好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

感覚的量子論 49日の不思議 そして老子(因果)の相似に導かれ・・

葬式を終え、また元の日常に戻った一日目。さて今日は何をしようか・・と動画を探すといきなり目に飛び込んできた老子に関する情報。元々、老荘思想がベースにあった私へ新たな導きの一歩と感じたお話

老子に関する動画

私はFloating Storiesの取り上げる動画や観点が好きで、どこか私にとってシンクロニシティを感じさせる・・と思って私には『私の体験・体感からの捉え方』があるが、この動画の製作者の物事の捉え方の観点も『ひとつの目線として参考』にしてきた

その動画主が『このタイミング(私にとっては因果=念仏を納悳)』で公開された動画のテーマが『老子』であった事が、何よりも『シンクロニシティ』であり、『新たな始まり』を感じさせた

この動画の中で出てくる言葉は私もカタカムナから感じ取っていた

カタカムナ61首 無意の空間

徳の仕組みや儒家を皮肉った考え方も相似

一攫千金(損得)ではなく一覚潜錦(尊徳)

老子の言う『徳』は自然に無心になる事で繋がるものとの事で、私的にはこれかなと(笑)

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

老子全編で語られている心を『空虚=無』にする事で、自分の内に『深い静けさ』を保つこと(明鏡止水)
万物が生成変化して、再び根本に立ち戻っていくのが見て取れるという事(意識転生)

これも『体感で納悳』している経験がありました

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

意識転生 1→0→1 住人十色 =人の主は人

呼吸に集中し、心身を柔軟にし、赤子のような状態でいる・・というのは
『呼吸瞑想』と『ジュニアーナ・ヨーガ』でも体験しました

独自チャクラ理論 無意識に釈迦の呼吸瞑想していた

無意識にやってたのはジュニアーナヨーガ?

世界はあなたに聞いても聞こえない言葉で語りかける。あなたはその言葉を受け取らなければならない
その言葉を受け取って道に従う者は、道とひとつになる

これも『全体の観測の中の一人の位置=GPS ONE』=受け止めるクッション性=『Sponge』として閃き理解してました。『急に閃く』というのが、『私が受け取らなければならない言葉』として道とひとつの状態なのかもしれません

spongeのアナグラム ONE GPS(観測全体の一人)

全編の最後の締めで触れた、老子という書物には『帝王学や天下を取るという記述』がある・・というのは

私は、老子が『人物』ではなく『集合された書物(編集物)』であるという事の『裏付け』だと思います
例えるなら『宗教統一』、『虎の威を借りる狐』、『真を真似』した『人の為の偽』が混ざる

老子という『思想』の中に、『別の思想』が『老子の振り』してまとめられている
まさに異物混入ですね

これは仏教では阿修羅が戦闘神となり、元はアースラという自然の法則を伝える一族だった者
またそのインド神話の古典のアーユル・ヴェーダに置いても、後半では自然神が悪として描かれたりと

解釈に『都合』が生まれているのも同じ事でも、『利用しようという思想』によって『元』を変えられて『貶められる』訳ですね

ま、後編を観てから判断してみよう

という訳で、冒頭から夢研究のユング、ニールス・ポーアなと、私も興味を引いて追ってきた独自の目線をもった哲学的な探究者の名前が並び、その人達もまた『老子』を追っていた

これも『今の心(念)』が求める『仏・イム=忌=己の心』ならば、全ての人類探求者の『果』が『老子』となる

ろうし の言霊は 空間が生まれる示し

まさに『想像力』そのものである

老子という生き様の『果』を追う事で、想像が膨らむ『因』が始まり
これは文字通り、『老(果)→子(因)』でもある

これについては、以前、『結果から気持ちを改める』という意味で『果結修改』としてまとめていたのも同じ事

気づきを経てする果結修改

私は最初『老師』だと思っていたが名が『老子』であるという事に『忌み』が有るんだろう

子が老いると書いて『しろう』と読む

『知ろう』とすれば、求めた何かの『探求』が始まる
そして老子となれば、『老いて子に伝える老師=先導者』となる

『子は始まり』であり、『想像力の固まり』であり
「知ろう!」という『意欲』がある

つまりは好奇心や意欲のままに『好きにさせよう』という事

ここで対比として孔子を読み取ってみよう

こうし の言霊は 転がり入って生まれる示し

これは『元』に対して『何かが混ざる』 と読み解ける

智慧(知識)が伝わるともいえるが、それは『元』とは違う
侵略とも浸食ともいえるし、DNAに対するmRNAの逆転写にも言える事

そんな孔子が遺した格言は

由来 『大智度論』「女人之体、幼則従父母、少則従夫、老則従子」
老いては、子に従え

元々は、三従(幼少時は父兄に、結婚したら夫に、夫の死後は子に従うこと)の一つで、仏教や儒教の教えとして、女性が守るべきものとされていたもののようですが、最近では高齢の男女をさしているようです

