ねむるという行為を言霊に託した先人の意志が伝える目を覚ませというメッセージに気づくお話
ねむるという漢字が示す事
ねむるとは、意識なく睡眠を取っている・・という『状態、現象』と認知しているが
『眠』という漢字を見た瞬間に『左の目の民』と書く
左の目は『プロビデンスの全体監視の目』
つまり眠るとは『監視された民』という事
『右目=真実のラーの目』が無い
同様に他のねむるという漢字を見ていく
睡ると睏
左目に『垂れる』
左目に『困る』
『目と口』に封じられた『木』
木は『自然』
木は『大・十』の組み合わせ
十は全て
大は『一人』
全ては『全て(自由)の一人を口封じする監視の目』=睏
『右目の位置』にある漢字=『真理』
それが『現実の観測状態』と捉えると
目を覚ますとは『目目』になる事
そんな漢字はあるか?と調べるとたくさんあった・・やはり目隠しに口封じされた空間に
一級漢字に隠された真実の右目
䀠(く) ※配当外
きょろきょろと見る。左右を見る。見回す。
愳(く・ぐ)
おそれる。おそれてびくびくする
瞿(く) ※漢字検定1級
みる。見まわす。するどい目つきで見る。
懼(く) ※漢字検定1級
おそれる。おそれてびくびくする。
ふむ( ・・ )ここまででわかったのは、『隹』と『心』を奪い『民の目』を覚まさせないように、『左目の監視の目』が『眠らせよう』としている
『心』と『隹』という漢字を『配当外や1級漢字』という『封印』をする事で、『意図的に現実』で眠らせている
とても覚えやすい
『心』を持って『目と目』の下に『隹』を置く
『隹=先住民の恵』を宿していれば何も『難しい事』は無い
知 →『口』封じ
雉→『隹』封じ
『口封じ』された対象に『心』を巡らせる
心を巡らせて『曇りなき目目』で観る
それが『懼・愳=恐れてビクビクする』
誰が?
それは『民』が『眠・睏』から目覚めたら困る、『それを現実』と『見せていた監視者』
「夢を見させてやる」と『心無く口封じされた現実』を見せていた『左目』と『同じ領域に至る目』を開く
だから『鋭く見回す』
これも目覚めたらわかる
『未知』を観る時はキョロキョロ(^p^三^o^三^q^)
それが く(九)次元
『両目』が開く=『目覚める』とは左目と右目が『対等』である
『その状態で物事を観る』のは『第三の視点』
目と目を『観る目』…がないか調べたら
瞐 バク
美しい目 窪んでる様
『美しい…』と意味を知った時、私の中では、それは「綺麗事過ぎないか?」と思った
仮にも今まで『右目=真実は左目に眠らされて体感した民』という『現実』であり、やっとそこから目覚めたら…美しいから何事もなかった…で『済む訳が無い』だろ?と思った時
こう変換された
鬱苦恣意(うつくしい)
『鬱』も『苦』も『次の心の意』
納悳した(一人一) Σ(゚д゚;)早
『自業自得の因果応報』、例え監視者に『見せられていた眠った現実』を過ごしてきた中で、『鬱や苦』という『現実を嫌』という程、『輪廻で何度も繰り返して行く』と…
『自分で行った業』が巡り巡って『恩として返ってくる』のだから、自分が鬱になりたくなければ、『周りが鬱にならない』ように、自分が苦しくなりたくなれけば、『周りが苦しくならない』ように生きればいい
『辛いこと、苦しい事』を『身をもって経験』すればするほど『周りに優しく』なれる
その心を『真勿忘草=花言葉』でも納悳している
※偶然だけど、このurlに『無為・弥勒(61369)』が出現していると後で気づいた(笑)
『鬱で苦の世の中』でも『争う敵意』を産まない
それは『次の心の音=意』を産む
『争いの二元性』から目覚めたら、『目目の上』に『目=瞐』 という『観測者の目』になる
