優しさとは人を憂う行為、人を憂う執着がある限り弱者を見つけ続け、弱者を弱者のままにする偽救済の人を成長させないラスボス
夢のあらすじ
私は老人の所有物を点検して、問題点を見つけ、それを改善修理している作業員のような感じで、説明書にはないけれど、迂回路の設計をし直せばもっと良くなると新たな構造を設計して仮組みしてた時に、1人別の仲間が合流してきた
キャラ的に粗品みたいな関西弁の人
「何しとん?終わったか?」
「お、ええやんけ!それで終わりか?」
「ん?なんや、ここ電池溶接しとらんやんけ」
私は過去にその電源となるエネルギーの元に溶接する際にミスをして『爆発した過去の記憶』があった為か、その電源となる電池は『配置』しているけど、まだ『溶接してない仮組み』状態の時に、『仲間が現れた』ので内心ホットした感覚があった
(こいつにお願いしよう)
…しかしこの時、内面の私の『自我の幼さ、醜さ、愚かさ、浅はかさ』を『客観的に俯瞰で痛感』した
「実は過去に、電源接続の溶接でミスって爆発した時の恐怖のトラウマがあって、怖いんだよね」
この時点で言葉は正直だが…
失敗したくない(自我の為、頼まれた人の為)
何かを失うのが怖いから他力本願という言い訳
「溶接って…んなもん、パパっとさってやって終わりやがな!簡単やって」
それを聞いた私は、(こいつにとってはそんなに簡単なら、そこだけやってくれないかな?)という『他力本願』の気持ちが強くなったのを感じた
「構造は問題ないだろ?そこの溶接だけ手伝ってくれないか?それやったら終わりだから」
これが仲間で得意な点、不得意な点を『補い合い助け合い』として見るなら『美談』ではあるが…
その姿、発言を『客観的に観測』していた私の意識は…
『苦手分野』から逃げ『リスクを他人に押し付け』他は問題ないだろうと『得意な部分を主張』するアドラーの『優越コンプレックス』
そこだけという『全体』に対する『一部(少量)に限定』する事で「手間はない」と他人に『簡易的な行動』を促す
(あぁ、醜い、なんて愚かな自己保身なのか・・)
一時は万事
全は一、一は全
大は小を兼ねる
『大』とは『一人』と書く
どんなに『他』ができても『たった一つの問題』が『全体の流れ』を止めている
現に私は『構造設計』はあっさりと終わっていた
ただ『電源を繋ぐ』事、繋いだ時の『失敗の恐怖』によって『後一歩が踏み出せない』状態の時に
それを『可能にしてくれるという存在』が現れた時
『頼ろう』とした=『逃げよう』とした
『全権を委ねよう』とした=『他力本願の帰依』
これが『人を成長させない優しさ』
人を憂う=『助けを与えて』しまう、そりゃ『主の母=毒』になる
優しい人は助ける気満々だ
(∩´∀`)∩困ってる人いませんか?と
その結果、『自力で後一歩頑張れば成長』という一番大事な『正念場』で「お助けしましょうか?」という『漁夫の利をかっ攫う形』で
優しい人は『優しさを与えて救った』という『自己満足』
救われた人は『自力でそこまで行った』が『背中を押してくれた、あるいは引き上げてくれた人』に『全幅の信頼の念=借り』を持つようになる
これは『卵から孵った雛』が『一番最初に見た存在を親』と思い込む『インプリンティング(刷り込み)』である
これはとても『危険な要素』
『自力で目覚めかけている卵』を集めて殻を割って「私が親です」という、言うなれば『洗脳』もできてしまう
『天使』のような『悪魔の笑顔』で「成長の為に与えた恩を返すのは礼儀だよな?」(契約への同意)
…幸い私の夢の中の粗品(仲間)は
「ここまでやってもったいないやろ?怖ないて!ぱっと繋ぐだけやがな!ほれやり」
と、本人にとってはどんなに『簡単』でも、私に『自力でやれ』と『難題の克服』を促していた
それは
逃げるな
頼るな
という私に『足りないを足す』という『優しい言葉』の裏に込められた『自己成長を促す厳しさ』なんだろう
これを『主観として体験』しながら『心は客観的』に『違う見え方を観測』してたのだろう
