図解すると簡単にわかる原子と分子=宗の教えであり、二元性とは主の糸(素)である元の意志に気づく為の学び(万教帰一)であると気づくお話
悪はなぜ敵視されるのか?
『悪』とは何か?
悪の『行い』とは何か?
『悪行』とは何か?
実は『悪ひとつ』では存在できない
悪は『役割』なのだ
『役』を割った『対立する存在』がいて
始めて『悪』となり『悪の行い』が成立する
つまり『善が存在』するから『悪』が成り立つ
それが『達に成る』と『達成』されて『対極という極端』が生まれる
これを『ウ(冠)』と読み解くと物事は『一つ』から『二つ=対立・分裂』する
そして『分裂した先の一つ』からまた『分裂』を繰り返す
始まりを『原子』としたら、そこから『派生した二つの原子』が
それぞれの『役の行い』の為に『分子(役割)として結託』する
その役割の下にまた役割が生まれ『対立する分子の数』が増えていく
そうすると分子『達』という『数』が増えていき
そのうち偏見を持った『異分子達(役割の違う)』が結合し
世代をまたぐとやがて『中間』が生まれる
これをわかりやすく図で説明しよう
まるで『隔世遺伝』のように、1の意志は3→5→7と
『世代』をまたいで『中間に経糸』として現れる
そして、その『経糸』を生み出す為に
『二つの極端』に分かれた『役割が機能』しなければいけない
それを『宗』として『一つの意志』から『相反する二つの役目の教え』が生まれるが
その『二つの役目が継承されて機能』していく事で世代を越えて
『左右の邪な偏見』にも、『極端な横糸』のどちらの教えにも影響されない
『主の経糸』で繋がった『素』が生まれ『直の心を継承』する
これは宗から派生した『教えに帰依』するのではなく
『宗そのもの=主の糸=素を示す』となる事であり
それは『新たな始まり=創造』を意味する
そういう意味では、『シミュレーション』は『3次元で完成』し
以下はより『邪に分裂した偏見』による『蛇足な思考が蔓延』した『無限の二元性』が続く
『二元性・偏った異分子の役割の宗派』は増え、『情報過多』となる
情報とは『心の主と月』の『幸せに反する』と書き、それが『多過ぎる』と書く
その右往左往とギシギシ満員電車のような中で『中道』に辿り着くには
『真・我以外一切皆苦』として、『主の糸、宗の意図(示)』だけに『素直』になる事
『教えという役割』は、『参考』であり、『参考人(ランキング)に振り回される』と『偏見・邪』に傾く
『真っ直ぐな縦の意図』が横に『波』打って歪む=『周波数の影響』を受ける
だから、主の心、宗の心=心と繋がる
『心の示す音』を聞く=音で世を観る=『観世音』
主の糸が『素』であり
宗は『二元性』を示している
『教え』を『ウのみ』にしてはいけない
ウの中に『示している心』を感じ取れば
『心に素直』に『悳』で繋がる
心臓はバロメーターの臓器、心の主の『月の部分』
『ドキドキ』も『ワクワク』も『ハラハラ』もする
カタカムナで読めば面白い事がわかる
ドキドキ は 次々と内なる統合のエネルギー
ワクワク は 次々と調和が引きよる
ハラハラ は 次々と引き合う場
私は『悪とは何か?』『ウのみにするな』という、閃きから始まったこの記事が
どのような『結末に至る』のか、心に素直に『ドキドキ・ワクワク』して描き始めた
その結果、書き始めでは『想像』もしてなかった『宗』という漢字を『図解する閃き』が来て
それを描いていく内に、『主の糸=素=縦の意図』が見えてきて『何を伝えたいか?』がわかった
と、同時、表現が難しかった『邪や善悪の偏見』という宗教的概念は
『教え』とは『主の糸=素』を『邪な偏見へと分断』する『横糸の役割』であり
それは『可能性の夢を見る世界』を『より広げていく役目』でもあったのだと感じたと同時に
これを『反転させた世界』=(描かないので想像してください)も存在すると気づいた
『真言密教的な世界観』でいうならば
このひとつの始まりから『下』に向かって分断して広がる世界は
『争い』を起点に『可能性の世界』が広がっている『金剛界』
しかし、『和の心』を起点に『争いの無い可能性』を広げる
『一が支え』となって『全』が成り立つ『胎蔵界』があるとしたら?
