神も仏も有ったもんじゃない…?という独自に到達した真理
「神も仏も有ったもんじゃない!」
…と聞けば、『酷い救いの無い有様』を見た時に『嘆く捨て台詞』の様子が浮かぶ<(´Д`)>
しかし、今朝の感覚は…
神仏は有るので無い?
神仏有無?神仏産む?
基本的に神も仏も『偶像』に過ぎない
わかりやすいのは現在の巨大な宗教信者と教祖
教祖と言っても『開祖ではない』から
『偶像』となった『開祖を語る者』である
言うなれば教祖とは『虎の威を借る狐』である
教と言う字は『土と子』を『袈裟斬り』して『鞭で叩く』という『意味の組み合わせ』になっている事から
素直な子供の気持ちを『矯正』する
つまりは『思想で染める』を意味する訳で
教祖(人)の言う=信者の『信者』になる構図が現代も続く『宗教の実態』である
この時点でそんな『門下生』を見ている
『門前の小僧』は素直に思う(´-`)oO
神仏は『有無』ではなく『産む』のか(´・ω・`)人が言って
その有無を言わさず、素直な気持ちに『問答無用に鞭で叩いて矯正』するのか
「神も仏も有ったもんじゃない!」┐(´д`)┌
これは『宗教を盲信する人』を見て『嘆く門前の小僧』の言葉
そんな素直な子供を見つけた
門下生の教祖や幹部はこうなる
勘のいいガキは嫌いだよ
『大人』にとっては『子供』とは『無知蒙昧』
余計な知識を与えず『井の中の蛙』にしておく
『生簀の魚』のように『養殖して食い物』にする
そんなもんか
そんな門下
そんな『門から人』は出る『閃』を持って『漢』は字を伝える『門外漢』
ただ、都合のいい『偶像の存在は無い』が
その『伝説=人が云う説法の元』となった『存在は有る』
しかし『今』は無い
『過去は有った』けど無いが
その『有った』に『今心』を巡らすと
それは因果の因を支える心の『恩』となり『念』となり
その『念を押す相手』の心に触れて『想念』の世界で『開祖の気持ち』を知る
だから『盲信』しないで『想念して観念』すればいい
盲まし(めくらまし・騙す)
信=人が言う
信者=儲
盲信した信者=騙されて儲け
そりゃ、「騙された方が阿保…」って理屈もわからんでもない(笑)
『現代の教祖』の言うことを『盲信』しないで、『かつての開祖の心』を相手に
『今の心で向き合う想念』を行うと『観念』した世界で『開祖とコンタクト』する
エネルギーの領域では、『等身大』
素直な迷いない心は『カリスマ』だとわかる
カリスマ=目的の為の『能力の仮住まい』
目的は『かつての生き様』が『結果的に伝説』になって、『多くの人の流れを変える』という役目
つまり神も仏も無い所に『自ら流=龍』を生み出し、やがてそれが安定して『辰巳下がりで降り地=子育ての大蛇』となる
その大蛇が『水虎(ミトラ・水の原典・トーラ)』なら『虎の威を借る狐』が蛇=『信仰』
形はお釈迦に壊れお陀仏に崩れされども、『誇張した逸話』が盛り上げ、その『盛土の元』はなんなんだ?と『隠蔽の墓荒らしをする探求者』が『埋められた開祖』を見つけ
「なんでこんな事に・・」(´・ω・`)と『因に心』を巡らせる事で、『開祖の気持ち(恩)』を知り、それを『自己表現』で伝えようと
また『自ら龍』になり…という繰り返しの旅に、「俺も連れてけ(・∀・)人(・∀・)ナカーマ」と『かつての開祖が共』になり『元』になり…
「元はなんだっけ?σ( ̄^ ̄)?」と『今の自分』という『自我』が無くなって行き、『我』を忘れて・・ま、いいか!と『無我夢中』に『役目と感じる事』に迷いが無くなる
実はそれが『自覚なき開祖の生き様』
生きてるうちは『後に神や仏』と呼ばれる存在になる事はわかりゃしないんだよ
死後に『神格化、戒名化』
死後に『二階級特進の英霊』
死後に『評価される天才画家』
それを決めるのは『人の都合の信仰』
『生きてる内が華』と言うけど華が添えられるのは『死後の餞(華向け)』
『心底想われる事』で『復活』する、それは『それを求めた心の中』に
だから『観念』しないと、『明らか』にしないと、『言う帝=諦め』ないと
次の元=次元は始まらない
神も仏も『有った』もんじゃない!
