寝起きキーワード『聖闘士性否』、なるほど悟りの『道』等ないのか!と悟ったお話
聖闘士星矢?
寝起きにいきなり、聖闘士星矢のテーマソングが頭に流れてきた
抱きしめた!心のコスモ(小宇宙)
…という出だしの歌詞が、心の中のキヨ(インナーチャイルド)の事やん!と感じた所から始まる(*´罒`*)確かにあれは小宇宙
そしたらもう、芋づる式に閃が繋がって行く
聖闘士星矢?…セイントセイヤ?
セイント性や?(性質?)
セイント性、否?(では無い)
セイント、聖なる?闘士?
聖なる闘志の性質では無い?
(´◉ ω ◉`)?(ΦωΦ)フフフ…
またキヨが面白い作曲をしたようで、本日も謎解き解読のお時間です
闘士とは
戦闘・闘争に従事する人。戦士、死闘に係わることによって市民を楽しませたプロの戦闘員または捕虜
そう、コロセアムなどの捕虜。つまりは強制移民(バビロン捕囚)の事だと思う
ま、どこの国からって言われたらアソコしかないのは、そこの血筋の人達というのはとても優秀だからね?(何故か)だから聖闘士星矢という物語自体を広義な作品と捉えるとペガサス幻想という何もかも奪われた民族が力を得てやり返す復讐物語
その相手がゴールド聖闘士
つまりは金融・金属・金にまつわる者たち、支配者と奴隷
古代ユダヤvsローマ帝国みたいな?
子供向け作品だけど、バックボーンを考えると星座の組み合わせもよくできていて、星矢は星の矢、矢座でもあり、ペガサス座でもあり、合体すれば矢を構えた人馬一体のケンタウルス座とも、天翔馬=ペガサスという事にもなるが
(ヾノ・ω・`)そっちの深堀じゃない Σ(゚д゚;)
私に直感的に来たワードは聖闘士星矢ではなく聖闘士性否
聖なる闘士という性質の否定
そのヒントが寝起きのテーマソング
囚われ奪われた者達にとって復讐は我にあり!と戦う道は平和を奪った悪と対峙する事で成就する
例えばそれは今起きている事にも言える事で
超過死亡率の異常な増加
それに対する因果関係不明の死
海外では正式にコロナワクチン被害に対する国の賠償が始まったという話
現実感のない現実の情報はまさに遠い宇宙のどこかで起きているラジオのように、私は宇宙(VRゲーム)で賞金稼ぎをしながらYouTube音声でそれを聞いていた
私にはどうする事もできない選択した者達のその後のドラマの話
憎まれっ子世に憚る事を誰か気づいて欲しい
そう思って先日も目覚めの突破口をひとつ書いた。それはまるで別次元にワープするポイントかもしれないほど、寝耳に水の人もいるかもしれない(非摂種を貫いていた人は知ってたかも)
私は大義がある復讐者では無いから、武士道(圧力を断ち切る存在)を志す者を1人でも多く目が覚めればと祈る(。-人-。)
という、自分がやってる事はある意味で、誰にも理解はされない聖なる戦い…聖なる闘士の星を目覚めさせる白羽の矢を放つ?
白羽の矢自体が奴隷解放のシンボル
日が生まれると書いて星
闘士の闘は門に豆寸
寸はごく僅かという意味で、豆サイズ程のごく僅かの何かとはおそらく松果体(種)
それが善悪二元論を表す門(ゲート・逆さ鉢植え=八上)の中に根付き目覚める「閃」
その闘士を呼び覚ます白羽の矢(気づき=気付け)
星という新たな日が生まれるとそこには間(空間)が出来上がる
その極わずかな限られた間=瞬間が潰されないように人を護るのが武士の遮りの力
人の間を大切にする事で自由に閃く人間が成り立つ、その新たな空間を産むのが、白羽の矢を放つ気づきを持った存在
それが闘士を見出す聖なる道か!!
否(っ・д・)≡⊃)3゚)∵ゲフン
はい、速攻違う!って否定されたのは
性否(性質を否定)を忘れてる とのツッコミでした
つまり…ここまでを逆転(´◉ ω ◉`)?(ΦωΦ)フフフ…
聖なる役割(復讐は我にあり!)を持った闘士(囚われ虐げられた人々を導く存在とそれを支え護る武士)を自ら白羽の矢を射って産むのではない、というか・・
その争いのドラマ(役割)いらないでしょ?
