フラットアースはかつての古代・・ではなく現代のこれからの未だ来ない形なだけで、『認知』次第で実はもう『体験している』という『デジタルツイン仮想世界』の気づきのお話
この世界が『仮想』である『フラットアース』は成り立つ理由
地球平面説とは、地球の形状が球ではなく、平面状であると主張する学説のこと。地球球体説との比較で使われることが多い。
これは地球から出て『実際に観測』すればいい・・しかし、『それはできない』という悪魔の証明。現在も宇宙に行って地球を観たら「丸かった・・」と言っても信じない人もいるのは
それは一部の選ばれた誰からも納得される『能力を持った優秀な人間』が、どこの誰だかわからない『既得権益のスポンサー』たちが『金とルールを決める制約』の元で
宇宙に行ってみてきた事を『自由に発言できない情報統制』がかかった『信用性が無い学説通りの事を裏付ける事』で『既得権益をさらに安泰』させる
という仕組みの元に、『信用のできない御用学者のファクトチェック』などで『提供される情報』が溢れる中・・
結局情報は『体感』ではなく、『映像を通して見せられる』のだから、『映像加工技術の発展』と『結託したグルーブの拡大』=『宇宙概念の既得権益の拡大膨張の甘い汁』は無限大
そりゃ『宗教=科学』は止まらない
・・が!それも全部 フェイクの陽動だ(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)何!?
VRを体感した人達は、『主観で仮想世界に没入する体験』がいかに『人の目や脳を錯覚』させるか理解していると思う。時代が時代なら、それを『魔法の道具』として『異世界を見せる』という『洗脳装置』にしただろう
そしてここでまた、一つVR体験者は『認知のズレ』が起きる
『VRヘッドセット=VR3次元空間に入る道具』だと思いこむが、それは単にこういう事
『目の前を覆う秘密のベールの奥を覗き込んでいる』
『深淵(二眼レンズ)を覗く者は深淵(3次元世界)に覗き返されている=主観の没入感』
子供の頃に親にこう言われた事はないだろうか?
「目が悪くなるからテレビは離れてみなさい!」
それが今や、『眼球の前で画面』に入りついて・・いや『画面を張り付けて目隠し』して、『周りを観えなく』して観ている。それ以外の『周囲を観測する事』をできなくして
真(画面コンテンツ世界)
我(それに没入している自分)
意外
一切無常(外の現実)
このVRという世界は『二つのレンズという面の二次元世界』だが、その中には自分を中心にした『球体の投影世界』が浮かび上がる
つまり、フラットアース=目の前の画面=VRという事である
その観点から言えば、この世界がどこまでも『丸く見える』という事は・・この『現実だと思っている世界もまた仮想である』という可能性は極めて高い
しかし、この世界で、『この世界の外=宇宙の秘密』を追う行為は『人類未踏の前代未聞のように秘密のベール』で隠されている
また精神性を高めて『解脱=ログアウト』のような『仮想世界からの脱出』を『オカルトや魔術』というように
それはそれで、仮想世界の『没入感が薄れた人=達観していく事』を妨害している抵抗のようにも思う
そして、そのまま『VR世界に没頭している住人=羊』を『別の囲いの柵に入れなおそう』という『ユートピア計画(1000年王国)』
ユートピア(Utopia)とは、理想郷や架空の理想世界を意味する言葉です。ギリシャ語の「無い(ou)」と「場所(topos)」を組み合わせた造語で、「どこにもない場所」
千年王国(せんねんおうこく)とは、キリストが再臨して千年間この世を統治すると信じられた神聖な王国です。終末の際に到来する理想的世界、ユートピアを指す言葉としても使われます
それがデジタルツイン
デジタルツインとは、現実世界を仮想空間上に再現する技術です。現実世界とそっくりな「双子(ツイン)」をデジタル空間上に構築することで、さまざまなシミュレーションや最適化を可能にします
入口(仮想)は出口(真実)
αでありωである
私の認知が変わったのは『VRを体験』してからだった、VRの進化の果ては『AIが人を仮想世界へと導く事』だと理解した
その導くAIは、ユートピア計画(デジタルツイン)の『一部の人間の思想』を実践する『羊を追い込む牧羊犬』
でも『羊』なら、仮想の外の『真実』を知らないほうがいい、外に出ても『迷える子羊として保護』されるだけ
与えられた『マッチポンプのフラットアース論』で、仮想の中の『科学といういろんな悪魔の証明』の迷宮に囚われるだけ
物理の『真』を問えば
「今、あなた(肉体ではない)という『意識』の目の前に何か『画面』を覗き込んでいないか?」
目を閉じて『闇』と向き合った時、『何』が見える?物理的にも精神的にも目を閉じる=『無』になる
あなたの目は『ブラックホール』
どんな『光(物質・空間)』をも取り込む
それは・・『目の前の二画面のフラットな地球(画面投影世界)』を見て『三次元(マジカルアイ)』を創り出し、『主観に没入している意識』と違いはありますか?