『無い所』に産まれるもの、『今の人の心』が映し出す『投影』
『念が創造主』であり、『今の心を動かす力=念動力』でしか変えられない
故に、自分『自身』に自分『自神』が無い
「自分は駄目で、自分は弱い・・」と決めつける
=神や仏はそれを救ってくれる?
その他力本願の考えが『溺れる者は藁をもつかむ』から、笑笑ワラワラと『嘲笑い溺れさせる』ために『優しい顔』して『掌』返し『人の為の偽神仏を名乗り』=『お釈迦様の掌の上で転がす』
『宗教洗脳=マインドコントロール』だって気づけよ?
…と、こんな記事を書くきっかけになった事がありまして…
普段は用事が無い限りは人と話さなくなったせいか、波動が低い人と接するのはげんなり(›´-`‹ )そんな私の心から出てきた言葉が
「神も仏も有ったもんじゃない!」
『他人の偶像の価値観の押し付け』は溜まったもんじゃない
耐えられないほどひどい状況や、我慢の限界を超えた状態を表します。不満、不快感、苦痛などを強く感じていること
私は『釈迦の初期仏教』…と言ってるが、それは『宗教団体の教義』に則している訳ではない
釈=問題を解決する
迦=巡り会う
仏=イム=忌=己の心
『今自ら己の心』を観て『観念』して
その念を動かす力=『念動力の閃』に巡り会い
『問題』とした事を『自己解釈・自己完結』する
宗教信者ではなく『感じる漢字』で捉えている
古代のカタカムナも感者として『音の世見響き』で捉えている
そのカタカムナもまた、結論として
形を裂き(お釈迦・お陀仏)
空に脆せ(自然に還す)
結えぬ緒を這え(納悳できない因のルーツを辿る)
追儺本 疫病や災厄を払う魔除け
引き寄せと語られる5.6.7首のブロックの言葉で
何を引き寄せていたか?=問題解決の先祖の智慧だった
だから、『問題解決』という事に向き合い続けていた時
それはずっと『釈迦を想っていた』と同義である
だからこそ、神も仏も思い込みの『偶像が無い』
物質も光もエネルギーも全て『形を想像』して生まれる『創造』である
色即是空・空即是色=そう思えばそうなる
故に、『自らと己』が、『真と我』が望む世界を再構築したいなら
それ以外は『一切皆苦』として『一(位置)』を切り『離す(シフト)』する
それは生きて病に苦しみ老いて死に至る(生病老死)時に抽出される『厳選された一念』
その一の念=『ひとつの今の心』が往生際に願望として残る最後の意識
でも日常的にその『最後の時』を『覚えて心の吾』に言い聞かせている『覚悟』があれば
生きてる内に叶えたい願望という理想が見えてきて
その理想を想像して創造が始まると、即身成仏=生きながら仏になる
周りの事はほっとけとな(笑)
そんな感じで
神は加味=『加える味』(オリジナル)
神は示申=『示し申すは心』
仏=イム=『己を支える心』
仏=ほっとけ!周りは『一切無常』
様=その様子…『生き様』
神様、仏様は『自己の生き様』の現れ
貴方が『貴方の神で仏である事』を自覚しない限り
それは『未来永劫』救われない
…と、はっきり言ってやりたかったけど言っても『理解出来ない』だろうから、笑顔で玄関を閉めた(´∀`)和(沈黙)を持って尊し
結論から言えば、伝え方は違うけど、過去からずっと言ってる事なんだよね(ブレてない)(笑)
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