好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

真を捉える言葉は人の心を打つ

端から端まで希望と問題を理解して、間違いを指摘し、新たな始まりを苦言して言いたい事を徹底的に言う鬼となる、鬼門の門番は現実を突きつける・・という現象を見て感じた事

ふと・・とある動画を観て感じた事

この人の動画は、他の人が絶対に行わないであろう、ゲームの『バグ』を見つけて、その『バグを活かした攻略とは違う変な遊び』を見つけたり

『普通に飽きた人』が辿り着くであろう・・いやたどり着けない『自由な発想』を「こんな可能性もある」と『自己表現の弥勒』として一目置いてたまに見てたんですが・・

昨日、この動画を観た時に、中で語られる『真』を突いた多くの人が『共感する言葉のラッシュ』に胸打たれましたね

たぶん、好きだからどうしても『言わなければいけない』、『伝えなければいけない』という気持ちがこもってたと感じます

モンハンワイルズについては、私自身の『意識の観測を変えるきっかけ』で、世の中を『不安先導する流れ』より、『ワクワクを求める心が進む方向』として『夢中』になれればいいと

2025年に不幸が起きるという流れ(契約更改)を考える

でも、蓋を開けてみたら・・それは『一瞬の幻』のように、あまりにも『短期間で夢から覚め』やりつくした感
当初は「2025年の前半にモンハンの新作が出るなんて!」・・の結果が

例えるなら・・

まだ『成熟』していない、早すぎて『構造』も『その後の運用計画』もしっかりとできてない段階で、『巨神兵』を動かして『一発の強烈な光』を放った後に『崩れてしまった』ようなものだ

巨神兵が崩れた後は、お決まりの人海戦術で『人間の醜い争い』
不毛な戦いに疲れたハンター達(配信者)は、別のゲームへと離れていった

『配信者が背信者』となり、その配信者の『ファン達も不安・不満』を抱えてついていった
結果、モンハンワイルズに残ったのは『圧倒的な不評』という評価の結果

歴代のファン(古参)の期待への裏切り
新規のファンの期待への裏切り
バグ修正やmod拒否するならちゃんとやれという苦言を無視という裏切り

先に『ユーザーへの背信行為』をしたのは『CAPCOM』であるから『自業自得の因果応報』
最も作品を『愛しけてきた者』に金輪際と『見放される』

動画を観終わってみて、『同じ体験・気持ちに共感』したからこそ
『真』を言う言葉に『偽』り無しと心地よかった

これが真を言う今の心=『真念』であり
それが始まり『因』なら『果』はほっとく=『仏悳』

一狩り行こうぜ!(共に)ではなく
一狩り行ってらっしゃい(お好きにどうぞ)

『罵詈雑言の誹謗中傷』に聞こえるような言葉でも
『気持ちを表現』する『言葉選び』が秀逸で『角』が立たない

だが、これもまた『ひとつの時代転換の役目』であったと解釈すれば、シリーズ物(伝統)のモンハンという『商業SDGs(持続可能)では先は無い』とわかった事

胡坐をかいた『殿様商売』では『民』はついてこない
『民が求めるもの』がわかってない『上の自然淘汰』なのかもしれない

私はこのモンハンワイルズは結構早めに興味が無くなったおかげで
ちょうど『そのタイミング』で別のゲームに興味がシフトする事が出来た

それが『ゼノブレイドクロス』
むしろ『今の日本人の精神』にはこっちの方が重要である(預言・苦言)

