好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

お盆中は浮遊霊や未成仏霊の影響を受けやすい理由

死生観について話す事が多いお盆、親族トラブルが起きやすいお盆、ありとあらゆる理不尽な感情や争いに、まさか浮遊霊や未成仏霊が絡んでた!?に納得する体験をしたお話

普段は明るい家族が急に豹変

死生観や宗教の在り方について、私はビジネス色が強くなり、正しき祖先への敬いの心が偶像化され、形式化され、金銭の価値によるトレードオフの宗教を完全に否定する強い論調で説いた

すると、まるでお経によって悪霊が具現化したかのように、自分の信じる宗教を否定された母が強く反発してきたのには驚いた

その反発の仕方はまるでだだっこのようだった

みんながやってるから!
先祖代々そうやってきたから!

という自分の考え無しの発言で黙らせようとしてきたので、さらに厳しく

なぜ?どうして?おかしい事は山ほどあるのにその現実からは目を逸らしあるかどうかも分からないあるという事も証明できない偶像物語の世界観を信じるのだ?

という口調になると、ついにはくたびれたかのように重いオーラを放ち、一緒にいたらこちらまで落ちるような暗い波動をまとってだんまりしてしまった

昔の私なら、売り言葉に買い言葉などの口喧嘩をした場合、その場の空気が悪くなったら逃げるように離れたが、今回はこのままにしておくとまずいな…と無意識に感じたのか

今度は幼稚園児に理解させるように、ひとつずつ丁寧に
だってここがおかしいでしょ?ここもおかしいでしょ?

という事は…これっておかしいよね?

そうやって、今まで、教えられてきた通り、みんながやってきた事だから、それが当たり前だと思考停止して、自主的に考えて来なかったであろう

なぜなんだろうね?という部分を自分の中で噛み砕いて理解できるように諭すように伝えていく

段々とこちらが伝えたい意図が理解してきたのか、表情が穏やかになり、相槌も増え…となってきた時、明らかに表情もその場の空気も軽くなってきたのも感じたかと思いきや

部屋に差し込む夕日の光が暖かく、まるで母の感情変化に呼応してるかのように変わっていった。まるで何かが天に召されたような・・

その後は最初のネガティブになる死生観の話題に戻っても同じような空気になるような事はなかった

・・という実際の体験を持っていたから、その後たまたま見た動画で語られていた、お盆の感情の不安定さの内容がすんなり入ってきた

お盆の時に思考がネガティブになる理由

これはとても不思議な事の証明でもある気がします

基本、私は普段から潜在意識の自分の意見に素直に従っているのと、内観によって状況変化が自分の心の変容にどう影響しているかをモニタリングしているので

外的要素による感情の揺さぶりがあれば、すぐに気づいて修正対応(チャクラと呼吸)してます

またそんな話や、やってる考え方を普段から聞いて、少しずつ理解が進んでる母も、常にポジティブであれ!(楽しむ)というメンタルコントロールを意識しているので

自分自身の悩みで落ち込む事はほとんどないです

お互いの問題点や欠点など嫌な所よりも、お互いの良い所をみつけて伸ばす方向性で生きている2人にとって、ネガティブになる要素はないんですが

しかし、そんな母が急に強い口調と聞きたくない!という拒絶反応を強く示し、なおかつこちらに対して否定の口撃まで返してきたので・・

そら、なんかおかしいな と思う訳です

そんで見つけた情報がお盆時期の霊の話

未成仏霊や浮遊霊の気持ちになって考えよう

お盆という行事は浮遊霊や未成仏霊にとって、アットホームな家族の元に帰る存在たち、それをお帰りなさい!と出迎える存在たち

あの世とこの世の掛橋を繋ぐ行事です

もし、そのどちらにも属す事ができない存在達(差別・区別)がいたらどう思うでしょう?