解釈違いで間違いが多発しそうです

『老則従子』 この中に『老子』をあえて入れているのが、老子を比較対象とした『孔子のプライド』な印象を受けます

結局の所、『子』というのは『環境(親)』によって『思想』が変わっていきます
例えば、『名家』ともなれば『家督を曲げる事』は許されず、『心に浮かんだやりたい事』ができません

『裕福な家に生まれた』からと言って、必ずしも『やりたい事』ができた訳ではない
そうやって無理やり『親が生み出した家督』を押し付けられた者は『想像力』を失い

そんな『嫌っていた親を模倣』して与えられた地位や名誉を『創造』し『子』にさらにそれを『強要』していきます
まるで『DNAが狂った細胞』が『自己消滅』できなくなった『癌化していくような教え』です

故に『因果』はこうまとめる事ができます

老子は『自由な想像力と創造力』を与える教え=自然
孔子は『不自由な思考停止の創造』を続かせる教え=不自然

まさに雁字搦めの『格子(檻)の行使』では、人は『不自然』になって行く

私は『姥捨て山』という習慣は『孔子の教えの過程』にあると感じました
時の為政者が『役に立たなくなった老人を山に捨てさせる』というのは

『老人=知恵を継承させる者』が『子』に『都合の悪い事を吹き込む』のを恐れたからだと思う

理由は簡単です

老いる前は、子供は『親が与えた環境・ルール』に『思考停止』で従順に従った
しかし、それが間違いだった・・と気づいた頃にはもう『子が生き写しのかつての間違いの自分の模倣』をしている

そんな『時代の流れの子』に従ったら「老人(親)を捨てろ」という命令にも『思考停止』になる
「それは間違いなんだ!」と伝えたくても『老いては子(かつての自分)に従え』という因果応報

始まりの『因=孔子』から、その孔子の『教えを盲信』する事から間違った『果』
『mRNA(孔子の教え)』によって『DNA(老子の教え)』がhackされた『遺伝子組み換え』と相似

老子は『想像力を産む空間の示し』
そこに『転がり入って思想を産む示し』が孔子

『元』を変えている

『異物が混入』して『DNA』が書き換えられる
『発想が不自由』になり『自由な想像力』が『失われた子』になり

雁字搦めの格子(檻・ルール)の行使の『持続可能なSDGsの子』が続くという『一切皆苦』・・

『不自由の因』をよく理解して『結果』を観る『先世見』をしたら
『自由を求める素直な子』はそうならない為の『想像力』を産みだす

大和の心 先世見の言伝は左記(左寄り思想)読み

そして『老子=自由』に辿り着く

夢の仕組みを研究したユング
物理を解き明かそうとしたニールス・ボーア

その他、同じ道の『独自の想像力を起点』した哲学者達という『先人達の意志』を宿す
先の祖を人と共に養う=『先祖供養』

生まれた時代は違えど、一つの意志の『流・龍』の中で『如来』たちは繋がっている=多宝塔如来
それらは『虚空蔵菩薩=癌を打ち砕く独立したNK細胞』

『閃』によって繋がる『かつて存在』した誰か=言うふるとり
『名』は無くても『体(生き様)』が残って継承されていく自然=『元』を求める意識

知ろう子老しろう・・老子老師ろうしろうし
孔子格子行使公使、こうし・・子牛を載せてドナドナ(売られる)だな(笑)

そんな老子が伝えた『タオ・道』
『未知=未だ知らない』であり『路=口止め各』である

たお の言霊は 分れた奥
みち の言霊は 光・実態の凝縮

道の先は未知=未だ知らない
それは老子も知らないから『知ろう=探求』とする『子→老』に至る

想像(子)が創造(老)となり
創造(老)を元に想像(子)が生まれる

私にとって『老・果=創造』とは、かつて『子・因』だった
『想像力豊かだった探究者達』が遺してくれた『生き様の哲学の言葉』

その『創造物(老)を因(子)』として
今の心=『念』が想像を膨らませ『仏・果の創造』になる

これもまた『念仏=老子=因果』なり

『自由な想像』には『制限』が無い
しかし『物理の世界』では不自由な『概念の問題』が山積みだ

その問題に巡り合い自力で解決する事を『釈迦』という

という事は釈迦は『因果』の間の『過程』である
元(因)に心を巡らせる事で『恩』を感じる

全ては『因果=老子を知ろう』とする『有難い学び』である(笑)

ちなみに私の夢の中に現れた老師は・・
球体を輪切りにして美味い所だけを食べる事を教えてくれた

それは『4・師・志・死』を食う=取り込むという事だろうと今なら感じる

22を食え 師の師に奉公して学んだ事

49日の忌中=己の心の中
死後の世界と向き合う時間

これほどまでに『気付きが多い』とは・・有難い縁(一人一)『優円大姉』の戒名を得た母の恩恵に感謝

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