日本人に早すぎたメッセージ ゼノブレイドクロスDE(I)に隠された預言の解放

当初、モンハンワイルズが出たら『1年は遊べるだろう』と期待してたが、ゆつくりやってわずか2か月足らず・・

まさにちょうど私だけでなく、私と共にモンハンをしていた仲間が
皆、何かに導かれるように、この『RPG(ソロ)に夢中』になり始めたのも面白い

『類は友を呼ぶ』ように私の心赦す友達たちは『ひとつの共通』に集まった
それぞれ『エンディング』については思う所は違うだろうが

そのエンディングが『多次元解釈』である事も『大きな転換点』である

まとめ 真言が金輪際の氣締めをつけ次元を生み出す

モンハンを『一種の宗教』と例えるならば
『猛者のハンター達』というのは『宗教戦士』のようなもの

誰よりもモンハンを愛し、どれだけの時間をモンハンに注ぎ込み
モンハンと『名のつく作品』をこよなく愛し『モンハンを極める者達』

そんな『カッコイイ』かつ『効率的プレイ』に魅せられ『真似してついていく信者たち』

しかし、その『端から端』の『間を理解』して『端間理を極めし宗教戦士』
「この宗教に先はない・・」『門外漢の虚無僧』となって決別する

もう金輪際『門下生』には戻らないと『氣締め』をつけた時
『共感・同意していた門下生』もまた同じように離れていく

『信者が一人、二人と離れる』のと訳が違う
『モンハン教を知り尽くした宗教戦士が離れる』となれば・・

遅かれ早かれ『多くの信者が離れていく』だろう

ローマ帝国の故事に沿うならば「賽は投げられた」
神話に基づくなら「神の元から大天使ルシファーと多くの天使が離れた」
仏教に基づくなら「仏教宗派から日蓮が離れ、日蓮の宗派が生まれた」

まさに『歴史は繰り返す』『転換点』と言えるだろう
『真を言う今の心』『共感して感動した者』が心を動かされる

そして『次元は二つ』に分かれる

持続可能な『数ヶ月事のアプデ待ちな信者達のSDGs宗教』
宗教から離れた『未だ知らないワクワクのコンテンツ』の世界

『宗教盲信=常識』としている内は気づかない

有るのに得なかった=『有り得ない』『見限っていた可能性』
それが有るから得る=『有り得る可能性へとシフト』していく

有り得ない=『ネガティブ』『金輪際と見極める』事で『可能性』は産まれる
『観測の自由』を経て『人』は初めて『盲信』から解き放たれる

その為に『導く者・未知引く者』『時代の転換点の先導者』となる
今後の動きに『注目が集まる=人気』になる

ま、人気を集めたら・・『十字架』背負わされるんですけどw
『不自由な人達』からみれば「自由人か」ってね(笑)

無敵の人=無適の人
無に『敵がいない人』、無に『適さない人』

『無』とは『与えられた全てがある自由(ゲームコンテンツ)』である
その『無』に愛するが為に『金輪際と苦言』を呈する『無為自然』の人

『ゲームコンテンツ愛』を裏切ってはいけないよね

だから『商業ビジネス化』すると『ワクワク』が失われる
busyness=忙しい+役目

永遠に続くエンドコンテンツ=『オワコン』
『オワコン』に『忙しく』時間を割く『役目』

そりゃ果ては『不毛なSDGs』ですわ
それを感じながらも人は『心亡き=忙しく時間を消耗する役目』『盲信』する事に疲れてくる

どこで『金輪際を見極める』か?

大日如来のパワーストーンの導き 大胆不敵から金輪際を見極める

それは『真を言う今の心が仏=ほっとく』を代弁してくれた『先導者』が現れた時
『真言念仏』『人の心』を打って『反響』を響かせる

べつにこれは『真言宗』という『宗教の話』ではない

漢字で『そう読み解ける』事、『心が感じた事』をそのまま『漢字』にしたらそうなる事
『シンプルな話』であり『相似する物事』『現代風に例えて説法』にしているだけの事

私は別に『宗教勧誘者』ではない(笑)
ただ、大日如来・釈迦如来という「お天道様は『心』を観てるんやで~」という

『大日=閃き+釈迦=問題に巡り合い解決』『今の心を観ている=観念』している
だから『観念』すれば、『金輪際の見極め=中間』ができるというだけの話

とてもシンプルな釈迦の『宗の自然法則』

経糸

ウ(冠)のみの二元性と万教帰一

私はもともと、だらだら延命する『エンドコンテンツ』が嫌い
ストーリー(脚本家)が『伝えたいメッセージ』を読み取ったらそれで終わり

ストーリーで『表現』する事で『CAPCOMはワイルドカードの役目は果たした』と思う(一人一)有難い

万能の効力を持つ、あるいは他の任意のカードの代わりとして使用できる特別なカードのこと

DNAの仕組みで読み解くモンハンワイルズストーリー(ネタばれ含む)

だから、とっくに『氣締め』がついて『別の世界(ゲームコンテンツ)にシフト』して、モンハンワイルズを忘れていたが・・

今回、この動画を観て、『新天地へ導く先導者』とは
『真言を説くカリスマ性(役目)』を持っているのだなと思った

CAPCOMからすれば、ぐうの音もでない正論の『鬼』に見える存在
ファンから見れば、問題提起と解決策を伝える『釈迦』の説法
真を言う本人の今の心は『仏悳=ほっとく』

やはり廃された『仏鬼釈』『心』に持つ『自己表現の弥勒』となる者が『真言者』となるのだろう

いつの時代も、どんな場所でも『役目を担う光』が現れる
それを『この現実で観測』できただけでも『心には大きな学び』になった(一人一)有難い

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