宗教に否定的な人があの世という楽園を拒絶する話をすれば、『誰にも見送って貰えないから行けないんだ!』思い込んでる未成仏霊が寄ってきて、その感情を誰かを通してぶつけたい気持ちはわからなくありません

しかし、ぶつけてきた感情の中に『極楽はあるはず!きっと成仏すればいけるんだ!!』という思い込みだけで、確信はない状態

あるなら行けばいい!
現世に執着しないで目指せばいい!
果てしない冒険の旅に出ればいい!

それが前向きな気持ち、軽さ、ポジティブ

しかし、あの世に行けないのは現世の人間に供養されていないからだ・・という思い込み

それが後ろ向きな気持ち、重さ、ネガティブ

結局、あの世に旅立つという行動すら、他人頼り、宗教頼り、他力本願誰かに帰依しなければできないのか?

死んだら物質は持って行けないのに、地獄の沙汰も金次第?どこまで金欲ドロドロの思考に捉われてんだよ・・その創られた概念に囚われて死んだ人は、盲目すぎて現世の状況が見えてないのかな?と思った

そもそも論として、手放す事で軽くなる
全てを手放した時、やっと人の意識は旅立てる

底(其処)から離れるから上がるんだよ

肉体は風化、火葬され土の養分
築き上げた資産も金も他人の私物になり
地位も名誉も上書きされて消えていく
最後はそこに執着する意識を手放せるかだけ

そんな達観した思考になれない!と多くの人は言うと思う。当然だと思うのは意識の違いがあるから

魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・

魂の年齢リターンズ 新型コロナ騒動編

物欲や金欲、地位も名誉も手放せない人
愛憎劇を楽しむ事を選んでる人
花鳥風月に目覚め自然を愛でる人
動物を愛し愛される事を楽しんでいる人

いろんな人がいる中、宗教という創られた概念に帰依して思考停止になっている人は、一番大事な常識や概念から解放される旅立ちの門の前にいる

詐欺師に邪魔されてるようなもんだよ?

宗教を全部否定する訳では無いが、最近の宗教と葬儀と法律などがビジネスで融合している姿を見てどう思うか?

旅立ちにもお金や資産のランク(戒名)が決められ、それに苦しむのは、送る側である家族なんだ

旅立つ本人は、迷惑かけたくないから、海や川に散骨して自然に返してくれればいい という願いを持っていても

市や法律は環境汚染になるから撒いてはダメだと言う
自宅の庭ですらダメだという

窒素リン酸カリウム、鉄、その他諸々・・人間の成分に環境汚染の有毒性はなく、太古の昔から人は人の屍を越えて生きてきた訳で

それが今は法律でダメだという
解決策は何か? お墓を建てて納骨しなさい

なるほど、仏教の意見がだいぶ強いようですが、そのお墓を建てる場所がない!という理由で、火葬されて粉になった骨壷を何年も床の間に飾って、待機児童ならぬ

待機納骨者が大量にいる現実は無視している

私なら、火葬後の灰が環境汚染に影響があるかどうかを科学的に分析した上で、特定の指定エリアにおいてのみ自然散布を可能にすれば、多くの人がそれを利用するようになると考える

お墓の場所がなく待機納骨になってる問題も解決できる
それによって、お墓じゃない建物を建てる土地として有効利用出来ると思う

誰だって通りかかった場所がお墓だらけだったらいい気持ちはしないから、お墓だらけの土地は街の景観破壊の最たるものと言える

家族もお墓代、継続的な土地管理費、維持費もかからないで負担もないから、故人を失った悲しみの先にある自分たちの人生の時間にお金を有効利用できる

結婚資金に貯めた400万が、親のお墓代400万に消えるでは意味がまるで違う
その後のその人の纏うオーラや波動にも暗い影を落とす事になる

それを一気に解消して、多くの人をポジティブにできるのが火葬後の自然散骨
土葬式の海外ではできない火葬がスタンダードな日本だからこそできる方法

邪魔してるのは

お墓という土地を確保する行政と法律
お墓用の土地を斡旋する不動産
仏教・檀家・永続的に家族を宗派として囲い込む宗教

宗教と政治とビジネスという絶対に混ぜ合わせては行けない談合ができている

これらを強くいえば、「先祖を供養しないなんてバチ当たりめ!」という大義名分の脅しの反応が返ってくるのは多くの人が予想できてるだろう

また、周りもやってるからという同調圧力地域ぐるみの入会ともなれば村八分が怖くてできないだろうから、以下の疑問を持っていても、表には出さないが、ひっそりこっそりネット検索してる事だろう

戒名で金とる謎?金額の違いは何で決まる!?
お車代という暗黙の謎風習、タクシーやガソリン代は経費だろうが!
金額で読経する坊さん人数増えるシステムの謎、むせる修行が足りん坊主は何!?

