寝起き閃キーワード「アソベ」ここから全ての発展は生まれていくという存在。そしてこの時期に刺さる「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」というサザンの曲がまさに陰陽そのものだった!というお話
学びは遊びからな種族の本質
かつての日本人、バブル経済という掴まされた泡銭の中で、3Sという娯楽で骨抜きにしようとした世界の動きを逆手に遊びから成長した
スポーツ:スーパースターを生み出した
セックス:アダルト業界が発展した
スクリーン: 映画やアニメ文化が生まれた
ガラパゴス的進化をしていった
与えられたのはお金という力
でもそこで生まれたのは技術や新たな文化
スポーツもセックスもスクリーンもテレビやメディアが宣伝したからじゃない、その伝えるために映像技術、カメラ技術、それに関連するレンズの加工技術や電気基盤の制作技術など、より良く!という合理的な効率化が発展し
そのカメラでどのように現場の臨場感や興奮をテレビの向こう側に伝えるか?という撮影ノウハウが、3Sという娯楽をより発展させた
3Sはただ政治から国民を遠ざけるためだけの資本家が経済支配、後ではじけさせる不動産バブルを仕込む手口で、戦争→各国に中央銀行→経済支援と言うのは世界中どこでも行われて来たワンパターン、宗教に妄信的で与えられた欲に忠実な外国人は与えられる物に依存して言った
しかし、与えられたものが合わない!と感じた日本人は、より日本人のためにというナショナリズムにエネルギーの方向を向けて。カスタムし、独自の文化を形成して行ったために支配者がコントロール出来なくなって行った
これについては、映画グレムリンを見れば、IZUMOに餌を与えては行けないというのが、まさに日本人は化け物という方便を映像化しているとわかるだろう
与えられた金という力を、金を増やすためにはいかず、宵越しの銭は持たねぇ!と与えられた遊びをより極める方向に使われたのが昭和の日本スピリッツ
みんな陽気で前向きにやりたい事をやる!夢を実現する事にフルスロットルで制御不能だった
だから日本は発展した
さて、そんな寝起き閃に私に降りてきた アソベ という言葉
最近ストイックすぎて遊びが足りないのでは?というメッセージかな?とか思いつつ、どこかで聞いた事があるなぁと思ったら地元で使われる言葉の対義語だった
東日流外三郡誌 アソベとツボケ
私の地元の訛りの中で祖父の代では、間違った事を言う、間違った事をすると、ツボケこの!と怒られたそうな。つまりは、現代で言えば、それぞれの種族の違い、属するテリトリーの違いように相容れないという意味にもとれるのだけど
実はその通りで古代の東北にはアソベ族(土着)とツボケ族(渡来)の種族があったそうで、その影響は結構あったみたい(今でも津軽と南部の一部は相容れないらしいし)
これを読んだらなんか、書こうと思ってた事が全て書かれていて(σ´▽`)σ今回は楽 Σ(゚Д゚)
そして、このブログ主の最終更新が、、2018年2/19で終わってるのだけどこう閉めている
アートやミュージックイベントのプロモーション、
統合的ヒーリングの定着と育成、
ソウルグループの才能の発掘、
プロモーション…すべてがライトワークに繋がります。イノセンスな愛を発達させながら。可能性は…無限大です。ほんとうに開くんだなあと、宇宙はみせてくれる!ほんとうにすべてが愛に。愛の根源に還るのだなあと。生まれてきて、出会えて…よかった。愛の宇宙の、生まれながらの本質に。
どうやら子供たちがまだ幼少期の頃からずっとスピリチュアルワークで才能を伸ばして来たらしい