その性質(争いの元)を否定する
そんな事が起きない世界を創造しろと
争いが起きるのは仕方ない
だってそれが人間の本質だもの…
という諦めのように染み付いた植え付けられた腐った概念そのものを根付かせるな!
始まりは一滴の毒かもしれないが、その毒に染まった何か(無限増殖する癌)を排除しない限りそれは広がり続けて当たり前(悪い習慣)になってしまう
聖なる道、つまり役割とは…誰も気づかない諸悪の根源に意識の観測点を持って行って、その存在を消滅させる…そういう役割か!!
否(っ・д・)≡⊃)3゚)∵
( ´꒳` ) .。oO(パトラッシュ、僕もう分からなくて眠いよ・・
って自我的な想念(思い込み)を捨てたらどうでも良くなって来て、だんだん落ち着いて来たらすんなり腑に落ちた
悟りに道(役割)はない
道とは軌跡、誰かの足跡
人は道に沿って歩く、それは整っていて歩きやすいから
単純にそれだけシンプル故に真理
誰かが悟りという心理と真理について語り伝えた、いや…騙り伝えたのかもしれない
その結果、多くの者が無いはずのモノを探し始めて、見つからないので、あったかのように言い出した
すると無いはずのものが急に跡や痕として残り、人はその痕を追うようになった
それが悟りの『道(捏造)』
その道を目指し始めるにあたって、何もかも、色即是空、真我以外一切無常と切り離し、全なる全てと分離した個になる事で、全という目指す方向を見出そうとした者もいれば
全ては我の意識の中の世界なり!と他人とは自分の投影である事を傲慢に都合よく捉える事を悟りにした者もいた
そんな色んな悟りのカタチとして足跡や痕跡が多いから、続いて悟りを開こう、目指そうという者は、その答えに繋がらず道に迷う
ピラミッドの頂上目指して登ったら、途中で途切れてたみたいな(決して到達しないシンボル)
これってひっくり返しても同じ事が言えて
おそらく血の川ブレゲトンも同じ意味を持っていると思う
頓知(とんち)的に言えばその先はない
本質的には肉体という物質領域ではいけない
人間のままでは到達できないという意味では、上にピラミッドも昇れば上るほどヒトデナシ・下向きの煉獄においても、三途の川と血の川は意味が違う
そこが引き換えせない一線
悟りだろうと六道輪廻転生だろうと、入り口は違えど、道に沿って進み始めた者は、この道を行けばどうなるか?の誘惑に負けて一歩踏み出した利己の欲の行動
悟りの修行に入ったものは、成果を出さなければと欲張り、焦りに囚われ、また適当な跡(名声・顕示欲・欺瞞)を残してしまい、その名声欲に興味が湧いた者達にとってはもはや
悟りは定義(経典・攻略法)となり、52個あるとか具体的に絞られてしまったりしているが…
聖なる闘士=悟りの道を貫くごく僅かな人(異端)とその教えという立場を護る士(プライド・宗教信者・狂信者)によって新たなピラミッドになっていく
と言う性質そのものを否定(定まっていない)
つまり決まった道等ないという事
この答えに至る先人の知恵の言葉があってね
門前の小僧習わぬ経を読む(真解釈)
(寺の門前で遊んでいる小僧(この場合近所の子供)でも、いつも見聞きをしていれば、習わない経が読めるようになるように)繰り返し見聞きできる環境におけば、自然とその知識がつくようになるものであるということ
という福沢諭吉の学問のすすめの宣伝かよ!という現代的解釈の言葉を私は全否定して新たな解釈をする
門前とは二元論に入ってない状態
門の向こうは正否の教義という囚われの空間
小僧という表現
小僧とは大人から見て「未熟者」と言うレッテルワード。憎は仏教に帰依(きえ)して修行する(四人以上の)集団、転じて個人。沙門(しゃもん)。広く、宗教教団の聖職者にもいう。
習わぬ経を咏む
仏が説いた教えを書きとどめたもの。広く仏教の聖典を経という