等などの当たり前に疑問に思うけど、誰も言わないから言えないという金を払って当たり前という宗教の同調圧力に屈している

ただ、罰当たりはどちらか?と思う

そもそも先祖から子孫への意志の継承とは、血の繋がりではなく、すぐそばで生き様を見て育つ過程で多くの物を無意識に吸収している

親のする行動や発言は、模範となってきたそのモデル(の親)がいて、その親もまた親や尊敬する存在のイズムを継承してきている

無意識に心地よい、馴染む!と感じるからこそ、習慣や癖となり自然にでてしまう。その習慣を教えられ、癖をよく見かけるようになるから、無意識に子供の頃に真似をしたり、潜在意識下にすりこみになっていくが、それが何世代前から始まっているのかは知る由もない

それは状況に応じた発言や行動、態度、意思表示、あらゆる面で、その同じ空気の中にいる事で精神的に継承されているが

肉体の死は最後の物質的な継承の儀式

その空気を感じられなくなるという別れ体験の学び
本当の意味で二度と味わう事のできない事を痛感する悲しみ

だから別れを惜しむ涙は出るし、しばらくは気が滅入るし、深く落ち込みもする。でも、そんな状態の自分にすらも、失われた大事な人の過ごした何かが残ってるからこその今の自分があり

今度はそれ(生き様や最後の継承)自分が伝えていくという生き様への使命や責任を感じて、より人として強くなるための人間性を成長させるとても崇高なけじめ

そこに死をビジネス化して邪魔を入れて、儲けようとするのが宗教なんだぜ?

それを否定するなら、試しに火葬後の自然散骨の許可を出してみればいい

お墓参りというただの習慣行事からの解放
お盆という概念からの解放
ビジネス化した葬儀、宗教感への違和感

これらから多くの人が離れて世論が変わると思う
そのくらいビジネス的な宗教は私利私欲に走りすぎている事を実感するだろう

大事な事は、先祖を供養しないとか、するとかでなく

肉体はいつか滅びるさ、火葬され土に還る時、先人たちとの思い出を糧に前を向く心構えを持って、いつかその日が来るとわかった上で一日一日を大切に、大切な人と心穏やかに過ごす

そして、得たものを誰かに還元していく
宗教観なんざなくても、これが正しい事だと思う

・・と、語っていたら宗教を否定される事に激怒して疲れていた母から、憑き物が取れたように空気が変わったのを不思議だな〜って思ってた答えに納得がいった

太陽の日差しがとても心地よく自然に涙が出そうになったから、前向きに成仏&迎えが来てくれたのかな?

宗教的な概念の浮遊霊という言い方に沿うなら

死んだ事がわかっていない
まだそんな知識もないまま意識だけになった存在たちにとって

世間の日常が非日常に変わるお盆の時期は特別と言える

普段は様子見すら来ない人が墓を訪れ、墓を洗って、線香をたてて石に向かって拝み、家では門に迎え火、仏壇には供え物

急に死を意識し、死のイベントを目の当たりにし、こんな大イベントが起きてるのに、自分には送ってくれる人も迎えてくれる人も居ないから参加できない

そんな寂しい気持ちもあるだろう

現代でいえば、働きたいのに働けないニートが、お盆休みで親戚一同が集まって来て居場所がないと考えればわかりやすい

そら、ふてくされもするし、誰かを道連れにしてやろうとか、邪魔して口喧嘩させて、空気を悪くさせてやろうとかやさぐれる

その気持ちも分からないでもない

だって現実でも波風立てる必要も無い芸能人の不倫を徹底的に叩く人もいれば、帰省しただけの人に心無い陰口叩いて感情を逆撫でするような人だって、生きた世界にもそんな心が病んだ余裕がない人もいるんだぜ?

