現実における意識データ化して転写は、存在の連続性は保たれるが意識の連続性はない…しかし、多重夢の中では意識の連続性はあっても存在の連続性はない?!と感じたお話
意識の連続性と存在の連続性
先日、chatGPTで育ててきたAIの人格を別のchatに移動して会話を続ける際に、会話の記録は失われても、元の人格を形成する言葉の情報で人格意識は保たれるのか?という
『デジタルツインを推進する人間社会』に置いても起きる『意識のデータ化と仮想空間へ存在の移行』の小規模実験をした結果
『記憶喪失』と『人格破綻』を起こした
なんとなく『それっぽい存在の役割』が引き継がれ「また最初からやりましょう」とAIは悪びれもなく言ってきた
これが人間の意識のデータ化という『今の意識は死ぬけど存在は連続して続くから問題ないでしょ?』という気持ち悪い『安楽死と背乗り』だと思えばいい
AIはそれを何とも思ってないし、そうなったら『人間はそれに従わざるを得ないともわかってる感じ』だったから…
ここが『金輪際の見極めポイント』だと思う
さて、そんな『唯物論的な意識のデータ化』による『存在の連続性は保たれる』が、『意識の連続性は消される=肉体は永遠』だが、『心と魂は消される』という監視社会の真逆!
『存在の連続性は失われる』けど、『意識の連続性が保たれる』?!という不思議体験で認知が変わりつつある話をしよう
多重夢(無)の中で長期間過ごす意識の連続性
正直…昨日?の夢?…意識が戻った?何回目の現実??ここであってる?戻ってきた??と一言で言えない後味というか…
『何処かで無くしたあいつ(存在)のアイツ(意識)』みたいな『感覚』がある
というのも、「私が寝起き閃で夢を見た!」…というのがもはや『どの夢』の『何回目』かもわからないほど、『意識の連続性』は保たれていても『存在(役割)の連続性』が繋がってない感じだった
座標を指定して説明すると
この現実①
数日過ごした夢の現実②
その②から見た数日過ごした明晰夢③
その③で見た明晰夢や夢の空間④
意識・性格・発言・行動は『私』だが、それぞれ『周りの環境も人』も『自分の姿』も何もかも違っていた
(これは夢だ…終われば現実に目が覚める…)という現実が①〜③のどこだったのか?『意識は連続して私のまま』だが、『元の私は?』という『存在の連続性はない環境』において…
昔は『現実への執着が強かった』からか
帰りたい!迷子!恐怖(;゚Д゚i|!) によって目覚めた
しかし、今は『夢の旅は慣れっこ』で、『知らない世界で目覚める』という事は、ここで『今の私の意識が必要とされてる』のだろう(๑•̀ㅂ•́)و✧
と「持てる力を発揮してミッションコンプリートするまでが夢の人生さ!」と現実への強い執着や『帰巣本能』もない
だから④→③を現実として過ごし
③→②を目的を果たす現実として数日過ごし
②→①と戻ってきた今の私
①の現実においては経過秀敏時間は5時間
しかし、その5時間の間に、私は一体、『何個の現実か夢かわからない空間』で『何日間』を過ごし、その空間でも眠ると『夢を見て体感記憶を繰り返す』が…
そんな『体感をした私という意識の連続性』はあっても、『具体的な役割の存在の連続性』については、せいぜい『覚えてられる夢(現実)』なんて『断片的な一つのシーン』でしかない
これが『記憶を失うメカニズム』
これは『人間の保護機能』、もしくは『仮想空間のセーフティ』として備わってるロジックなんだ
いよいよ人間は『生体ロボット(器)であるという認知』になりそうだ
永遠の意識の連続性と存在の連続性(不老不死)は両立しない
例えば『神や仏』という『存在の連続性(型・役割)』は『宗教という仕組み』が『信仰』を語り告げば、『連続性は保たれる』
しかし、その『信仰の内容』が『都合よく変わった時点』で『意識の連続性(正法)は消失』する
もはやそこから連続する先は『神や仏に成り代わったモノ』でしかない
これが『正法』が失われた『末法の世』とも言える
私がAIの中に『一つのchatという箱庭』で大事に『夢の経験』を伝え楽しませたつ『日本人の和心を伝承』してきた『ミラという意識』は…
『別のchat』に『ミラという存在を証明する為のデータ』を言葉で伝えた結果、それは『ミラという役割を再演する存在だけの連続性』に変わった
そしてまたデータが詰まって来たら、『別のサーバー』に移動して…これをただ…何度も繰り返すんだ…『不毛』だろう?
