もしも…真っ直ぐ続くと思っていた事が、歪んだら?その歪みの局面を見つけて、今まで間違っていたと口で伝えても、体感無ければ人は信じない逢魔が時のお話
曲面とは
曲がった面。平面でない面。平坦ではなく、丸みや歪みがあるため、物体としては球体(ボール)、円柱、円錐、卵の殻、レンズなどが挙げられる
空間の歪み: 一般相対性理論において、重力によって空間が「曲がっている(曲面になっている)」様子を表現する際に使われる
これは『物理』の話だけど、人は『感覚』でこの真っ直ぐが歪む曲面の始まりを『三半規管』というジャイロセンサーで…
『感じる人』もいれば感じない人もいる
例えば山の標高の昇り降りで『耳がおかしくなる人』もいればそうでは無い人もいるように
空間が曲がった事、『歪んだ局面(状況)』に気づいてないから、そのまま『連続していると錯覚』してしまう
そこでわかりやすい…かどうかわかんねーけど『空間の歪みに気づかない』という『局面の例』を言えば
例えば、皆がいて談笑している中、貴方が言った『何気ない一言』で『空気がピリついた事』を貴方は気づかない
その一言で貴方と周りの観測している空間が歪み、その『空間の歪み』で『貴方だけ違う空間にスライド』している
空間を歪ませる『一言』を
A 言わない世界→そのまま『真っ直ぐ』
B 言った世界→『歪んだ後』の『曲面世界』
貴方の『主観』では表面的に『歪み』には気づかない
貴方の一言で『空間が歪んだ方向』に進む
Aの世界は『何も変わらない』が
Bの世界は進むほどに『違和感』を感じる
自分が『思った方向』に進まない
真っ直ぐのつもりが『歪められる感覚』
それは既に歪曲させた『局面』を思い出す事で、『歪ませてしまったのは自分』だと反省して初めて『真っ直ぐへと向きを変える事』ができる
『間違い(始まり・因)』に気づかないと
『場違い(終わり・果)』かどうかわからない
物理は『点と点の観測』で歪みや曲がりに気づく
しかし『人生の点と点』は観測はできない為に
真っ直ぐのつもりで進んで
歪みに気づいて曲がっては向きを直す
『不正を正す』、この『自己反省』がなければ
自分が『自分の周りの空間』を歪ませる『原因』だと気づかない
球体レンズは『光の屈折』によって『象』を映す
『光子の集合体』である『物質の人間』という『球体空間(観測範囲)』は
『光』をどのように『屈折』させるのか?
光の『当たり方・向け方』で『光景』が変わる
それは『歪曲した曲面』も生む
そんな『自分自身の光』の使い方
それが『大局という極面』
『鏡』になるとは物事を『ありのままに映す』
見たくない物事を『歪ませて隠す』のではなく
『隠そうとする醜い自分』すら映す鏡になる
そんな自分自身すらも鏡になった結果…
その大局の曲面、歪みの極面
「ここか!」と『ここであったが百年目』
一時でも『その光景』を見た時
…ああ、これは表現のしようが無い
した所で理解もできないし、通じない
何故なら自分がその『光景』を見た時の衝撃を
『有る』けど『伝える言葉が無い』上に
仮に『自分が聞く立場』になったとしても
「それは嘘だ!」と『空間を否定』するのは間違いないと
『価値観の押し付け』に意味は無いと『自己認識』できる
だがここからが今回の…「じゃ、何の話だ?」という『歪曲した曲面』という『極面』に気づく為の真骨頂
『嘘』とは『マクロな表層』表現
『一(入口)』から『十(出口)』まで『嘘』では無い
前回、ワールドワイドの話の中で
『歪度の話』が先に気づきとして来ていた
この時、『嘘』という漢字は
『小さな口+虚』という構成だが
その虚という字は『代入(X)式』だと気づいた
つまり『虚空には当てはまる漢字』が有る
『小さな口+漢字』という組み合わせがどんな物事があるかを調べるのは自由にどうぞ
ここで伝えたいのはその『組み合わせの漢字』の多くは
『嘘(配当外)に内包されている』という事
何故、『裏(温羅=禁忌・鬼)には有る』のに『表に無い』のか?
