ライオンズゲート第十三夢。『僕らは皆死んでいる?』という仮説に対するアンサーのように、『僕らは皆生きている』という『主+体性』の大切さについてのお話
僕(主)と下僕(体性)
お前が『自分』の事を『僕』という
僕とは『人の業』と書く
しかし、それは意識の在処を自己認知する為の指標の『主』であり
その主に従がう『下僕=下の僕』とは『体』である
この『主』と『体』と宿る『性質』
これを持って『主体性』という『物質エネルギー』になる
これで、『可能』と『不可能の制限』がかかるから
『主体制=主の意志によるコントロール』とも言える
ここで主が『無茶苦茶』な事を求めれば
不可能だと『道理がない』ので『無理』をする事になり
その無理を『無理やり』行う為に『他力を求める』ようになる
・・通りで『無理』をしなければ『生きていけない世の中』になっていく
必ず『無理に借金』をして『依存が必要』になっていく
理由は『我慢』をして『足を引っ張り合っている』から
『誰かの幸せ』が『誰かの不幸の上』にある
これは、『周りの話』ではないぞ?『お前の話』だぞ?『心』して聞け?
お前という僕の下の下僕とは『体』である
お前という『主』が体の性質、体性を率いる『リーダー』だ
お前が取り入れた『食べ物』で
『味覚』は『脳を満足』させ『一時の幸せ』を得るかもしれない
その反面、下僕である体は、その『毒素を分解』し
『異物』を溶かして、跡形もなく消して、そして栄養として吸収している
毒素を分解というのが、『問題を解決する事』と捉えた時
それが『自然の道理』ならば何の苦労もなく『自然の摂理』で問題はない
しかし・・『自然』にはない『人の業』が生み出した『毒』を欲して
『無理を通せば道理が引っ込む』
『簡単な問題』が、複雑困難な『無理難題』となって
『下僕の世界』に降り注ぐ事になる・・
というのは、もう詳しく言わなくても
夢であの『神話のような景色』を見てきたお前ならわかるな?
あれが『創造主の選択』によって『自己認知している世界全て』に起きる変化だ
『自分(僕)』にとっては『たいした事がない』と思っていても
『体(下僕)』にとっては、『創世記の再来のような地獄』なのだ
僕ら(主)の世界が『生きている』ように
下僕(体性)の世界も『また生きている』事を
「よくよく(欲欲)考えて、ゆめゆめ(夢夢)忘れるな?」
・・はい、(;´・ω・)と反省するに足る十分ごもっともで返す言葉もありませぬ・・
お盆、友人との再会、心も楽しく精神もリフレッシュ・・の反面
普段は食べない食べ歩き、(欲してる?それ本当に欲している?)という
みんなが進める『人気の食べ物』を食べては『腹』を壊し・・
壊れた腹が『治りかけ』にまた、『普段食べない物』食って腹壊し・・
『私』という『主体性』には『合っていない概念』を取り込んだ結果
私にその『耐性』は無かった
例えるならば、足るを知って満足して『鎖国して平和だった胎蔵界』に
『領土侵略の金剛界の野蛮な連中』が殴り込みしてくる『開国』をしてしまったような
その『自己を労わらない繋がり』を創ってしまったのは・・「お前だからな?」と
お前の『穏やかな理想の細胞世界』を『洪水で災害』にし
そして『火事場泥棒』のように『異物混入』でぼろぼろにさせた
あげく、続きの夢では、お前は『自国』なのに『異国』にいるような『多民族国家』のような景色もみただろ?
その後に、だんだんとお前は『友達と穏やかに楽しく遊ぶ夢』を見たのは
何回かの空腹の絶食期間をへて、『侵略された細胞が自己消滅』して
元の心に納めていた『朋達が復活した世界』だったからだぞ?
もともと『洪水やその後の侵略された世界』なんて「見なくてよかったんだぞ?」
いいか?よくよく(欲欲)考えて、ゆめゆめ(夢夢)忘れるなよ?