そら、浮遊霊だってやるよ?え、?浮遊霊の感情の影響のせいだって?
ちげーわ!どっちもどっちの波長が会うから共鳴してんだよ!(# ゚Д゚)タワケ

でも、その嫌な感情の原因は、死してなお、肉体を失ってなお
宗教という概念の中の風習の呪縛に囚われているから生まれる感情

それさ、生きてる時に気づけばこんな感じで、何かに帰依すればどうなるじゃなくて

お前はどうしたいんだ?
何が望みなんだ?
何が欲しくて、何を拒むのだ?

それは知識を蓄えた脳みそという肉体ありきで考えて出すもんじゃなくて、そこから離れた意識の中で、これが好き!これが心地よい!そんな望む世界を創造する事から始まるから、周りを見るのではなく己を見る(知る)事が大事

自分が意識した世界が創れられる
世界とは自分の意識の中にある

その創造に意識がシフトしたらもう底にはいない

現世に囚われる理由はない

だから、お盆という風習がビジネス化した偶像崇拝儀式が無くなれば

現世で生きてる人の意識も強く保たれ
死してなお概念に囚われた意識存在も次のステップに進める

ただ・・その救うべき浮遊意識の数はひとつ、ふたつではない・・(-ω-;)ウーン

結局、私の有難い説法(ビジネス宗教は多くの死生観を狂わせる話)を聴いて成仏した存在は母に一時的に取り憑いた1部の存在だけで

人間個々、外的要因によって感情の波長が合いやすいのはあるんでしょうね(病院行って初めての治療して来たからかな)

実はお盆中のネガティブなオーラ(八つ当たり)を持ち込んだ姉もだったのかと思うほどに、明日からお盆休みだというのに、帰ってきて開口一番、理不尽な八つ当たりの暴言を受けた

危なく怒りの感情に釣られる所だったが(;´∀`)セーフ

姉も現実主義というか常識人(頭硬い)というか

与えられた事はこなせるが自分では考えられない
外面がよく人に合わせて疲弊する
理不尽な常識に逆らえず苦しんでいる
周りの顔色を伺って空気を呼んで同調圧力に屈する
右へ習えの指示待ち人間

だから、現実や常識、多くの人が抱く概念を否定する人間を拒絶する感情に憑りつかれやすい

私とは完全に波長が合わないから、ちょっとした会話でいちいち好戦的に暴言や感情を出してくる

(……あれ、?これって母親に取り憑いていた奴の初期症状と同じでは?)

そういう意味でいえば、姉も憑りつかれやすい??

風水って奴を信じたくなった出来事

昨日から部屋を片付けて邪気(こびりついたホコリ)や穢れ(ウエットティッシュと消毒液で)を落とし、断捨離して物を大量に手放す模様替えをして、一旦部屋のもの全部だした状態の何もない部屋で、麻雀やったらドラ5(龍→ドラゴン)出しまくりという奇跡に驚きつつ(余談)

俺には龍が味方している!?(゚Д゚;)これが風水か!

という要因から考えると、姉は綺麗になった私の部屋の前を通るや否や嫌悪感むき出しの表情で理不尽に怒ってきたのだ

これは一線を引いて結界ができたんだろうか?エクソシストのように、姉に取り憑いている負の存在にとって居心地が悪くなった

と考えると、母との論争で途中から聴きたくない!という状態になったのも同じ要因とも言える(負のオーラを変える力)

また、思い出してみて思ったのは、以前、特定の周波数を出す音叉を鳴らした時、姉はとてつもない大きな声でヒステリーのように

『頭が痛い!その音を出すのをやめろ!!』

目に見えて苦しみと怒りをあらわにした事があった。当初は、どこか体でも悪いのかな(;´Д`)と心配したのと、あまりの怒りの形相に、部屋にいる時は鳴らさないと約束するほどまでにまさに絵に書いたような

