好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

カタカムナ74首 松尾芭蕉 奥の細道

寝起き閃きワード 松尾芭蕉( ¯꒳​¯ )ᐝと言えば奥の細道…そう言う事だったのか。内容も読んだ事も無いのに目的がわかったお話

松尾芭蕉とは?

芭蕉

松尾 芭蕉は、江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房を称し、次いで桃青、芭蕉と改めた。北村季吟門下

俳号とは

俳号(はいごう)あるいは俳名(はいめい、はいみょう)は、俳諧あるいは後の俳句を作る際に用いる雅号のことである。 現在は、俳人の雅号(愛称)という意味では「俳号」、「号」という呼びかたが主であり、「俳名」という場合は後述する歌舞伎役者が持つ異名を指すことが多い

なるほど(´・ω・`)
私が現世の出来事を訳詞如来する時『妙見狸』というようなものか

初めに宗房(そうぼう)

『房』の意味は

たばねた糸の先をばらばらにしたもの。たくさん群がって長くついたもの。堂のわきの室、寝室

これだけでなんとなく『意図』が見えてくるだろう

『宗教』という『束ねた意図』はバラバラになった
そこから『房』のように枝分かれした『堂の脇の寝室』

何を意味するか?
『廃仏毀釈・信仰破壊の痕跡』
かつて『その地にあった教え』の墓巡り

それは『奥の院』の謎へ続く『奥の細道』

次いで桃青

芭蕉翁がはじめて使用した俳号が「桃青」です。 その由来は、古代中国の詩人・李白に因んで【李(すもも)に対して桃、白に対して青の文字】を選んだとされています。李 白は、中国の盛唐の時代の詩人である。字は太白。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に『詩仙』と称される

李白=木子白
桃青=木兆青

(´・ω・`)?どうやら直感はしっくりこない

兆とは

起ころうとする物事に関するきざし。きざし。まえぶれ。「兆候」「前兆」「予兆」

あ、これだ(´∀`)

木を見て森を見ず

小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ

『青い木(若葉)の兆候・前兆・予兆』を見れば、これから『何が起ころう』としているか『先世見』ができる

これが本号 宗房 別号 桃青
『観察眼を持つ意志ある役目』の使命=氏名

としたら最終的に『松尾芭蕉』になった
これは『観察対象が変化』して行った事かもしれない

目的は宗房=『失われた信仰の堂の墓巡り』
最初が桃青=『未来予測の前兆を探る観察』
最後は松尾芭蕉=根付く民間信仰を追う『奥の細道』

内容も知らず、ただ『松尾芭蕉は服部半蔵説』というほんとだったらカッコイイ伝説(*´>ω<`*)という『ネタ話程度』しか知らず

なんで今(´・ω・`)『古きDNAにアクセス』したタイミングで出てきたのか

独自体感論 君が代は細胞の歌 963+528

芭蕉とは

ばしょう科の大形の多年生植物。中国原産。葉は長い楕円(だえん)形で大きく、風に裂けやすい。夏秋に黄白色の花が咲く。葉・根は薬用

ざっくりいえば『漢方の生薬』

さらに芭蕉とは
『草の巴』『草の隹の心』

『巴』とはうずまき。うずまき形の模様
自然の草を観察すればわかるけど『フラクタル』な『黄金螺旋の渦』

草の巴=『自然の黄金螺旋』の流れ
草の隹=『自然』と『地元民』、元は『雀(スクナを失った民)』

その心とは?
『自然を大切にする自然信仰』
『芭蕉』という漢字ひとつにそれが詰まってた

そこで、松尾芭蕉の有名な奥の細道のあらすじを調べると…

おくのほそ道』は、元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉の紀行及び俳諧。元禄15年刊。 日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名な作品である。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という冒頭より始まり、作品中に多数の俳句が詠み込まれている

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり(月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎていく年も旅人である)」とあります。これは、八世紀、唐王朝の時代の中国の詩人、李り白はくの文章を踏まえたもの。李白の文章は、「天地は万物の逆げき旅りょにして、光陰は百代の過客なり(天地はあらゆるものを泊める宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である)」となっています。なお、「百代」は「ひゃくだい」とも、「過客」は「かきゃく」とも読みます。

