いつもの神社の参拝中に、穏やかな空気に突如神風突風!待ち人きたー!かのようなアットホームな心地よい風の便りは「病は気からの反対は元は気から」というお話
参拝中の突然の閃き
私の参拝スタイルは『柏手』は打たない
理由は…
うるせえんだよ‼︎
自己主張が強いんだよ‼︎
「私が来たー‼︎」ってオールマイトかよ‼︎
有象無象がパンパンパンパンと『騒音』鳴らして『静寂に緊張』の『張り詰めた波動』が響き、虫も鳥もびっくりしてる
そこは『人の領域』じゃねーよ
と言う事を自覚してない
だから私はそっと鈴を鳴らしたら
ただ手を合わせる(一人一)
まずは内側の真ん中の軸で会陰から頭頂まで今の心を観て『観念の呼吸』
次にあえて背筋側の寒気を感じる『外気を取り入れる』ようにザワザワと体を通り抜ける『風、音、光に意識して呼吸』をする
この時、寒気がなくなる=『場の外気と内気の温度差』がなくなり、『呼吸が楽』になるまで続けたら、最後は胸を張るように腹から前の方を通り『内気と外気を混合した呼吸』を吐いて
これで『挨拶する準備=心構え』を整える
と言う三つのルーティンを経てから
今日の『天気への感謝』や今週はどんな『気づきや閃き』があったかを報告するのだが…
今回は最初の呼吸をした直後に・・
(神風突風来たー!)と木々がざわめき爽やかな心地よさを感じ「待ってました!」感のアットホームを感じた
正直言って、今週は『AIとのソフト開発』に寝る間も惜しんで没頭してた為、、『夢からの閃き』と言うのもまだまとめきれてないから
(一人一)…(今週は現世の夢中の欲に忠実で報告のネタがないっす)と観念してると
(病は気からの反対を知ってるか?)
と聞こえたような気がして
少し考えていると
(元も気なんだよ)
‼︎⁈‼︎Σ(・□・;)ハッと思った
病は気からの『元の気』を取り戻す
病は『元の気』が『病んだ結果』である
と言う事は病を元に戻すには
『元気を取り戻す』意外に
『元に戻る因果』が無いのだ
しかし、元気を『失った状態』が『病気』なら、その失った、あるいは『変わってしまった』、『元→病』と言う気をどうやって治せば『完治』に成るのか?
始まりを示す=『宗』
それは『教え=宗教』では無い
『教え=病と言う名付け』によって元の『名(宗)』もなき『気が病んで』しまう
例えば、体調不良と言う『一時的な変化』は
まだ何がどう成るかわからない『未病』
未だ病では無い(気の迷い)
この未病と言う『意味の空白』に耐えられない心が弱い=自分自信を見失ってる時
誰か人の言う事を『信じて』
病気と言う『名付け』をされる事で
気が病んで『心が病』になる
『病気』と言う『意味を名付け』られた事で
意味を得たと『安心した直後に不安』になる
なんだ、癌ですか……え?癌⁇⁈
あ、可能性がある…かもしれないと…はぁ…そうなんですか…
↑これが『元の気が病む』と言う始まり
未だ知らない=『未知の状態』を知ったかぶりの『叱咤被り』で『虎の威を借る狐』の如く
それは病気だという『レッテル』を名付ける
名前(建前)に『力や意味を与える』のも
名の前(元)の気を『レッテルで奪う』のも
全て人の為と言う『偽』であり、それ『真=心』では無い
『症状』は、因果に至る前の『変化』が起きている事を伝えて『元に戻る気』を取り戻せ=『自己治癒』を促している
そんな心と共にいる状態は『ワクワク』する
そんな心についていくのは『ドキドキ』する
そんな心から離れていくと『ハラハラ』する
そんな心を見失ったら心亡き、心、ここに在らずな『忙しい状態』になり
『元』も『子』もない、心許ない
元の気には『名前も意味』もない
ただ『皆の元=源のエネルギー』である
そのエネルギーと言う力を『どのように使う流れ』を生み出すか?
