般認知の既成概念に寄せるか?
意識は並行次元をスライド移動したり、並行次元の自分の意識と融合する事で、認知の上書きをされている!という自分の経験の感覚をとるか…となれば結論は簡単で後者だと直感は言う
なぜなら手相なんて自分しか覚えてないから
逆にいえば、その自分の手相の違いもまた意識の並行次元シフトを確かめる指標になるかもしれない(主観的マンデラ効果)
そこで手相歴25年という方が語る動画の中で言われていた事がとても腑に落ちた
手相の左手は内面、右手は外面
ここ数年の様々な精神変化と達観していく思考パターンを考えると、新たな発見や気づきは内面からばかりで、外から入る情報はあくまで観測した範囲で整合性をとる程度で、一言でいえば
気にしなくなっていた
というのも、内面からの意欲に従い行動すると結果がついてくるのが楽しくて、外面に存在する与えられる欲(情報)には興味を失っていた
だから左手に手相が集中してるというのも納得できる
そこに神秘十字線というものがはっきりあった事に気づく
神秘十字線
この手相は多くの手相占い師の人が取り上げているが、その解釈にも腑に落ちるものがあった
①生まれた場所や家が神社の近く
②子供の頃は泣き虫で怖がり
③祖先に使命を託され護られ期待されている
全部当てはまる!!
そして、その手相に占星術を合わせて読みといた占い師の指標に照らし合わせた結果、先祖から託されたカルマ=これをして欲しいという願いが
①無条件の愛
②霊的な能力の発揮
これが課題として託されていると知って…
もうやってました( ´・ω・`)Σ(゚д゚;)確かに
家族や友人、記事を介して気づきと目覚め、自然との繋がりを促すなどの無性の愛(氣の巡り)
直感と閃という霊感と霊観
とか思いながら右手を見たら、右手には神秘十字線はなかった
よく見ると無数の小さなしわでは大量にあるが、目立つほどではない、しかし、左手には2本の神秘十字線がくっきり
つまりは、右手・外面=現実(今の意識)ではなく、左手・内面=より拡張された内宇宙(意識の拡大)へ向けて、無条件の愛=氣の巡りを霊的な能力を発揮=夢のような世界を創造して欲しい
そういう守護と導きと考えると思う所はある
泣き虫の子供は想像力と創造力が豊か
恐怖には色々なカタチがあるが、子供の頃の恐怖は、現実に体験した事によって引き起こされる過去世のトラウマの噴出。過去世のトラウマとは、死=目的を達成出来ずに、志し半ばで肉体を持った生が終わる事だと思った
誰にも見えない恐怖
誰にも伝わらない恐怖
内面に抱え込んだ託されたカルマが多ければ多いほど状況によって出てくるトラウマ=恐怖症は多い
蛇に噛まれ死んだ=蛇を怖がる
水に溺れて死んだ=水を怖がる
犬に噛まれて死んだ=犬を怖がる
注射で死んだ=注射を怖がる
表面的には行動を起こさない意気地無しの弱虫に見える
だがそれは、この人生ではファーストコンタクトな筈なのに、何故かヤバイものだと直感が感じているからこそ恐怖という無意識のブレーキがかかる
君子危うきに近寄らずは自己防衛ならぬ事故再発防止
その恐怖を感じているのは、現世の私ではなく、守護して護っている祖先達の死因=トラウマでもある
体外の事は護ってくれてるけど、それぞれ弱点があるからこそ、それを克服するべくカルマ解消の業(その先へ=プルスウルトラ)を背負わせているという意味では
魂と意志氣は一蓮托生
だから直感に身を任せ行動する時は、大概の事が上手く行くし状況は好転していく・・と考えた時に、祖先が守護…というが、それは別人格ではなく、自分自身ではないか?と思う
かつて生きた肉体の姿形は違えども、内面に内在していた意識は連続していて、その経験が時空を超え形を変えて融合しているのが、今の意識と考えると、守護してる祖先とは、魂の経験値であり、同時にハイヤーセルフ=自分自身だと置き換える事ができる
という事は、左手に神秘十字線と仏眼が発現しているという事は
①仏眼による内面宇宙の観測=内観
②神秘十字線による過去世のカルマ解消と守護=ハイヤーセルフ
より拡大領域へと意志氣を超えて行けと魂は導いてるみたいな?
