音読みと訓読み、ひとつの漢字に2つ以上のよみ方と意味、もしかして…日本発祥の字も侵されたのか?と読み解いたら和国と大和が、日本人は誇りを取り戻せ
寝起き閃キーワード 音読みと訓読み
( ˙꒳˙ )?オンヨミ、クンヨミ
どうしてひとつの漢字には、2つ以上の読み方が存在するのか?また当て字というどちらの読みにも当てはまらないものもあるのか?
教育ではその理由は語られない
そう言う物だからそう覚えろと言われる
私は小学生の時、その疑問を先生に伝えた時…
「お前はそう言う必要ない事ばっかり気にしてるからテストの点が低いんだよ!」
と、クラスのムードメーカーだっただけに、お前はしょうがない奴だね〜と先生にいじられて流されていたけど
今思えば、そう言う学問への子供の素直な疑問に大人が答える気がなくても教育=先生が作るテストのための詰め込みは可能だった
教育とはその程度の事だったのだ
私は過去にずっと不思議に思う事があった。これは私だけじゃなくて、一定の日本人に同じように起きていた現象。それは、漢字は書けないけど何故か雰囲気やニュアンスで読める謎
なんで書けと言われて書けないのに、読めはするのか??特殊能力なのか?と漢字にずっと素朴な疑問を抱えて来たのを忘れていたのは…
もう現代の日本人の多くは学生以外は紙とペンで文字を書く機会がほとんどなくなり画面上でローマ字を打つと予測変換で漢字が出てくるから
と、
( ˙꒳˙ )オンヨミ?クンヨミ?のフラッシュバックの回想シーンで私の中の私が教えてくれたんだけど
今回はその謎じゃなくて
音読みと訓読み、ひとつの漢字に複数の読みがある理由、またそれはどちらが先なのか?個人的に感じた事と歴史や教育側がどういう一般認知を広めようとしているのか?
直感と事実を比較考察してみようと思う
音読みと訓読みのルーツ
音読みとは
音読みおんよみ 日本における漢字の読み方の一つ。 その漢字に結びついた中国語の発音を取入れたもの。 その取入れ対象となる中国語の時代と地域の違いに応じて,呉音,漢音,唐音,宋音などと呼ばれる。
音読みと訓読みの違い
訓読みは、その漢字の持つ意味を日本語に翻訳したところから生まれた読み方です。 … これは、中国語では漢字1文字が必ず1音節で発音されることの名残です。
「訓」の訓読みは「よむ」であり、詳しくは「ときほぐしてよむ」こと、つまり漢字の意味を優しく解説したり言い換えたりすることを意味する。日本ではもっぱら漢字を日本語に固有の大和言葉(和語)に翻訳することを意味した。 このため、和訓(わくん)とも呼ばれた。
送り仮名があるのも訓読み。
やはり、漢字は中国から入って来て日本はそれを学んだのだ!という主張になっているが・・ここまでの違和感は、最初から日本にあった文字であり、共通で使われている物に大して、後から音読みが浸透してきたという意味に思えてくる
偽物に盗作の続きは創れないように
理解無くして発展なし
先に日本に漢字というシンボル化した文字が存在したからこそ、訓読み+送り仮名などより細かい表現をできる言葉使いを開発したと思わないのだろうか?
中国が先に漢字があったのだとしたら、何故送り仮名や漢字以外の文字が生まれないのか?発展しないのか?その発想がないのか?