『砂時計のような形』が見えてくる
そして、仮に『邪』がどれだけ広がる『金剛界』であれ
その『中間』には胎蔵界へつながる『宗の始まりの心』が『隔世遺伝』のように生まれる
1→3→5→7→9→11→13・・無限
何処まで行っても必ず『地獄に仏心(中間・周りは仏悳(ほっとく))』が生まれる
これが『菩提樹=木』ならば、その砂時計の構図すらも
『下』には『根』を伸ばし広がり向かう下心=向下心
『上』には『枝葉』を伸ばして実をつける=向上心
その『実が地』に落ちて、また『新たな現実の種』として根付き、『木』となり『実』が現れる
これが胎蔵界=母胎=『子』を宿す役目ならば『可能性の夢』を与える事になる
やはり『宗・示申=神』であるが、それを『ウのみ』の『冠』にしてはいけない
『冠の上』は繋がりが無い二元性になり、その下には『元寸』となる
原寸:元々の寸法、つまり実物の寸法を指す
『二元性の教えのみの世界』では、『正法=主軸』が失われている
『軍』とは、二元性は『車輪』の如く
『運』とは、車輪が『回って進む』が如く
『極端な教え』に偏った挙句、どちらでもない中間は『主』が無い縦の『糸』を感じた時
その『縦の糸(中間・哲学した先人達)の意図』を手繰り寄せ
そして、『心が素直』に『ドキドキワクワクする方へ』と進んでいくと
それがまた『世代を超えた形象の継承(主の糸=素直)の道』として
直接、道は繋がっていないが、『自然に主の糸口』を掴んで教えではない『宗(はじまり)』に至る
そうか、これが『万教帰一』か!
「万教帰一」とは、様々な宗教の教えは、根源的には一つに帰するという考え方です。特に、新宗教で用いられることが多い概念
『新宗教』・・というと『カルト団体』なように思うかもしれないが、『失われるたびに世代を越えて復活する主の糸』とも言えると感じたのが
私が導かれてきた『大日如来』の巨大な像の周囲に、様々な『波羅蜜』が書かれていた中、『正面』に書かれていた言葉が『万教帰一』
新宗教ではなく真言の『宗』なんだよね(笑)
ちなみに『経糸』というのは、英語で書くと『warp』という
まさに世代を越えて、地獄にも仏が現れる=『現一切色心三昧』のようではないか
「現一切色身三昧」(げんいっさいしきしんざんまい)とは、法華経に説かれる、菩薩が衆生済度のためにあらゆる姿を現すことができる神通力のことです。特に、妙音菩薩や薬王菩薩がこの三昧を体得している
・・と、記事を書き始めた時には、『ここまで繋がる』とは想像もしてなかった・・特に万教帰一
全ての宗から分離した『教の極端』から、徐々に『位置(一)』が離れ『心』に寄り添い始める
『心を労わろう』という『心構え』になっていく
どれだけ教えが『万に広がろう』と『帰る主軸の一』の位置は『心』
『万が一』や『万に一つ』の可能性、それが『ウが示す』主の糸=『素直な心』
『帰る』という事は、もう『極端も偏見も役割』だったんだと、心に素直に『納悳』して業を修める、その為に『全てがある修業』
『無(全てがある夢中)』の為の無為自然=自然の法則の恩恵
横糸(役目)の影響を受けず、その縦の糸(主)に調和する『和の心』を得る事で
宗を解釈する=『万教帰一』
『釈迦を説く・解く=役目を解法』する
それが『和を持って貴し』という精神か
これは劇場版シン・エヴァにおけるエンディングもまさに、「さよなら、全てのヱヴァンゲリヲン(役目・役割)」で『和心』をもって『新しい世界で目覚める』と一致する
私はこの記事の中でこう書いていた
だから、八百万の神とは、日本に限ったものではなくこの世界の創造主の意志そのものであり、その意志に気づかせるために、善悪という種(DNA)を持って生まれた人間がバランスの中心を見つけて新たな創造をする役割なんだろう
『意識のステージ』は違えど、『心が素直に感じた事を声明』していたから主の糸=素の軸は、やはり時空を越えてWARP(経糸)で繋がっている
閃き→気づき→現実と照らし合わせ→相似を見つけ→また閃きへと・・
『この先は未知』・・を『心のドキドキとワクワク』に素直に突っ走っているが
『ハラハラ=周りの影響』は一切しない『背中を押す風』を感じながら
大丈夫(釈迦)、僕=人の業の場合は!と『間違いの教え』のギリギリの『金輪際を見極めて仏陀切る(chop)』
そして書き終えて読み直してたら、そういえば、過去記事でも
宗の示しの中に『示し申すは主である』と表現した漢字(祖指示)について書いてた事を思い出したので一応
『祖(先人)の指示』に従う事が、『主の糸』であり、『経糸』であり『WARP(時空を超える)』
それは『心が申す事』に『素直』に『悳』を積むという自然体(ありのまま)
周りに影響されなくなった『ありのままの素直な生き方』をする事が
『貴方』という『中道』として『必要な場所で必要な役目を達成』する事
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