東洋と西洋、日本はどっち?を気にした時に初めて気が付いた日本を中心と考えた世界地図のミスリード。そら極東アジアって言われるわ・・のお話
東洋と西洋の中心はどこ?
海外に出た事がある人はわかってるかもしれないけど、日本の教育を受けて、日本から出た事がない人は、おそらくわかってない人のほうが多い気がする素朴な疑問
アメリカは西なのか?東なのか?
世界地図を見た時に日本から見て右にあるから東なんじゃないの?とか思った人は私だけじゃないかもしれないが、この世界地図を見て・・というのが実は曲者だった
日本版世界地図は世界標準ではなかった
私たちの多くが教育の中で目にする機会が多い・・というかそれ以外見た事はない世界地図がこれ
なんとなくこういう形だろうと認識してたこの世界地図は、日本を中心として見た場合の地図であり、実際に世界で使われている世界標準の地図はこうなっている
つまり、この世界地図から見れば、日本は東の東のはずれのはずれにある島国。まさに極東アジアという表現がぴったりの立地であり、世界からみれば、辺境と思われても仕方がない。
こうやって認識すると、youは何しに日本へ?が先進国に何をしにきたの?ではなく、こんな辺境の東の果てにある島国にわざわざ何をしにきたの?というニュアンスにも感じてしまう(笑)
ま、これで東洋と西洋がどこから線引きされているかはっきりした所で、改めて地政学的な今の世界から見た日本を考えてみた
近隣国と揉める事の地政学的なリスク
私個人的な気持ちを言えば、争いはとても嫌いだ
仲間内の小さないざこざや家族の両親のささいな喧嘩ですら、見たくもない。そうなる前に、双方の話を聞いて落としどころを探す事に全力を注いでる自分がいる
これにエゴ(どちらにつくのが自分にとって得か?)を持ってはいけない
若い時はそれで失敗したし、友達を傷つけてしまい、それは後に自分にとっても大きな代償になった人生経験がある
どちらにもどちらの言い分と良い分があり、それを相互で理解してちゃんと話し合えばきっとうまくいく!これを理想論や綺麗事と一言で否定する人は、簡単に言えばそれを無理と決めつけているだけ
それでも言い続ければ、じゃ、やってみれば?やってみろよ!(# ゚Д゚)となぜか上から目線で押し付けてくるが、それは実は、大きく啖呵を切った手前(できるならそれがいいんだけどね・・(;´・ω・))という気持ちの裏返し
そこまでいうなら(協力するから)やってみせてくれよ!という形で折れてくれていて、本音は内面にあると言える
ここで、この理想論と言われた綺麗ごとも実は協力という形で落とし所が見つかるので、例え、意見がぶつかったとしても意志を持って議論する事はとても大事なのだ
そう考えた時、争いの事の発端は敵意にある
ここで古代から日本に伝わるといわれるカタカムナの思念読みで言葉のロジックを読み解こう
- 敵意:発信(循環)したエネルギーが伝わる
- 争い:感じる場から外れて伝わる
- 喧嘩:強く放出(発散)した力
- 戦争:強く引き受けて外れて生まれる
ちょっとしたすれ違いや勘違い、間違い、お互いに持っている何かがズレてる気持ち悪さからとんでもない事へと繋がっていくのがわかりますね。例えるならば、同じ時間軸にいるのに歴史教育が違う国が隣にあるという状況
- 片方の国では親の仇のような過去を忘れるな!というヘイト教育が施され
- 片方の国では隣人を愛しなさいという道徳教育が施され
そういう意図的に生み出された敵意が伝わってくるから話が違う!と争いになっていき、その延長上で少しずつ喧嘩が始まり、どんどん大きくなっていくと、国が国民の意志を背負うという大義名分を得て、とんでもない戦争へと発展する
が・・冷静に考えてほしい
敵意がなければ、その先の争いには進まない
これを極東アジアの島国という位置づけから隣国との関係性について置き換えていく必要がある
何が原因か?と言えば、どの国も歴史の改ざんや教育による人の認知
その点で触れておきたいのが過去の戦争というものだ
戦争には被害者があるから一概にまとめる事はできないが、本質は、国民感情を代行した国という集団を束ねる組織が引き受けて起こしている
この時点で最初の個人間の敵意や争いと、国が起こす戦争では理由が変わってくる
争った相手との意志疎通ではなく、国としての目的を実行する事に変わる
この国としての戦争に巻き込まれ始めると、国民の意志と違う方向に働いた時に違和感を感じるだろう
