好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

文武両道の真意に気づく

文字はやはりシンボリズム(承継・象形)から生まれている。現代の定着した意味からは絶対に誰も気づかない『文武両道』は『同一』であり『ペンは剣より強し』は『邪悪』であると『ユパ様』を見れば瞬間で理解できるお話

文武両道とは

文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、優れていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。変わって、現代では勉学と運動スポーツの両面に優れた人物に対しても用いられる

文武両道はそういう意味として定着しているが、それはその『立場の中での話』

今回は寝起きに見えたvison、『文』はこれだった

刀

交差するつばぜり合いの剣と剣を『上から抑える』=文
『戦』の『中に入って止める』=武

つまりは文と武は両方『戦を止める道』である

私が文武両道に『直感的』に感じたのは、双方が抜いた剣を収めさせる『説法』的な使い方

言葉の意味は文も武も両方とも『役立てるもの』ではあるが、使い方次第で『害を与える』こともある。『言葉は真剣と同じと心得よ』ということ

それが『文』という文字を使う事

『大いなる力』には『大いなる責任』が宿る
言葉は言霊、『発音(生・動)』を『文字(精・道)』に変える

文も武も同じ
使い方を間違えるなよ?

『道具』は『人の使い様』

との事でした( ´-ω-)σ( ˙꒳​˙ )ヘイ

その悪い例も来てました

ペンは剣より強し(謀略)

ペンは剣より強し!!(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)それか!!

言論の力は武力よりも人々の心に訴える力が強い。

イギリスの作家エドワード・ブルワー・リットンが1839年に発表した歴史劇「リシュリューあるいは謀略(Richelieu; Or the Conspiracy)」に「The pen is mightier than the sword」が出てくるとのことです

『リットン調査団』のおめーが言うんかい!(っ・д・)≡⊃)3゚)∵

満州事変の実情把握のため、1932年3~6月、国際連盟から派遣された調査団。 10月に公表された調査結果は国際連盟臨時総会で満州事変の調査にあたったリットン調査団の報告書が審議され、その審議内容は日本に不利なもので、日本の侵略行為と認定

翌33年2月、その調査結果が国際連盟で採決されると、日本は国際連盟を脱退した

こうして、日本という国の立場が世界で悪い方向へと変えられた訳で、その約10年後後に計画的に第二次世界大戦へと扇動されていく

つまりは『片方に大きな利益をもたらす為の文』を書くという『ペンで謀略』をしていたという事

またこれが『計画』だとしたらそれでは終わらないだろう

当時すでに日本は,満州でのさまざまな有利な権利を持っていましたが,さらに満州での権利を拡大したかった軍部は,外交政策で進めようとする日本政府と対立してしまいます。

はい、『軍部=武の暴走』で、『文との対立』が起きていたという事を考えると…当時の神道への強引一本化や民間の童謡の歌詞すら軍歌に変える大日本帝国という軍部には『戦争へと向かう鷹派=外国のスパイ』が既に紛れ込んでいたと考えられますね

夢で聞いた計画法が実在していた話

それ以前から坂本龍馬、西郷隆盛、その他、『明治維新の立役者』はみんな『謎の暗殺』で死んだ事になってますが、現代で言うマスコミや医者が『死亡認定というペンでカルテ』を書いて文にすれば『生きていようと死人と視認』できる『カルテル』が成立

複数の企業が連絡を取り合い、本来、各企業がそれぞれ決めるべき商品の価格や生産数量などを共同で取り決める行為を「カルテル」といいます

その当時から『思い込ませたら勝ちの認知戦の謀略』はあったんでしょうね

戦争が起きる時、政治のルール、医療のルール、様々な界隈の重要人物が、なぜか消えて、変な後釜が出てきて、急に変わるんですよ(今回のコロナ騒動もそのバターン)

もしかして、それを『グレートリセット』なんていう『中二病かよ?』ってレベルの『必殺技名』つけて、ただ強引に『ちゃぶ台返ししてなかった事にする』という

そんな子供じみたルール違反を繰り返すSDGsは・・審判が見てないタイミングで反則するようなもの、バレなければイカさましても問題ないとズルするようなもの

そう考えると『文武両道』の両方を見抜く『審神者がいない時代』だったのかな?だからそういう『時期』を見越して『イベント』が行われたのかな

審判のいないプロレスだね(八百長可能)