ほらドンピシャ( ´-ω-)σ『月日』

これが『冒頭の文句』なんだから、この後内容が『地域伝承をまとめる遠野物語のような神話や妖怪話』でも『世にも奇妙な物語』でも『都市伝説や陰謀』でも、成り立ち

全ては『時世かける情緒』物語の『滅ぼされた側の歴史の痕跡』をありのままに

それを『宗房=宗教の束がバラバラ』になった…だから『流派・宗派』の枝分かれ、その後の『新しき新芽・若き未来を作る青い木(気)の兆候』を見る

これはある意味では『隠者・忍者』による『スパイ』でもある

『現役』がやる事でもないし『隠退したご隠居無にこそちょうどいい。『老人の第二の人生的な楽しみの嗜み』…なのか

それとも調べてこいという大事な『使命=氏名』か

となるとこれ

はいぶつ‐きしゃく【廃仏毀釈】
〘 名詞 〙 ( 仏法を廃し、釈迦の教えを棄却するの意で ) 仏教を廃絶すること。 ( 1 )中国史上、四四六年(北魏の太武帝)、五七四・五七七年(北周の武帝)、八四五年(唐の武宗)、九五五年(後周の世宗)の四回にわたる仏教弾圧が、三武一宗の法難として有名。

ん?(´・ω・`)これは我々の知る『近代の廃仏毀釈』では無いね?

廃仏毀釈」の運動は、明治新政府の「神仏分離」政策を契機に突然勃発し、日本国中 を巻き込んで寺院や仏像を破却して、わずか数年で終わってしまいました。 廃仏毀釈の機運が完全に終息するのは1876(明治9)年頃のことです

ほらね?『後に歴史は繰り返される』

松尾芭蕉が『本号』が
『宗房=宗教という信仰がバラバラ』になった『後の堂の脇に埋められた墓』を巡る

観察する目的が
桃青=『青い木の兆候』を見て、『森(全体)の行く末』を先読みする

歴史は『焼き払われている』
歴史は『無かった事』にされている

それが『人の醜い行い』であるにも関わらず、『自然は何度も再生』し、『その地の恩恵』を受ける者達は『自然信仰』を失わない

例え『スクナ(雀)』という教えを広めた『伝道師がもはや無い隹』となろうとも『心(伝統)』を失わない

その根源に『自然と繋がる漢方・生薬』
『生きるための転ばぬ先の杖』がある

この杖とは『虎杖』という『傷を治す生薬』だが、究極は「痛いの痛いの飛んで行け!」の気持ち
『トーラ・真実の教え』の支え(サポート)

それが『奥の院・奥の細道の先』にある

…的な?(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)

だとしたら

私は『焼山』を見た時に『桃青』を感じた
どうして、『木の成長の兆候が一緒』なのか?

秋の紅葉がまるで燃える赤のように一面に…

パワーストーン 瑪瑙の勾玉が語る 焼山の光景

『観光客』を集めている『観光地』
それはかつて火を放った『敢行地』

『一斉に草木が燃えて』無くなり、『一斉に再生』しない限り、ほぼ『同列の高さ』、『同じ色』、『同じタイミングで一色の紅葉の森』は完成しない

『自然の美』であるが、それは『人から見た景勝地』
自然から見れば山の一角の森だけ『人に汚染された不自然な警鐘地』

私は『桃青の俳号の俳句』は知らないが、『氏名が使命』ならきっとこんな『人為的な不自然を記録』しただろう

それは『隠された・失われた歴史に繋がる兆候』だから

『現代の私』ですら『焼山』を見た時に『一瞬でそこまで見えた』のだから『元忍者』ならもっと凄いだろうさ

…と言うか内容を調べたらまさに同じ目線だった

夏草や兵共が夢の跡

岩手県の平泉(ひらいずみ)へ向かいました。「三代の栄耀(ええう)一睡(いっすい)の中(うち)にして、大門(だいもん)の跡(あと)は一里(いちり)こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残(のこ)す。 夏草や兵(つはもの)共(ども)が夢(ゆめ)の跡」。