これに『気づく』と『気づかない』では
『空間の歪み・間違い』に気づかずに『真っ直ぐ場違い』に進む
知らなくてもいい…という『自己選択』ではなく
知らせるべきでは無いと『有るのに得ない=有り得ない社会構造』
有り得ない=『存在しない』とされるから
『嘘(存在を隠す)という歪み』が空間を歪ませる
『誰』も気づかないまま
『嘘』と気づかないまま
言葉の認知のズレで『光景は歪む』
『嘘』はついてない(マクロ)
でも『虚空(ミクロ)には思惑』がある
そのミクロの思惑に勘づく『思慮深いフィルタ』を持ってると
その人の『発言』から『考えが透けて見える事』がある
あぁ、こいつ『自覚なく歪ませてる』…
『表層の嘘』はスルーして
ミクロな『嘘の中身』が引っかかると
こいつから『フェードアウト』しよう(仏悳)
貴方の『運』もこれまでよ( *´꒳`* )微笑みながらさようなら
こんな感じで『歪みに敏感な仏達の意識』はその『歪んだ空間』から離れ、変わりに、「こいつには警戒しよう」と『心が鬼』になる為…
『自覚なき失言』で『歪み』を生んだ時点で
貴方は『鬼に囲まれる空間』に意識が移っている
だから『自ら己を反省』して、それを『戒め』として、その「歪んだ環境を二度と作らないぞ!」と覚えて悟る=『覚悟を持って場違いから解脱』すると?
実は意識は『失言する一歩手前』の『今はの際=あの世とこの世の境』に戻り…
(あ!ここだ歪みが生まれた曲面の局面!!ここで私は『心無い一言』で空気が変わったんだ。何が心無い発言だったのか…今ならわかる!)
と『同じミスを繰り返さない事』で真っ直ぐに戻る
これが『急がば回れ』
意識は一度『地獄』を巡る観測で『場違い』に気づかせ、『自己反省』と『再発防止の意識』に切り替えさせて『再び元の位置(存在座標)』に戻す
『主観』で言えば、『ひとつの人生』を終えて、『二周目』に入ったような、でも『繋がった』時、『それまでの苦難を忘れる』ような…
そう、あれは『夢』だったんじゃないか?
という『大雑把で在り来りの表現』になるが
『歪み』に入って『歪みから出てくる感覚』は
『何も無い(周りから見て変化なしの一瞬)』に
『全て有る(主観ではその選択で失敗した永遠シミュレーション体験)』
その空間の歪み(前は見えなかった)に『入る前』に戻り、その空間は『避ける』(その歪みの先に場違いが有る物事がわかるから)
これを『先人の言葉』を借りて例えるなら
『虎穴に入らずんば虎子を得ず』を
結果的に『急がば回れ』で体験したから
『君子危うきに近寄らず』で『金輪際』お断り
まさに『空間の歪み』とは『逢魔が時』
だけどそれは『体感』すれば理解するが
『善い悪い』ではなく
『正しいでも邪』でもない
貴方という『鏡の光の屈折』で見える『光景』
私は前の記事で、『心は受け皿・器』と示した
因→恩
田→思
『光子(格子)フィルタの網目』=in 田ネット
さらに『振るい』にかける『思慮深さ』もまた
『最後の受け皿は心』であり
鏡はそのキメ細やかな『沙の心』を映す
『自己反省』とは『思慮深く』なる事
思慮深くとは心に受け止める為の『フィルタを何重』にもかけて『厳選』する事
表面的には動じない=『無頓着』
内面的には『一は全』だから『軽はずみな言葉=小さな口+虚』を鵜呑みにせず、発する事もなく
軽はずみな『行動や流行り』にも乗らず
『つまらない奴』になるかもしれない
『網目のフィルタ』に目詰まりしない、『行き詰まらない沙粒』になる
だから『逆説』的に面白いのが、過去に『大罪を侵す地位を体験した意識』ほど、『もうそれはほっとけ(仏)の主観』になれる
争いから離れる=『和を好む』とは
