好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

仏教のベールに包まれたバアル信仰習慣病

前から疑問に思っていたなぜ仏教では髪を剃る=ハゲにするのかの理由に、ベール(秘密)に包まれたバアルによる神に反する行為が習慣づけられていたと気づいた、門前で習わぬ経を読んで聞かせる小僧』の役目の話(先人の警鐘と継承)そりゃ魂レベルが高い人は宗教入らないわ┐(´д`)┌入口から試されている罠

家を出たら出家

『家出』と『出家』はなんで違うのか

家出
家を出ること、家族に無断で外出したまま、戻らないこと

いや、家では戻ってくる(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)

出家

これまでの生活や家族、友人など修行の妨げとなる世俗の生活を捨て、仏教の修行をすることです。 現代では、それぞれの宗派の定めにしたがって、お坊さんの資格を得ることを出家と言い、僧侶を指して出家ということもあります。 出家をせずに通常の日常生活を送りながら仏教に帰依する人を在家と言います

あーうぜえ(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)

私は思うんですよ
なぜ仏教は『神の気を剃る』のか?

『髪の毛がある人』はわかると思うんですけど、四季折々の微妙な空気の変化、湿気の量、あらゆる外気のセンサー的な役割を果たすのが『髪の毛』です

『髪の状態』が良ければ良いほど『精神面・健康面が安定』しています

また日本人にとって『黒髪』というのは実は『神秘』です

『自然界に黒という色素』は限られています。理由は簡単で『黒は全ての色素を混ぜないと生まれない』からです

『髪の毛1本のDNAで人が複製』できてしまうほどの『情報を集約』し、その時の体調や精神状態の変化も『白髪や脱毛症』など見た目にで現れる非常に『重要なアンテナ』を…

『出家』したら『剃る』んです

剃るとは『反る』

『弟に刀』を向ける
『神に反する』行為

この意味が『仏教徒』には分からない

カインとアベルは、旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟のこと。 アダムとイヴの息子たちで兄がカイン(קַיִן)、弟がアベル(הֶבֶל)である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの神話において人類最初の殺人の加害者・被害者とされている

仏教に入門する時、『大事な髪を切り落とし』、なおかつ『定期的に神を剃る』行為は…

文字通り『神に反する習慣づけ』
『仏教徒』は『異教徒の教え』を知らない

『自分で考えない』『与えられた教科書の概念』『常識として鵜呑みに帰依(依存)』するから

自分が『何をやっているのか』分かってないまま、注文に従い『味付け』されていく『西洋の注文の多い料理店の餌食』

カミソリが『剃刀』だと『弟に刀を向ける事』であり
それはそのまま『神の意に反する行為』をしている

そう読み解けるのも、あらゆる情報を見聞きして『見聞を広げる事』ができるようになった『混沌の末世』で、なおかつ『無宗教・無信仰で平和という環境』だからこそ

『オシャレ』でやるなら別にいい
『髪型』変えて気持ちいいなら『神の気を人が楽しく遊ぶ神楽』

髪は『剃って』はいけない
髪を剃るとは弟に刀を向ける

それは『神の教え』=『同族を殺すな』の教えに反する

逆に言えばそれが『カインの教え』
『神を殺せ』=『髪を根絶やし』にする

またカミソリという読み方が…神Sorry 『ごめんよ神』

せっかく生えてきた『産毛を根絶やし』にする
『神の意志』を伝える『新しい繋がり』を剃り落とす

さらに面白いのが

剃る=SOL=『太陽』
『神は太陽』と言っているようなもの

『原始仏教が中東の方』から始まったと考えれば、『太陽崇拝が始まり』だとしてもおかしくは無い

が、繊細かつ『超自然的な感性』を持つ人、更には『月に関する神』の多くは『長髪』である

ある意味でそれも面白いのが『出家と家出』に戻るが

アダムとリリスと神の家が「ハゲにしろ!」という『出家強制環境』だったら

「私はハゲは嫌!」と『自分の髪=神=意志』を大切にした『リリスが家出』しても間違いではないなと(戻らない)
「戻らないなら、お前は絶縁=『出家扱い』にするぞ」=世間的には尼さん=八尾比丘尼?