それは起源を主張するだけで、実際のオリジナルが違うからである( ˇωˇ )という仮説
という訳で私の直感は、学説全否定からスタートしていきます(笑)
こういう時に役に立つ言霊読み
カタカムナで読み解く音読みと訓読み
私は言葉は人の思いを込めて生まれたと考えた時にその言霊に込められたロジックを読み解くのにカタカムナを使ってます
今回もそれに当てはめると面白い事が分かります
山
音 サン→強い遮り
訓 やま→飽和した受容
考察
うん、どっちも言葉の意図は伝わるけど、意味としては障害物という表面の見え方と内側から力が集まって飽和して隆起した本質的なエネルギーの受皿(反対から)の場所を意味する伝え方
川
音 セン→強く引き受ける
訓 かわ→力の調和
考察
これもどちらも意味は通るけど、元々が形のないもの、状態が変わるものだから、見た目の流れという意味ではあっているけど、せんは流れをせき止めるという意味で、栓もあるために単体での表現は理解しにくい
一方で流れが穏やかな印象の調和が含まれるために様々な力が形を変えながら本質的にバランスを保っているようにも感じる場所を意味する伝え方
海
音 カイ→力の伝わり
訓 うみ→生まれる実態
考察
波による力の伝わり、波の音、やはりカイだと表面的な力の表現だが、うみだと、母なる海という別言葉や意味ともリンクし生命、そこから始まるルーツ、産み、生みの本質の実態の場所も意味する
空
音 クウ→引きよって生まれる
訓 そら→外れた場
考察
くうだと何かのエネルギーが引きよって生まれるというカタチがない表面的な状態。そらだと何か(束縛・法則・基本)から本質的に外れた空間を意味する
はい、もう決着着きましたね
訓読みこそが日本人の和の心を言霊にしてる
和の心と言えば、先日の月の輪熊も、和熊であるという事と、その生態の分布が、ツクヨミ・スサノオ(土着の縄文と古代ユダヤ)の勢力が大陸系天照(起源を主張してくる)を押し返した領域と一致します
つまり発祥は和国だった(西側の倭国ではない)
東の和国語(出雲)が訓読みだったんだ
と考えた時に、カタカナは?と思ったら、そうヘブライ語由来というのが東北由来で考えると、浸透したのがわかる
これは仮の読みとして片仮名(カタカナ)
日本語を理解していくために現地の古代ユダヤ人達が解釈するために生み出し、また共に過ごした和国の人もそれを学んだから共用語として広く使われるようになり、そして和国語(訓読み)をさらに発展させたのが、送り仮名という表現だが
では平仮名とは何か?
それは古代ユダヤ経由のヘブライから変換したカタカナと和国が生み出した文字を崩して生まれた文字
共用語として平和の証 それが、平仮名
…うーん( ˙꒳˙ )綺麗にまとまったけど、ほんと仮名(かな)?(笑)カタカムナの言霊ロジックで読んでみよう
ひらがな
根源の場の内なる力の核
おお、これだ!(๑•̀ㅂ•́)و✧日本人よ、ひらがなを誇りに思え
大人から子供まで分け隔てなく読めて角が立たないカタチで意味が通じる和平の言葉
和国・和国字
調和が転がり入って引き寄る・内なる示し
漢字と呼ばれるのは元々は和国字として生まれ、訓読みが始まりであり、そこに外来のヘブライ語が融合し、カタカナが生まれた。その形状が崩し文字の平仮名を産み、組み合わせて送り仮名という表現も生まれた
と解釈すれば、とても納得できる理由がある
というのも隠された日本の歴史を読みといて行った際に、識者から教えて頂いたのは、かつて越の国と呼ばれる古代王朝が佐渡ヶ島の対岸にあったのだけど…それよりも前に日本最大の人口をほこり、外国に対して広く窓口を開いた交易をしていた国があったという話が出てきた
そうなると、今の日本のルーツと呼ばれる天皇家、古事記を主張とする渡来系の天孫降臨など、西側の起源の倭国の主張を覆す、東には東独特の深い和国の歴史が存在した事になる
その時に既に和国=大和が東にあったと考える事ができるのは、月の和熊の分布にも言える。日本人にはYap遺伝子というものがあると言われるが、それを言霊読みするとおもしろい
ヤップ?
飽和し自然に集まって勢いよく増える
わいえーぴー
調和の現象の投影が短く勢いよく短く根源に
これを見た瞬間に、そう言う言霊ロジックになってるのか!と法則を読み解いて納得する私はやはり普通ではないんだろうなと思う(笑)
これは、自由を与えると人口爆発や文化発祥を自然に繰り返す民族性=本質的な復活のプログラムを意味する
十二支の最初は子(ネズミ)である
木の国・根の国と呼ばれた黄泉の世界を統治していたスサノオ
富士山の隆起と共に地上に出た出雲の国、根住みの国は東にあり
始まりの子は最後に近づくに連れ減っていくが、また新たな始まりの子でもある。根住みの民、終わりが近づいた時に縄文(自然へと)へと回帰する
まとめ 訓読みと送り仮名は和平の心意気
音読みは漢字に漢字をつけて名詞や熟語として単語として完結する言い切り系
今、ここに書いた文章の中に、どれどけ漢字の音読みと訓読みと送り仮名と平仮名とカタカナが混ざっているかを考えながら読む人はいないだろう(笑)これが言葉にロジックが隠され、高等術式でも組み上げているように人の心に訴えかける
さあ、振り返って見よう
漢字単体だけを読んで何が伝わるというのだね?(ムスカ大佐)
「〜の~に~として~する」というこの送り仮名がなければ、いつ?誰が?何を?どのようにして?どうする?の細かい表現が伝わらない
つまり送り仮名とは優しさであり、気遣いであり、気使い(エネルギーの誘導)でもある
しかし、戦前は送り仮名がカタカナが多かったのは何故か?それが和国語を外国渡来の者がコミュニケーションとして理解するために割り振り、それを日本人にも逆教育して共用していたと考えられる
これが可能なのが、東の海洋盛んな世界に窓口を開いたというかつて日本で一番人口が多く賑わっていたという都市からの流通のパターン
①和国から始まり海外に届き → 栄えてる都市があるらしいと噂が広まる
②欲しい!と逆の日本の西側に接触 → 東を攻めろと輩(宣教師=スパイ)が武器商人で近寄ってくる
ま、その前にも西の倭国って名前を主張して乗っ取ろうとしてきた邪馬台国(大和と名乗る)と言う名称も言霊読みすると
やまと
飽和した受容の統合
やまたいこく
飽和した受容が分かれて伝わって転がりいって引きよる
おわかりだろうか?