けど、その過程の中に、ふわふわしたスピリチュアルだけでなく!東日流外三郡誌のような歴史から見れば偽典扱いされ隠された文献も扱っているためリアリストでもある
そして、何よりも今回の私の寝起き閃のアソベがアソベ族=遊び(芸能や娯楽・文化)を発展させる能力の事を指しているのか!(;゚Д゚)としっくり来た時に
急に頭の中に流れて来た懐かしいメロディが
愛の言霊 サザンオールスターズ
生まれくセリフとは蒼き星の挿話
夏の調べとは愛の言霊
昔、この歌が流行った時の若い頃の私達は愛という言葉を口に出すのは恥ずかしかった。愛とは男女、異性の元の快楽と結びついた概念に囚われていたのだけど
愛とは氣の巡りである事
言霊とは想い、相する心を繋げる方法
その言霊ロジックを本質的に理解している今、この歌の歌詞が物凄く刺さりました。というか…もう( ¯꒳¯ )悟りの答えや Σ(゚д゚;)
愛の言霊の歌詞 独自解読
生まれく叙情詩(セリフ)とは
叙情詩とは
詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう
つまり、これは僕の中の気持ち、感覚の話なんだけどという前置きで
蒼き星の挿話とは
蒼きとは色ではなく、澄んでいる、綺麗等の清廉、蒼き星=地球に関する文章や談話の中途にはさみこまれる、本筋と直接関係がない短い話
ここまでを合わせると
これは僕の中で想っている地球に関するちょっとした話なんだけどさ?という出だし
夏の旋律とは愛の言霊
旋律とは音の高低・長短の変化の連続した流れ。音楽の最も中心的な要素。メロディー。ふし
愛は全体の氣の巡り、その中で想いを込めたメッセージが言霊
夏をカタカムナの思念読みすると
核が集まる
陰陽で言えば、69
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる
まさに高低でも長短でもあり寒暖、転調する節(季節)でもある
ここまでを合わせると
陰陽のエネルギーが転調する69の核が集まる状態こそが愛という氣の巡りそのものだよねというメッセージ
サビ全体を合わせると
これは僕が思う地球についての小話なんだけど、陰陽が集まる夏という季節の氣の流れが全てを物語っていると思うんだ
これが何度も繰り返されるサビ(寂)であり、またメインで伝えたい想いの部分
そしてまだこれで出だし…
もうここだけで:( ;´꒳`;):一体何を語るんだ?という導線の惹き付けられる導入部
宴はヤーレンソーラン
呑めどwhat cha cha
宴とは
安楽にする。おちついた気分で楽しむ酒盛り
ヤーレンソーランとは
元はヘブライからか分からないが、アイヌにおけるニシン漁の歌
かつて日本に移民があった事を伝えている証拠とも言われている
呑
のみこむ。 丸のみにする。 飲み下す。 外に出ないようにする
what cha cha
何? 茶々を入れる?
ここまでで糞面白い展開ですよ?
みんなアイヌはヘブライ経由の移民だって言われた事を鵜呑みに丸呑みしてるけど何?ちょっと待てよ?
っていう切り出し
ほう!(◦ˉ ˘ ˉ◦)面白そうな切り込みやな?
閻魔堂は闇や宵や宵や
閻魔堂
人間の生前の行為、罪の軽重を審判する、地獄の大王。閻魔大王。閻王(えんおう)
闇とは
暗い。光が少ない。やみ。知恵が足りない。
宵とは
日が暮れてからしばらくの間。(夕暮れに続く)夜の初めの部分。
人間は罪深く、生前の行い(現在の歴史)は知恵が足りないが、まだまだこんなのは闇の初めの序の口部分
ほほう!(◦ˉ ˘ ˉ◦)惹き付けるねえ?