習わぬとは白羽と書く
つまりは古代ヘブライのエジプトからの伝承を語るユダヤ教
門の中の坊主共は、そんな教えは聞いた事もない?!Σ(゚д゚;)と慌てふためく絵が浮かぶ
ほとんどの人が門前の小僧が聞こえた声を真似して、それっぽい適当な事を言ってるわwwと嘲笑してる意味に受け取るだろうが
私には・・
門前とは二元論の外
習わぬ経とは外来の教え
おそらく第3の視点から詠む(詩歌を作る)とは二元論の教えの間違い、あるいは足りない部分を自分なりに補足してたんじゃないかと思う
温故知新
古きを知り新しきを知る
移民には移民の祖先の生き様の継承がある。そして移住先で相手を理解するために文化を学びそれを融合する
ユダヤ教と仏教の良い点を集合する話
つまりは 日本の古き古神道(神仏習合)の始まり
そうでもなければそんな状況が教えとして広まるのはおかしいと思う
つまり、ここから学ぶべき事は
決まった悟りの道(教え)等ない
悟った者は道を必要としない
それは何をしてもいいと思い上がる(傲慢)という意味ではない
何をするにも自由なんだ と言う事
①世間のドラマを盛り上げるために白羽の矢を放ち、その存在に不思議な力(役割)を与える事も
②間違った(空間がズレてる)ドラマに当事者として参加するのも
③移り行く現実の行く末を傍観者でいるのも
④知的好奇心を満たすために古きを知って新しいものを生み出す事も
⑤こんな現実はさっさと忘れて新しいワクワクする世界にシフトして行くのも
だから、悟った釈迦は苦行をあっさりやめて余生を家族と穏やかに過ごしたという話にも納得
だって彼が選んだ本番は死後(入滅後)のお仕事だから
( ´꒳` ) .。oO(お、殴られない
で、その流れから言えば
弥勒菩薩(369)は預言通り降誕した
強い意志を持って生きる事を覚悟した人達の中に素粒子として組み込まれた
今までの現状の6とは、社会に思考停止で身を委ねてきた持続可能な現状維持のSDGS。このまま言いなりでは種(人)が腐ってしまうと気づいた者達の中に芽生えた新たな第三の選択という創造の3
これによって今までの自分6という意識は9になって破壊が起き、その後どんな再生を望むのか?のQによって理想を想像する3が起き、想像を具現化する創造の3によって、安定の6の世が再び誕生する
弥勒菩薩に帰依するとは、偶像崇拝の仏像というシンボルに祈りを捧げる事ではなく、心の小宇宙(コスモ)にいる本当の自分に素直に従うという
帰依=力ある者に頼る=自分自身
そこに弥勒の素粒子が降誕した(*´罒`*)待ってました!
転生のために56億7千万年の時を過ごし…(ヾノ・ω・`)いやいや、コロナ(語呂な)の時な?コロナという人が人を支配するエゴが最高潮に高まった時、間外者(空間の外)の意識が現実に入り込む
ウイルス(異物・偽救世主・魔王降臨)
それを撃退するべく身体を護る自然免疫は自我の意識だけど、その自我の戦う意志が絶対防衛ラインを死守するために呼び覚ますのが
汎用人型決戦兵器 弥勒菩薩!!(釈迦・勇(遊)者に宿る意志)
扱いが雑(っ・д・)≡⊃)3゚)∵エヴァ
でもまあ、そんな感じ(*´罒`*)だからこうなんだろう
王道
正道
邪道
全てには道がある、道があるという事は、その先に進んだ跡や痕がある。でも聖なる事とはこれらに関わらない
聖には道がない
…って書いてた時間がちょうど911
これもライトワークのお仕事なんだろう(笑)
人は先人の知恵が切り開いた道を追っていく
でもその先に道がなかったら?
そこから先は未知の始まりだ(*•̀ㅂ•́)و✧ワクワクすっぞ
と言う所で聖闘士星矢の伏線を回収して行こう
天馬幻想、夢だけは誰も奪えない心の翼
聖闘士星矢(性否)を、聖なる役割などない!に置き換えます
聖なる役割などない!
