好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

シンプル哲学 予言者はいずれ預言者になる法則

『存在意義を主張』する『両極』がある限り物事は決して消える事はない。いつの時代も気づくは予測、そして予言し、離れる前に預言として託すリレーの繰り返し

二元性に終わりはない

どちらかに寄り添っても最後に残るのは『極点の2つ』だけ、つまりは存在意義を持つ『発言者』だけ

くだらない争いだ

それを『予測』して見抜いた人はこれからどうなるか『予言』する
そして「正気を保て!」と行動で『中心』を示す

シーソー

正気と勝機と商機と将器は同じ

そしてそこから離れて行く時、予測して予言した事を残して行く
それがいずれ『預言』となる

その『予言』を人々が正しかったと気づく頃、もうそこに『発言者』はなく
『預言を妄信した預言者』が生まれ『発言者の真意』を知らない『教え』が広まる

そして『一番大事な事』が伝わらないまま
それは広がって『解釈』が分かれて『分断』が起きて

その分断の果てに争いが起きる事を予測した者が
「中心を保て!」と『新たな予言者』が生まれるが聞く耳を持たれず

『発言者が去る』頃にまた『預言』が残るを繰り返す
預言者は去り、預言を狂信した者が発言者(両極)になる

宗教の間違いは、『間が違う』考え方のステージの違い

予測者の『預言を信じる』のではなく
予測者が何故その事を『予言』したか?

発言者と『同じ目線』に立って考える事

予言とは『予測』から成り立つ発言

予測とは『予め測る』と書く

『対立』の構造の『中で測る』とは
『2つの力の流れ』の中でその流れを推し量る事

そのためには『変化の起点を見つける』という事
左右が均等ならバランスは崩れない

バランスが崩れる時『どちらかに流れが傾いている』という事を先読みする

ここで分かりやすく例えを用いると

家を建てる時、『水平』を取らないで『建築』をしたら、当然建物は『傾いている』が最初は気づかない

人はそこに『積み重ねて』行く、思想も文化も伝統も
当然長い目で見れば『最後は崩れる』し『倒れる方向』も目に見えてわかってくるが

『片方』が倒れたら、その反動は『反対にも影響が出るシーソー』みたいなもんで

その時影響を受けないのは『中心』にいたものだけ

その『傾き』に気づいて『行く末を遥未来の子孫に起きる』と見通して『予測して予言を忠告』しておく

そしてそのシーソーから先に離れるように先導する
これが今までのあらゆる宗教の『開祖の役目』

そしてその『預言』を見つけたものが、両極のどちらかならば『都合よく書き換える』
「世界が終わる時、こちらにいれば救われるぞ?」と『預言は利用』される

善・光ならば『救世主が降臨』
悪・闇ならば『大魔王の復活』

そこに予測して予言した『発言者の預言』はない
そんな世の中に『真意』がない

…と気づいたものの中に『発言者の導き=中心・正気を保て』が始まる

だから思うのは自分の心以外に真実はない

これは『世捨て人』と呼ばれる考え方かもしれないが『世界に絶望』した訳じゃないし『自殺願望』がある訳では無い

むしろやっと両極のどちらにも都合がいい目に見える世界で『中立でバランスを取って生きる板挟み』以外のそこから離れた『目に見えない空間』が見えるようになった

多分、そこは『死』という『概念で定義』されたようなものでもなく、宇宙とか『物理的なスペース』でもなく

『意識』だけが飛躍して『何にでもなれる存在』
『役割から解放』された『自らの由緒』なんだろう

カタカムナ52首 創造主の目的は意識の拡大

私は自分の『体験から発言』しているから、少なくとも私に取っては『嘘では無い』。そうなるだろうし、そうなっていくだろうと『予測の想い込み』の『思い込み』である以上、私の真実

そしていずれ、『予め言った』と残したこの『預言』を見たものが、誰かに語り継ぐのではなく、『自らの体験の道標』として『実行して実践』して行けば

『預言』はただの『夢体験を元に正気を保つ為のガイドブック』になる

そしたら私の意識が、その『預言に耳を傾けた私』を導くガイド(ハイヤーセルフ)としてサポートに着くのかもしれないが…それはまたこの『今の世界』では無い『潜像』で起きる事

昔見た夢のドッペルゲンガーになる夢

現実は周りから与えられた『環境』
真実は自分で創り出していく『世界』

『どこに意識』を向けるか?