新盆には丸い月も酔っちゃって
由比ヶ浜 鍵屋 たまや
新盆には丸い月
新盆(太陽暦)
旧盆(太陰暦)
中秋の名月?本来は七夕
酔
生理的に平常と異なった状態になる
西(西暦・太陽暦)に九十(苦渋)を呑まされる
由比ヶ浜
鎌倉時代、由比ヶ浜は武士の首を落とす処刑場
鍵屋
金建てる屋
アクティベートするための「プロダクトキー」をなんらかの手段で入手して再販売したり、あるいはそれを仲介したりして利益を得ている業者
建物に侵入して富を他者から奪う、またはその手引きをするノウハウを持ってる専門職集団、泥棒、スパイ
たまや
火薬武器製造
太陰暦から太陽暦に西から持ち込まれた戦争によって今は綺麗な由比ヶ浜もかつては争いの結末の血を流した処刑場
そこで打ち上がる花火に何気なく叫ぶ(」^o^)」たまやーかぎやーも、ただその歴史の裏で暗躍した戦争と侵略利権の表面の目に見えるカモフラージュのフロント企業に目を向けたイベントの賞賛になると言うことを知らない愚かさ
( ¯꒳¯ )確かにね、何故?を問えば色々見えてくる事がある
平家は西(華僑・ビジネス)の力を借りていたが、奢る平家はひさしからずと、手のひら変えた西は鎌倉に侵入し、その技術とノウハウを提供して源氏の権力者に忍び寄る
そして関わった証拠隠滅のように、平家を貶める平家物語を広め平家の根絶やしとして武士を名乗る者は皆由比ヶ浜で処刑された
その平家の怨念の地で
たまや?花火?火薬?武器?
鍵屋?解錠、侵入、盗み、転売
泥棒(スパイ)と武力による強奪
好き放題宴の縁に酔わされて、西に九十を舐めさせられた平家が、その裏切り者達の策略で処刑されて死人に口なし、怨念が砂を噛むような想いをしているだろう
砂を噛む思いとはそこから来てたりして・・と調べたら、現在はこんな意味が正しいに変えられてました
味わいや面白味がまったくないことを意味
マジでこれを鵜呑みにして語る奴がいたら、本物の思考停止のバカだと思ったほうがいい理由は、味わいや面白みを求めて砂を口に入れる奴はいないから。仮にいたとしたらまだ何も知らない幼稚な子供であり、そんな子供には味わいとか面白みという判断すらできない
じゃ、自分の意志とは無関係に、どういう状況で口に砂が入るのかに納得する説明しろよ!って言われて多くの人は説明できない。誰も由来なんか考えちゃいない、たまや(戦争火器)鍵屋(泥棒)と同じように、明なき説を鵜呑みにしてる
つまり、この意味のまま認知して言葉を使うものは、その意味で洗脳している者達の思い通りの傀儡の馬鹿
これこそまさに 悔しい!!という本当の意味が伝わらない呪術(悪事の隠蔽)
なぜ処刑場が砂浜なのか? → 血が染みても波がさらうから処理がいらない
頭を地面におさえつけて首を落とす → 抵抗してもがくと口に砂が入る
顔に泥を塗るとか、土下座とか、頭が高いとか、地べたにひれ伏す等の状況と意味を考えたら、望まないのに口に砂が入るという顔面が踏みつけられてる、踏みにじられている絵が浮かばないだろうか?
