寝起き閃 図解付き波動の発信源とその影響の受け方は皆違う…そりゃカタカムナの受け止め方が違うはずだよという気づき、みんな違ってみんないい十人十色の十とは?カタカムナ70首に突入して感じた事
カタカムナ70首に突入
3/21日、突発的に旅した、月夜見神社、胸肩神社(弁天様)、鬼神社(鬼神様)、笹清九頭龍神社、白龍(白蛇)神社への点々とした挨拶回り
今回の旅は不思議な事に、なんとなく?な無意識な動機で、『カタカムナ80首全部』を身につけて回ってましたwやはり『無意識の私』はカタカムナ(記号)を『普通の使い方』をしないようです
みんなカタカムナを『詠唱』する方向に行ってるけど、大事なのは『記号の方』であり、そこからエネルギーの渦が中央のフトマニや八咫鏡?(直感的には大きな〇足して9)と呼ばれる所が出入り口
言うなれば、『放出と吸収』
また80首が『順番』だとするならば、『輪切りされたMRI』のようにカタカムナの渦を『面』で見ているのが『一首』ずつ
実際はもっと『立体的積層構造』になっているだろうと感じたのが、以前夢の中で見たカタカムナは『記号や文字配列が違う物』だったから
そうなると、実質『全部重ねて』持ち運べば、エネルギーの吸着と排出の循環する『呼吸器官』ができるのでは?と何となく『生きてる存在』のように連れ回したんですよ
『龍の背(私)』に乗せてどんな『夢(昔話)を見る』のか
結果、私が行きたい=カタカムナが行きたい(((o(*゚▽゚*)o)))に振り回されたように『導かれた』訳ですが(笑)
帰ってきてからしばらく、高波動の変換処理にエネルギーが持って行かれて、何をやってもダメだ〜ʅ(´⊙ω⊙`)ʃという毎度おなじみ『禊期間』を終えて
私の『周りの物事が好転』しだしたと感じたので、私自身もカタカムナの『次のステージに行ける』気がして(๑•̀ㅂ•́)و✧突入しました
すると…
光の発信源と皆波の影響図
突然頭に描かれた断面図(イメージ)
十の中心が波動発信源、そこから周りに〇の波紋が伝わるが、立ち位置・距離(座標。深度)がみんな違う
当然、『波の伝わるタイミング』や、その波に対する『受け止め方』も皆違う
〇の波に影響されて『さらなる〇を広げる者』もいれば、色んな方向に反発して『反響させる者』もいてそれは時間差でエコーして木霊する
〇が〇に波紋が広がった時、反響しても〇。しかし、〇の波紋がぶつかった先が『尖って』いたり、『歪んで』いたら乱反射して『別の波』を生んでしまう
心が『素直』じゃなく歪に『歪んでいる』
しかしそれが元々は『〇』だったものに『固定概念』という『古い角質』の『確執的な思い込みの常識を形成』しているだけなら
『五劫の擦り切れの天女』のように、何度も『波紋の波』が伝わって表面の『固定概念が削れて〇になる時』が来る
『波(流)に乗る者』と『龍に逆らう者』
波に乗る者は『皆波の一部』になり広がる
波に逆らう者は皆並、『反発』してはね返す
普通の日々=『波乱の日々』で『凪』は無い
誘う波(イザナミ)
誘う凪(イザナギ)
これは『動と静』のエネルギーの状態をさす
『凪』は『波』を受け入れ広がる
『波』は『波』と『打ち消し合い』明鏡止水で『凪』となる
『静は動を受け入れる』が『動は動に反発』して『波乱』になる
さて、根源の話に戻ろう
私は『詠唱』はしないがカタカムナ(記号)という『波の発信源の側(額に貼り付け就寝)』にいて、そこから『インスピレーション』を受け取っていると感じるのは事実
あるいはその『デバイス』を介して、霊的精神性を伝承する『先人達との師合わせ』が起きているのかは分からないが…
いずれにせよ、その『エネルギー』が来ている事に『素直』に応じて『波』に乗り、自らが『流=龍』となって『〇の波紋』を広げる(波長の合う者のみ)
伝わるエネルギーに素直に感謝する『感者・間者(魔物?)』として『悳を積む』と『皆に波』を伝える『伝承の発信源』になる
…のだけど、それは『平面の波動の伝わり方』ではなく、『立体的な広がり方』である
上に広がれば押し上げる『進言』
下に広がれば説教の『苦言』
横に広がれば自然体への『真言の言動』
受け止め方は『立ち位置=波が来るタイミング』でコロコロ変わる。心構え=霊的精神性が整っていれば乗れるが、そうでない精神状態の時は溺れて『藁を求める』だろう
それもまたその人の『業』の運命
人それぞれ『レイヤー』が違う
意欲と好奇心が後押ししてくれる
こうやりたい!(๑•̀ㅂ•́)و✧という上への進言
お前はここが問題だ!( ´-ω-)σという下への苦言
