選→天己と共に転機でテンキー(改行)してリターンする縁多の神様なノー天気な漢字の認知選のお話
ノー天気な話をが転機になる
先日、こちらの記事で、認知戦を認知選に変えるという話をしました
この『選』という文字を分解読みした所、『己と己と共に進む流れ』と読み解き
『二人=天』の己は真、『=人は我』とまとめていた時に
『天の己』と『人としての己』が共に進む流れ=『転機』じゃないか!
転機=ターニングポイント、物事の変化するタイミング
そしたら、『テンキー=リターンキー=改行』と繋がりまして
改行とは『文字を折り返す操作』である以外に『行いを改める』という意味にもなるわけで
カタカタターン!→過多型turn!→ 急がばまわれ
改行する事で『行』が変わる動き=『行動』が変わる
( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)ノー天気
・・はっ書き終えて『改行』したら、次の行の始まりのように『頭が白紙』に(笑)
つまり、『選ぶ』というのは、そういう事です ← どゆこと?
選択とは、『有るものから選ぶ』という『認知』
選択肢とは、『いくつかの候補』がある中でという『空間』
だから、『その空間に意識が囚われる』限り、その空間にはない『間』違いの『選択肢』を選ぶ事ができない訳です
空間とは『空く間』です(音の響きは『あくま』です)
空間の設定条件は、『物理と元素=物理素(モノリス=与えられた知恵)』です
人にあれしろこれしろと『口の中』に『人』が『囚』になった『洗脳・思い込み状態』
その時点では『口の外=郊外・校外』で選べる『別の選択』に気づかない訳です
これは、『口達者な詐欺師の集団(弁護士・警察・裁判官・なりすまし)』に囲い込まれて、『誰にも相談できない状況』のようなもので、社会的常識・一般的・普通という『概念の一線』を超えられない『口封じ』の状態
『アウトロー』と言って社会に反抗する行いも所詮は『アウトロー(外角低めの角の界隈=暴力)』
『円(78)』から外れただけで、与えられた『四角の中の死角の闇(22)』に移っただけで『口の外』にはでていない半グレーな傀儡
この地球が仮に『丸い』と思い込みをしててもいいけど、その外にある『四角の死角』が『宇宙と呼ばれる空間』ならば、その『悪魔の証明』は『行った者』しかできない
いくら『机上の空論』をした所で、『空』は『間を論じるもの』ではなく、『感じる間』であり、『体感無くして理解(満足)』はない
ゆえに『果て亡き夢』へと『人は駆り立てられる間違い』を繰り返す
『外』に向かえば向かうほど、『真円から遠ざかる』というのに
世界の闇が『目に見えて伝わるようになった情報化社会』では、『過度の一角』が崩れれば、対面・側面の過度もまた音を立ててガタガタと崩れていく
当然、その過度の角の『格差』によって構築されてきた角の『界隈の円から外れた部分』も消えてなくなる=円弧・縁故・エンコ=詰められる
これは、『正法形』の中で楕円ではない『真円を構築』する過程の『ガイド(型枠)の撤去』。正法が失われた末法の世で、『角の役目が安定』した時のみ、ガイド線が全て『真っ直ぐ=正直』になる
歪んだ者・物、歪に思想、全ての『不正』が『正しく』変わる
『絵空事』だって思うかな?
金型という『枠』は、最終的に完成品と『切り離して捨てられる』か『使いまわし』する為の土台。だから、『次のステップ』に進むのは、完成された『真円(78)』のほうであり
勘=甘い4つの力の『金に屯した=鈍い立場の格差の権力側』にいた『過度よりの界隈の人』は、文字通り『取り残される事』になる
円の外の『格差の立場』を得てしまった人は、立場を持たない者を産む=『立場を奪ってきた側』だから、そんな世界を見る事はない
それぞれ『違う結末の世界』に行く事になる二天一流
・・あれ?『ノー天気』から始まった話だったのに、『重力』に引っ張られてしまったよ
重力=『千里力=遠くを見通す先見の明(陰陽)』
『明るい世界』と『暗い世界』
とはいえ
明るい=にぎやかを嫌う人には『地獄』
暗い=人の不幸は密の味という人には『天国』
釈迦は『どっちに現れる』と思う?
釈=問題を解決する
迦=巡り合う
=『地獄』に『仏』が現れる
しかし、『選択』を強いられた時、『与えられた選択肢から選ぶ』ような『溺れる者は藁をもつかむ』とさらに『どん底に落ちる罠を見抜けない』ような『他力本願』は知らぬが仏
「自力でやる!乗り越える!」という『認知の選択=未知への挑戦を選ぶ』ものに『釈迦力』を与える。これが『未知との遭遇』であり、その時に『先立つ知識』なんてものは役に立たない『邪魔』
その釈迦力こそ、『天己』、その流れに素直に=人の己が共に進む=『真我』
『未知の選択』の先に『既存の概念』は通用しないから『一切無常』
逆にキリストは『切り捨て御免』
『戦を起こすという選択』の『未来』を切り捨てる
大(集団)を切り離すから大切で大事=『一人切』の『一人事』
だから、例え『キリスト教』であっても、『保身で加害をする教えを広めた』時点で『切り捨てる』
『神に懺悔して祈ればノーカンでチャラ?』どこまで『愚弄場リズム』は『人を愚かに虚仮にする』のだろう
「やるな!」という『忠告の抑止力を無視』した選択の結果が『自業』であり、それを『自得』する『因果応報』を持って、神が許すだなんだではなく、『己が反省』して『己を改心』させて、『行いを改める』
『改行』する『転機』が訪れ、白紙の出だしの最初に『リターン』してまた『生き様』を刻む事ができる
そんなあなたは『どんなタイプの物語(人生)を書き記すライター(創造主)』なんでしょうね?
『地獄』を見て『問題を解決』して『衆生を救うタイプ』の物語のライター?
『地獄』への堕落する『誘惑や邪魔から遠ざける方向へと導くタイプ』の物語のライター?
・・と書いてる時点で、とある世界観の中に、『一人の役割を持った生き様の主人公の人生(脚本・台本)』を『投影=スクリーンに映す』ができそうではないですか?
神様とは『紙に記す己の生き様』
『天の己』と『人の己』が『共』に進む流れ=選
えらぶ の言霊は 投影の場が内に増える
せん の言霊は 強く引き受ける
ほら、『天の己が思い描く創造』を、『人の己』が引き受けて『生き様として演じる人生物語』
そりゃ『筋書の無いドラマ』という『先立つ物がない未知への挑戦』
その『進む流れが運命』だから、運命に抗うも何も『流れを作ってる』のは『己己共』
それに気づいてはッ!とした時法度の『転機』で改行(行いを改めて)して反省してリターン(原点回帰)
法度(法令。特に、禁止のおきて。禁制。禁じられていること。してはならない事柄)
『禁忌』に『法度』気づくんですよ?そりゃ『反省』して悔い改めて行い変えて、それを『転機』にまた一からやり直すでしょ?
日本語って凄いよね
エンター・・では何も伝わらないか、無理やり『名と体』をつけるなら
縁多・・改行して初めからやり直せば『多くの縁に繋がる鍵』
という『漢字のノー天気』な話でした(伏線回収)
やっぱ記事を『過多型』してると、まとまりつかなくなるけど、ぽーっとすると
『転機』が訪れて『過多型turn!』と行いを改めてまた、『縁多の神様(天の己)』の流れのままに『人の己は共に進む選択』をすると・・
ここどこ?未知( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)oh迷子!(私の神)
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