この嘘世界(右手)には学びはない
本当の世界(左手)を探求しろって事か
左を制する者は世界を制す
(´・ω・`)違うか Σ(゚д゚;)
面白いのが、現実において左手の利き手は数が少なく異端な扱いの物質面で天才肌と言われるけど、夢診断など向こうの解釈では、左手は不浄の物として切り捨て対象
なんでかな〜?と考えてみれば、才能は努力では身につかない
生まれる前に欲によって得る力(チート)の時点で世界に存在しない力を持ち込む行為
当然、カルマの代償もでかいのかもしれない(天才ほど不遇の環境スタートですり寄ってくるのも魑魅魍魎の金欲)
容姿に恵まれるというのもある意味の生まれる前から決まってる才能であり、かっこ良すぎても人目を引いて恨みを買うし、可愛いすぎても欲望の的となって危険な目に合う事が多くなる
最終的にカルマの因果の代償(借金)から逃れるには、ほどほどのスペックでほどほどのバランスを保ちながら、ほどほどの望みを引き寄せる足るを知る程度の意欲を生み出す事
激動の欲望の業が渦巻く重い物質世界をひょいひょいと軽い精神で動くという最も難しいエクストリームスポーツ
そういえば、最近見たバブルという映画がまさにそんな表現がぴったりなエクストリームスポーツだったwなぜこのタイミング?(意味深)
だから正気でいる人、その軸となるべきライトワーカーのミッションを担った人は、状況を俯瞰で見て中立で存在し、バランスの傾きに合わせて、右往左往する周りの人を落ち着け!と繋ぎ止める礎
自分だけじゃなくて、周りも心に波風を立たせない平穏無事な明鏡止水に導くという地に足をつけ天からエネルギーを定着させる世界樹的なアンカーにならなければいけない
抗う力を持たず、力の流れを見極めるという最も難しいミッションを課せられている。祖先?いやいや、ずっとやってきた自分の生き様の積み重ねなんだろう
トラブルは遊ぶためのチャンスだと
と、書いてたらだいたいまとまって来たのも不思議なもんで、神秘十字線を持つ人について、占い師や手相鑑定で、先祖の守護やカルマの解消の使命という説明をされていますが
個人的には
自分自身の魂の経験値を積み重ねる過程で、次こそは!と強い目的達成意識=ハイヤーセルフの現れだと思うので、左手に神秘十字線が現れたら、自分自身とはなんなのか?を向き合う事をオススメします
汝、己を知れ
「あなたは本当にあなたの人生を生きてますか?あなたの人生の脇役ですか?」こんな質問は常識の範囲にはない言葉で、自分自身と向き合う時に、自分自身から投げかけられる言葉
夢とは本当に不思議なもので、そんな夢のお告げで毎回サポートしてくれていたのも、やっぱり地元の神社スタートだった訳で
だから、神秘十字線を持つ人、神社の近くに…という話もスムーズに納得できるんだけど、ひとつ思うのは、その地は樹齢数百年レベルの神木が生え、地震や災害があってもビクともしない地脈・霊脈な龍脈があるパワースポット
そこに後から神社ができた訳で、社ではなく、場に意味があるんでしょうね
…とまとめた最後に気になった
場=土の易
風水の易的な地脈とも言えるし土が易しいとも言える
場所=土が易しい戸の斤
ヘブライにとって細かい所まで穏やかな環境
場所取り
場所が大事
場所を決める
国技である相撲も神と相撲をとったなどユダヤ教とも繋がりがあるし、秋場所などという場所がつく言い方をする。そして何より…神社と相撲はかつての戦前の日本では当たり前の環境だった
寺子屋・保育施設も兼ねていた神社の外には土俵があり子供達は小さな頃から泥だらけになり、自然の細菌を取り入れ、細身でも足腰は強く逞しい基礎体力があった。病気にも強く心身ともに逞しかった日本人
ふむ( ˙꒳˙ )どうやら、祖先=かつての私は失われた文化を体現せよ(自分の中で)と促しているようだ
どうりで最近は本来の日本古流の歩き方にこだわる訳だ(((uдu*)ゥンゥン Σ(゚Д゚)
※これについては大きな変化と発見があったので近々まとめます
やはり漢字には景教由来なのかユダヤ教の伝来を感じるし…かつての過去世=自分の意識の連続で縁があったのかもしれない
それでだんだんわかってきた事がある
前回、まとめたエニアグラムの369
369の道にいるものは、それ以外の誘惑に興味がなくなっていく=弥勒信仰、弥勒の復活とは自然(あるがまま)のメカニズムの再生という事かもしれない
人間は汚れてしまった不浄の存在だとしたら、肉体は助かる事はないかもしれないが、魂と意志氣は綺麗なままであれば、新しい世界と呼ばれる場所には行けると思う・・というのは第七感の世界でなんとなく感じる
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