かつて『争いの極面』が『何=人の可能性』を生んだか
それを『体感して理解』している『感覚』がある(記憶は無い)
『自他を労る』ほどに『心は優しく綺麗』になる
空間の『歪み』はまさに受け止める『心の器』のない
因→果 『結果・成果』から始まる
「心無い言葉が世界に歪みを生んだ」
その『貴方の世界は貴方が歪ませた』という『業』
貴方の『歪みに合わせて変化した場違い空間=逢魔が時』
だから『不正を正』にする『正解』は
『貴方』しか知らないし『気づかない』
私は先にも言った通り、それに『気づく過程』で『逢魔が時(歪み)』を超えてきた
その『体験の感覚』はできる限りこのブログに『夢=現実』として書いてる(その時の熱量で)
私にとって平面から『歪曲』が始まる
曲面の局面=『空間の歪み』というのは
自分の『自覚なき嘘(マクロ)』を見落とす事
言葉の表現は『因果が大雑把』過ぎる
嘘では無い口+『虚ろな空間の中身』を
もっと『思慮深く振るい』にかけて
『和微差微』な言葉を選ぶ
必然的に達観した先人の『古語的な表現』が増えて、現代では逆に『伝わらない』かもしれないが、それでもいい
それが『虚(代入)出来る空(有無)の方程式』なのだから
言葉は本来、鵜呑みにするかは受け手が『フィルタを通して自己解釈』する必要がある
それは『大雑把』過ぎるから『思考』するだけでは『損得=自己利益のフィルタ』に引っかかる
しかし、『最初』から聞いても『意味』もわからないし『何のフィルタ』にも引っかからない、サラサラと降り積もる『ほっとけの沙の言葉』は
気づかない内に『心の器』に貯まっていく
そこに『光』が当たった時に『鏡の真価』を発揮する『閃きの言霊』として『真言』になる
インスピレーションとは
in(入る) sprit(魂) ration(一定量)=閃き
どんな『フィルタ』にも引っかからないから、『そこには無い智慧』を思いだす
私は日々、寝ても覚めても先人の知恵のような『古語な小言』を聞かされるように『夢』を見たりして…
その時点では「なんのこっちゃ?」と『心に留めておく(夢日記)』だけだが、いざ現実で『スケールの違う夢と相似した出来事』を目の当たりにした時…
そう!ここで『空間の歪み』を感じる
(あ、ここから『逢魔が時=既に夢で先人達から学んできた事』だから、この方向は間違いだ)
と
『心に素直』な時、『光が鏡で反射』して『歪み』に気づかせる
自分で空間を歪ませるのは『心が未熟』
空間の歪みに気づくのは『心が成熟(鏡映し)』
『光』の捉え方、『心』の状態
『屈折』や『湾曲』
それが『無い』時…あの『真っ直ぐな光景』は
体感なくして理解なし♪( ◜ω◝و(و “『尊』して『悳』積めΣ(゚д゚;)
『地獄(苦)すら楽しい』と思えるのは
その地獄が『自ら生み出した光景』だから
でも『地獄の印象が悪い』のも『思考フィルタが大雑把で嘘を鵜呑み』にしてるだけ
『地獄』(自己反省して心を入れ替えるまで)
『自極』(自らを極める心を磨く=鏡)
『嘘』ばかり溜まった『心』は入れ替えて
『思慮深いフィルタで厳選』した『沙の意志』
それに『光』を当てて反射した『鏡の真言』
それが『閃きの光』と共に『口』から出てくる言葉の『進言』
閃いた!→『平目板(鏡)』
要は心が『全て』、全ては『心』に有る
『歪み』もまた終わって見ないと『歪みと解らない』
『不正』が何たるか?足るを知るから『解を正す』
『正解』を導き出したらもう
問題解決=心は大丈夫=釈迦









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