好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

空海の霊場物語20 残念・無念のデーモン・コア回収の釈迦クエスト

デーモン・コア=人の心と気づいた時に、その意志を石に刻み、後世の者に伝えようとする弥勒=修験者の心に呼ばれる天然慈意志は、問題に巡り合い解決する=釈迦クエストだったお話

石に刻まれし後世への問いかけ

あまねく全てを歌や絵画、石に彫ったりして刻んで残す・・という意味を持つ『弥勒』

その決して動かせないであろう『巨石に刻むのは修験者』であり、それは、「ここに意志を遺して眠る」・・という『墓石』でもある

つまり、志半ばで・・

「私はここまでだ・・だが、きっといつか!この石に刻んだ続きを継ぐ者が・・次なる弥勒が訪れる時を願って私はこの石に心を残し、この石を護る礎となる」

なるほど・・そういう事か

『自らの死に場所として生きて活かす』として、天然の巨石がある地を『死中に活の地』と決める

普通に考えて、今のように便利な道具なんてものは無い時代、当然何か『智慧を閃いた』としても、『書き残すノート』も無ければ、『スマホ』も無い

仮に『時代背景』的に考えて、『巻物と筆』があったとしても、それは『雨風にさらされる外』ではいつまで持つか・・

私は、この文章もそうだが・・書いては消して、書き直したり、読み直して空きスペースにまた違う補足を追加したりと、頭の中で『試行錯誤で生まれた表現方法』を瞬時に『試し』、『組み換え』、『変更』して『無かった事』にできる

つまりは『書き残す為の方法』がたくさんある

しかし、『自然』において『木に文字』を刻んでもスペースも限られるし『風雨で腐り枯れる』。そもそも『巻物を大量に持ち歩くのも荷物になる』と考えた時

ずっと残して伝えたい『生き様を現すにふさわしい巨石』を見つけたら、「この墓標に私が伝えたい大事な事を書こう」となる気持ちもわかる

『石』に『文字を彫る』、それも深く抉り『確実に読める』ように・・『多くは書けない』から『補足も解説』もできない、『一語一語』に『読み取ってくれ!』と『託す念を込めて刻む』だろう(一生に一度の伝言ゲーム)

そして、その石に刻んだ『自らの意志に納悳』したら、そこで『死ぬまで生きた=薬師堂などの痕跡』・・という事は、『弥勒の痕跡(自己表現)』を見つけて・・「なんだこれは?Σ(゚Д゚)」と興味を持って『解釈しようとする者』が現れる

それは『待ち望んでいた次の弥勒降誕』であり、『問題を解いてほしいと求めていた釈迦』なのだ

己の心という意志を刻んだ石、それを『無下』に扱ったり『破壊』しようとする者に『祟りや怨念』があるというのも、『心(石の意志)を護る鬼』としてそこにいて、『弥勒かどうかを見極めている』のだろう

結局、『弥勒の条件』とは、『見たもの・感じたもの=あまねく全て』を『自己表現』して『意志を持って刻んで記録する者』である

観光で来ただけの者には『ほっとく(仏徳)』=来てくれてありがとうな~(/・ω・)/(できれば弥勒に伝えて)
間違った解釈をして『石を穢す者』には『鬼』になる=祟りや怨念に感じる『悪夢』を見せてやろう(できれは弥勒に伝われ)

「ここに、だれだれの繋がりでなになにの意志を継いだ巨石があるらしい?」

と、興味を持って近づいてくる者には
待ち人キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!となるのもわかる

ここまで書いててわかったのは

鬼仏釈を廃する=『廃仏鬼釈』
巨石に意志を刻む修業禁止=『修験道廃止』

鬼仏釈=修験者=『弥勒』
廃仏鬼釈=修験道廃止=『弥勒禁止』

こうなると、『次の弥勒降誕』を待つ先人達はずっと『待ち人来たらず』

つまり『鬼も仏も自己解釈した意志を刻む本人一人の心』であり、解釈した自己の心(核)を護る鬼=『デーモン・コア』そのもの

浮かばれない=『成仏』はしない
彷徨う訳ではなもなく『地縛している靈』でもない
『そこに宿る石』を決めた『パワーストーン(巌)となった巨石』

この『巨石・古代遺跡』そのものが『智の巨人』という『デーモン・コア』だったΣ(゚Д゚)

残念は『残る今の心』
無念は『全てある今の心/今は無い心』
また来念と、『今の心が来る』のを待つ

そこに『鬼=デーモン・コアが反応』する『天然慈石(意志)』がのこのこと現れれば
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ぜってえ逃がさねえ!

