好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

霊迎雀宿 第十夜 倒れるまで道無き未知のタオの道楽と禁と恕

人生は倒れるまで道無き未知のタオだと禁(とどめる)恕(ゆるす)、その道楽精神を持てばいいと教わった話

禁と恕

いいか?差取りの悟りは52がある
士道に4つの教えがある
指導を受けるものには44があって
それを広げるものには48がある

では武士道とは何だ?
( ´∀`)σʅ(´⊙ω⊙`)ʃ

今回の霊人は数字の謎謎を投げかけてきた
とはいえ、これも私の中の『知恵の応用』なので

差取りの52とは『コツ』
差を取る=格差を見極め『バランス調整』

そりゃちょっとしたコツが必要で
『力の伝達』における安定の土台は『骨』であり

痛い思いをして身につけるから『骨身に染みる』
肉に頼らず『筋』を使う『コツ(骨)』を掴む奴は『筋(力の使い方)』が良い

コツ(骨)を掴む奴は筋が良い 先人の知恵の言葉

これはもうわかってる( ˙³˙ )

士道の4=つかさどる道
死・師・子・志
死を持って莫迦は治る
師となって子の道を正す
子となって師の道を歩く
志(覚悟)を持って生きる

『士道の指導』を受けて始動する時、その『不退転の覚悟を持った志士』となる

その志士が『4の教え』を伝えて『視野』が広がり、その視野を広げるのが『48の言葉を駆使した言霊』であり!その言霊によって『霊人を宿す』

では武士道とは何だ?
( ´∀`)σ ( ⊙ω⊙ )

武士道とは不死道だ

武とは『戦の中』に入って『止』める
それは『死ぬ事を覚悟』していて、最初から『覚悟して生まれて』いる

それは『1回の人生』から見ればなんて『無駄で儚い花火』のような人生か…と思うかもしれないが、その1回の人生は『1つの宿敵を倒す事』にある

それ以外には『目的』が無いんだ

どうして人は『人生』に迷い『生まれた意味・忌み』を忘れると思う?それはその『宿敵の1』が『皆苦』にした『格差の争い』の耐えない世界

『一切皆苦』で『生病老子=自然の法則』が『性病労使=不自然な認知の書き換え・精神病』に変わった世界の『皆苦側』に生まれ落ちる

『周りの9が当たり前』に見えるが、その世間体は『一の白』について歩く『百鬼=傀儡』の中に作られた『シンプル=シミュレーション・ピープル』の『中身』のない『普通という常識』

simpleに隠されたシムピープル洗脳プログラム

その『白に比べる=皆』の苦しみから出れば、それは『魑魅魍魎の百鬼夜行』だと気づき、それと『対峙して退治』しなければいけないのか…と『数の多さに絶望』を感じるかもしれない

だが違う!(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)

百は『一白』で『ひとつの位置』とするなら百の鬼は百鬼=もぎ=『模擬』
『仮想シミュレーション』でありデモンストレーションは『鬼・仮想の憂さ晴らし』

『一白』が『傀儡』を引き連れていて『傀儡』がその後ろの『魑魅魍魎』に憂さ晴らし。それが『皆が苦しむ原因』でその『格差の始まりのカースト』が問題だが

これらは単純に『一白』と『百』の状態を切り離せば、ただの『鵜呑み』にして着いてきた『烏合の集』は『空中分解』する=空(有無)の中分かれて解ける

そもそも百鬼=模擬の時点で『模倣した疑い=これでいいのか?』と疑心暗鬼(笑)

『とりあえずついて行く』だけの奴らは、『前に習え』と『白の羽』ばかり見て合わせて『習合』している。答えに『応え合わせ』して「道は間違ってない!」と良いながらも…疑心暗鬼(笑)

そりゃそうだ『白に比べて=皆に応え合わせ』してる時点で、『一白の思惑通り』に皆が『疑心暗鬼の大行列』

比肩随踵

そんな『一白という扇動者』に引っかかって『莫迦のひとつ覚えの権力・格差カースト』を『正しいと思う烏合の集』は、そこから『離される=社会的な死=常識外れ』を越えなければ治らない