現代でもそうだよね

戦争反対!やめろ!やりたがってる奴らは誰だ?それに加担している奴らは誰だ?と、絞り込んで『世界中が監視』すれば悪さは出来ないし『悪さに加担する奴』も『身動き取れなくなる抑止力』になる

でもその『監視の力』は真逆に、政府にとって都合が悪い=謀略を計画として見抜いている審神者の出現を恐れて見張り、社会から切り離す為に機能している。個人情報の収集は、いざとなった時に『資産没収という権限を振りかざす為』のものである

善悪はどちらも『監視』という手段を求める『大人(役割)の派閥争い』

いつの時代もそう

ルソーも言っていた

子供に悪い事を吹き込む大人の悪徳のない世界では、自然の状態において人は平和であり、闘争状態は存在しない。誰かが『悪い見本』となってしまうのが問題

文が『審判』ならば、その立場を利用して片側に加担するのは『又』
『文』を『邪に悪用』すれば右と左の馬鹿をぶつけて『漁夫の利』も得られる

争うように『そそのかして』戦わせて傷ついた所で『両方総取り』

『又』という『形』、意味は『間接』である
つまり『間接』的に『勝たん』とするほうに『加担』してカタン!と傾かせる事ができる立場

「また」だよ・・歴史は繰り返す┐(´д`)┌ヤレヤレ

ちゃんと監視がないと、結託して『又』かよ・・とプロレスを繰り返す。今のイスラエルの問題も『ネタニエフ(軍事政権)になると起きるテロと軍国化』の法則(昔から同じ)

あとは、マスコミ(文)が武=『戦場で止める』になるかどうかだけど、そいつらはジャーナリズム(中立)なんてない、マスコミの振りした『又=間接的に加担』だから繰り返す

そもそも、戦争がある=『戦争ジャーナリストが脚光を浴びる』。誰も現地入りできない『独裁的な情報の場』だから『都合の悪い真実を伝える気はない』だろう

だから『審神者』として世の中の左右が『又』結託して『間接的』『都合のいい文書』書いてるか?それによって起きる『邪な漁夫の利』を見抜く必要がある

『文』きっかけで『武が衝突』『文』を持って『武を平定』するもできるが、どちらも磨いて極めれば『試し斬り』したくなるよな?

『武』だったら『競争・戦争』
『文』だったら『人心掌握』

『文武両道』なんだよ(欲も悪くも)

言葉は人を『傷つける事』も『癒す事』もできる
私の声(文=戦を止める)は届く範囲にしか届かない

そんな文武両道を『見極める』のに必須なのが『分』を弁える事

分を弁える

分をわきまえるとは、自分の地位や身の程をよく知り、出すぎたことをしないようにすることなどを意味する表現。

違う(ヾノ・∀・` ) Σ(゚д゚;)

『分を弁えない』という言葉の意味をみたらわかる

とうざい【東西】 を=弁(わきま)えず[=知(し)らず・分(わ)かず・存(ぞん)ぜず] どちらが東でどちらが西かもわからない。 まったく物事をわきまえる能力がない。 分別がない

なんで『弁える』と『弁えない』で、こんなにも『意味』が違うのか?それはどちらかが『邪な謀略を実行するために書き換えられた痕跡』である

『方角や物事を見抜く能力がない』という捉え方なので、『身分=地位』とかでは無い

また弁える=『弁が立つ』である

弁舌がうまい。 演説や話し方がうまい。 雄弁である

つまりは『双方』を見抜いてズバリ『言い分ける事が上手い裁定者』という事

分=両者の『言い分』を聞き分け「それぞれの分を弁えよ!」と落とし所へと『平定』する

抜いた刀を鞘に納めさせる文を弁えた『弁が立つ存在』
戦に入って止める=武を弁え『雄弁に語る存在』

武は『武器を振り回す暴君』では無い(新たな争いを産む)
『人を殺す為に生まれた武術』もまた武では無い(新たな争いを産む)