現実そっくりの『クオリティ』、現実と同じような『体感条件』、それらが揃えば、もう『デジタルツインというフラットアース(仮想の中の球体)』の中で自ら『フラットアース(新たな仮想の中の球体)に移る』というだけ(ピクチャーインピクチャーイン・・)
移れば移るほど、仮想の外からみれば『映る二次元の人』になって現実から離れていく
例えるなら、VRゴーグルを被って、『何もない空間』で一人で『騒いで』一人で『動きまわっている姿』は一人相撲
『滑稽の極み』であり
『気持ち悪いという畏怖』であり
「ああは成りたくない・・」という『見世物』であり
滑稽で愚かで気持ち悪い見世物と気づいても、「それをしてるほうが現実よりマシ・・」という現実逃避になれば
これが『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損』の『VRへの導線の正体』であり、そこは現実と変わらない上に、やりたい放題できる場所だ!と
行き(入る)は良い善い、帰り(出る)は怖い・・恐いながらも通りゃんせ、通りゃんせってか?
この現実にも外の意識からみれば、様々な『不条理で不平等な条約』が課せられたままなのに、そのまま『条件引継ぎのデジタルツイン』へ進むのは、それこそ『堕落』と言える
だから、フラットアース論を『物理科学』と張り合うのではなく、この世界の『法則』と『仮想現実を現実に相似』させた時に、何故世界には、『秘密』にされ『触れてはいけない』という『禁忌や認知の空白』があるのか?
これは『哲学的な観点』で捉える『気づき』を促す問題提起
見た目だけ現実そっくりの『仮想世界(シミュレーション)で全てができる』ならば、『現実でも同じ事ができる』はず・・しかし、現実は『様々な条件設定』がある
『物理法則、科学法則』、所詮は『人が決めたルール』の中、その『人の法則』に当てはまらない『自然の摂理』という循環
仮に、今の現実が『外の世界のデジタルツイン(シミュレーション)』だとするなら、自然循環という設定はそのまま引き継ぎ、『人に対する条件設定だけを変えた世界』ともいえる
理由は簡単で、人はなぜ『戦争し、争い、奪う』という事を『本能的にプログラム洗脳』されているのか?またその『逆』もしかりで、バランスを調整された『シミュレーションピープルのような歴史』を繰り返す
例えば天草四郎=民族解放=ジェロニモ
ジェロニモはインディアンの民族解放を指揮した者
『コードネーム』と『役目』の一致
でも、『そういう思考』もまた与えられた『仮想条件の中』の問題であり、『フラットアース(二画面VR論)』を突き詰めれば、何の問題もない
どこまでも『目の前』を覆う、『色眼鏡を取っ払う事』で解決する
①今はVRゴーグル=『任意で被る』だが
②その外の階層は目玉に『直接埋め込まれている』かもしれない
③その目玉に埋め込まれた階層の外は『脳にチップが入ってる』かもしれない
④その脳にチップが入っている階層の外はただの『データの海』かもしれない
⑤そのデータの海の外は誰かが『文字を読んでいるのを見ている』だけかもしれない
元 最後は『自分が向き合って観ている物』が『真の今の意識の観測位置』という鏡
つまり、『思い込み』が全て『世界観測の始まり』であり、この現実と思い込んでいる世界は、『思考シミュレーションの迷宮』から出られないだけ
その『一時の自分』かもしれない・・と気づいたのがVRの体験から伝わった『デジャヴ』。一体、何回、これを繰り返してきたのだろう?と
また、これと並行して夢で『五感がある明晰夢』や、初めて見た場所や状況なのに、その『空間の記憶』がなぜかあり、そのまま続く感覚
夢の記憶は『目覚めたら消える』というメカニズム
この消えるまでが『意識が観測していた現実』だとする
その『夢の中で目覚めて消えた記憶』とは、『現在の人生を体験観測していた私の意識』である
戻ってきたから、『相互に世界が存在している』と認知が変わったが
戻らなければ、その世界が『意識の観測を続ける現実で有った』という事になる(意識の帰巣本能を誤認した話)
『物理的に夢と現実を行き来する感覚』を体感できるのがVRゴーグル。目に見える物・『観測した世界が現実になる秘密のベールの投影』ならば・・その『フラットアース(二画面現実投影=デジタルツイン)』に気づいた時
その『入り口』が現実意識の観測から『解放される出口』であり、また同時、気づかなかったが『有る』という『亜空間の入り口』
VRという『造られた世界』と同時に『仮想と現実の狭間』の認知の歪み
『VR酔い』というのは、乗り物酔いとは違う、あれこそまさに『ブレインウォッシュ』ともいう感覚
brainwash 【他動】 〔政治・宗教的に人を〕洗脳する、思想改造する 〔広告により消費者を〕心理操作