『鬱苦恣意目』を手に入れる事
『美』とは『羊と大』
『大きな羊』とも取れるし、『羊の一人』とも取れる
そうなると『鬱苦恣意景色(嫌な現実)』を見せていた
『左目の監視』とは『羊飼い』である
『羊を大きく育てる・一人を育てる』
因=『口封じの大』→『器』を育てる
『因』に『心』が巡る=『恩』を感じる
『困難』を『有難いと思える一人の羊』
それが『美しい目=瞐』
そうなると『1級漢字に封印』も『隠す・隠蔽は意図的』だが
『薮』をつついて『邪も鬼も』出す『勇気・遊気』が必要だ
両方出れば『邪鬼払い=隠蔽』を取り除く
しかし、『古き鳥(隹)』を除かないで残すと
懼
ここまで行って『蛇足』も発見する
攫(つかむ・さらう)
わしずかみ 鷲巣神。攫(ヤマコ) 山猿のような妖怪。 雄しか存在せず、子孫を残すため人間の女をさらう
鷲巣神=人攫い
鷲は古代のアッシリア、ペルシャ、ローマなど、古代の多くの国々は、鷲の象徴が王の笏、軍旗、石碑などに用いられ、現代でもドイツやアメリカ、メキシコ、スペイン、オーストリアなどの国々に用いられている。
『鷲鼻』というのは『ユダヤ人(白人系)』の特徴
『攫う』→『人身売買→奴隷→眠らせる』
『左の目=プロビデンス』が『民を監視』
なるほど、『又=繰り返し』
『心』ではなく『手を使う・手を回す』
そして対象は『目目(目覚めた者)』と『隹(先人の恵)』
そうなると、漢字の形象は『警鐘』を告げている
「又、『鷲巣神の人攫い』に『古き先人の恵』に『手』を回させるな」
=文化破壊
『攫』は『1級漢字』でも『認知度は高い』が『懼や瞐』は『存在すら知らない人』も多い
=眠った人々
目が目目に『開いてない』
そこに『心』が巡ってない
(隹)=『先住民の意志の鳥居』が失われている
『心』を『手で攫われた』
『右目=真実』を失った人達
睏 の意味は
眠る。いねむりをする。また、疲れて眠くなる
=『口封じ』された『木』
密閉空間で『空気』もなければ眠くなる
とり(鳥=鷺・鴨・鵜)つかれれば『左目の民=奴隷・言いなり』になる
『それを見る目』が『左』にある
だから『左=左記=先』を読め
…という私の『俯瞰の目』というのは間違いなく『目目の状態』である
『現実(左)』も『己の心(右)』も理解した上で『理想』を探す(゚Д゚≡゚Д゚)ドコダー
『鋭く見回す』=それが美しい目=『瞐(第三の目)』
『少ない隹=雀』に目を向ける=『省』
=『失われたスクナ=大事な教え』
全部、『1級漢字』にたどり着く!!
鳥が集まる鳥居は、封印された古伝へ・・
まさか、『眠る』→から『目覚め』が始まるとは思わなかった(笑)
やはり『目は神』で『口は嘘』だわ
『目に映るもの』が『嘘から生まれた』ならそれはもう『眠ってる』
それを『見せられている民』
私はそれは『受け入れられない』
「それは左目が見せてる物である」と『右目が開いてる』からである
これは『VR=立体視の観点』からもわかる事
『両目』を使って『第三空間(融合)』を生み出してるのが『自分を中心に生み出し観測空間』
『右目(真実)』が開いてなければ、『二次元の予定調和の映画を見せられている』のと変わらない
『右目(真実)』を開けなければ、それがC級か良くてB級の『駄作映画と判定する目』すら無い
これは『物理的な目の話』ではない(重要)
そうなると、『物理的には眠っている時』に観る、実は眠っていなくて、『心を巡っている時に観る夢』とは何か?
やはり真理の探究先は『夢』に向かうのであった
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