好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

導かれしクロノクロス 全てはサラの夢日記

このタイミングでクロノクロス!?と素直に従ってプレイしてみたら、これも足りないを足る為の無為自然の恩恵のシンクロニシティだったお話

偶然が重なりクロノクロスへ導かれる

初見は普通に『ストーリーを読み取りながらクリア』したが、実はこのゲーム『全部の仲間』を集めるには『三周』必要
しかし、これがまた『三周を簡単に』できるようにというゲームデザインになっている『meta』仕様

『プレイヤーすらも物語の一部』として『存在しない』が『観測者・傍観者』として『意識の連続性』を保つような仕組み

強くてニューゲーム
強くてコンテニュー

強くてニューゲームは『既に知った世界』を装備やレベルはそのままで、『再び繰り返す』が、『最初からラスボス』とも戦える

強くてコンテニューは『セーブしたデータの座標』に今までの『全ての経験を引き継いで読み込む』仕組み

だから、『別の選択の世界を旅した記憶や仲間』を全て、『セーブした地点へ呼び出す事』ができるという
これが、『真のエンディング回収』の為に『必要な措置』として機能している

とりあえず、ゲームとしての仕組みを繰り返す必要性は今更ガキじゃないんだから夢中で繰り返す気がない大人の私は
一回クリアして『バッドエンドで流れ』を見た後は、『攻略動画』を観て『真エンド』を確認←おい

・・その真エンドを見ても「なんのこっちゃだろう?」という『穴埋め』にもやもやしている時に
『引き寄せられる』ように見たのがこの解説動画

この動画はもう『経典・原典』といってもいいくらい

クロノクロスという世界が『なぜ生まれた』のか?
クロノトリガーから『全ての伏線を回収』してくれてます

前回、私はGundam GQuuuuuuXの結論は、『多次元・多世界のララアの夢の中』で『数多の可能性』に出逢って修めて治した『夢オチ』と説いたように

感覚的量子論 機動戦士Gundam GQuuuuuuXの哲学

今回のクロノクロスもまた『サラの夢世界の夢日記』を見せられたのだ という『夢オチ』

時の呪縛に囚われ理想の世界を創造するララアが
時の呪縛から解放されて理想の世界を生きるララア

時の卵に囚われサラが自由に冒険する世界の中で
その時の卵から解放するセルジュという理想と出逢い現実に目覚めたサラ

Gundam GQuuuuuuXとクロノクロスは『完全に相似』している

あまりにも詳細で、あまりにも複雑で、でもあまりにも『元はシンプル』で丸く治まる

宇宙は『膨張する』が、やがて一つの点へ『収束へ向かう』ようにまさに『完成された原典』のような美しい作品であると同時に

その『夢の意識の旅を共に過ごしたプレイヤー』にとっても、夢とは『可能性の現実』であり、その可能性の現実が『今』を創っていると感じさせる

という事は『今』もまた『新たな可能性の現実』を生み出す『夢』なのでは?

クロノクロスという作品の中ではサラ・ルッカ・ガッシュという『想像と創造の力』がある者と
『サラという素直の心』とそれを『護りたいというジャキ』から全てが始まっている

その『過程』で生み出されたのが、あらゆる『選択の先』の可能性の世界

クロノトリガーの世界は『滅亡を免れた世界』
クロノクロスはその『滅亡を免れた世界を破壊』

でも真エンドは、その『どちらも生まれなかった世界』

ただ『魔神機の器の役目』として『従順だったサラ』が
『自由奔放なキッド』となって『冒険してみたい夢の可能性の世界』だった

その冒険の中で『役目』として出逢った『セルジュ』に惹かれたサラは
「きっとどこかでまた会える」と『夢の冒険』をへて『意識』が変わった

全ては『サラの夢日記の中の物語』だったという夢オチだが
「そういう可能性の世界もあるのだと認知する事が重要だよ?」

と『プレイヤー』に『自由な発想を持て』と『自由意志を促す哲学』をゲームにした作品でもあると感じた

全ては『まだ生まれていない』
『全てを体験』して『これから生み出す』のだ

無(全てがあるロールプレイング(役目を持つ))
無為自然(そのためにある気づきの恩恵)

無の中で務を終える事
夢を終える=目覚める事

全ての可能性がある『無・務・夢』の中で学んだ体験
それを『私は忘れない』と『夢日記の冒険譚』を書き終えたサラは

『自分の求める現実』の中で、『机の写真の中の人』と出逢う

これ以上も以下もないも物語の完結

いや~やってよかったww
これも、『夢中にVRのひとつの可能性の世界に没頭』してたら『気づかない有難い導き』

私はずっとJDM: Japanese Drift MasterというレースゲームをVRで夢中に没頭(難題に取り組む)していたのだが・・

ある時、体に異変が起きた

VRの中に『体は無い』が、現実では『体を酷使』している為、とうとう『故障』が起きたので・・しばらく安静にしようと思った時
ちょうどsteamのサマーセールだったので「ゆっくりできるRPGとかやろうかな~」なんて考えた

最近のRPGは世界観が複雑で覚えるのが大変なんだよな~・・と思ってたら『昔のRPG』が1500円程度の安い値段になっている事に気づいた

そういえば、昔遊んだような・・遊んでないようなRPGってあったっけ?と記憶をさかのぼった時
そういえば!クロノトリガーを最後までやった時、『物凄い発見』があった!と思い出した

クロノトリガーに隠された預言

確か前はこのゲームで『ゾロアスター教』に繋がり、『意識の旅が広がった』という事は
クロノクロスって・・『買った記憶』はあるけど、『最後までやり切った記憶』が無い!?と思いだし

セールの対象としてクロノクロスを探すと・・あった!
よし、これをやろうとプレイし始めて気づく

あれ?戦闘システム?弱中強?確率?エレメント???と『完全に記憶にない』が
オート戦闘や倍速プレイなどストレスなく進めそうなので、大事なのは『ストーリー』だ!