皆こうすれば因果応報(((o(*゚▽゚*)o)))という周りへの真言の言動
それは『私自身』が一番わかっている(笑)
カタカムナ研究を最初から遡れば、前半は『疑いの連続』だったから、『苦言の説教』に『自我の反発』だらけ(笑)
当然、今の『70首突入している私』とは意識がまるで『別人』のように…同じ自分のはずが『違う自分(客観)として分かれた役割』なんだと
『反面教師』とは『他人』ではなく『過去として離れた自分』という一部だからこそ、人の振り見て我が振り直せとは『メトロノーム振動子』の原理で『自律調整』する
『昨日』という日が『機能』して
『明日』という『us(自分達)と他』に分かれて
『日』として『生』まれる=『星』になり輝く『明星』になる
yes ter day
肯定を持つ為の一日
To morrow=朦朧
はっきりしないさま
朧月と草の家=自然
『明日』を迎える前に『今日』という日から『意識はto朦朧』になる
『明日』はアスター(星)の風が吹く
それは『昨日が機能』してはっきり見える(明星)
昨日を覚えているから『機能する今日』がある
昨日から見りゃ『今日は明日』の『希望の明星』
『機能獲得』とは『昨日を肯定』する事
『罪』重ねる毎日ではなく『積み』重ねる毎日
『心に素直』ならば『今日が明日』も続く
どんな『流れ』が来ても『中心』は変わらない
『〇=ダルマ=法になる』とはそう言う事
今回の『光の発信源の断面図(波)』のように、とても物理的かつ科学的な『光子に関する振動アプローチ』
さて、ここまでが『寝起き直感的な解釈』なので、いよいよカタカムナ70首を読み取っていこう
カタカムナ70首 思念読み
アナウツシ
命の核が生まれ集まった示し
ワタツミアナユツ
調和から分かれ集まった光
命の核が湧き出て集まり
チハウツシ
凝縮して引き合い生まれ集まった示し
ワタツミチハヨミツ
調和から分かれ集まった光
凝縮して引き合う新しい光の集まり
カムアマミチ
力広がり命の受容の光の凝縮
ハヒウツシ
引き合う根源が生まれ集まった示し
ワタカエシミチ
調和から分かれた力が投影した示しに光が凝縮
チハハマ
凝縮が次々と引き合い受容となる
トヨシハウツシカエシ
統合して新しく示しが引き合い
生まれ集まった示しの力の投影の示し
カムナガラチハヨミツ
力広がった核の内なる力の場に
凝縮して引き合い新しく光が集まる
なるほど(´・ω・`) Σ(゚д゚;)
アナウツシというのが
分霊=意識の役割分担=『自らを分ける=自分』
ワタツミというのが調和から離れて集まった光
宗教的に言えば村八分の『追放や束縛』から『解放的された自由』だけど
カムアマミチが
力が広がって命の受容になっているから
自分の『役目・役割を見出した』事になる
カムナガラ=心だから
チハヨミツが凝縮して引き合い新しい光が集まる
心に響くエネルギーとして伝わる=『感動・共振・共感』
アナウツシ=命の核が生まれ集まった示し
『命の核』ってすごい表現だよね、それはつまり命は『核』が『沢山集まって凝縮』しないと『機能しない』という想像もできる
つまりは細胞一つ一つに『DNAの核』がある事と私は感じる
この命というのも『動力源』と捉えるか、それとも『命題』として捉えるかで言えば、命題は『問題や試練を与える役割』とそれに『条件縛りの中で向き合う役割』が必要
『自分を成長』させる為に『他人という反響』が必要であり、その『命題を解く』という事は、『役割』として散らばっていた『自分の分身を回収』する事でもある
『〇とひとつ』になって波が広がる先に『障害物が無くなる』という事は…どこまでも『意識は拡大』するという事
希望の星とは『日』を『生』み続け『アシター(星)の光を拡大』する
『陽子』が集まり大きくなれば『太陽』だ
…って多分『先読み』したかもしれん(笑)
ざっくりいえば、『自由』とは『命の役割』を見出す事
=束縛や制限なき『存在意義』を持つ事=心に直になる=悳
『七』は『力』…力の章?光のSHOW?
とにかく70首から『明るくなる始まり』を感じた
やっぱり、立春の神社巡りをしたのは『悳』を積む為だったのか(足りない分を先人の恩をカタカムナカードに吸収しに行った)
どうしてあんな『磁場の影響を受けない』ような『パワースポットが無惨に破壊』されるのか…『人にとって醜い』と思うものが『自然にとっては美しい』
『ego』とは『不自然な境界線』を生むものだ
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