ソロモン72柱の図、ダンテが記した煉獄の構図、星曼荼羅(北斗曼荼羅)、胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅、そして釈迦・大日金輪という構図、金輪際(今はの際=見極め)から見えてきた、封印の正体は・・
ソロモン72柱の図の中心の◇
私は以前、カタカムナ44首でこんな図を書いてた
□に囚われていた◇ひし形
この記事では古代文字に関する書籍でも、『円錐』、トーラスの『螺旋エネルギー』についても触れている
この構図がソロモン72柱の『中心にあるひし形』とするならば、胎蔵界曼荼羅の北方院という構図はまさに、『二等辺三角形』である
このひし形の『上を胎蔵界』とするなら、反対側は『金剛界』という事になり、それはダンテの描いた『煉獄』もまた下向きの二等辺三角形
これは『地獄』と評されるが、私はこの時、『受け止め方』を変えてこのように表現していた
つまり煉獄から上がれば、それは『逆転した世界』があるはずだと・・それが仮に煉獄=金剛界、その反対=『胎蔵界』とするならば・・
世界のあらゆる宗教が『天を見上げた景色』に必ず映る存在が、『北極星と北斗七星』という
『上の下に七』=『虍=とら+かんむり』=『トーラ(原点)+王冠(自由意志)』
『七つのの滞在(北斗七星)』という表現で捉えた時
それは◇の中心点(天)、『胎蔵界と金剛界を繋ぐ基点』となる
胎蔵界から見あげれば、『七つの希望』
金剛界からみれば、『七つの大罪』
それぞれが『天(点)』の捉え方が違うのは
正論は『痛みを伴う苦言』にもなるのと同じ
『正直者』であれば、苦しまないが、『嘘や騙しの利己』があるとそれは
『目をそらしたい』のに、ずっと『見張られているような目障り』でうっとおしい存在
で、大事なのはこの中心点となる『釈迦・大日』と呼ばれる存在の名が
『如来』ではなく『金輪』という名称がついている事
釈迦如来=釈迦の『如く来る』・釈迦が『来るが如く』
釈迦とは『問題に巡り合い解決をする』という意味
大日如来=『太陽』よりも光り輝く『大光明』
天を越えた『空』の『上』の存在
金輪とはその『後光』のような光明のように光り輝く『金の輪』だが
金をまわす=『金を巡らせる・巡る金をもたらす』と捉えると・・
そこが、胎蔵界・金剛界の『それぞれの世界の底辺』だと示す言葉がある
それが『金輪際』
底の底まで。あくまでも。断じて
強い意思をもって何かを否定するときに使われる言葉
今がこの世と別れる直前の時であるの意
胎蔵界と金剛界の『今はの際』
それはどちらにとっても『心を鬼』にして『見極め』が必要な点=『鬼門』であり
その『一線』を超えたら、双方がほっとけ=『仏』となる点
『浮かばれる者』と『浮かばれない者』
『成仏できる者』と『仏になれない者』
『胎蔵界』からみれば『堕落』
『金剛界』からみれば『地上への到達』
お天道様が観ている世界=『地獄・地極』という『一面』
ここで釈迦・大日/金輪際
と『金を巡らす、廻る金』との『執着を切る事』ができるか?
「今は・・」の際であり、『この世(現実)』と『あの世(反対の世界)』へ進む境目となる
この仕組みをより外から『様々な役割』で封じ込めたのが、『ソロモンの72柱』だとしたら・・
中心の◇は『そういう世界観』を『無為自然』から与えられた『無の空間』であるともいえる
そして、『過ぎたるは及ばざるがごとし』で
大日=空・大光明 釈迦=『問題解決で無為自然』になればいいが・・
それもまた『天国と煉獄』という『二元性の陰陽』のように、行き過ぎればまた『一つの天と滞在する七』を忌み嫌い『反転する極楽と地獄の縁の巡り』でもある
やらない善よりやる偽善(必要悪に傾く)
私が、この気づきに至るきっかけは・・前回の夢
大日如来の大仏の足元で「敵にあらず・・(ほっとけ)」と説法を受けた内容
ここで『金輪際』という『金』を見極めた
どんな宗教組織も『金と力』に踊らされている
まさに『お釈迦様の掌で転がされ』、『お天道様(大日)はそれを観ている』
『金の奴隷(巡るエネルギー)』を産みだして、「金から離れられるか?」を実験している
これが『アヌンナキが地球に金の奴隷を遺伝子組み換えで造り出した』という事なら、その目的は、『遺伝子レベルで金の搾取するようにmRNAでハッキングして命令』をしたとしても
『元々の遺伝子の力(DNA)が復活』して、『より強い抗体(金に囚われない)を産みだす』という、いうなれば、『金に執着しない精神性を産みだす』ために『生ワクチン(毒)』を打ち
それを『自力で克服した強い精神(薬)』を『宇宙に広めるため』だったのではないか?
これは・・精神を産みだすための『錬金術』
『錬』にはこういう意味もある
『金属』をきたえる
『薬』をねる
西洋医学は『金属を重視』してきた
だがなぜ、『金に東』がつくのか?
それは『東洋の生薬を活かす漢方』を指しているのではないか?