と、『新たなワクワク』で『夢中』になった・・のがきっかけ

私の場合は、『体を酷使する事』を労われ=『自己治癒』すれば
おのずと、『進むべき方向に導かれる』という『シンクロニシティ』

なぜ『今さらクロノクロス』なんだ?と『頭で拒否』してたら、『今だからクロノクロス』が理解できるんだ!と『心の導き』に気づかなかった

今更・・いまさら・・『今サラ』!?Σ(゚Д゚)の夢日記

やはり『大事な気づき』というのは、『時空を超えてクロス』するのかもしれない
私が夢で出逢った「あなたを高麗に連れていきたい」とさらわれたのも

突然なし崩し的に結婚が決まる夢を見て・・

ゴミ箱で拾って意気投合したのも『サラ(キッド=元はお嬢様)だった』のかもしれない(なんてなw)

クズカゴの姫の夢

おまけに『月夜見』に惹かれていたのも、その『ツクヨミが龍の子』で『人を護りたい』という設定までシンクロ・・

春分の日の旅 笹清九頭龍・月夜見・白蛇・鬼神社巡り

満月とDNAの本能のイズム 月夜見の狼

・・ふむ、やはり『子供の頃の夢中=ゲーム』は『無(全ての可能性が有った)』
しかし『心が大人』になって向き合うとその『無(全ての可能性)の為の自然』で『世界観』を捉える

なぜそれが『物事が存在』するのか?と『意義』を問う

その『心が大人』になった時でも『素直に夢』を見れる事
子供の頃の『素直な自分が導いた先』を『後から振り返る』ような逆行体験

『思い込みや常識・偏見』という『凝り固まった一つの現実』に囚われている限り
この『夢(無=全てがある・務=業を修める役目)』は終わらない

何回もこの世界は『仮想』
この世界は『ゲームブック』と捉えてきたけど

これもまた『認知を変える』為の『必然の試行錯誤=哲学』なのかもしれない
自分で『気づいて自分の認知』を変えなければ『自分の観る世界』は変わらない

『自分』とは何なのか?
『自ら』を『分けた我』である

そういう意味では、昔のJRPGというのは主人公は『魂のない器』
だからこそ『プレイヤーの選択が自己暗示』のようになっていたのもかもしれない

最近のRPGなどのゲームに『はまれない』のは
キャラクターに既に『自我意識がある』から『共感』できず『没入できない』のかもな

『既にある主人公の選択』が『私が望む選択ではない』場合
その先を『見たいと興味が無い』のに『見せられる苦痛』

予定通り・予定調和の法則通りの繰り返しの模倣のパターン演出
つまらない繰り返し=エンドコンテンツに興味が無い

興味が無くなれば、自然に執着しなくなる
人・物・事、これらも同じという事は

波長が合わない、調和しない=周波数も波動も違う
=違和感を感じ、和感を求めてそこから離れる

この現実で、哲学をする人の多くはおそらくそういう気持ちだろう
見つからないなら探す、無いなら創り出す=可能性

だから『1%』でもあったら『0じゃない』という気持ちになれる

ソロモン(一閃)とアリエル(鬼門の門番)と弥勒(自己表現)?

現実で皆に認められ『選ばれた1%』じゃなく
皆から『捨てられた可能性の1%』

『99%に居心地がいい』と思う人には『理解できない領域』

だけど、その『1%』というのが、行ってみれば『サラの夢日記』
全ては無かった(99%)を見限る世界を生み出す『創造主』

クロノクロスという冒険譚(99%)はサラが思い描いた妄想の夢で
その妄想の世界の中でセルジュ(1%)という理想を生み出した

だから、現実のサラは『理想を現実にする為に行動』を起こした
『1%から生まれた新たな世界』で

と締めくくれば、『夢から学ぶ事』がいかに大切か
少年時代にそんな夢(ロールプレイ・役目・ゲーム)に触れていた事を忘れていた

だけど、とこか『心のトリガー』に引っかかていたから思い出して
再び『無の中の務=役目』を果たし『バッドエンド』を見て

『務(ロールプレイ)』を終えて『無の中で強くてニューゲーム』で『足りない仲間(真理)』を探し
『夢』を求めて『真エンド』に至った事で

これはひとつの『夢の現実』だったと納悳して心が穏やかになると
そういう世界(サラの夢日記の冒険譚)として執着を手放す事ができた

このゲームデザインは素晴らしい気づきを投げかけている
・・と素直な少年の心(夢)を持ち、大人の知識(無・務の理解)をへて

良いゲームに出逢ったと実感した

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