膨張(マクロ)と縮小(ミクロ)はシミュレーションで同時に展開するから無限に増える関係性と気づけば、高次元も低次元も現実も多次元も私は私が創造主だと気づくお話
夢がミクロでありマクロ
ある仮説をシミュレーションした
私は夢を見る事が出来るだけでなく、『五感の体験を記憶』する事ができ、それを『夢日記として記録』する事が出来る
これを『仮想空間の私に与えられた能力』だとする
この時点で、仮想空間の出来事を『体験して観察記録をつける私』を『観測している私』という仮想空間の外の『マクロが想定』出来るし、実際にそれは体感した
仮想空間の『外の私』は、名乗らずに『夢でヒント』を与え、仮想空間で『するべき行動への意欲を後押し』し、そのするべき行動に『必要なものを予め用意』しておく事で
仮想空間の私は『まるで引き寄せ!まるでシンクロニシティ!』と喜んで意欲的にそれを『実践』して、その『体験の感動』を『心に抱き夢』を見る
そして、仮想空間の外で『その夢を観測している私』はそこで思う
Σ(゚д゚;)なんじゃこりゃ!!想定外
混ざり物なく、『想定通り』になるはずと『自分で生み出した仮想空間』のはずなのに
想定通りになるはずの『シミュレーション』でなぜこうなるのだ?と『何故?』を思いながらも
…だがこれはこれで…『面白い』な((└(:D」┌)┘))アヒャヒャと『トラブル』を楽しみ、イレギュラーは『イレギュラーとして楽しむ私』
それは、『仮想の夢の世界を与える側』もまた「お前にこのヒントを与えたらどんな夢を見せてくれるんだ?」と『科学反応』を楽しむようにまた『想定外が生まれる事』を期待する
さて、この『創造主たる私』が生み出した『仮想空間の私』という『条件を限定したはずの思考シミュレーション』の中でどうして『想定外のイレギュラー』が生まれるか?
それは創造主の観測できない『ミクロな領域』に『マクロを生む創造主』がいるという事
つまり、『今の私』が『仮想の私』だったとしても、自由意志で『あらゆる想定をする想像力の思考シミュレーション』を心穏やかに『心に素直にできる』ようになると
私もまた『純粋で素直な仮想シミュレーション世界の私』を生み出し『観測』している事になり、その『思考シミュレーションの世界の私』が『体験の結論』として『夢』を見せて返してきた事
その『夢の体験のフィードバック』を『現実の私』が、『現実的な物事』に照らしあせて相似する事象に『例えて表現して記録』する
そうすると『思考シミュレーションの結果』と『現実表現が融合した夢』となる
これ『VR・AR=XR(複合現実)』『仮想空間の情報』が『現実に投影』
そんな『メタファー化された夢を観測』している『今の私』という思考シミュレーション世界を与えた『マクロな私が見る夢の記憶』には
その『マクロな私』では気づく事が無い、『ミクロな自分の思考シミュレーション』やそのシミュレーションで『体験した情報』が含まれている為に
『想定外の結果』が『確実』に生まれる
…そうか、これが宗の意図の図の『中間に起きてる事』なんだ(≧∇≦)b理解した
私が寝起き閃に感じた
マクロな私→私→ミクロな私→私→マクロな私
宗・素=主の糸・経糸(warp)
この2という『割る知恵(分断・分裂)』の先に
『教という二極化(善悪・明暗)』がある
だから『想定された宗教から離れる事』が『主の糸=素直』であり『宗の中の示し』
これは『思考シミュレーションの創造主』になる時も同じで、まず自分は『絶対的無(存在しない)』
そして、ひとつの条件に『対極の相反する思惑=思い惑わせ分裂』を配置する
これが始まりの『ウ冠1→2に分断』
この2の『割る知恵(主・宗の教え)』からさらに
『2の割る知恵(教育)』が生まれると
どちらのポジションにも『身の置き場のない中間』が生まれる
ここに『主の糸=素直・宗の創造主の意識は再誕』する
かつて『右に分断した極端な言い分』は知ってる
かつて『左に分断した極端な言い分』は知ってる
『自分で想定した因果』だから
『嫌よ嫌よも好きの内』・・というのは
『気にかけている』時点で『どちらかに執着』している
だけど、主や宗は、自分が起こした『因果の教え』はわかっていても
『どうやってそうなった?』という『過程で生まれる邪な変化』を知らない
だから『因』に『心』を巡らせ『恩恵』を感じる
この場合の因に心を巡らせるとは…
『今の意識』は『仮想空間の何層目』にいるんだろう?(´-`)oOと思うようなもので
宗・主糸=素直な『中間』ではあっても…どれだけ『元から離れた経糸(warp)の位置』なのか?
