好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 考える時は眉間にしわが寄り、閃く時は開眼している

『考える時は眉間にしわが寄る』という一言で気になった、閃く時はぜんぜん眉間にしわが寄っていないという気づきを深堀したら、松果体が力を発揮する条件がわかったお話

考える時は眉間にしわが寄る

そういえば、何かを『思考』する時は、目をつぶりあれこれ、『左右の脳を真ん中に引き寄せる』ように、『眉間に力』が入る

・・しかし、最近の自分を思い返してみると・・

ぜんぜん『眉間にしわが寄らなくなっている』し、むしろ、( ゚ ρ ゚ )ボーっとしている時ほど、景色が見え、文字が浮かび、それをパズルを組み立てるように

「これ完成したらどんな絵になるんだろう?w」と楽しんで言霊結びを楽しんでいる

この『過程』でぜんぜん『眉間にしわが寄らない』という事を考えると

『思考』は『左右の脳を使おう』と『力を物理的に引き出そう』としている
『閃き』は左右の脳を使わず『空間(有無の間)にあるエネルギー』を受け入れている

『脳の物理メモリ』から『データ』を読み込んで『真ん中で再生』するのが『思考』
脳という物理メモリを使わず『空の雲(クラウド)からストリーミング』するのが『閃き』

眉間にしわが寄るどころか・・逆に通常より『目が開いて開眼』している

表情

これは『現実的な体現』としても『表面化』している印象で

例えば『しわが多い人は人生に苦労をしている傾向』にあり、それは『多くの悩みを抱えている』からだろう

悩みとは『問題』と『願望』が『混合している状態』だから、「それをどうにかしよう」と『左右の物理メモリから思考』する結果、現象として『捻出』するために『眉間にしわ』が寄る

これは、左右の画面を重ねて、真ん中に立体空間を生み出す『仮想空間=マジカルアイ』と同じ仕組み

一方で、『しわが少ない人』というのは、苦労があろうがなかろうが、『悩み』を抱えていない
『問題』と『願望』を切り離し、『願望に素直になる事』で、問題は『お菓子のおまけ』のような感覚

子供の頃、キャラクターのゴム人形が付属される子供向けソーセージ(キン肉マン消しゴム)があった。『ソーセージは嫌いという問題』はあったが、『キャラクターのゴム人形が欲しかった』から、問題は『願望をかなえる過程で必要な事』として割り切ると『悩み』ではなかった

こんな風に、『何を苦労』として捉えるかで『悩みを抱えない人』はしわ寄せがない

しわよせとは

あることの結果生じた無理や矛盾を、他の部分に押しつけること。また、その押しつけられた無理や矛盾

キャラクター人形が欲しい=願望
嫌いなソーセージ=問題

ここには『無理も矛盾も無い』から『悩み』なんてないから『苦労』もない
苦あれば楽あり、楽あれば苦あり

しかし、『悩みを抱える人』はこの『問題からさけて願望を求める』
いかにして・・なんとかしして・・無理やり・・

そして『思考』して『眉間にしわ寄せ』を感じて『苦労する=苦を労する原因』
苦い時も苦しい時も悩みと同じように『眉間にしわ寄せ』がくる

『悩みが無いように見える人』は『願望を達成する為の苦労』を『問題』として受け止めない
『重荷として背負わない』から、『身軽』に動け、身軽だから『風=変化』を感じやすい

ここでおもしろい『体現テクニック』を例に説明すると

赤ん坊を笑わせる時は、『鼻に息(風)』を吹きかければいい
『条件反射』で眉が上がって『目が開いて口が開いて阿保面』になる

それを見て愛らしくて面白くて『仕掛けた方が笑って』しまい
その『笑顔を見て赤ん坊はつられて笑顔』になって笑う

『笑わせよう』とした方が逆に『笑わせられる』幸せな空間

眉間

そのくらい眉間に『力を集める』か『解放』するかで『表情は変わる』ように、『思考』と『閃き』は『エネルギーの使い所』が違う

もうひとつ言えば・・

他人からの『振動』か?自分からの『発振』か?