私はこの言葉が悔しさを表す意味として世に残った事を考えると、その状況に陥ったけど絶体絶命の九死に一生を得て、間一髪逃れる事が出来た武士ではなく文官、状況を周りに説明できる法華経をマスターしてる者=日蓮だと思いました
日蓮は鎌倉、源氏に忍び寄った平家から寝返った偽物法華経の動きに警告する事で命の危険を伴う嫌がらせを受け、ある時、日蓮を目の敵にする将軍によって処刑場に運ばれた事があるけれど、謎の閃光(雷?)によって命を取り留めたエピソードがあるのだけど
その刑場の場所は不明らしいです
1271年(文永8年)9月12日、松葉ヶ谷で捕らえられた日蓮の伝説が残されている場所として知られている(龍ノ口法難)。しかし、実際に、この刑場がどこにあったのかは不明。
仮に、都合の悪い情報(真実)を広める日蓮を平家残党扱いにして、由比ヶ浜で武士の処刑にまぎれこませてしまおうとしたら、人としての尊厳もへったくれもない動物を殺処分するような、事情をいっても話も通じない野蛮な兵士に頭を押さえつけられもがいて首を切られるのを待つという
非常に絶体絶命な状況を体験しただろう
そこから奇跡の復活したら私でもこれらにまつわるエネルギー体験を例えるなら・・と方便化で説明できます
絶体絶命・歯痒い・砂を噛む思い=抵抗できない悔しさ
九死に一生を得る・間一髪・紙一重=ギリギリ状況を回避する
苦渋をなめる・辛酸をなめる=苦い、辛い経験・体験
そんないわく付きの場所で夏の花火をキャッキャしている人々の無知な闇
( ¯꒳¯ )うーむ、確かに
what cha cha
何故だい?と茶々を入れたくなる
茶々をいれるも元は支配者の執政の問題点を追及して世を憂いた七賢の竹林から来ていると考えると、おいおい!それでいいのかお前たちよ?と
童らっぱ忘れぬ父よ母よ
浮世の侘しさよ
童
元服前の小さな子供
立つ里
らっぱ
【喇叭】
嘘・ほらを吹く
忘れぬ父よ母よとは、里から旅立った子供は生まれ育ちのルーツを想う
浮世とは、定めがないこの世。侘しさとはつらく悲しい。 やるせない。 当惑するさま。 やりきれない。
童らっぱ 名もない花のために
カゴメやカゴメ時間よ止まれ
名もない花とは、普段はとりわけて注目されることもないありふれた花だけれど、その花にも飾らない美しさや良さがあるけれど、世間一般、そんなものは雑草として省みる事も無い
カゴメやカゴメ
籠の中に閉じ込められた鳥はいつ、ここは狭い空間であり、入口は出口だと気づいて外に出る?
時間よ止まれ
万物は流転する諸行無常、そんな事を考えている間に人生は終わってしまうほど人の間は短い
エンヤコーラ
力を込めて重い物を動かすときの掛け声。「多人数で力仕事をするときなど、息を合わせるための掛け声」
ここまでをまとめると
何も知らない子供達は、嘘に翻弄されて何も運命がないこの世の辛く悲しく、やるせない様に当惑する。何も知らない子供達よ、大人が嘘で隠す雑草と呼ばれる中に大事な物があるんだ
その囚われの籠の中の鳥になっている状態から目覚めて嘘の時と間(概念)を止めるんだ。みんなで一斉に力を合わせて籠の扉を開くんだ
( ¯꒳¯ )すげぇ…深いなぁ Σ(゚д゚;)
縁はヤーレンソーラン
千代にwhat cha cha
縁、巡る、円、金
ヤーレンソーラン、ヘブライ、ユダヤマネー
千代に=千年続くユダヤ支配?
いやいや、ちょっと待てよ?
釈迦堂も闇や宵や宵や
それを鵜呑みにしちゃったら、悟りを開いたお釈迦様もびっくりするほど知恵が足りないがまだこれも宵の口
鳶が湘南浪漫 風に舞っちゃって
縁の先ゃ黄泉の国や
鳶とは
用もなくうろつく者。また、通りがかりに店先や門口のものを盗む、こそ泥
湘南
神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称
浪漫
感情的、理想的に物事をとらえること
縁(円)の先は黄泉の国
これはとてもわかりやすい、不動産バブルの高度経済の末路を語ってますね
昭和建築バブルが起きたという事は、元々地元をうろつくヤンキーとか、知恵はないが体力と意欲はあるという者達が
鳶職として建築業界で必要とされ、金回りもよく円という縁が循環した訳だが、その造られた縁は、いずれ破裂して崩壊する円であり
その円とご縁を結ぶなら、たどり着く先は黄泉の国
( ¯꒳¯ )これはアイヌ→平家→源氏→昭和と随分と現代に寄って来ましたが結果、千代にヤーレンソーラン(ユダヤ)って話じゃないよってなもんで
童らっぱ 戦禍う人の
涙か蝉しぐれ
何も知らない子供達は戦争ビジネス、禍(わざわい)をもたらす人達に翻弄される
蝉しぐれ
蝉がいっせいに鳴き始め、まるで時雨が降ってきたように大音量で蝉の声が聞こえることをいう言葉です。 本格的な夏の訪れを告げる蝉時雨は、夏の季語にもなっています
童らっぱ 祭り囃子が聞こえる
遊べよ遊べ ここに幸あれ
エンヤコーラ
祭り囃子
民俗芸能では,祭場で神の来臨を乞い,土地・人の繁栄を祝う文句を太鼓をたたきながら唱和すること。ことばや楽器の力で,神霊を発動させ,ものの生命力の強化・伸張をはかろうとする呪的意図
アソベ(族)や遊べ ここ(個々)に幸あれ
アソベ族(土着の民)、遊ぶ=やりたい事をやる
こことは此処という場所、瞬間でもあり
それを実行する個々、一人一人でもある
エンヤコーラは、みんなが一斉に遊ぼうぜ!
