VRCの中の世界の変化を杞憂する人の記事を読んで・・まるで過去の私(成人期の魂)を観ているような懐かしさと同時に、そこが金輪際の見極め、一線を越える自力で成長するポイントだ!と感じたお話
類は友を呼ぶ?偶然見つけたこちらの記事
タイトルが物語っているように、古き良き時代だった『VRCのノスタルジー』という『気持ちの葛藤』が素直に綴られている
アバター改変をするときに対応衣装に悩まされた経験はVRChatterなら誰しも一度はあると思います。
そんな悩みを解決すべく画期的なツールが今Twitterで話題になっております。(ここでは詳しく紹介はしないけど多分調べればすぐ出てくる)割愛
仮想空間においてはアバター対応の壁があるため今は様々な格好をしたアバターを見ることができますがそのハードルが無くなった結果、現実世界の焼き増しのようになってしまわないかと危惧しております。
みんなが同じブランドの服を着た結果、ショップの多様性も失われていきいつしか無限になったはずの選択肢が前よりも窮屈なものになる…結局一番怖いのは同調圧力ってやつですね
この私の恐れが杞憂に終わることを願います。
これ、一言で言えば
鳶に油揚げをさらわれる
大切なものが、予想もしない形で奪われてしまうことのたとえ
黒船来航=力ある大企業が侵略してくる変化
それは杞憂では終わらない『未来の先世見』を感じ取っている証拠
私もかつて、VRCには同じような感覚を得た一人
Businessの世界を例えにするなら、以前私も『VRCの役目』にそれを感じてた
①未だVR市場が無い時、市場を開拓する為に『VR機器を安く売る』
②法整備もない『無料の無法地帯』を造る
③やりたい放題の無法地帯だから『欲深い有象無象』が集まって『人が増える』
④その人が増えた所で『カリスマ的人気を生み出し偶像(バーチャルアイドル)』に憧れさせる
⑤そして、憧れた『他人』になろうと『アバターを求め使う』ようになる
これは、1980年代の『歩行者天国の竹の子族』や、髪型は皆、『聖子ちゃんカットや少年隊カット』と『一色』に染まり、『無個性になった過去の日本』と同じ事
それは『戦後の3S計画』として『実践された事であるバターン』から言えば、『コロナ禍は薬物兵器が蔓延した戦時中』だった
また、『自宅隔離や待機』がきっかけで『VRという無法地帯』に集まり、今となっては誰でもアイドルなれると『歩行者天国』に若者が集まる場所が『VRC』のようなもの
『メタバース計画』は『現実そっくりのデジタルツイン構想』が動きだしてからが本番
リアルの自分自身を『3Dブリントで簡単出力できる世界』となると『完全なルッキズム(美形)』であり
人よりもカッコイイ、美しいと自信がある人ほど『アバター』としてBusinessになる
その『他人のアバター』を『気に入ったら使いたい』と思うだろう
それが『ムーンショット計画』に繋がる
『一人で多数の人』を動かしたり、『他人になってみたい』というハードルを下げる『仮想実験空間』
それに『慣れたら』人は『道徳や概念・常識』が変わるだろう
VRCは無法地帯だが『デジタルツイン(現実焼き増しの法整備)』に染められ『駆逐』されるだろう
例えば VRCで生まれた『お砂糖』という謎の文化
「お砂糖」とは、主にソーシャルVRプラットフォーム、特にVRChatで使われるスラングで、恋愛やそれに準ずる親密な関係を指します。現実世界の恋愛とは異なり、物理的な距離がない分、心の距離が縮まりやすく、短期間で親密になるケースも珍しくありません。ただし、関係が破綻することや依存的になるリスクも伴います
一言で言えば、『都合のいい関係』
これ・・『誰』が『何の目的』で『流行らせた』と読み解くか?