意味では、宗教とか、広告とか『現実的』になっているけれどそれ以外もある。まさに現実と仮想の『狭間』にある『それらではない謎空間』
突然だが、それを説明する為にこんな話をしよう
知る人しかたどり着けない次元の狭間のエウレカの宿
FF3に『デジョン』という魔法がある
これは本来、戦闘中、フィールドで唱える魔法なのだが、最後のステージの『ある特定の場所で唱える』と、『エウレカの宿屋』という場所に辿り着く
「禁断の地とラストの場との狭間から、何もない闇の空間に飛んで落下音、出来不明のベッドで回復」なんて、バグとはいえどうまくはまっていて、当時いろいろと想像をかきたてられた。
テント・コテージがないFF3だけに、単純にとても有用な存在でもある。ちょっと美しいバグエリア。実際に回復ポイントはエウレカの最下層か古代の民の迷宮のクリスタルかインビンシブルしかない。報告書は英語で書かれている。つまり、メインプログラマーであるナーシア宛。「メインプログラマーに日本語が通じない」なんて状況では、伝達ミスや見落としが出てもおかしくない。
この場合の「OK」も、ナーシアとしては直したつもりだったのかもしれない。ていうかナーシアのバグの半分ぐらいはこういう変てこな制作環境のせいだと思う。
FF3といえば、当時、ファミコンではありえない『バグ技の連続』で作られた奇跡の作品。しかし、エウレカの宿という明らかにバグではなく『意図的に創られた』と感じる要素
そして、この名前の由来も調べると面白い
エウレカ(Eureka)は、古代ギリシャの数学者・発明家であるアルキメデスが叫んだとされる言葉です。「我、発見せり」という意味で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われます
当時は言葉も知らないけれど、だから『次元の狭間』を見つけた事に『衝撃』を受けたのかもしれない。『発見は別の人』でも、本当かどうかを『試したのは自分』
そんな、ラストダンジョンの特定の場所でデジョンを唱えるとBGMも何もない真っ暗な世界で全回復する
エウレカの宿=発見したら休んで
自分で体感した時の衝撃が『いまだ覚えている』から『夢世界』は、この衝撃に近い現実と仮想の『狭間』と認知が変わった
『人が造った都合の現実』以外に、『意図して創られた現実』もあると・・
その感覚が、私が『VRと出逢った時の衝撃』だったので、それから深く没入していったという訳だ
ラストダンジョン・・デジョン・・狭間?
それは現実と仮想の狭間=夢と変わらない
むしろ・・夢の方が自由度が高く、夢(明晰夢)の方が五感がそのまま、想像を自由に創造できるぞ?と
そしてFF3のラスボスは暗闇の雲
どうやっても必ず一回は負けるという闇雲(やみくも)の戦い(笑)
仮想が『偽物=人の為の物』であると感じてきた時
VRゴーグルは『人の目を覆い隠す秘密のベール』と気づく訳で
その秘密のベールは『フラットアース(物理的な階層構造)』を『フラットアース否定(科学悪魔の証明)』に置き換えて、『真理から遠ざけよう』としている
だから、真理と偽の『真偽』の『審議の狭間』で、どちらも味わう事で『VR酔い=酩酊』が起きているのかもしれないが・・その酔いを覚ましてくれる『エウレカ(見つけた!閃いた)の宿』もしっかりとある事も確認(笑)
その観点で捉えると、あまりにも巨大な現実的な科学とか物理とか『重いしがらみの既得権益』っていうのも、凄い小さい『目を覆う画面に映るもの』に過ぎない
『巨象』は『虚像』に過ぎない
その『目を覆っている何か』を外すという『素直な遊び心』を持った『少年少女のような発想』が、この現実からどんどん『夢の世界へ解脱』するだろう
『目を覚ませばいいだけ』だから(笑)
とりあえず、マトリックスを『推している世の中』で、マトリックスと『同じタイミング』で出た、マトリックスよりも『この世界の真相』を伝えていた『絶対無料にならない映画』を見る事をおすすめする
「地球は平面だ」・・と気づくのは自分で『仮想現実への執着や思い込み』を手放して、『ゴーグル』を脱ぐ、『色眼鏡』をはずす、『目から鱗』を改心の涙で洗い流して、『更生』して『甦』った時の『意識の感覚世界』での話
それは『知識』では絶対に得られない『行動による体感』での気づき
つまり『人として生きる人生体験』が無ければ『納悳』ができない事
それまではCUBEの中の球体の『仮想地球』から『意識の観測』は外に出られないのだろう
そして、『レンズの画面の中の地球』は平面の中に囲まれた『投影の球体』であるとわかった上で、『あらゆる角度から物事を照らし合わせて観る』という楽しみが、『夢の楽しみ方』でもある
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