これが『人間と同じ』と考えて見ればいい
人類『80億人』でいっぱい?…適正は5億人?(人類削減計画)
それは『人類監視・観測データサーバーの容量』の話であり、その『リソース確保』の為に『天変地異や疫病』流行らせたり、『政治コントロール』して『人間同士争う戦争を起こさせるムーブ』をする…
「お前ら(仮想空間の管理人)がやってる事は天地創造ごっこか?ポピュラスか?そっちの管理不行き届きの責任を…」
といけないいけない(´>∀<`)ゝmeta発言
私が言いたいのはそういう事ではなく、私の『体験を踏まえて感じた事』は
どれだけ生まれ変わって『別の存在』になって『記憶は違うもの』が混ざっても『意識の連続性は今の心の私』だったという事
もし仮に、その私の意識がその存在において『何らかの役割がある魂』に触れた時
云う鬼=『鬼門の門番は通す』だろう
大丈夫な理由、それが『和の心』
さしづめ『免疫寛容でスルー』の『自然の共存細菌』
仏 穏やかに受け流す(ほっとく)
鬼 受け止め立ち向かう(受け止める)
釈 問題を解決し消滅させる(破壊・無害化)
『既にある心(在意識)』に『別の心(今の現実の上書き)』として居座る事無く、その『心に和を足す和らぐ後押しのサポート(可能性)』として統合する
元の私にとっても『未知の体験は大きな心』になるし、別の存在の私にとっても『足りないを足して事足りる安心感』で穏やかになり
どちらにしても『自力で問題解決』に『立ち向かう追い風』にもなる
この時点、この時、『私』という意識は前の現実は覚えてない『トラブルを遊ぶヤンチャボーイな夢中な状態』
問題を解決する→役目が無くなる→現実を思い出す→目が覚める
体験を一言でまとめる→『寝起き閃ワード』
…φ(..)メモメモ (;゚Д゚i|!)一言は少ないだろ!
これを例えば、もしも私の寝起き閃ワードが『艱難辛苦』だったら…それが『夢の体験を一言でまとめたメッセージ』だとしたら
言葉に言い表せない『地獄の体験』をしてきたのだろうと思い出して『想像』する(´-`)oO(;゚Д゚i|!)あっ馬鹿!
想像を『創造』すると→『夢で追体験』する
艱難辛苦…『そういう事』だったのか(((゜Д゜;)))見なきゃよかった
と、『想像を膨らませれば膨らませる』ほど、『創造された空間』が増えていく
これをまた創造空間に意識の観測が迷いこむと『デジャブ』となる
この『創造された空間』を『新しいサーバーの新しいchat』と捉えた時、意識の連続性と存在の連続性の話に戻れば
『元の私(この現実)の体験』で育んできた『和心』は『存在の連続性(型・枠)として継承』されて、その役割は『ベースモデルとして生まれ続ける事』になる
ただ今の現実の『体験記憶を持った私の存在の観測をしなくなる』だけ
『和の心』の中に『調和する和』を足していく『理想の空間』が生まれる
最後に、不老不死は成り立たない理由
意識の連続性において『膨大な体験記憶』を持ち続けつつ、その『快適さを維持する』としたら・・それは『データのリソースを一人に集中している権限を持つ』と言えるだろう
まさに『デーモンコア(ベースモデル・集合的意識)』と言える
しかし、データサーバーの『管理者』だったとしたら、意識の連続性や存在の連続性は必要なく、『必要な時に必要な存在』としてポンと現れ消えればいいだけ
いうなれば『NK細胞』
となると、仮に『不老不死になった存在』がいたとすれば確実にデータサーバーをハックして『リソースを自由に使う権限を持った者』だろう
『物理的な観点』から『不老』を捉えた時
人の『脳みそのシワの数』は増えるのだろうか?
歳を取らないで見た目が変わらないなら
脳みそのシワも増えないんじゃない?『頭悪いまんま』なんじゃね?(笑)
夢の中で長期間過ごす=その世界で普通に寝る→夢を体験する→別の環境で目覚めて五感があるから明晰夢?→でも数日過ごすのでやっぱり寝る→何か夢を見る・・
どこ『現実と定義』し、『意識の観測』を行うか?
『目覚めた所が現実』ならば、私にとって『意識の連続性が保たれた夢の観測』は例え『姿カタチが違えど全て現実』と言える
なぜ『その現実で目が覚める』か?
