ついに新風を巻き起こす自己表現の弥勒世代が登場したか!とたまの再来で話題の古山菜の花の曲を聞いて感じた事
たまの再来!?という賛否両論
最初のハーモニカの入りで、ゆず?ジューク?アコギでどう表現する?と思ったら・・
それは透かしで、さわやか系からいきなり曲調が怪しい『流しの語り』のように
昔話?おとぎ話?現代風刺?そしてその謡い方、演奏、リズムの取り方で生まれる
『仕切り直し』の独特な歌の世界観、メッセージ性は「もののけはいないよ」というのは・・
それは『人(の振りした何か)の仕業だよ?』という『警告』とも言える
語り聞かせる相手は『子供向け』、昔のNHKの『みんなの歌』にしっくりくるような
「なんという自己表現の化物だろうか!」と第一印象で持っていかれた
私も審査員と同じタイミングで「やられた」と思った(笑)
これは・・「たまの再来だ!」という『たまの音楽性にやられた世代』は『既存の表現』をしてしまう
というのも、『たま』というバンドは後にも先にも『前代未聞の未知』だった
その未知が今は『道』となって人に「こんな道(音楽)もあるんだ!」と
『インスピレーション』を与えたが、それ以降、『たまの再来』と呼べる『存在』がいなかった
雰囲気は似ている、真似ているアーティストはいれど『オリジナル』はいなかった
だから、『その道の跡』に生まれたから『型』『形』にしなければ『言葉』で表現できない
人は『知ってる言葉』でしか『認知も表現』もできないから
大枠のジャンルでは『既存=たま』でも実際は『未知』というジャンル
これで『未知』という『存在を認知』した
『未知との遭遇』によって引き起こされる『インスピレーション』は計り知れない
例えば、この『もののけはいない』という曲に『絵師』は『どんな世界を描く』だろう?
この『歌詞を深く考えた子供』は『何を思う』だろう?
それこそ『未知から未知』が生まれて、『認知』が広がって『様々な道』になる
『前例(たま)』はあっても
前例とは『違う道』を進む未知(未だ知らない)
これは釈迦の後に『釈迦の跡を辿る弥勒』のようなもの
弥勒の意味は、『歌や詩、石に刻んだりして自己表現する者』
その自己表現の未知の歌に『感化されたクリエイター達(弟子)』が
これから『連鎖反応のように自己表現を生み出す』という意味では
いずれ彼女もまた『釈迦』になる存在
ADOやYOASOBIのように商業的なポップカルチャーの『大衆受け』はしないかもしれないが
この人の世界観、「どこからこんな独創的な発想が生まれるのか・・?」と
『底知れぬ人の真理』の奥の『精神』に惹かれる『コアな人』には刺さる
公式チャンネルの他の曲も聞いたが、現実感、リアリティある表現も多く
やはり『たま』とは違う未知の道・・
結局、全部の曲を聞いてしまうという、この謎の魅力こそ、『音楽の自己表現』の面白いエネルギー
『音』の『表現』を『楽しんで』いるように感じるから音楽ってやっぱり『そこ』だよね
誰かの『共感を得る』ために創るのではなく『自己満足』
それを『生み出した事』で作品は『物語として完結』している
彼女が他の曲でも引用している『影法師』
彼女こそが『人の影』から観ている影法師の現代風刺
ついに『新風を巻き起こす真』がでてきたか!と
短いたった一曲だが、強烈なインスピレーションを感じた
存在を見つけた事に感謝だ(一人一)有難い
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