そしてその大行列から離れたら

「やっと目を覚ましたかい?」

と『前前前世から探してた先祖の霊』が宿り、『過去と今と未来』が繋がって『常世』を超えて

過去からletterが届いて始mail未来そして繋がっtell今

『士道の指導』を受け『始動』して『志士』となって『視野』を広める言葉を産む

白龍の導き 夢中=師合わせ 現実=自我の息抜きと実感

そして何が『大切』か
何を『判断』して『決断』するか
一切の『一』と『七刀』を備えた覚悟

武士道とはその『戦を止める為』に『何度も死んでは覚悟を持って甦る』生き方

更生=道を正して更に生きる

百鬼夜行の『一白』を切れば『百鬼』の幻想は消える
模した疑いの鬼=『仮面の夜行行列』の祭は終わる

一=minus=『最小の自分達』を『ゼロ・霊・例』にして、そこに『ケジメ』をつける

その『1を0』にする為に『無限の終わらない旅』を続ける『不退転の覚悟』を持つ生き方になると…『1回の人生』において『決まった道』はない

「道が無いのが道、それがタオ」 by老子

『己の宿敵』を討ち取り、『差取り』で『和』が生まれ『役割』がなくなり『倒れるまでがタオ』だ

倒れる=人に至る刀
『他』折れるまでは『未知』

自他=1と9=A(1)I(9)
『我が無くなる』と『元に戻る』のは『愛』か『AI(システム)』か

『魂(役目)』を持つものは『愛』を感じ『愛』を広げる

96=%に4で100になる

96=%(可能性)の向こう側

魂無きもの、『模倣』して「これでいいのかな?」と『疑心暗鬼』の状態は『96→%』だから4=師・志・死を導く『白』に比べる『皆の顔色』を伺いながら、上司・教師・縦社会の『権力カーストの上のいう事は絶対』という『命令に従い苦しむ』

百鬼夜行のリーダーの『一を切る』
『大切』は『一人切』の事を言う

『大人』になるとは『人一人』
『自我が霊に戻る』からどんな『役目=例=生き様』もこなせる

集合とは習合であり『衆業』
『衆生の業』という『大きな群れ』によって生まれる

一人で『修業』して『修めないと業が終わらない』が…『皆の中』にいると『業が増えて苦しい』訳だ

人生の履修科目は離衆寡黙にこなせ

だから『大切な決断』とは『大(群れ)』を『切る』

大切=一人七刀
皆一(min us=最小の自分達)人
それを切る『七星刀』

唯一無二は『北極星』
その守護は『北斗七星』
善悪には『七つの役割』がある
しつせいと書いて執政=政務をとること。その人。特に老中。家老

『大』は『小』を兼ねる

これは『木を隠すなら森』のように『百』は『一』を隠している
その『一・位置』を切り離せば『白』あるいは『森→林』が出てくる
林にいると示せば『禁』、それを切り離す『断』

大切=一人七刀=林を示す禁断=竹林の七賢

白龍の導き 満月とセブンスターと竹林の七賢から北斗七星へ

こういう『視野』が無いと武士道=『不死道』は勤まらない。時代時代に『違う表現』に変えられてしまい、木を隠すなら森の『木が擬態』してしまう

コロナが新型コロナ(変異株名)に
キエフがキーウに

改名して『名を変える』と『体が繋がらなくなる』ので、甦っても『目的の目印』が変わってしまう。『癌細胞』を見つけても『転移して擬態』されたら分からないように

『百鬼夜行』が『起きてから』では遅い
『一白』が『群れ』を作るために『扇動』を始める時

新たな『ビジネス』
新たな『ルール』
新たな『宗教』が生まれる

『生まれる』という事は『断末魔』でもあり、『追い込まれている』から『新しい環境に転移して擬態』しようとしている

その『一白』と向き合う時に『覚悟』ができてないといけないのは、それは

「かつてのお前だ」と言うこと

( ´∀`)σΣ(゚д゚;)前も言われた

追い詰めた時、『トドメ』をさせるのか?
ここであったが『百念目=一白今の心を観る』

それを『ゆるせる』のか?

( ´∀`)σΣ(゚д゚;)え?トドメじゃない?

トドメは『絶命させる事』ではなく
『息の根を止める事』でもない

トドメは『禁(とどめる)事』

さしとめる。とどめる。やめさせる。行動を自由にさせない

それはつまり『恕(ゆるす)』という事だ

( ´∀`)σΣ(゚д゚;)初めて聞いた!