そう言えば『キリストは髪フサフサ』だけど、ローマの元老院は『みんなハゲ』だったような?
悟ってる仙人はだいたい髪も髭もフサフサ

『出家』は結局、『髪』を切り捨て
『産まれ続ける髪』を『剃り続ける』

そのまま、『神を切り捨て』
生まれ続ける『新たな神に反する事』を続ける

『自然に反する事』をしている

髪にしても髭にしても、『伸びるとは成長』であり、『そうなる設計が自分の中』にある

『それに反する行為』をし続ける事は『都合のいい体裁を保つ現状維持』でなんの変化もない

…と、『門に入る前』で、『門の中の矛盾』に気づいた小僧は、『混沌の末世』に生まれる事で、『宗教の入口』に潜む『矛盾の罠』を見抜く事ができた(。-人-。)感謝

なぜ、宗教や教えの『垣根を越えて知恵をつける者達』を『権力者が弾圧』してきたのかわかった。それは『どの宗教』にも必ず『自然に反する習慣づけ』が隠されている

『日蓮はそれを見抜いた』から『新たに宗派』を産みだした

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(前編)

その意志を継いで、新たに『新しい流儀=子供育てる方針を産みだした人物』と、今の時代に新しい芸能事務所を創り、そこで子供向け番組から始まり、現在では『本という創作をしている人』の『人相が似ている』のも不思議な縁だ

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(後編)

さらに、その弟子ともいえる二代目は、子供むけではなく「大人を変えなければいけない!」と『出版社を立ち上げた革命活動家』と、現在、それと同じように『独自のスタイルで活動している政治家』の『人相が似ているの』も古木日本人の意志が宿っているのではないかと感じる

ルシファーの因子を追う 戸田城聖と山本太郎

『本(経典)の質に妄信的に忠実』であればあるほど、その『仕込まれた異教徒と相容れない教義』の部分で『対立』を起こし、『お互いの教義がほとんど大枠は同じ=お互い様』である事に『意識が向かない』ようになっている

互い違いの二限の69を見通す目

逆に言えば、その部分を『冷静に比較検討』して「これは間違っているよね?」と『異物として経典から解毒』する事が出来れば、おそらく『教えの発生元は共通=法則』だという事に気づくだろう

だから『切り捨て』か!!Σ(゚д゚;)大切

私は今、『船を解体するゲーム』にハマっている。『単純な作業の繰り返し』だが、繰り返しだからこそ『合理的な作業判断がすぐできる』上に

『解体して得た資源でスキルアップ』する事で、より『効率的に無駄』を省いて『必要な資源だけ回収』出来るようになった(全部は破壊しない)

その影響が、『出家で髪を剃る』という『仏教の無駄作業の是非』に繋がったとしたら…それは『不要な解体ポイントに回収トラックを横付けする』ようなもので、毎回そこに『戻らなければいけない手間』が発生する

髪を剃る…髪を剃る…生え続ける限り毎日、それを坊さんはやるわけだ(普通の人以上に煩わしい作業)

『自然の大切さを伝える仏教』なのに、『人の生き様の過程で生えてくる髭や髪』だけは『自然に生えることを許さない矛盾』

その根幹に『強いコンプレックス』があったと思う
『ハゲを皆に求め強制』する=『髪』が生えなかった

これも創世記の一文の『カインへの大地の呪い』に例えるなら

大地はアベル(弟)を刀で殺したカインに対し「お前の種は育たない」という呪いをかけた

これを『髪の話』に例えれば
『種』が育たない=産毛を剃る=神に反する=『髪剃り』

こうとも捉えられる…となると

創世記のアベルとカイン
『弟』を『刃物』で殺した『兄』
『神に反する行為』をして大地に『種が根付かない呪い』を受けた
民には「カインを殺さず追放しろ」と警告した

=円形脱毛症(中心はカイン=サイトカイン=炎症)
スコープの〇に十字を『サイト』というのだから、ならば中心はカイン

「今ここにカインがいるので巻き込まれないように離れて」

サイト

これ『ハゲ』の事やないか(  ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし

カインの周りは『不毛地帯』になる。結局は『円形脱毛症を隠す』ために『髪を剃って』も、カイン以外の『自然は神(DNA)の意志で再生』する

『カインの傲慢の為に殺される』とは・・再び生きろ(  ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし

剃っても『生える場所』
剃らなくても『生えない場所』

そこに『遺伝』という『先祖達からの業』があり、その『業を回収してくれ』と『子孫』に託す

『ハゲも遺伝』というし『病気も遺伝』という。しかし『代を重ねる事』に『耐性をつけて克服』していく過程で『DNAが変化』していくし、『一世代で突然変異』する事もある