・・はい、(;´・ω・)と反省するに足る十分ごもっともで返す言葉もありませぬ・・
・・と、先祖達のアドバイスは『戒め』を伝えると同時に
『主体性』というのは、『私の意識一つ』ではなく
この世に『人という物質』としてカタチを持った『共同創造の細胞』
その細胞の中にいる『ミクロな共存環境の生活』もあるのだから
『主(一)』が間違えば、『一切皆が苦しむ事』になる
・・これはまた反転した捉え方で『自己認知』が変わりました
今まで現実では
一切皆苦は、一切(全て)の皆は苦しみ耐える我慢
一を切り離し、皆は苦しみの中だから、一が孤高の道を切り開く
のような『一の位置』に『主』があり、『切って』考えていた『皆の苦しみ』は
そういう『好き勝手やるから自業自得』だし、気づきは『人それぞれの段階』だから
ほっとく=『仏悳』と考えていた
しかし、今回は、その『皆苦』とういう対象は
僕に付き従う下僕=主の『体性(体の性質)』だったと『痛感』した
それを踏まえると
腹が鳴る=細胞の民の声
痛みが起きる=細胞の民の声
便意、尿意=細胞の民の声
その『音で世を観る観世音』とは
僕(人の業)が『釈迦』となり、釈迦の三千世界が『体性(世界)』であり
釈迦となって『衆生を極楽に導くためには?』と『向き合う事』だとも感じた
『内観』とは、現代風に言えば、『国の統治者』が『国民の声』に耳を傾け
『適材適所』で全体のバランスを考えて『支配=支えを配る配慮』の事
問題が『起きる前』に、起こりうる問題に『気づいて抑止』する
問題を欲して求める『自我(エゴ)を持つ』・・と捉えると
エゴとは『希望(問題)を求める事』に納悳する
癌・・になる前の『発癌性』にいち早く気づいて『見つけ次第問題解決』する
ナチュラルキラーな『NK細胞は虚空蔵菩薩』という解釈も間違ってはいなかった
あんな突拍子もねぇ夢で・・『ピンポイントでそこ』に繋がってたとは(笑)
そうか・・夢の中での『囮捜査』とは、『自意識の波紋』か
『波紋が反響』して『反応』した所に『問題(癌)』があるから出動か(笑)
先祖のアドバイスを元に、『体験した事を自己反省』すると
なんだか納悳して腑に落ちる=『自身』がつく=自ら『身につける』
新しい発想=『新しいDNA設計』という共同創造
これが『遺伝子(先祖達の意志)の力』か・・
『朴念仁』という言葉がある
物の道理が分からない人。分からず屋
これは『音の響き』を変えて『自己表現』すればわかりやすい
僕念人
『人の業』と『今の心の人』
『客観的な分らず屋』に対して
『主観的に自己理解』をしようとする
という『真逆の姿勢』になる
故に意味を忌みにせず、与えられた他力を鵜呑みにすると間違う
せっかく『精神の成長の機会となる言霊』も『間違った自己認識』をしてしまう
そうやって『異伝子』を『遺伝子』として生み出してしまう
遺した事が伝わる子/伝える子=正常な継承細胞
異なった事が伝わる子/伝える子=間違いで生まれる細胞(発癌性)
先祖達も言ってる事が『全て正しい訳ではない』のは
後の子孫の代に『継承されてきた事で生まれた物事は知らない』から
『預言や苦言』は『先世見』でできたとしても
「・・なんでこんな事になってんの??」という『何故』はある
何故とは『人の可能性故』に・・『想定外』は『憑き物』だ
『人の業(主)の選択』について回るから憑き物、それを『下僕(体性)として内包』していく
だから遺伝子として『人と共に宿した先の祖=先祖供養は『元』
「元を正せば・・」という始まり(原典・原点)に『観測の目』を向ける
それが朴念仁(物の道理が分からない人)ではなく
僕念人(『人の業』と『今の心の人』)として自己理解を深める
人の業=僕=『主』というものが『先祖達の遺伝子』ならば
『今の心』というのが『人の意識の観測と選択』である
その今の心を観る=『観念』する
それは『先祖と遺志と向き合う』という事以外の何物でもない
そして、「僕は念じた人になる」=『意志による理想の再設計』
その『僕』を『支える下僕』にもその『恩恵』を与える
これが『自心=息の届く範囲の域様(言動・行動)』に『現象』として現れる
表に現れる=『表現』されるまでそれは『存在しない』
存在する前に、『主+体性の再設計』が行われているのが『観念』した状態
僕(人の業)らはみんな『生きている』とも言えるし
僕(人の業)らはみんな『死んでいる=死中に活を見出している』とも言える
全ては『潜象で共同創造』で生まれたものが、『現象として現実』に現れる
『言動も行動』もその『息の届く範囲の域』である
その『声が届く範囲』が変われば、『自己を労わる領域』は増していく
なるほど・・
お盆・ライオンズゲートで対話したそれぞれの先祖達の言葉が
私の中で『和足し』になって「和心とは何か?」に『統合』されていくようだ・・
和足し7割、戒め(差取り)3割ってとこか
まさに波(73)を1に起こす731計画=生物兵器実験(笑)
『兵器』ではなく『平気』を生み出す実験だろうけどw
かつての日本人の精神は『和足し』と『遊び心』に溢れていたのだろう
言葉遊び、同音異義語、駄洒落、韻を踏む、語呂読み
『生活の知恵』とその『体験の継承方法』を『自己表現の形象』で生み出し、それを独占する事なく、『平気で和足す心域』
『表現の自由』と『自発的な発想』とそれを良し!と『十人十色』、『皆違って皆良いの精神』があれば『人の可能性』は『夢現』に広がる
『この現実』も『区切りをつけない夢』だからこそ
『夢の使者』は『和足す事』ができるのだろう
心に素直になる・・『心』とは時空を超えた『大事な氣綱』なんだ
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