まとめると
戦争ビジネスや禍なき所に争いを持ち込むのはずっと昔からみんな止められなくて痛い目を見てきた。本格的な夏の訪れを表す蝉しぐれとは、陰陽がまさに転調する大転換であり、それはまた蝉の一瞬の輝きの命の時期でもある
失われるものもあれば生まれるものもある
それが大きな流れの中でことばや楽器の力で,神霊を発動させ,ものの生命力の強化・伸張をはかろうとする呪的意図の祭りの囃子
本来、伝統的な祭りとは季節の変わり目、エネルギーの転換を意味する儀式だった
それが西からやってきた太陽暦によってズラされ、太陰暦の伝統は壊されるか、混ざり合って本質から遠ざかる
本質的にアソベの者は遊ぶ事が何よりも新しい幸せのエネルギーを生み出す事になる
本来の遊びとは、与えられるものではなく楽しくなる事、面白く無き世を面白く感じる事を自分で見つけ出す事、見つけてそれを突き詰めていく、身に着けていく、より良くして前に進むという遊び
良く遊び、良く学べ=アソベ族
ちなみに、カタカムナ思念読みだと
あそべ
命・感情が外れて外側の縁(ふち)へ
与えられた事に興味がないから違う事したり、納得できないから違う方法を探したりするというのは、突き詰めればどんどん外側の縁(ふち)に離れていく
一見すれば、本質から遠ざかるように見えるかもしれないが、そこに本質がないと気づいて遠ざかっていくだけの話。捨てる神あれば拾う神ありで、縁を手放すと別の縁の引力に引かれていく
だから個々みんなそれぞれがやりたい事やろうぜ!
( ¯꒳¯ )というメッセージにも想える
以下はMCのラップパート
幾1000億年前の星の光が人の世の運命を僕に告げるの
過去に多くの愚かな者が幾1000億年前の星の光を見て
戦をしたり罪犯したならばぼくもそれをまた繰り返すのか
ここに関しては、エネルギーの循環の中で、その巨大なエネルギーの流れを悟ったとしても、自分もまた他者(全宇宙)との繋がりがある一部でしかないマンデルブロ集合の役割のひとつという感じ
今は滅びた星の光なのに見つめるままに夢に見る度に涙ぐむのは何故なのか
( ¯꒳¯ )分かります、たまに雨で物悲しくなる時があったりします。雨って、どこかの誰かの涙が地面に落ちて、それが乾燥して空気になって上空に上がって冷えて液体化してまた降ってきて、それを浴びる事でエネルギーの残りを感じる事がある
涙に込められた精神エネルギーの想いの深さが強いほど、それは人にしんみりとした隠の影響(落ち着かせる)を与えるように、星の爆発の光もまた、静かなる怒りと深い悲しみを持ったスーパーサイヤ人を生み出す影響もあります
テイストが違う(っ・д・)≡⊃)3゚)∵
そして僕はどこから来たのかこの魂は誰のものなのか
これ自問自答した時期があります( ¯꒳¯ )
生まれる事を選択する瞬間に自我が芽生える
生まれる事を選択した、循環するエネルギーの1部になる事を選んだ、そしてその役割を果たすために人生がある。そしてその役割は今認識している自我だけじゃなくて、並行次元の別の選択をした自分達の魂の共同作業
もしかしたら、この詩を思いつくきっかけを伝えてきたのは、別次元の桑田さんの意識かもしれない?そんな多くの人に歌のエネルギーを与えるサザンオールスターズというバンド名もまた
