好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

段取りの想像の軌跡が理想の創造の奇跡=道楽になる

世界の0.1%を達成した翌日に閃く、段取りを想像している軌跡は、のちにそれが理想的な創造の奇跡になる…『道楽』を示した。始まる前に終わりがあるという、港湾経営シミュレーターをとことんやるだけやった後の悟り

ついにやり遂げた…

以前、私は突然導かれるように、AIを用いて自分に最適化した動画編集ソフトを作成した(プログラム知識はゼロ)

『動画編集を簡易的にできる準備』が出来たから、その『作業をしやすいように録画は短めに』を意識しつつ、全力で楽しんだ

その結果

このゲームを世界中でプレイしている人口の0.1%に到達した(※到達速度が速かっただけで今は徐々に増えてる)

0.1%なんて、ゲーム開発者かデバッガーレベルじゃないと基本的に到達を想定されていない、言わば、苦行のマニアな変態だ(笑)

実は最初からここを到達点として目指していた理由は、他のゲームでも『誰もやらないであろう領域まで到達した』と言う経験がある

レストア

温故知新とはレストア・カスタム

この時も、本当に没入してたが、やはり0.5%に到達することで得られる体感の気づきはあった

段取りの想像の軌跡の終わり

港湾シミュレーターでは作業の導線が大きく分けて3つ

船からコンテナ降ろす/積む→STS/RTGクレーン
地上でコンテナ運ぶ→トレーラー
コンテナ積む/降ろす→リーチスタッカー、ストラドルキャリア

STSクレーンはレール固定だが、RTGクレーンは前後左右旋回、移動可能な車輪の巨大クレーン

リーチスタッカーはコンテナを横積みするフォークリフトだが、ストラドルキャリアは、積み上げられたコンテナを跨いで縦に掴んで持ち運び移動できる

どれ一つとっても無駄はない適材適所で活躍する重機

メインストーリーでは、期間内の達成目標やトラブル対処のミッションなどで、使える重機が固定されているが、フリーモードで、単純に船からの9個のコンテナを下ろして、管理すると言う仕事を受けた時、こう感じた

(監督の指示の元に動くって楽だったんだ…)

難易度ハードは達成目標を期間内に限られた条件で満たさなければゲームオーバーだったが、『ゲームオーバーがないフリーモード』では、期限も条件もないが、荷物を雑に扱っていい訳じゃない

つまり、『作業工程という流れ』を自分で決めなければ『何も始まらないし終わらない』

ここまで至るのに全て達成してきた
しかし、『全てが有る(能力)』のに『何も無い(設計)』

これもまた、『空の真』である
『やる気はある』が『やる気を出す対象がない』も同様
やれるけど、『やらない!やる道理=流れ』がない

フリーモードは三人のオペレーターが地べたに立っていて、それぞれが乗る重機まで港の端から端まで離れているからダッシュ移動

(最初から乗り物に配置してくれるか、ワープさせてくれればいいのに…)

↑ これはもう『デバッガー目線』だが、設計者がなぜこの重機ゲームに『道中の乗り降りの人の移動描写を導入』してるかと言えば…

『港の広さ』を味わってほしいからだろう

乗り物で移動すると環境は『通りすぎるオブジェクト』になってしまうが、人が重機に向かい乗り降りするまでの過程は、いかに『重機がでかいか?』という移動の時間経過と『対象物との距離感・近づくほど増す圧迫感』でも感じられる設計になっている

…そう、このゲームに惹きつけられた魅力は、単純に『ゲームシステムとしての面白さ』だけでなく、このシステムをとことん『活かすシナリオ設定』にあったから

私は用意されている全ての『似たようなミッションを飽きる事なく完遂』できたのだろう

扱う重機も仕事はコンテナを運ぶ事も同じなのに、その道中、『一筋縄では行かないルート選びやトラブル』の数々

私は何度、このセリフを呟いた事か

(こーのミッションは一筋縄ではいかねーな…)