前者は完結して安定して統合している
後者は分裂して西と南に分かれる(後の歴史)
名は体を表す
その規模なんて関係ない
だから「体」を乗っ取ってしまえばいい
それが侵略であり、侵食、なりすまし、洗脳、すり替え、入れ替え、改変、数日前も話題になった熊本産が中国産でしたというような偽装は現代でも続いてる(本質が一緒)
カッコウという大陸由来の鳥ですらそんな人間性の本質を見てまねているようだ
最後に、以前見た地底世界の夢の中で、私が話す言葉は「ヤマネ」語と言われた
あの当時はカタカムナの言霊読み知らんから意味がわからなかったが
やまね
飽和した受容が充たす
充たすとは充実するという事
世界で3種類の言語を組み合わせて使いこなす民族はいない
漢字(和国語)、カタカナ(和国で生まれた国字をヘブライ語の読み)、平仮名(カタカナとの和国変換)、そしてよりディテールをキメ細やに表現できる送り仮名
音も緩急も大きさも流れも、あらゆるシーンを文章で表現できるのが日本語という言霊を使いこなす始祖(子)のルーツの証明でもあり、ひとつにまとまった充たす言語
ヤマネ語とは大和言葉なんだろう
やまと
飽和した受容が統合する
なるほどね〜( ˙꒳˙ )と納得できるのは、古事記とか文献の情報を鵜呑みにしないで隠された日本のルーツは東にあり!という、自分で調べていけばわかる事なので、この情報も鵜呑みにしないで下さいね(別次元)
あくまでも
なぜ漢字が中国が起源と主張するなら、なぜそれ以上に発展してないのか?
なぜ漢字が中国由来なら日本はその読みだけじゃなく、送り仮名による表現の自由度を生み出せたのか?
なぜ漢字が中国由来ならカタカナという新たな読み解きや平仮名が日本にあるのか?
専門家の講釈やクソみてぇな学説を抜きに普通に考えてみ?
偽物に続きは創れない それだけの話というシンプルな真理
盗人猛々しいというのなら、何の制限もないのだから、真似するなり独自に生み出して発展させるなりすればいいにも関わらず、それをやらないのはできないから
オリジナルだからこそ、生み出したものをさらに発展させて独自の進化で成長させて行ける
ガラケー(ガラパゴス携帯)もそうだが、日本は何の制限も受けなければ独自に文化を生み出して発展させる事ができる。グローバリズムが日本人の精神性(ナショナリズム)をおかしくしている事に気づくべきだろう
という、私の中では3言語を巧みに調和して使いこなす言語能力に長けている日本人はそれだけで優秀だと思うのだけどね
日本の事を学び認めたアインシュタインのように、日本という国という側の見た目ではなく、一人一人の精神が君が代の歌のようであればいいと思う
ふむ(“゚д゚)なるほど、カタカムナって人それぞれ効果が違うっていうけど、だんだん私にとってのカタカムナが発現させる能力の方向性がわかってきた気がする
前回は抗体→日本を守る存在としての豊臣だった
今回はそもそも言語という言霊の元になる文字・シンボルの解釈の認知が侵略・侵食によってすり替えられてる可能性について
そうだよね、教えられた常識が嘘だったら、どこまでも果てしなく嘘の積み重ねで成り立ってる訳だし、根本のとことんまで崩して考えないと本当の事が見えてこない
まぁ、それが当たってるかどうかは今後の研究の方向性やな( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
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