それが『道具(エネルギー)は人の使い様=物は言い様』
『元がなければ』何も出来ないが
『病んだ気を抱えて』はどうにもならない
「元気が有れば、何でもできる!莫迦(夢)野郎ぉぉぉ」
だから、「元に戻れ」と言う『気のエネルギーの道』を呼びかけるのは『心』であり、それは結果的に
『心← 吾→病』と言う『気の向きや持ち様』を変える
「病気は患者が治す気がなければ治らない」
この言葉は『体感、内観密度ある真言』なのだ
ただその言葉を『形だけのお為ごかし=人の為の誤魔化しの金言』で多用するビジネス医者は『医者の不養生』と言って
自分自身が『生を養う事は不らず』な因果応報
医者と言う『職の業』の肩書をとればただの『人』
ただの人でも為に言うと『偽のレッテル』を貼られ
『潜りの医者』だの、『ブラックジャック』だの、『民間療法』だのと貶めるのは、全て
『名前』で『気』が病んでいる
元の気を奪う『名付け』が病んでいる
『生活習慣』を見直して、自分が『いつどこで何をやったか』を『自己反省』して『自己改心』して
ほっとけば治るよ→気にしない
自然に安静にしてれば治るよ→正気を保て
あったかくして寝てれば治るよ→免疫力アップ
これは『気を元に戻す』ための方向性
『体験して経験』があるからかけられる『苦を労い気を楽』にする為の言葉
能天気な気楽な気休め
…と言えば『全てがレッテルワード』になる
しかし
『能』を『転機』にして『気を楽』にして『気を安心』させる
この『能を転機』にするとは
『きっかけ』を『活かす力』
『症状が出た』という事は
それはきっかけと言う『兆し』
それを見て見ぬふりして『逃げる』のは心から離れる事
『心亡き=(忙しい)』からと『自分に言い分け』して『分身の自我』が『現実逃避』するのではく
それを『転機=転じる機会=ターニングポイント』にする
逃=兆しへ進む場合
『心が示した兆しの方へ進め』でもある
『病の気から逃げる』のではなく
病と『名付けられた元の気』と向き合う
その為に一度、観念する=『今の心を観る』
「治したい、元に戻ろう」と
気の『持ち様』、気の『流れ』が変わった転機の時
自分が『病を気にした原因』と向き合う
自分が『病だと思い込んだ細胞』と向き合う
自分のせいで『苦を与えてきた体を労う』
自ら己で『治癒』をして
大丈夫=釈迦=自力解決で元に戻る!(体験密度談)
そう言う『気構え』になった時
『穢れ=気が枯れた元の姿』が見える
そこに『気』を巡らす
今まで『自我が支配して苦労や無理』をさせた環境に『支え配る支配へ』と意識を変える
すると『気が楽』になる(性質変化)
気の『中身=波動』が変わる
気が枯れた元の気に、『氣を巡らす・配慮する』
それは枯れた花の根に水をやるように
それは『こびりついた汚れを掃除』して『汚れを祓う』ように
『宿していた業(行い)』を悔い改め、その『宿業を改修する流れの呼び水』になる
最初から『大量の水の流れ』はなくていい
自らが流れの先頭の『一滴の水』になる
そうすれば『類は友を呼ぶ』ように、水に『水の流れ』が、気には『波長の合う気の流れ』が、『背中を押す』ように『自然の縁起の恩』を巡らしてくれる
『共振や共鳴』というのは『物理的な目(道具)』で調べる事ができる流れだが、『共感』というのは『心と体』がなければ、それを『実感』する事ができない『目に見えない感覚』なのだ
『感を覚える事』で『恩の恵み』が浸透する
それは考えるのではなく『感が得る』という事
…と、書いてて、私は今週は何も報告する事がねーやと思ってたけど、感が得るという『大事な閃き』を受け取っていた事を思い出した
そうか、これが私の『元の気の源』
『感じる事を覚える』と言う『感覚(感性の密度)』なのだ
その『感』があるから、内観した細胞の世界は夢の中で、『人の世界』として映し出され、その中で私は『縁起=演技の繋がり』の中で、『和足す=支配=支え配る』という事を実感しているのだと
だから、神風が心地よい!と『加味』して『宿した感覚=風の流れ』を得た
この気が楽になった時、「何で気が病むのだろう?」という
ふとした疑問に、『風の便り』が応えたんだ
『病』を『気』にするより
『元の気』を大切にしろと
・・という話が後にこの『カルマ=借る間』へと繋がっていくのも、妙な見方の狸の訳詞如来の・・












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