この言葉は「さぁこのトラブルを楽しむとするか!」と脳汁が「オラ、ワクワクすっぞ!」と『後頭部に緊張の汗』を流すのに対し、操縦桿を握る手や体は驚くほど落ち着いて手汗もかかない

一筋縄ではない=『失敗して乗り越えてきた経験』の揺るがない自信

『冷静』にどうすればどうなるか?
『作業工程を現場の目線』で考えた時

荷下ろしする前に、『指示はない』けど『ルート上の邪魔なもの』を先にが片付ける必要が有る
荷下ろしするなら『指示はない』けど、先にトレーラーを『クレーンの下に移動』させて置く
荷下ろしするなら『指示はない』けど、地面水平置きに重ねて、ストラドルキャリアで『運びやすいように縦に積み重ねる』

この『指示は無い=現場判断の段取り』の想像の軌跡の終わりに至って、『初めて行動』に繋がる

ゲームという『システムで試す』のではなく、思考シミュレーションという『自分の仮想世界』で、その『ゲームシステムをシミュレーション』して、『作業が無事に終わる完遂ルート』まで見えてから、『やっとゲームを始める』

つまり『段取り』を立て、その『軌跡を想像』し、『思い通りのシミュレーション結果が完成』した時、それが『理想の設計図』となって、『想像を再現する創造の奇跡』という現実に現れる『引き寄せ』の結果

これは、このゲームをプレイする世界人口の0.1%という『誰もやらない領域までやったから感じた事』でもあるけれど、それ以前に、このゲームが面白い‼︎と『体験版』をやった時から私は

『道筋は未知』でも『このゲームを隅から隅まで遊んで0.1%のトロフィーを取る!』という『設計図』だけは持っていた
『始まり(好奇心)と終わり(達観)』だけ見えいた

だから成る程~と『成る過程の旅(ゲーム)』を楽しむ

これは『悟り』を表現する先人達の言葉にも有る

悟りを『見つける』のは簡単だが問題はそこに『至る』のが難しい

言うは易し行うは難し

つまり『過程』が大事であり
過程でどんな『段取り=設計』をするか?
そのプラン次第では『目標は達成できない』

…という『失敗の苦行』を重ね、重ねて転ばぬ先の杖ならぬ、『仕事の前倒し』をして、『次の工程(見えてくる)』に『必要になりそうな素材集め』のミッションや『資金集め』のミッションなど

ゲームシステムとして『用意されている』が、それをすれば、『苦が後々楽になるよ?』なんて教えのヒントはない

『急がば回れ』ということわざは、急がば廻れの『輪廻転生』で生まれたように感じるほど、このゲームは難易度ハード以外には『期限が無い』から『失敗を実感する事』はない

通常、ゲーム初回は皆、『ノーマルモードを選択』する

このゲームでそれをした時点で、ただの『緊張感のない文字通り作業ゲーム』と化し、『つまらないという評価』になるだろう

しかし、私は偶然か必然か、このゲームを初めてプレイする時から、『操縦シミュレーター系には適応する自信』があったので『ハードモードを選択』した

だからこの『作業に苦行(追い込み)かけるゲーム』にハマったのだろう(笑)

『苦難』があるって面白い
『苦』は後々『楽になる道筋』
『難』は乗り越えると『成長する有難い軌跡』

どちらもその道を遺してくれた先人の知恵の『道理』

『道楽』ってさ
『誰もやらない事』を成し遂げる

誰もやらない事って『皆』が集まらない
興味=『人気』がない=意味がない=面倒くさい

だから『関わらないで離れよう』とするから必然的に『その道には人はいないから楽』

『その道が好きな人』は『楽しい道』に成る
苦難道楽の楽成=苦を学ぶ菩薩

正念老いては楽成り難し
追い手は子に従え
少年は大志(正念)を抱け

周りから見れば「何が面白いんだ?」と思われても『面白いと感じる』のだから…そもそも『感性(完成・ゴール)が違う』のだろう

違うという事は『異性(異なる性質)』であって、そんな異質な性質のゲームの中でも『0.1%までやり込む』のはもはや『足るを知って満足』したい『異星人』である

ただ『クリア』するのではなく『足るを知るまでやり込む』のは苦行、でも『足るを知った瞬間』『それまでの苦』は全て「楽しかった!」に反転して「もうどうでもいい」になってやっと手放せる