少年はみんな明日の勇者
天馬のように羽ばたけ
少年を単純に肉体年齢で言えば、数は少ないかもしれないけれど、精神年齢で言えば、大人になれない子供がいっぱいいます
それは誘惑に素直だと言う利点でもあるわけで、その素直さを示す相手を外の他人ではなく、中の住人=心に向けるだけで変わる
私は以前、聖というシンボルを読みといた時
他人の言った事を耳にしない
他人の言った事を口にしない
天地を繋ぐ王(自由意志)になる
…と解釈したけど
それもまた王道と言う道の概念(こうであるべき)に引っ張られてたのかな?•́ω•̀)?と、今改めて思った理由が
恥を知れ と言う言葉を使った時
それが妙に自分に跳ね返ってくるな?•́ω•̀)?と思ってたんですが、やっと意味がわかりました
耳に心で恥を知る
心に耳を傾けなければ何が間違ってるか分からない
これは恥ずべき行為(業)へのストップ!をかけるサイン。先に思い悩む事が出来れば道は間違えない
という事は
聖の耳口とは
心に耳を傾け、心の声を代弁する
天地を全てで繋ぐ自由意志を貫く王となる
…ってなった時、もう道ないんですよね
そこに在る で完結
というのも十=全て、それが天と地を繋ぐという事は巡る氣=愛そのもの、物質世界に置いては陰を生む光そのもの。だからそれすらもなくするなら漂う空気、千の風になって吹き渡ってます
でも風が命の種を運ぶ=運命を司るのも事実
その運命の種が宿るのは自然の大地か?人の身体の中か?
心が役割を持って物質として生まれるという意志を持たない限りは、質量を持たないために引き寄せられない存在
素粒子になるというソリューション(解決)
(ヾノ・ω・`)イヤイヤそれはちょっと!Σ(゚д゚;)
と、根源と一体化する事を拒絶して遊び(学び)足りないから人の間に分離をする
それが自我(個性)という役割
そこまで369の仕組みをある程度理解すれば、偶然は必然というのが、頭では理屈を説明出来ないけど、感覚では理解している
だってその感覚を理屈で表現するには…役割と力を持った言霊のような文字や数字を新たに生み出し定着させるようなとてつもない創造で・・
そりゃ無理(理解は無い)ってもんよ( 。∀ ゚)Σ(゚д゚;)
だから悟りって人それぞれで共有できないし、気づいて根付いた所で、それを善悪二元論の私利私欲で使うという意識がない限り
それは使えない(セーフティ)
つまりは無能力者(笑)
大いなる力には大いなる責任が宿る
能ある鷹は爪を隠す
巡り巡ってそれを理解する、急がば回れの人の間の大きな繰りの氣の下で
わかったと思ったら急に遠ざかり・・果てしなく遠いかと思ったら解決の真理はすぐそばにあったり
よくできてんな(*´罒`*)
そりゃ釈迦も悟ったら苦行やめて平凡な暮らしするわ(笑)って事だけはわかった
ちなみにカタカムナの言霊読みでもロジック的な裏付けがあって
聖
せい=引き受けた伝わり
せいんと=引き受けた強い統合
引き受けるという事は、誰かのバトンを受け取り、続きを・・という引継ぎですね、それが強い統合という事は並々ならぬ役割・業(成さなければいけない)を背負う事になる
ひじり=根源の内なる示しが離れるor根源から内なる示しが離れる
重大な役割を持って離れるとも言えるけど、大きく道を踏み外すというような意味も内包している
それが途中で言った 偽悟りの「道」の後を追う末路ってこった
おそらくだけど、人の為に救いを!という利他を聖なる行いの道にしてしまうと
莫っ迦もーーーーん!!!(# ゚Д゚)ノ Σ(゚Д゚)
人の為と書いて偽、知識による救いは無知な羊が知恵を閃く気づきの機会を奪って鞭打つ行為。正しさとは、愚かさとは、それが何か見せつけてやるのは別の存在の役割
そんなものは聖の役割ではない
では聖とは何か?どうあるべきか?
それは理屈で現象として定義なんてものはできない
さとり=遮る統合から離れる
これはわかりやすい統一という束縛からの解放の自由
だから聖とは、悟りとは、道はない未知
でも伝わってきた、先人達が積み上げてきた生まれたエネルギーは使う事ができる。人の間で生み出されたエネルギーをどう活かすか、道具は人(システム)の使い方しだい
死後(45)って面白いな
死語を慎めってか?
死語とは以前用いられたが、今では用いられなくなった言葉
慎むとは振舞の上の過ちをしないように気をつける
死は月の力
月の力を語るのは振る舞い上の過ちをしないように
月は身体(臓器)
月が語るは身体の物語ってな(*´罒`*)
…(ヾノ・ω・`)イヤイヤイヤ
聖闘士星矢からここまで繋がるん?ほんと過去の興味持った物がひとつずつフラッシュバックして行くような・・時間逆光って面白い(これも悟り?)
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