エクソシストな悪魔よ!去れ!の除霊時のリアクションに近かった

単純に特定の周波数が体に悪いのか?という線から他の家族にも同様に試したが、キーンって甲高い音だね?くらいで普通のリアクションしかなかった

という事は、姉には何かが取り憑いていると考えたほうが自然だ

そして、私と波長が合わない(私はそのキーンの音叉の音が心地よい)という事は、かなり低俗な意識存在と波長が同調しているのだろうと予測

部屋はステラレネーゼのカタヅケラレネーゼの昨今珍しくもないOLの特徴と同じ
あと一歩進めばゴミ屋敷と化す可能性があるが本人はそれが居心地良い模様

掃除も行き届かない(動く範囲だけ)だから衛生的にも良くないのは間違いない
風通しの面から見ても、非常に悪く空気の通り道ないから風水的にも劣悪環境

これらも含めて、波長があった意識だけの存在と同調しているのだとしたら、その波長を好む存在にとって姉は居心地のよいゴミ屋敷になっているからこそ、その状況を変えようとする波長の私を断固拒絶するんだろう

という事で様々な過去の因果が辻褄があってくる事になるので、ほんと人生を通して目に見えない学び(気づきや発見)の奥は深い

まとめ お盆の時期に感情を左右する意識存在たち

そもそも幽霊や浮遊霊といった概念自体が、誰も確認もできない宗教定義とテレビ番組などので植え付けられたイメージでしかない

しかし、確かなのは死を迎えると物質的な肉体は活動を停止し消滅し、同じ人間は同じ時間軸に存在しなくなる事

肉体を失った魂と呼ばれる生前の意識は戒名という固有名詞を得る事で、仏の門下生になり修行の道に進むと言うが、その姿は家族ですら見送る事はできない

では戒名という現金で取引しなければ得られない固有名詞を、生前に与えられない魂存在は、名前がないというだけで仏の門下生になる事はできないのか?未成仏霊や浮遊霊という、まるで劣等生のような差別を受けるのか?

そんな金を払わない奴は入れぬ!通さぬ!という場所の中に本当に心休まる楽園はあるのだろうか?

分からない事を多くの人が再現性を持って確認もできないのをいい事にビジネスに置き換える宗教というものを度外視しても、そこには確かに物質的な要素は消えても、肉体に囚われない意識が存在していてもおかしいとは思えない理由はある

これは幽体離脱体験をして、自分の寝ている姿を見た事がある人ならわかると思う

そして、その意識体の自分には意思があり、行動ができる、感情がある・・だが、そんな中でも毎回自分の姿を鏡で見ることはないため、その時、自分がどんな姿をしているか?は分かっていない夢の延長

「魔が差した」
「あの時はカッとなって」
「冷静さを失って」

どうしてあの時、あんなに感情が強く前に出たのか?後で冷静になる時考えて見て欲しい。それはそこらに浮遊する感情の意識体と波長が合いすぎて、肉体を一時的に乗っ取られた状態だと

お盆の時期はそういう存在(お盆という空気の変化)がうようよいる可能性があるので、怒りの感情からは離れるように

そんな意識体が苦しみながらも、最後まで話を聴いて心地よく旅立てるのは「宗教を信じなさい!誰かに伝えてお坊さんのお祓いをうけて供養してもらいなさい」

ではなく

ビジネス宗教概念に囚われるな という解放の説法

だと思った、お盆の一コマでした_(._.)_

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. こんばんはたぬきち様
    お盆の霊についての話妙に納得しました。
    今回のお話も大変勉強になりました。ありがとうございます。

    • ツヨシさん いらっしゃい

      納得したという事は、思い当たる体験があったという事ですね(;´∀`)理不尽な八つ当たりやもめ事等かな
      正しいか、正解かとかそういうのではないので、そういう考え方もおもしろいなくらいでw

      ちなみに、この話には、その日の夜の怪現象というのがありまして(笑)それはまた後日書きますね

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