楽しかった‼︎けど・・同じ事は二度とやりたくねーと(笑)

似たようなミッションでも、中身のトラブルがちょっと変わってる(パラレル)ようなものであれば『新鮮』に感じる…という意味では

…ここで意識が途切れて、夢を見て
もう別の言葉の道楽が始まったので

これにてまとめ

道楽で心に素直に足るを知って悳を積み、満足に至る道理の過程にあるのは

『模試可視手(もしかして?)』という、『想像』して組んだ『段取り通りの軌跡を辿るシミュレーション』を達成し、その『結果に至る設計図の構築』

模試可視手(もしかして)?釈迦の掌で巡る仮想空間の旅

つまり『始める前』に『終わってる』
『完成』して『終わったから始まった』
思い通りに描いた『設計図通りの現実創造』

『面白い(好奇心)』と思った事で『0.1%(体感)』を目指す
心に素直な吾は覚えた=『覚悟(0.1%)』の感覚

やろうと思えば『誰でもできる』(言うは易し)
やろうと思わない事は『やりたくない』だろ?(行うは難し)

難しいとは、ただ『気が合わない』だけ
だから『気難しい』って言葉がある

私には『簡単で楽しい』と思える事が
あなたには『難しくて苦しい』と思うなら

それは『道に求めてる楽しさ=道楽』が違う
つまり、『あなたの進むべき道』ではない

=設計図(DNA)通りではない

DNA(遺伝子)は『全て』ではないが、そこまで繋いできた『設計図の襷掛けのリレー』のようなもので

「そうなってほしい」という『形に創造』されていくが、『病気』になるというのは、そもそも『合わない気難しい、やりたくない事』をやってる結果、『奇形細胞(癌)』になってしまう

正直、私もこのゲームで行き詰まって時

(この世界で、このゲームにここまでのめり込んでるのは、俺だけかもしれない)

という思考は何度も、(何をやってんだか)と『道を踏み外させよう』と『皆、一般的な常識でブレーキ』をかけてきて、その都度、(気難しい・・)と『気を揉んだ事』もある

何に気を揉んだかと言えば…『まだやりたい』のに『途中で止める事』で『不完全燃焼』で燻ってる感覚

だから、気難しい…の『難しい』をまず分離すると『元の気』は『楽しいから続けたい』だった

ただその元の気が「楽しい!」と思う事を『止めなかった』だけで、気がつけば、『この道の0.1%に到達していた』という

『道楽とは何か?』な気づきでした

道楽って『過程の道が楽しい』
『誰も歩かない』からケモの山道で舗装もされてない『凸凹の苦難の道』で
創造主(クリエイター)以外、『誰も見た事がない景色や感覚を味わえる冒険』のようなもの

それが楽しい未知の冒険であり、それはどこにでもある仮想空間
この人生もそんなひとつ・・と納悳できるようになれば

ゲームをしているようで、実は設計図を構築している途中であり
邪魔が入る構造というのは、ブログラムで言えばVirusやバグである

バグ取りは、自分で治せないなら、デバッグして不具合に目星をつけて
「こことここ(問題点)をこう改善(理想)したいんすよね~?」(一人一)と観念すればいい

そしたら、模試歌詞手?の試練の仮想空間を経て、解脱して
成る程!そういう事だったのか!と自力で解決できちゃったりするんですよね~

というケースが最近もうひとつありまして・・それはまた別の機会に
吾ながら・心に素直に従う時は、とんでもない遊びの道具を考える智慧が生まれるものだ(笑)

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