『争わない心=平定する』それが『文武両道』の本懐

現代の文武両道は『意図的に競わせ、磨かせ』そしてそれに『地位と権力』を結びつけて、『力を持った者同士』『極めた者同士』『対立して争う構図』『結託して弱者を支配』になるように、『謀略のペン』によって意味を変えられ

そして『計画的に戦争』が起きて、『傷ついた所』『漁夫の利の介入=外資投入、権利獲得』が起きる

…という邪なエネルギーの流れに『加担しない』

それが『分(文と武は諸刃の剣)を弁える=知恵を持つ』という事

見ろ?くだらない文(マスコミ・SNS)で踊らされて『印象操作の認知戦の争い』に巻き込まれて、『今ある物事の方向性』すら見失って『武に巻き込まれて右往左往する様』

『与えられた情報(意味)を鵜呑み』にして『自分で考えない奴』は、普段は別として『有事の際に莫迦のひとつ覚えでそれを実行』してしまう

『溺れる藁』とも知らずに『握りしめる』

『文』という『カタチに意味が無い』と思うなら、『現代のロゴ』全てに『思想や目的がない』事になる。こんなにあから様なのに

月の裏に何を隠した?文化庁のロゴの思想

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トランスヒューマンのロゴに隠されたキングコブラ発見

『武』という組み合わせに『意味がない』と言うのなら、一体『何の為に鍛錬』して『力を磨いたのか』すら『理由がない』事になる

何事にも『存在する分』がある

その『分を弁えて言い分ける』という事は、それを裁定する『審神者という平定者』がいる

それを踏まえて『文武両道』を考えよう

結局、文武両道の元の意味はみんな『日本人が考えた』と思っているけど、その考え方も『遥か大陸を渡って来た伝来の故事』からだと思うと…

『争いを誘発』させたい『西側の価値観』が強く
『争いを止める』という『東側の倲治観』が薄い

負けるが勝ちの真意に気づく

地位や名誉の『表面的な教育』に貶められているけれど、真は人として、『人の世に渦巻く二元性』を把握し、『争いにならない』ように、争う両者の『分を弁えて平定』するよう『雄弁』に立ち振る舞いなさい

どっちかに『加担』して『太刀』振り舞っちゃダメ(辻斬り・裏切り)
それは質が悪い『邪悪な漁夫の利』

さてさて、そんな感じで、私は『人としての分を弁える文武両道』が正しいと感じますが…こんな世の中になる原因が『現代的な格差を誘発させる競争や争い』『人を傷つける為に磨いた文武両道』における

『言論封殺』と『一方的な命令の文』
『兵器産業』の『一方的な武力弾圧』

そんな『両道を満たせる』のは誰でしょう?
『権力一極集中』の『世界統一謀略(グローバリズム)』でしょ?

その『真逆』がそれぞれの『分(ナショナリズム)を弁えた平定』『世界統合』でしょ?

『言葉の認知』から全てが始まっている
その言葉の意味を『間違えて盲信する』から

『分を弁えなく』なっていく(境界線が曖昧・境界紛争・結界戦線)

武は争う道具では無い
戦を止めるという『平定の意志』

交差する剣を上から平定する=『文』
戦に入って中から止める『武』

これらは『両方同じ道』である

それを踏まえてナウシカの『ユパ様のモーション』を見てみよう

中に入って双方止める(武)

文武両道

割って入って両方止める

文武両道

『ユパ=文武両道』を体現している…

ユパを言霊で読めば
湧き出て勢いよく引き合う

まさに『争いある所』『神出鬼没』

ユパとは何者か?

風の谷の族長でナウシカの父ジルの旧友で、ナウシカの師でもある腐海辺境一の剣士である。 腐海辺境一と賞される剣豪ながら、争いを好まない人格者で人望も厚く、風の谷では「子供の名付け親」になっている。 腐海の謎を解くためトリウマのカイやクイとともに旅を続けており、各国の文化や歴史にも造詣が深い

子供の名付け親=役目を与える者
ナウシカ の言霊は『核から生まれた示し』の力

まさに風の谷(放射能耐性)の姫

うーん(´・ω・`)今日の哲学の先生は…ナウシカファンだったのか?

ユバ(っ・д・)≡⊃)3゚)∵

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