こうなる表現がしっくりする訳だ

空海の霊場物語5 天然慈石は磁場空霊(鬼)を引き寄せ

デーモン・コアというキーワードを引き出すために、『昨日の私の意識は消滅』した
しかし、消滅前に確かにこういっていた

「魂に意志を刻んでセーブした。魂は不滅だ」

感覚的量子論 つい…→うっかり真理を漏らす云う鬼

そうなると、デーモン・コアというものは『刻まれた意志(心)』
巌=巨石に刻んで彫って記録する=『弥勒』

私にとっての意志を刻む巨石は『ブログ』という『自由空間』
そこを弥勒→次の弥勒への『魂の引継ぎのセーブポイント』にしている

本当は・・先人達も『書けるだけ表現して書きたかった』だろうな・・

よく数学の天才とかが、黒板に書ききれないで壁や地面にまで書けるスペースを広げて『計算式を夢中で書いていくシーン』がある。真理探究者にとって『インプット』は『閃き』によって『爆発的な智慧が瞬時に湧く事』がある

しかし、それを『理解』する為に『アウトプット』として、『分解したり組み合わせたり』して『再インプット』が必要

例えるならば、閃きの智慧のインプットが『組み立て前の箱に入った状態のプラモデル』
これを組み立てるためには『箱からアウトプット』して、『説明書を見ながら組み直す必要』がある

はい・・ここでおわかりだろうか?

『古代の意志(石)』に触れ、『託されるメッセージを宿す』・・というのは・・とても『やりがいのあるクエスト』だと思うだろう?

『組み立て説明書』が有ればね?
全部『パーツ』が揃ってればね?
『完成形』がわかってればね?

ワクワクする断片的なパーツや仕組みはわかる・・しかし、『何と何が繋がる』か、『順序』はどうするのか・・わからない

本来・・という『本が無い』から元来という『元を見つける』か『法則に自分で気づく』しかない

この空海の霊場物語シリーズもこの記事で20回に至る・・しかし、その時系列は私の『閃きキーワードが来た順番』だが・・書き出してみれば、順序的に『先にきたもの』が、『後で書いた記事に紐づいてくっつく』ような・・

とりあえず、『部位的にパーツ』を組んでから、後で『全体の組み合わせを探す』ような作業はまさに・・

『賽の河原の石(意志)積み』ってこれじゃね?←唐突にくっつくパーツ

『修験道を進む者』が、かつての修験者の遺した『石の意志』と向き合う時
かつての修験者は『解くまで鬼』になって逃がさず『意志責め』してくる訳ですよ

逃がしたらまた『残念・無念』に取り残されて『浮かばれない=成仏できない』から(笑)

そういう意味では・・仏教とか後の修験者がやってる『祓う』という儀式
あれは・・凄く良くないな~と思う

先人の『遺した意志を解決する』のでなく『撤去』するために祓っている
やれ『祟りや怨念で工事ができない』から『石を護る意志』を『邪魔と札付きの悪にして消す』という

だから『離れるため』に壊される前に『天然慈石』を呼んでくっついて『託しーの相乗り』してくるんだろうね
『慈しみの意志』を持つ者=『居心地がいい優しい宿主』

「石の意志を解け!」・・というのは波動が落ち着いた『余韻が残る数日後』にくるんだよね(笑)

意志ある巨石に封印されしデーモン・コアの解除

私は『古代遺跡・巨石』を巡るとき、まず触れてそして『瞑想』して呼吸で『息・域』を整える。それは『刻まれた意志(心のクエスト)を受注』していたという事にも受け取れると気づいた

(・ω・)/鬼クエスト受けますか? (・∀・)ウン!!