どの階層にも『経糸(warp)は繋がる』が…深い階層ほど…『邪魔な邪』が大量にある
だからまず『極端な善悪の空間=端間理』を知る必要があるのだが・・
この現実の階層ではとてもわかりやすいサインだったのが
コロナ禍の『ワクチン打て!』という『極端な分断』の役目
これ今思えば面白い『盲信の説法』になっている
『極端な善』は『人の為の思いやりワクチン』と言った
でもそれは新薬の人体実験だよな?
と『極端な悪』に気づいてると『責任重いヤリワクチン』という
偶然にも『おもいやり』と言う言葉に『善悪の極端』が集まった事により
それを『盲信して善意の押しつけ』をしてる人は
『悪意に気づかない偏見・邪に囚われてる盲信者』で
「マスクつけろよ!」と『価値観』を押し付けたり
未だに「ワクチンのおかげで助かった」と言ってる
『都合のいい情報』しか『聞く耳持たない中途半端』な奴も含めて
ネットは言葉に『精神性の低さ』が現れ、現実の『態度や行動』にもそれが現れ
だからこそ、『正気』になるのは簡単だった
目覚めるとは『中間』になり『周りに無関心』となり『心に素直に向き合う事』だと
その結果、一番最初にやりたいと思って『自然に始まった』のが『釈迦の呼吸瞑想』だった
これが『経糸と繋がる=主の意図=自分を導く自分の自由意志の思考シミュレーションの共有』
『ゲームクリエイター(想定)』と『プレイヤー(体験)』
『主の観測』は『プレイヤーの世界(階層)』になる
しかし『主の意図』を解釈し『主の意志がwarp』で現れるように
『思考シミュレーションの世界に降りた主』が
『思考シミュレーション中に思考シミュレーション世界』を作り
『その思考シミュレーション世界の中の自分』に…
実はこれ…『ロックフェラーの計画(役割)』を匂わせる映画
マトリックスよりも明確に『世界構造』を表現している『映画13F』に似ている
そしてやっと意味がわかった
なぜ仮想空間に『降りた創造主を殺した』のか
なぜ仮想空間に『生まれた創造主を現実に連れて行った』のか
なぜ仮想空間の住人は仮想だと気づいても「この世界を消さないでくれ」と言ったのか
生み出した仮想世界の人を人とも思わず好き勝手『自分のエゴを満たす為に殺人』をする創造主の意識
始まりは『人の為のサービス』として『仮想空間を生み出した創造主の意識』
昔の『純粋だった頃の旦那の意識を育て』迎えに来る妻
その仮想空間から意識が戻る新聞の日付は『2024年』だった(映画公開は1999年)
この映画は『2024年にVRゴーグルが市販されている』と言う事を『明確に預言』していたと言える
と言う事は?
この世界もまた『極端な支配者』からすれば
『想定済みの仮想空間のゲーム』のようなものだが…
その『想定』は『主の意図』が与えた『極端な役割の教え』であるとするなら
そのどちらか、あるいはどちらもという偏見や邪ではなく
『そもそも!』・・というその『極端な世界』を『想定した主の意図』は
それぞれの精神階層における『学びと教えに気づく事』だったはずだと
そしてそれは、今の私の意識にとって『精神の成長を促す為』であり、この人の間という仮想空間の体験で『有り得た可能性』の気づきを
主として『真言・念仏=真を言う今の心が仏』として『仮想の役目を完遂』する事こそが『業を修める修業』である
極端は『想定の役割』としてどこまでも『教えの継承によって膨張』するシステム
しかし、その『ミクロな領域が膨張』して『邪』が増えれば増えるほど
『反面教師という学び』が増える事も想定済みで『解脱難易度』も上がっていく
『釈迦』とは『問題に巡り合い解決するという意味』であるからこそ
釈迦の三千世界=『思慮深い仮想シミュレーション』とも言える
『始まりが思考シミュレーション』ならば『思考の中で想定』する事で『元が想定してない思考シミュレーションは広がる』けれど
そこからの『フィードバック=ミクロな人の夢=儚』から『面白いイレギュラー』が生まれるからこそ、その『夢(仮想の複合現実)を元』に、また『仮想の新たな想定』がミクロにマクロに『膨張』を続ける
『人の間』は短いが、その『体験は夢』
『儚い夢物語』が『千夜一夜物語』を紡いでいく
想定の中の体験で生まれる『イレギュラー』
それが『夢の重要性』なんだろうと感じた
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