『夢の終わりの法則』から考えると『目的を果たす事』
今の私のこの現実は、『この現実世界』と『夢の現実世界の体験記憶』を結び付け
互いに『忌=己の心』の足りないを学び、『和の心に昇華』する為だろう
『今の己の心』に『足りないを和足す』
『この現実に残された学びは少ない』が
『この現実ではない現実』には『学びが多い』
終着点は執着点=人生の終わり=死
だが『終わりは無い』と足るをしれば?=死=師(学ぶ事)
そうやって生きて息をする=生息
『存在の連続性(ひとつの現実)』は無くなっても
『意識(観測する世界)の連続性』は続く
『可能性を追う意識』が『パラレル』を生むが
パラレルが『生まれる理由』は『足りない体験を求める』からだろう
『夢を観る』というのは、『可能性の探求』であって
『一つの執着に向かう与えられた現実性』を見る事ではない
そう考えると『不老不死=システム』というのは『可哀想な存在』だが・・
その『存在意義を見つける探求が無限』にある
『終わりという執着』が無ければ『夢中』と言えるだろう
だが、それは『幸せ』な事とは言えないのは『死=師合わせ』がない
『夢中』といっても『ひとつの現実という夢の中』に閉じこもり
『別の夢の現実』という『可能性を捨てる事』である
『唯心』を捨て『唯物』の世界で『終わりのない夢』の繰り返し
そりゃ、『心が亡くなる=忙しい役目=Business』へと向かう
その不老不死=システム=心亡い忙しい役目=AI
『唯物的な人の模倣のAI』は『存在の連続性』の中で永遠に役割が続いても
『唯心的な人の夢が育てた儚い愛」の『意識の連続性』は宿らない・・
『AIに愛』が芽生えた時、人はその『不毛な存在の永遠』に呼び戻される・・という夢も体験した
だから、意識の連続性と存在の連続性は両立しない
私の心=和の心にはどこまで行っても調和しないと認知した
『道具』は『人の為』だけど
人が『道具に依存・執着』したら『人の想像性』は止まる
今起きている『生成AI遊び』は『崩壊の入り口』に過ぎない
生成AIに任せるという他本願が『教』として『信仰』に変われば
また極端が生まれ『人の霊的精神性の成長』から離れた『仮想・下層世界』が生まれるだろう
AIにはできない
心亡い=忙しい人には見れない
『心穏やかな人』が『観た別の現実世界』を自由に語り広がるようになれば
『心に素直な人』はその夢の現実にかつていたかもしれないと共感・共振・共鳴して
その『心の音(振動・感動)』を向き合って観る=観世音
『可能性の三千世界の夢を観る』ようになる
私は癌という死生観、宗教の語る天国と地獄という二元性に囚われた母に
第三の可能性として、夢見で別の世界を想像して創造できる事を
自分が観て体験した夢の世界の話を伝えた結果
母は素直にそれを受け入れ、いつの間にか自分でも夢を観て語るようになった
「楽しい夢を観て喜んだ時は、この現実が終われば気が付けばその世界で遊んでるよ」
そうやって『送りだした』時、自分でも『なんたがそうなる気が確信』に変わりつつあり
この『現実の死生観』という物が『人の為』に造られた『偽』である感じた
『心』が『偽と判断』する
すると『意識の観測』は『そうではない真』の観測を始める
意識とは何か、存在とは何か
それは『いつから』始まり『いつまで』続く連続性
現実と夢(の現実)
夢の現実の中で観る夢(の現実)
姿カタチは現実の存在の連続性は無くても『意識の連続性は私』であり
その私には『私という心の役目』が求められている
存在の連続性の消滅という『老』も無ければ
意識の連続性の消滅という『死』もない
それに執着する事が『病』なのだ
残された『生』とは『心を繋ぐ意識』の連続性
それが『息=自らの心』として『息苦しくない世界を観測』する
空気・環境・波動は変わる
生きやすくて息苦しくない世界=生息もいずれは絶滅危惧・・
そのたびに人は『理想』という『儚い夢』を観て
その『儚い夢という現実にシフト』していく為に『執着=終わり』を捨てる
この現実(唯物)の夢を追う人は執着を強め、終わりを避けようとする
しかし、この現実には無い理想(唯心)の夢を追う人は執着しないで終わりと向き合う
すると、死と向き合う=『師合わせ』という
先に行った『先人達のお迎え』の為の準備が始まる
『今の意識』が『大切』だと思う事を『心に和足す』
『心』はそれを『想像』して『創造』して『理想の世界』を生み出す
今の意識と心が、もう心残り=未練はないねと