眉間にしわが寄る大きな原因として、『周りからの情報』を素直に受け入れられない時。つまりは『拒絶』、あるいは対応をどうしようかと、左右の脳から『情報』を引っ張り出す

一方で自分が「これだ!」と思い立って『意欲が湧き出た』時、人の目は大きく見開き、『まだそこにはない理想』を語る。まるで、目の前に『目的の場所や物事がある』かのように『理想VISION』を伝えようとする時

その目は『目先の現実ではない空間』にピントがあってる

『眉間』が左右の脳の思考の末に真ん中に映し出された『目先の現実思考シミュレーション』の『仮想空間』なら、目を見開き脳は使わず自然の状態で、遠くの空間に自分で『発信しているのが閃きの光=先見の明=光の投影』

誰かの情報=『他者の振動エネルギー』を映し出して『見せられる目先のVISION』
自分から『発振するエネルギー』が投影する『観たい遠くのVISION』

眉間には何がある?=『松果体・第三の目・第六チャクラ』

眉間を動かすと『眼球』が動かされ、眼球が動くと『左右の脳』が揺さぶられる
『振動による刺激』は『電気信号』として届き『反応』が来る

例えば、『恐怖や嘘』がバレるなど、不安を抱えたりすると『目が泳ぐ』
目は何かしらの『エネルギーを観測』して動いた振動は『脳に影響』を与える

結果、『恐怖や不安のVISION』を映像記憶として『目先の思考シミュレーション』に映し出す

『目に焼き付く』という言葉がある通り、『刺激的な体験や経験を目の当たり』にすると、その映像が『視界に再現』されると、『脳の記憶』が引き出される=フラッシュバック

『心地よい刺激の体験』だったら、それは『安堵やノスタルジー(懐かしい)』を感じるだろうが、『恐怖や不安の刺激体験』だったら、それは『トラウマとして再発』するだろう

『目は口ほどに物を言う』とは、『目で見た情報』を『脳』に伝え、『記憶』から『判断や情報処理』されて『口』が『言葉』として出る。つまり、口を開かずとも『目に映った瞬間』に、その物質の放つ『振動エネルギーの影響』を受ける

極端な例でいえば、『うんことカレー』

同一ではないが、『色と臭い』という『記憶』は『脳から物質的判断』が行われる

『カレー』と思えば『食べた後の味』という『先見のVISION』を観て『食欲がわく』が
『うんこ』と思うと途端にそれは「食べ物ではない!」と『嫌悪の記憶で眉間』にしわが寄る

これが何事に対しても楽あれば苦あり、苦あれば楽あり
どっちかな?と『眉間にしわ寄せ』して判断に『苦しむ』ならば『苦を労』するが

左右の脳の記憶の『判断』がなければ、それは『うんこでありカレー』という『判断』するまで『両方がひとつ』になった量子的な『可能性の物質エネルギー』

それは「うんこ?かカレー?」か『どっちでもいい』が、『食べるならば』と色々と『試して決めれば』いいだろ?と『悩まない』

これが眉間にしわ寄せない=悩みを持たない=『願望と問題は別』にしている

うんこなら『しかるべき対応=処理』をすればいい=願望
カレーなら『食べたい』=願望

このしかるべき対応=『過程を怠る』から『苦労』するし、怠る=『怠慢』と『難しく考える』から『気苦労』する

結果、『無理に思考』すれば『しわ寄せ』が起きる

思わず考えず『感じる』
そこには『流れ=エネルギー』がある

『脳の記憶のメモリー』には『収まりきらないエネルギーの流れ』を感じれば、左右の脳を『引き寄せ』して『眉間にしわ寄せ』しないで、『阿保面で全開放』している方が『閃く』

『空』を眺めて( ゚ ρ ゚ )ボー(望・忘・房)っとしている時は無意識に『開眼』して『雲』と繋がっている

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

・・そうか、この( ゚ ρ ゚ )ボーっとする『体験が直近であった』のは、最近の自分は『眉間にしわ寄せ』してないのに『閃きが起きまくる理由』に気づく為だったんだ

これは『誰でもできる事』ですね

『眉間にしわを寄せるのを止める』のではなく、物事は悩まずに、『問題』と『願望』に切り離して、今はまだ『目の前にない』けど、『遠くに映る先見の願望に焦点を合わせて』向かって進めば

『問題』とは、『そこに向かうために踏みしめていくただの道』であり、それに『没頭して夢中』な時は、目は見開いて『開眼』している

『外の目=物質』が開くという事は、当然『中の目=精神・松果体も開く』に繋がると思います

現に私の独自体験で言えば、『世の中の闇・陰謀』を追っていた時は、『眉間にしわ寄せが多かった』気がしますが・・

認知が変わる 天の羽衣と断捨離

陰謀論者を嘲笑う映画 終わらない週末

『そんな現実に囚われていた自分』から意識が離れたら、閃きのシンクロニシティの連発で、モチベーションが爆上がりで、眉間にしわ寄せが無くなりましたからね

モチベーションとシンクロニシティ

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top