シンプル哲学 quest(探求)とrequest(要求)

『パワーストーン』を身に着けた時も『好転反応』などが起きたり、サポートやガイドストーンとして『導かれている』と素直に感じたのも、『その石の意志(役割)』を『装備効果として反映』させていたという事なんだ

・・ってそんな訳ないじゃーん(ヾノ・∀・`)ナイナイ

・・と『否定・拒絶・常識には無い』『思い込む』のはとても簡単な『現実逃避』
れる態のしへ進んで難儀にあわないように道をはずす』=『無難』

『人生』は『難が有るから有難い成長がある』『実感なくして理解の覚えなし』『魂の成長なし』

ポジティブ(立場と活動)にネガティブ(拒否)している(笑)

非常にわかりやすく『無難な模範解答』だからこそ、「衆生だなぁ」と修験者は思った(笑)
そりゃ『心に聞く耳=恥』もたないなら仏も『ほっとく(仏徳)』

そっちはそっち(現実)で『お達者=達した者』で(・ω・)/救えない

私は『天然慈石(慈愛の意志を持つ)』として虫も殺さない放生の精神持ち、忌み嫌われる物事ほど、興味深々にその理由や逆の立場を照らし合わせて見る生き様

『照らし合わせる』という幾何学的かつ量子的な言葉

だからかわからないが『鬼=残念・無念な心を護る者=修験者(魔物として封印された)』に呼ばれる者
「ここに残された浮かばれない念の心がある・・連れて行ってくれないか?」と護りし古代の神を託される

そういや、最初は夢で「水の神です」とざっくり名乗る、『この世の物とは思えない絶世の美女』にお願いされて、行ったこともない岩手の大滝沢神社に向かい『真砂姫という法華経の伝道者』が身投げしたという瀧に行ったのが始まり

交通事故にあってくれません?と言われる夢

安倍原典 アヴェスター 三蔵法師はマリアかな??

この旅の時、私は『空海』をまったく意識していなかったが・・自然にそこには『空海の意志が込められた石』があって『触れて』いたのだ

湯殿山

そしてこれがその地に忘れられ『封印されている古代の神(を伝えた修験者)』か、志半ばで『残念な心となった意志』を、私が一時的に『心に宿して連れ帰るクエスト』であったかのように・・

初めての時は、一生の間に二度は見る事無いだろうという『奇跡の虹』を見た

1時間以上消えない虹 テクノロジーか自然の力か

通常は5分も見れればラッキーな虹が、地元の神社に無事帰ってきました(一人一)と報告した後に、雨で塗れたテントを干していた時にベストポジションでくつろぎながら『1時間以上』も見てられた

これが、『クエスト報酬』だったとするならば、粋な計らいだと思う

そもそも『きつねの嫁入り』のようなお天気雨だったから、私が宿してつれてきたのは『法華経の真砂姫』か、はたまた『祀られていた瀬織津姫』

仮に『瀬織津姫という女神』がうちの地元の『近所の神社』についてきたとするなら、まさに『八大龍神は法華経の守護龍』だから、今はここに居て『加護』を受けているのかもしれない(笑)

あと、そう考えると・・あの夢のこの世の者とは思えない絶世の美女の水の神って・・

私は『神を神社に住まわせる』・・という『傲慢な神事』もまた『違和感』を感じるんですよね
というのも、今の神社は『明治の神仏分離』『元の地域と繋がった神は排除』されて『侵略して移住してきたシンボルアイコン』なんですよ

いうなれば・・神仏分離した後に建て直された神社とは『背乗り=すり替え』です

そう考えた時、仏教でも墓石に魂込めという霊感商法儀式を行うように、神事というのも神降ろしの義とかお呪いやるけど・・

「何やってんだろうねぇ・・」┐(´д`)┌ヤレヤレ

と元々『その地の事を想い』『その地の人の為に礎』になった『先祖達の意志が刻まれた何か』が残ってると

・・一言で言えば、なんだかなぁ~と浮かばれない残念な気持ちになる

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