秀衡の館の跡は田んぼになってしまい、かれのきずいた金鶏山という小山だけが昔のすがたをのこしている。一句(いっく)うかんだ。今見れば、ここは夏草がボウボウと生いしげっているだけだが、昔、武士(ぶし)たちが雄々(おお)しくもはかない栄光を夢見た戦場(せんじょう)の跡なのだ。しみじみ切なくて、悲しくなるなぁ。『夏草や兵共が夢の跡』」

色々調べてわかったのは…私が『幼少の頃から好きな格言』と言うか『575』で言いやすくて口ずさんでいたのは

『松尾芭蕉の言葉』だったと気づく

五月雨を集めて早し最上川
古池や蛙飛び込む水の音
閑や石に染み入る蝉の声

そして晩年、死を目前になお『旅の夢』を綴ったらしい

死を目前にしても、新たな旅を夢(ゆめ)見て、この句(く)をよんだといわれています。「旅に病んで夢は枯野(かれの)をかけめぐる」。

(´・ω・`)?『語呂』悪いな?Σ(゚д゚;)

これは『訳詞直せ』と?

旅に病み夢は枯野を駆け巡る

(´・ω・`)うーん語呂はいいけど、『病み』がどーもねえ Σ(゚д゚;)ダメだし

旅は闇、夢は枯野を駆け巡る

これだ(๑•̀ㅂ•́)و✧

松尾芭蕉は『つわものどもが夢の跡』、つまりは『人の栄枯盛衰』と『その後の自然な流れ』

言うなれば『人が急』なら『自然は緩』
人生は旅、『緩急を楽しむ』とは『人と木』が繋がって『休む』ことでもある

人が木に触れて『休』

『休む』って事は『寝る』って事
寝るって事は『闇』って事

その『闇の中』でも『枯野を駆け巡りたい』のが『彼の夢』

闇とは『門と音』
音は『立つ日』

門の先は『違う世界』
門前で『音』に『聞き耳』を立てる
それすなわち『聴衆=見聞を広める事』
彼にとっての『旅』は『知らない世界を知る事』

門に立つ日、『門に人』が向かい合って『閃』が起きる
彼は『門の向こう側の見聞=見聞きした事』を広めたかった

死の間際の『門の向こうに旅立つ最後の日』まで、彼はそれを求めた

…的な?(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)闇深ぇ

だから『病みで寝た(死)』としても、それを『闇』にしてやれば彼は『志』を持って『枯野=木の古い野』で見たい夢を見ている

松尾芭蕉=木の公の尾(締めくくり)は『自然の渦』の『自然の古き意志の再生の心=伝統・継承=DNA』

…(´・ω・`)え?今日のアセンデッドマスターは『芭蕉』さんですか?

アセンデッドマスターの意味を理解した

なんで今日なのかわからんけど氣が向いて知った事によって『シンクロニシティ』を感じた

私も『そう言う見聞を広げる旅』が好きで『自然信仰の先』には必ず『奥の細道』がある

神社・仏閣にも本殿からは入れない『開かずの間の奥』に『奥の院』がある

それは『いつ』からあった?
それはなぜ『封鎖』された?

そりゃ『闇(眠り)』の中でも『枯れ野(因果関係)』を辿る『浪漫旅行』な『夢を追い続けたい』よな

『訳詞如来の妙見狸』的にはこんな感じで、どうでしょう?(。-人-。)

『どんな人物』だったかは歴史なんてものは分からない
ただ最後の一句の気持ちは『夢追い人』として共感する

独自体感論 夢追い人の薦め 誰でも出来る実践内観法

『共感する』という事は『夢の中で逢える可能性』はあるな…ってかもう『師合わせ』で会ってたりしてなw(名前名乗らんからな)

白龍の導き 夢中=師合わせ 現実=自我の息抜きと実感

過去からletterが届いて始mail未来そして繋がっtell今

俺にデカメロン食わせたじーさんかな?

22を食え 師の師に奉公して学んだ事

江戸前期の時代を生きた人らしいから・・これも関連性はあるな

カタカムナ73首 江戸転正400年

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top