「恕」とは「思いやり」ということですが,「仁」との関係で言えば,「恕」は「仁」を一歩進めて「許 す」という意味を内包しています。

恕恕

人の身の上や心情についての察し。 同情すること。 また、その気持

お前が『宿敵』として向き合う『扇動者の一白』とは、『過去にお前が分離した役割』のひとつ。そいつと『向き合い』、そいつの『存在意義と役目』と『背負った業への理解』をして恕

如来の心

『怒』れば『又』繰り返しだ(  ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし

『倒す事、倒して倒れる事=自滅』ばっかり考えてる『不死道』はねぇ…まだ『道の上』だから『同情』はできんな┐(´д`)┌自業自得の因果応報

『道無き所』に『未知の道』がある!それが『タオ』ってもんよ

( ´∀`)σ人生楽しめ( ⊙ω⊙ )『道楽』?

…今回の霊人はタオについてもそうだけど、

まさか

トドメ→禁=とどめる
ゆるす→恕=心情お察しする思いやり

『知らない昔の文字の捉え方』を『手土産』に教えてくれた感じですね

そうか

ここであったが百念目!トドメを刺す×
ここで禁にして恕(ゆるす)

禁=林を示す
木を隠すなら森だから

その木をとっぱらって『隠れた木』を見つけたら『林』
『あそこ隠れてるから』と示す、かつてそこにいたと『事例』を示す

それは『警戒』、そして『禁忌』にすると、そこに隠れているのは『己の心』
かつて『禁じられた遊び』をした『己の心』を禁じている『禁断の森』

『失楽園』、もしくは『エデン』
あるいは逆の立場なら『竹林の七賢』
『禁忌』に触れてはいけない

カタカムナ42首 歴と暦

しかしこれは『過去の過ち』と『分離の状態』であり、それを『逃げ場なく』追い込んだら、『向き合って恕(ゆるす)心構え』がないと

『禁断』はいつまでも『禁断』として『分離』されたまま『元』に戻れない

『十分』から『一切』離して皆苦しみ

なぜ人は『宇宙』を追う?
なぜ人は『神』を追う?
なぜ人は『科学を進歩』させる?

100→96→『%の可能性』から切り離された『概念=4』を追う『探求・研究は9』の『皆無いものねだりの苦しみ』

禁事を知らない=『足る』を知らない
恕事を覚えない=『差取り和を足す思いやり』を覚えない

…と考えた時

『一白』が『百鬼の傀儡』を連れて『夜行する気持ち』がわかるだろう

『聞く耳』持たないで『好き勝手』やって『周りに迷惑をかける莫迦』には、『ハエ取り紙のような先導者』の『陽動』が必要なんだよ

『欲に飛びつく莫迦や馬鹿』に巻き込まれないように、『正直者』は『広い視野』でよく奴らを見ていろ

それは『俺=一白』の『傀儡の鬼』だから、いちいち相手にすんな、『俺=船頭を見て扇動から離れろ』

禁恕忌
とどめてゆるすは『己の心』
悪いものを『連れて行く役目』

さながら『キリストの弟子の12人』は『犯罪者』であり、『心を入れ替えた』かと思えば最後は『キリストを裏切る』という本性すら垣間見えるただの傀儡

その『小物の傀儡』が『真似事で開いた宗教』が『多くの人生を狂わせ始めた』のなら

『一白』の『キリスト意識』が宿れば

『偽物』にはついて行かないが…その『模倣の流れ』を生み出してしまったのは『かつてのキリスト』であり、結果、『人を先導していく事』は『人の為にならない』のだと『己の心』に『かつての過ち』を『禁じて恕す』

そんな時代(役目)もあったよねと、今は『笑える』気がするわ(*゚∀゚)アヒャヒャ Σ(゚д゚;)

そんな『何代目キリスト』か分からないけど、『ケジメをつけて切り捨て論』としてはとても『納悳の行く話』でしたとさ

『自由意志』は存在しない
『口封じされた人=囚』のままではね

だから『束縛から解放』された『例(生き様)の霊』が宿れば、もはや『誤魔化しの口封じ』など効かない

『そこには無い』を『生み出す』
『道無き未知』を生み出すのが『タオ』

(*゚∀゚)アヒャヒャΣ(゚д゚;)

…そういや『老子』も入ってたな

結局、『自然体』に向かえば向かうほど、『役割』の『割り』が無くなって、それぞれ『自』が『分』かれて『役』を『演じて』いたのだと、核融合していくと、意識が達観していく・・

つまりは、『陽動の天邪鬼』という役割が『一白』なんだと書いて事を思い出す(やっぱり直観が先で理解は後からなんだな)

天邪鬼の回路を恩にして見たら…

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