二限の極論の中で生まれたものは『全て借り物』
自分の体も環境も立場も何もかも『最後は無くなる』

どうすれば『満足』するのか?

人それぞれ違うからこそ『発言者』になり、自分自身の『無意識』が与えられた環境による『借り物(概念・常識)の模倣=NPC』なのか、それとも誰にも分からない『自分だけの心の中』にある『唯一無二の意識=プレイヤー』からなのか

正面衝突の『交通自己』して向き合って見ないと分からない

飲食店の店主に嫌われる夢

トイレが溢れそうな夢

私はライオンズゲートの夢の中で、何度も怒られ、その都度反省し、色んな気づきを与えられた末に、こんな哲学を『穏やかな気持ち』で書いてるが…

まだまだ分からない(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)

だからこそ『未知・道』が沢山あってワクワクする
ワクワクするって事は『その方向に心が導いてる』って事だから

これは『新たな始まり』であると言える
意識が変われば全てが変わる

その全てとは『自分の事』
環境は後から創り出される

・・と、この記事を書いていたのは、まだ岩手の神社巡りする前の話

岩手神社巡りとお盆旅の備忘録総まとめ

今改めて『体験後』にこの記事を読み直しながら正書してて思う事
やっぱり『未知に触れる』と『意識』がめちゃくちゃ変わります(笑)

つまり『行く前の自分』と『帰ってきた自分』は・・まるで別人のように・・
今後の掘り下げる方向がガラッと変わってくのでお楽しみに( ̄ー ̄)ニヤリ

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 4 )
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  1. 未知の発想・・笑
    深いですね〜

    • nomigon52さん いらっしゃい(≧▽≦)

      未知でもなくとてもシンプルですよ
      『くだらない争いでもめてる友達間を仲裁する』と想像して下さい

      どっちかに肩入れしたとしても関係性はぎくしゃくして不和になります
      とはいえ「まぁまぁ・・」となだめて『板挟み』が続けばそのうち

      そもそも自分自身は両者の争いはくだらねぇ┐(´д`)┌ヤレヤレと呆れて『妥協点(中立)を提示』しているのに、それは無視してそれぞれの主張(正義)ばかり押し付ける

      なんでいつまでも『間で苦しむ』のは俺かよ!?となり
      「お前らには散々言ったからもう知らね!勝手にやれや」とそこを離れる

      予測して、予言して、預言した発言者(自分)が去った後に、争いを後悔して反省して改心し「お前の預言(忠告)は正しかったよ」と後悔先に立たずな状況になる

      その『争いの悲劇を経験した友人』が今度は『仲裁』する立場になり・・以下同文歴史は『役割・立場』を変えて繰り返すロールプレイ

      世界の動向、戦争と移民、移住した先での宗教イデオロギーの展開なんてものは、身近な人間関係の『感情のすれ違い』で説明できるほど『同じエネルギーの流れ』です(スケールが違うだけ)

      そうやって大きな問題(世界で起きてる事)も小さな身近な自分事(生活)に置き換えて考えると、案外と『シンプルな解決策』がでてくると私は思ってるので『深く』もないですよ(浅く広く)

      • 本当にそうですね。
        みんな自分本位だから、よくよく考えて話さないと喧嘩や迷惑かけることになりますね。
        逆に、愚痴もあまり聞きたくない。

        • nomigon52さん いらっしゃい(≧▽≦)

          そう、自分本位なんですよ、相手からすれば『言ってるお前』もなと(笑)

          喧嘩の売り買いも同レベルで受けて立つから成立する
          迷惑や愚痴も面倒を引き受けるから成立する

          関わらなきゃいいとは、意識のステージを上げる=精神的に大人になれ
          こうすれば、そうなる=因果法則を考えれば、何が応報するかわかるだろ?と

          予測した事を予言して忠告したのに聞く耳もたねぇなら
          この先にお前がどうなるかを預言しといてやるわ!じゃーな

          これが世にいう『聖書やら預言書』であり、先人達が『精神的に成長して気づいてほしい』という思いなんですね

          ・・ま、今は中身書き換えて悪用し始めて、預言書が消えた世も末=末世なんですけど(笑)

          だから、わかる=その精神年齢になると、とてもシンプルなんですよ(≧▽≦)

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