それはその『人の行い=行動=業』

例えば、髪の毛を生やしたくて生やしたくて、『あらゆる化学薬品』を使って刺激しまくった結果、その人に効果はなくても

『次の世代がその悩みがなく生まれてきた』としたら、それは『先祖達から託されたハゲの悩みを克服した』のだという『業の回収を果たした』事になる

病気も同じ事、何代も何代も『同じ病気で・・』という事を聞いて『何もしない人』と、『それを克服しようと動いた人』が『遺した意志のDNA』は違う

こんな風に『ハゲ』にしても『病気』にしても遺伝として『遺される事には意味』がある

髪の毛は『内面の健康のバロメータ』でもあるのだから、『入門』でそれをやるのは『愚か』であり、さらには『やり続ける』のは『思考停止の莫迦のひとつ覚え=生活習慣病』

『習わぬ経典の教え』を詠む『門前の小僧』はかつては『門の奥の地位』に上り詰めた『転生者』
「この門の向こうには真理は無い」という『不毛な真理は理解』した

それは『門前』だから『門の前』に『人』が立つ=『閃』

『髪の毛=神の気』を大切にしよう
『釈迦や仏陀』はみんな『長髪』(巻いてるだけ)
『キリストもロン毛に髭』

元老院やら仏教の長は『てっぺんハゲ』

英語でハゲはbald
後の響きはバールド…バアル…

バアル(聖書ヘブライ語: בַּעַל、フェニキア語: ba’al、ウガリット語: b’l)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。 その名はセム語で「主」、または「主人」「地主」を意味する。 バールや、バビロニア式発音のベール(アッカド語: )、およびベルとも表記される。

『カナンの地』は『神に反する性の乱れ(LGBTQIA)』で後に『神の怒りで焼け野原=火難で台地が剥げる=bald』

うーむ『語源』とは実に面白い繋がりで『神話の重要なキーワード』にたどり着くものだ

やはり私は『門前の小僧』でいい
『門の中』より門の前で『門に向き合う』

「なんでここに『門=境界線』が造られてるのか?」
いずれは消える諸行無常の『退廃的な建造物=宗教』

『神に反する=バアル(焼野原の地=炎症=円形ハゲ)』ってか
ならば『神は自然なDNA通りの長髪』やんけ

末世だから、信じる=『人が言う』とは何か?よく考えた方がいいですよ
『信』とは人が、『人の為』に作った『偽の概念』

信用・信頼と絆(氣綱)の違い

全部が間違いではなく『真実の中』に『嘘を混ぜる』から
『水の中』に『毒(生活習慣病)を入れる手法』を使うんでしょうね

私は『自然』を『不自然に変えるような人間』とも
自分達の『飲み水』に『毒を入れて飲ませるような人間』とも
人々が使わないと生きていけないような『ライフライン(恩恵)』を『人質にとる』ような

『ランサムウェア=人質を取る病気』はいらないと思ってます

『予防接種』という名の『毒を植え付ける生活習慣病』による『人々の精神と肉体の健康を損なう事を推進』

それ以外の『カーボン・ニュートラル』とは、『酸化グラフェン』の利用推進、『人体に悪影響のフッ素』であり、『電気の通りをよくする電波環境』にはよくなるが、『自然の虫や菌、人体への影響』が出る『生活習慣病の推進』

共通点はただちに問題はないが、塵も積もれば山となる
小さな問題だと、ないがしろにした物事を踏み固めていく

医者や医療、AI・ロボット・工学を『推進する人』たち、それと『結託して人間のDNAをいじくりまわして軽んじる研究に携わる仕事』を『崇高と帰依している存在』は

自分達が『盲信して帰依』して尽くしているその先にいる『ベールに包まれたバアル=主人の奴隷』になって、『神(自然)に反してもはや許されない後戻りできない領域』に行ってしまった事を

『門前の小僧』として『門』と向き合って感じました
それは『地獄の門』だねと立ち止まって観察したロダンは偉い(((uдu*)ゥンゥン

地獄の門

バアル信仰=主人と奴隷システム=カースト
バアルを悪魔と認識するは、その教義に異議を唱える異教徒

これ・・みたらわかる通りマッチポンプ

奴隷を苦しめるな!この人でなしが!という側もまたヒトデナシな行為を赦される教義を教えられている
まるで『ウイルスを撲滅』する為なら、『多少の正常な細胞を犠牲』にしてもかまわん!というヒトデナシ

どちらにしても必ず救われない者が現れるのが宗教
『その門の向こう』に入ってしまえば地獄絵図

地獄

神に反する髪剃り仏教
でも日本の古代は『神仏一体』、自然のあらゆる存在が神(エネルギー)

触らぬ神に祟りなし=エネルギーをそのまま『循環』させる
神に反する=『反力を利用』して何が始まる?

二元性の上がり下がりシーソーゲーム
右へ左へぐーるぐる

終わらんよ┐(´д`)┌ヤレヤレ

だから、『その門を閉じて卒業』した『門前の小僧』は『次の門へと進む』のであった

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top