基本的にこれら4つの言霊(敵意→争い→喧嘩→戦争)は構造や法則の発展性の繋がりを示しているように感じるが、意志が間違って伝わる最後の戦争は目的のために行う計画実行の手段になっている
国の戦争という行動すらもまたさらに強大な存在の目的のひとつに過ぎない
ここでひとつ誰もが聞いた事があるんじゃないか?というある作品の名前を紹介しよう(興味があればググって)
誰が為に鐘はなる
橋を爆破するという作戦が、無意味になったと知っても実行せざるを得なかったという、1937年、スペインの内戦に参加した義勇軍の3日間を描いた作品
鐘とは弔鐘、死者の冥福を祈って鳴らす鐘の事
我は人類の一人なれば、誰の死も我を傷つける
誰が為に弔鐘は鳴ると問うなかれ
弔鐘は汝が為に鳴る ※作中冒頭のテロップより
意味:人間は皆繋がっている、どこかの誰かの死は自分の一部を失ったも同然だ。だから、誰の為に弔いの鐘が鳴っていると聞かないで、あれはあなたのためになっている
ちなみにこの作中には鐘は一切でてこないため、映画のタイトルと冒頭のテロップが最も重要なメッセージになっています
そんな戦争の激動の時代に生き、抗えない激動の波をなんとか生き抜いた悲痛な叫びを持つ多くの犠牲者は「戦争はするな」という金言を残しています。例え戦勝国であった軍人であっても同じことを言っています
そんな時代を知らない世代たちが生きている今
オンラインゲームで他国の人と繋がった時に感じるのは楽しさは万国共通で、言葉が通じればもっと深いコミュニケーションもできるんだろうと感じる事
それはたまたまゲーム内で知り合ったお隣の国で日本語を話せる人だったりする訳だけど、どこの国の人?と確認するまで、確認しなくてもお互いに意志疎通や協力ができているのが事実。逆に国を聞いた瞬間に、謎のヘイトや格差を出してくるのが不思議でしょうがない
結局は国というイデオロギーが与えた歴史教育や宗教観念という縛りから解放され、どこか模範となる国をベースにして、世界各国が見習える所を見習って・・地球教育のような統一された形を作れれば、多くの人が閉鎖的な空間(この国という認知)に意図的に与えられた情報として埋め込まれたヘイト感情などの敵意をなくす事だろう
意図的にある種の情報を加える=射影空間=n次元=世界
先にもいった事だが、敵意がなくなれば争いも喧嘩も戦争もない
敵意がないという事は相手を受け入れるし、相手も自分を受け入れるという事
そういえば、以前紹介したNETFLIXで配信されていた「コンタクト」という映画がまさにそんな感じで、世界中の人の「認知」を変える事で国をまたいで協力する事に成功してた訳で・・
まとめ:極東アジアという位置
日本は日本独自の内向きの世界地図で見れば、世界の中心の覇権国家の経済大国に見えるが、世界標準の平面地図では右のはずれの極東アジアという位置づけであると世界から思われているということを理解しよう
また地政学的には隣の大陸(中国や韓国)と仲良くするべきではあるけれど、そのためには、ちゃんとお互いの文化やナショナリズムを尊重するべき
実は国民一人ひとりのレベルでは、それがすでに実現してたりするけれど、多くの人がメディアや政治によって考える力を奪われ、与えられた情報に捉われている
これは日本人も同じ事m9( ゚Д゚) ドーン (゚Д゚;)
グローバリズムを推奨する社会なのに、小中の義務教育や公文などの塾や予備校でしている教育の中で使われている世界地図が、日本独自の物という時点で、世界標準という視野が育つ訳がない
しかも、これ・・ナショナリズムでもないし、ただの間違った認識教育だから恐ろしいよね(公文でこれかよ)・・ただ地図はあくまで地図、どこを基準にするか?というだけの話として本質を理解しておけばいい
そもそも・・この世界標準地図自体があっている保証もないしね(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)オマソレ・・
今の時代、日本情報鎖国はもう不可能だけど、日本だからこそと大切にできる事はあるはずだと思う(わからないけど)。それを世界のはずれにある極東アジアに感じとって訪れてくるyouは何しに日本へ?の外国の人たちがいる事が証明している
和の国、日本というのがどういうものか
自国を振り返って考える教育も大切なのかもしれない
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