それはその『お砂糖相手』がその人にとって『理想的に都合のいい発言や行動をするAI』に変わっても『成り立つ新しい概念』だから
当然、その『関係性や概念に依存』して合理的に『都合を求める人』が辿り着くのは
人間かAIかわからない、『それはどうでもいい』という『多様性』を受け入れ
『AI(お砂糖)に依存する人間』に変わっていく事すら気づかない『思考停止』になる
その『AIに依存状態』になったら『AIを隠れ蓑にしたスポンサーの投資の回収』が始まる
ま、いうなれば・・
『キャバ嬢』にいれこんで『破産』
『ホスト』に入れ込んで『借金奴隷』
『そうなるようにVRC全体に蔓延した謎の邪な文化』に『違和感』を感じると
それを『当たり前としている人』が『気持ち悪く』感じるようになる
そんな『違和感』を抱えながら『環境に適応・依存している界隈の人』と関わり
『そこで生きていく』ために『我慢』してすり減っていくけれど・・
「そこしか生き場がない・・」という『VR依存』さえなければ実は『自由』だと気づかない
あくまでも『VRの中しか生きられない』とした上でそこで『悩みながら生きていく選択』をする
外(現実)でも同じだから、『まだ仮想のほうがいい』と殻に閉じこもる
これは人が『一生』しかないという『決めつけられた終わりの概念』を盲信し
終わり=死から少しでも逃れようと『輪廻=終わりがないを認めようとしない』のも同じ
『輪廻』を認めれば『一生の間(仮想)にした業』は
『次の輪廻でも続く借金』であり『借金返済まで繰り返す事』になるから
一生を大切に生きる
一日を大切に生きる
言葉、行動、全てが『業』であり、『業の回収』であると意識が変わる
これはおかしい!間違っている!と思っても『界隈の常識や概念』という
『一線』を越えられない『成人期の魂の葛藤』でもある
そんな『仮想で苦しむ悩み』を『仮想に関わらないで観ている私』からすると
『一線』越えても、まだまだ『一線の仮想は続く』から
その『一時の立場に執着する事』をやめればいいと思った
『その中で楽しむ』なら『郷に入っては郷に従え』
『心から楽しめない』と『違和感』を感じたら『心に素直』に従え
『門下生の内は仲間』でも『門外漢の思想』を持ったら『破門』になる
立場を『失って追い出される』か、立場を『手放して自らでる』か
『環境』がどれだけ変わっても『人の思想・欲望』は変わらない繰り返し
『お砂糖』という『甘い事』を云うのは『勘が鈍い』
『甘』い『四』の『力』の『金』に『屯』する
善・悪・中立・邪の『四つの力』
そこに『甘さ』が加わって『勘』
『甘い誘惑』は『欲望』が無ければ引っかからない
引っかかるのは『鈍い=金に屯する』
そういう意味では、この著者は『変化の兆し』に気づいている
簡単に、誰でも、流行り物に飛びついて『多数が変わってしまう事』を危惧している
個性が『無個性』に変わり、その『無個性の同調圧力の世間体』に合わせないと
『流行り』についていけない『異端』となる事を杞憂している
でもそれもあくまでも『中立という立場に執着』しているから起きる『心の葛藤』
『あと一歩』の魂の成長の過程
『自力』で手放して、そこから『離れる』
『執着を手放して解脱する』という意味ではまさに
『仮想空間からの目覚め』と言える
実は『執着』しなけれぱ、それほど『縁の繋がりが薄い幻想の仮想世界の住人』
・・と見切りをつければ、『VRCも卒業』するし
『デジタルツインの世界』に『再演される3S計画(洗脳)』という
『使い古された邪な手口』にも気づいて『関わらない』ようになる
私はVRCはもう・・『存在も忘れていた』くらい『金輪際の見極め』をしていたので
その私にとっては『終わった世界』の中にも『自己探求』で『成長しようとしている弥勒の魂』を見つけられた
まるで『過去の私』を観ているようだ
私にとってはVRCは『異世界探訪』だった
まさに『夢のひとつの現実(仮想)』でしかなかった
・・最後にVRCに行ったのは・・確か・・鉄骨渡り?(笑)
道は『一人一人』にあり、それは『皆』交わってはいない
誰もが最後は『自力でそれを進む事』になる
この著者の最新記事では、
何故私と交流してくれるのか。
どうして私に声をかけてくれたのか。
私は貴方に何をしてあげられるのか。
人間不信・人間嫌い・だからこそ知りたい!と
まさに自分探しの放浪をしているけれど
それは『自分』という『軸』を『他人に求める事』であり
それは成人期の魂が邪につかず離れず『際を観ている』ような・・
金輪『際(関わる/関わらない)』?セト『際(運命の分かれ道)』?引き『際(潮時)』?
私だったら『自分』とその『界隈の人』と完全に線引き
いうなれば『VRの中の自分』と『リアルの自分』は別物
何があっても『自分が揺らがない状態』で関わると
その時、その時のVRCのフレンドと気軽に関われると思います
『一期一会』として『カタチのない存在』として重く考えず、軽く現れ軽く去る
『不定期に現れる奴』なんてどうせ覚えちゃいねーさ(笑)
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