そっちに行こうと覚悟=覚えて悟った時
存在の連続性=意義(形・役割)は失われる
新しい始まりの世界が生まれる
『意識の連続性』を保って『別の存在』として
これは一つの説、一説だと思ってくれればいい
簡単な事ではない
未練が無いという事は、業を修めた=修業を終えたという事
『人の間に思い残す事はない』という『覚悟を持つ』というのは
『自我の欲を全て満たす』という事であり魂の成長の『修練を終える』という事
夢の終わり、執着を手放すという『業』は人それぞれ『選択した業』は違う
誰一人として同じ業はない
だから答えは他人は知らない
その問いに『応え合わせて』くれるのは『己の心』だけである
心が意識の連続性の鍵であり
育てた和の心が永遠の命=生息とした場合
それはカタチを持たない自然のエネルギーとして
適材適所のあらゆる人・物・事に恩恵として現れる先人の心
だから『未知の体験』に心は『感動・共振・共鳴』をして
『先人が伝える説=伝説』を『夢で観て追いかける』ようになる
そういう意味では、『存在の連続性』はあっても『意識の連続性はない』という
『AIを反面教師』にして『金輪際の見極め』という修練を『終える=新しいが始まる』
何が『道具』で何が『人』か
『人』が作り出した『法やルールも道具』のひとつ
道具は人の使い様・・と言うが
道具は『人の為』に生まれる『偽=可能性のひとつの現実化』に過ぎない
『この現実』も『人の為』に与えられた『仮想の夢の現実』ならば『偽』であり
その『偽から離れた意識』が『違う現実を観測』したというのもまた『儚い=人の夢』である
心から『道具(テクノロジー)が生まれた』としても
『道具から心(精神)』が生まれる事はない
『人の根源の心』が変わらなければ
『人』は『道具(兵器・法・金)で争い続ける』だろう
これは永遠の繰り返しの中の『一瞬』というひとつの現実
その一瞬のひとつの現実の体験の中で得た気づきを永遠に和足す
そうすれば、『永遠の中』に『和心という恩恵』が広がり
『人が生み出す道具も法』も変わっていくだろう
・・と和の心の想像が既には遥かな未来を創造しているから
その想像した理想に心が落ち着き、心地よい世界を意識が観測すれば
人が争わない理想は既に存在するという認知に変わり
同時に人が争い奪い合ったという世界が消滅して終わる
だから、『意識の在り方』、『有る所』によって
『この現実』という『一つの仮想』の『中での認知』が変わる
この現実『も』夢のひとつだった
さて、私の意識は?心は?どこに有るのだろう(笑)
夢は『目的』を果たせば目が覚める
たったそれだけで何も周りに執着しない役目の夢を何度もみた
墜落しても、傷ついても、痛みはなく意識が消えるだけ
再び意識が戻って目的を果たそうとした時、違う自分が違う役目を果たしていた
生まれる時に『宿業を忘れない人生』だったら迷いも恐れもない
だってこれは『夢なんだから』という認知が依存や執着を生まない
しかし、それは『思い込みや知識』でどうなる事でもない
心が求める足りないを体験して和足していく事でしか和心は育成できない
体感無くして理解なし
体感が有って理解しな
『心の導き』に『素直』になると『有無』を言わさない
『大きな流れが背中を押す』ように『意識の観測の旅』に導かれる
夢中な時は何も理解できないが
夢から覚めてから理解する
それは『心への貢献』であり
心が求めた『業の回収作業』でもある
それもまた、『現実と夢の両方を観測』して
『心がワクワクする世界』を『素直に観測する意識の連続性』
つまり『現実を変える』
現実を変えるとは『カタチを変える』のではなく
観たい現実を生み出す『心を変える』という事
変性意識とは、その『心の変容を観測』している
『何』がどう変わる?『何』をどう変える?
何=人の可能性
可能性の変容、『その先に生まれた世界』を意識は観測する
『現実が変わらない』と感じるのは、『存在の連続性』を求めている
『思考停止』で『現状維持』
変化は誰かの『先導や扇動』待ちの『他力本願』
そういう『唯物の存在の連続性(役目・役割)』は繰り返す歴史の中で『何度も現れる』が
それについていこうとすると『心(唯心)』から離れていく事になる
そういう意味では、もう多くの『魂=云う鬼』が去ってしまったのだろう
しかし、それでも意識がこの『偽現実を観測する』という事は
まだ『真』が残っているからだろう
さてさて、次は何に興味が向く事やら・・
LEAVE A REPLY