私は以前、心は何かしらの『観測データを記録して出力してくる』という事を確認した事がある
それも結局は『気づき』に対して素直に向き合わなければ『受け取れない』
天使のような悪魔の笑顔
『優しさ』もまた消えない『執着の習慣』
優しい人はいつまでも優しい
人を憂うとは『憂う人がいる限り』続く
自分よりも『不幸、弱い、困っている人を助けよう』とする『優しい心』がずっと…
『不安を安心に変えられない人』
幸せは『他人から与えられる事』と思う人
困っていると『助けられる』と思ってる人
足るを自力で知る・・に至れない足りない人
心に隙ができて、その隙間で『方向をスイッチ』されてしまう人
こういう『へばりつく醜い穢れ』を産む連鎖
執着心は『願望を叶える為』という『エゴ』が無くなればポロッと剥がれる『穢れ』だが
優しさという執着は『隙間に入った粘性の汚れ』のように
水で流しても流れないでずっと『根に張り付いている』ようなもの
人を憂う『優しさが人の成長を止める事』もある
それは『今までの自力を台無し』にするとてつもない『邪な関与』である
優秀な『人を憂う事に秀でる人』ほど『能力を人の為』と使う
その結果、『自力では何もできない人を量産』している事になる
『年功序列』という社会構造は、それを『段階的』に教え込んできたが
『実力至上主義』というのは、その段階がないから『ワンマンの独裁スタイル』や
『一部の能力が高いもの』が集まって、『能力が無い者を格付け』して、『都合のいい配置』に利用するし、都合が悪い者を足切りして『遠ざける』
22:78の法則
2:6:2の働き蟻の法則
都合の悪い者とは、どんなに優れていても「ここがダメ!」と優越コンプレックスが抱える『弱点を正論』でつく存在
夢の中の私は「構造設計はいいだろ?」と『優れている点』を伝えたが、『電源の溶接』しないと、「それも無意味やんけ」と『正論』を突かれた訳だ
夢の中の体験はまるで『説法』のようだ
私の意識は何か『新しい事を動かす回路設計』はできているが
その大元の『電源・エネルギーのつなぎ方』に『不安』を抱えて止まっていた
あの電源・・そして『電源爆発の不安』とは何を意味するのか?
心は『そこ(トラウマ)と向き合え』という事なんだろうか?
もしそれが『優しさ』ならば
爆発すれば
老人に『迷惑』をかけてしまう
爆発すれば
またか・・と『自尊心・自信』を失う
・・しかし、これは『自己保身の自己満足』でもある
そうなると『人を憂う』のは自己保身の自己満足とも言える
優しさは『自分よりも上=向上心』には向かない
『子供・弱い者』に優しく、『老人』に優しく・・というのは『下』に見ているが
自分より『強いもの』、自分より『秀でてるもの』という『上』に優しさは向けられない
つまり、『優しさ』とはその『板挟みの自己保身と自己満足=邪』と言える
上にも下にも・・という所にそれを繋ぎ『止』めて『正』論をかました仲間
「ここまでやってもったいないやろ?怖ないて!ぱっと繋ぐだけやがな!ほれやり」
と、本人にとってはどんなに『簡単』でも、私に『自力でやれ』と『難題の克服』を促していた
正論は『優しさ』という『邪の次元』を変えて
それを越えた『新しい次元=成功して足りない自信』を得れば
『不安は安心』に変わると『夢の行動・会話の全て』が『現実』に目が覚めてから『学びの気づき』となった
確かにそうだ
『自己犠牲の必要と無駄』に気づいたのも、その『役目の立場』という『過程』を過ぎてからだった
『優しさ』もいつまでその『役目の立場』を続けてるのか?
優しさは『下を向く』が厳しさは『上を向く』
その『厳しさ』は『自分に必要な事』なのだろう
となると・・この正邪の葛藤もまた『金輪際・セト際の見極め』か
・・いろんな角度で夢のアプローチが来るな~( ´ー`)y-~~
追記 和足す心で次が生まれた
この夢の解釈を終えてから数日後にこの夢の中で
爆発=失敗は次を生み出すために必要な事だったと納悳した
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