金の術・・術とは『朮(おけら)の行い』と書く
『一寸の虫にも五分の魂』があるように、『極東』にその『魂』がある
『金属』は『叩いて鍛える』が
『精神』は『氣を練る』
氣を巡らす『思』いが『虍の下の七と向き合う』=『慮』
用心して、考えをめぐらす。考える
あれこれと思いめぐらす。思い。考え
見上げた北極星と北斗七星、そこに『自意識の氣』が『思い』として巡れば、それは『上の下の七と思い』が繋る
『金というウイルス』に対する『抗体』となる
その地に『心を護る鬼』が生まれるは『必然』
そこで、『丑寅の方角』に『北の地』に集まってくる
『艮の金神の地』へと『無為自然の魂』が集まってくる
金に氣を巡らす宗教は「鬼門に近づいてはいけない」と遠ざける
それを信じる者を信者=『儲』という『金の奴隷』に変える
『北の月の人が言う行いの為』・・は『背信行為という裏切りの異端』とされ
『星読み・月夜見の占い魔女』は『迫害の対象』されてきた
釈迦も鬼も仏も廃すると『廃仏毀(鬼)釈』されてきた
『精神に宿る魂』を『金』が蝕んできた
・・だからこそ、精神は『慮る配慮として氣を練り上げる事』ができた
『負ける、敗北』するからこそ、『北へと精神力』が集まってきた
『金』に蝕まれて『地に行き場』がない『生き場』がない
それでも『金に屈しない強い精神』は、『金や力への執着がない』
そしたら、自然にほっとけになる=仏になる
その仏に至る為に
精神は『釈迦』を宿し、『問題に巡り合い解決した』
精神は『鬼』となり、『心を護る門番として戦った』
それでも『金が力で押し切る』なら・・
『ここ(金の争いの世)』はくれてやれ
こいつらは、『金を巡らす』事しか頭にない(遺伝子が目覚めない)
それを『学ぶための場所』であり、『金輪際関わらない地』なのだと卒業する
・・これは『ウイルス(間外物)』に触れて、『機能獲得した抗体』になるという事
暖かく包み込んで、そしてそっとそれは『外へと放り出す』
私はそれは『新劇場版エヴァンゲリオン』でも感じた
あるいは、免疫が『隔離して保護する封印の地』なのだと・・
ソロモン72柱の中心の◇の外には、それはそれは『いろんな配慮』が行き届いた
『無為自然の恩恵』によって、この『奇跡の地球のバランスが仕組み』として備わっている
・・と、預言者マギがほっとけ!と捨てた『禁断の実(金・争いの世)』を
西洋(バビロニア)の誰かが開いて『宗教神話』にして繰り返す『パンドラの箱』
惑星ニビルから『捨てられた金・菌が蔓延』しているけど
真の目的は、その中で『抗体を持つ魂が生まれる』のを期待した
『外の世界の問題』がここに『集約された世界』
まさに人の世は『宇宙の縮図』だから関わらない
それは中でも外でも同じでミクロはマクロに『相似している自然法則』
そりゃ『宇宙から来た魂』というのは、そんな『世を見て帰る』
『冥土の土産(問題)』を持って帰るはな(笑)
宗教に与えられた『概念=極楽浄土に地獄』もまた『封印された◇の世界』の『上と下の偏り』
あらゆる宗教はその『中を繰り返した先人達の魂の輪廻の経験値』に溢れていて
だからこそ、その『門下生』ではない『門外漢』の『外の精神』に宿り『継承して形象』して次へ継ぐ者へと『先祖供養 』で宿る
これは『東洋思想』=『上の下の七の下で思う』という、『慮る配慮』が無ければできない事
12×12の1/44ではなく
13×13の1/69
この世界は『69の繰り返し=皆苦』だと『1の位置=一切』で観る
これは算数でも数学でもない
『6と9』が『胎蔵界や金剛界』、『天国と煉獄』の巡る『二次元螺旋』ならば
そこから『離れた1=位置』とは、『金輪際の見極め』であり『立体の中心点』である
星曼荼羅・北斗曼荼羅の忠心が
『大光明(大日)』で『問題に巡り合い解決する=釈迦』というのであれば
それは『人』が『門』と向き合う=『閃光』である
『閃き』は『アイデアを生む事』であり無の中には無い『有る』を創る事
ウイルスに『侵された細胞の中』から
ウイルスすら『機能獲得して一部』にしてしまう『免疫抗体』
それは『何』か?愚問だな
『何=人の可』能性
『人』の『能力』と『性質』
それは『魂・心・精神』に宿る
その『先人からの学び』をどう生かし活かすか?
それは『無(何でも有り)』をゆるす『無為自然の恩恵』にある『自意識』で決める
その『思想』を『東洋』は持って『星世見、月夜見』の『占う心=点・天』とする
錬金術にはなぜ『東』?どうして敗北すると『北』へ集まる?
艮の方角になぜ金神がいる?
金神=金の輪を持つ存在=大日金輪・釈迦金輪
艮の『金の倉部』と書いて、『コンクラーベ=法王選挙』
彼らキリスト教は、『金の巡り』をとるのか?『釈迦・大日』を取るのか?
廃仏毀釈で廃したはずの仏・鬼・釈迦の魂は滅びない
いつまで根・魂競べが続く(SDGs)かな?=『お天道様は観ているぞ?』
そういう『サイクル=氣(言霊・音魂)の巡り』になっている
今日は、いつの時代の先人が描いたかわからない『呪術的な構図』を交えながら
それは大事な気づきの閃きを与える『授術』として学び感じたお話でした
大日大仏「敵にあらず・・」のより『詳細な内容』だったのかもね
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