南十字星(サザンクロス)
星に導かれし者なのかもしれないし、その桑田さんのフルネームもまた、名は体を表すカタカムナ
桑田佳祐
桑はくわばら、カバラ
人に土土、神の右
カタカムナの思念読みだと
クワタケイスケ
引きよる調和から分かれ放出した現象が一方向に放出
一言で言えば、常識から分離された非常識がさらに外れた方向に勢いよく破天荒に突き進む
マンPのGスポットなんて歌が世間を雑観した時期があったんですよ?やりたい放題ですね(笑)
故に時代の流れを創るという役割の存在なのかもしれないからこそ、立ち止まって自問自答すりゃ、自分のエネルギーのルーツに?( ¯꒳¯ )になって、たまにはこんな世の中の憂いを真理にした詩も出てくると想います(笑)
偶然にしては不思議な必然、その中で アソベや遊べ がもっとも今の日本人にたりない部分。トラブルを楽しめ
はい、こんな感じで流行歌、夏のソングというより、過去から現在に至るまでの人類の歩みの真理の探求をしてる訳ではないが、次から次へと断片的な真理のメッセージが繋がって来て、それがあれならアレもそれじゃねーか!(相似)みたいな
でもストレートに言えないから、方便にして歌として放出した感じを受けます
閻魔堂と釈迦堂、闇や宵
宴・縁(円)はヤーレンソーラン(新旧ユダヤ技能と資本)
新盆(旧盆)、鳶に油揚げ
ふいに横合いから大事な物を奪われることのたとえ。
歴史も土地も何もかも奪われてる
これは巡る同じエネルギーが見え方が逆転して違う形になってるだけ
ポイントは夏という節
相反するエネルギーが求め共存している
暑いから冷たいを求める
寂しいから賑やかさを求める
この歌も歌詞の内容、韻を踏んだ真理の探求を淡々と語れば、浮世の侘しさを憂う事になるけど、全て燃やし尽くすようなパワフルなんだけど、どこか物悲しい、和なんだけど色んな物がごちゃまぜで
夏ソングだけど、夜に限定されるようなエネルギー
物悲しさと情熱や快楽が融合しているという
結局の所、サビでもあり、ブリッジ(繋ぎ)でもある部分に繰り返されるのは
「これは僕の中で想う地球についての話なんだけどね?夏そのものが陰陽(良い事も悪い事も)の核が集まる愛という氣の巡りそのものの節だよね?」という出たしに結論ありきの前フリをして
その内訳の説に対する明もしっかりと読み手(聞き手)に配慮されている氣の巡りがある
まさに陰陽を語る歌が陰陽の塊になっている
歌詞だけだと陰だけどメロディ(節)をつけると陽もつく
まさに陰陽で遊んで生み出したような愛の言霊
桑田さんのルーツは…アソベ族?
どこから来た魂なんだろうか(笑)
そういえば桑田さんもがんになって活動休止した時期あったな・・がんにさせられたのかな…( ¯꒳¯ )陰 Σ(゚д゚;)
こんな想い出の夏の曲にふと氣が巡ったのも、そんな陰陽のエネルギーの転換時期をを陰陽のバランスが良い状態で迎えられる準備ができてるからだろうか
ま、今回の気づきの考察内容は、あくまでも私の抒情詩(説と明)
「愛の言霊 〜Spiritual Message〜って曲の挿話だけど、大きな繰りの氣の法則と同じ目線だよね」
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