好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

アーク(契約の箱)の中身は信じる力だった仮説

寝起き閃シリーズ。契約の箱アーク(棺)はその存在を運ぶ者達によって精神テクノロジー(言霊)と伝承を残す役割を果たした。物質に囚われてるとそこに気づかないお話

日本に渡ったと言われる契約の箱アークが急に?!

私はカタカムナ研究を誰もやらない手法で取り組んでるのだが陰(物質)への陽(カタチのない)の力の流れのような表現がある事に気づいた。

カタカムナウタヒ研究1 エネルギーの循環の話

その影響なのかわからないが、今まで考えた事もない古代ユダヤ教の伝説上のアーク(契約の箱)についての寝起き閃の情報があった

契約の箱

多くの人は国を追われた古代ユダヤの士族の末裔が日本に運び、その行方を隠す為に全国に神輿を担ぐ祭りを流行らせたという説がある

本物の棺は今どこに?・・うーんそうじゃない(-_-;) Σ(゚Д゚)

これは、中身が重要なんじゃなくて、それ自体が信じる力という希望を繋いできた具現化された特異点だと思う

それが渡った所、その逸話伝説を受け継いだ所信じる力という希望を伝染し、その伝統を護る精神性によって強さと存在を維持している。そしてそれは風習へと変わり、ルーツはわからずとも人々の意識へ祭りの神輿という習慣で定着していった

文字通り、神(力の実態)を担いでいる

中身に何か重要な物質が入っているという事ではなく、それを受け継ぎ、それを約束の場所と呼ばれる所に運び護るという役目のために、国を追われた民族は何世代にも渡って様々な伝承という精神性の力を根付かせて広げて行った

箱がなくても、箱の中身を知らなくても、その箱を受け継ぎ、箱を担ぐ者達が力を与えそれを信じる事で力を授かる

アーク=神輿ってのはそう言う精神テクノロジーの媒体だったんだという気づき

神輿

だから、ヨイショ!ドッコイショ!等の重いものを持ち上げる時に無意識に出る日本語が、古代ヘブライの神輿を担ぐ時の力を出す時に、神を称えよ!的な言葉から来てるという説もなんとなくあってる気がすると思うのは、カタカムナで読み解くと、ほんと無意識に神(自分の力)を引き出す言霊なっていたから

カタカムナの言霊読み 掛け声の力

ワッショイ
調和が自然に集まる示しが自然に陽気に伝わる

ヨイショ
新しく伝わる示しの自然エネルギー(陽)

ドッコイショ
統合の内から自然に集まり転がり出て伝わる示しの自然エネルギー(陽)

普通の感覚だと、最初がヨイショ!でスタートして、そこからさらに力を加える時、内側からひねり出すようにドッコイショ!って言うのでしっくり来ますね

新しく出す力+後追いで内側から生み出すダメ押しの力
それが自分の内側から発せられる自然エネルギー

これ、掛け声が自然に力の伝わりを意味する言霊になってる訳です

ついでにいえば、それらをタイミングを合わせて複数人で協力する時の掛け声も理に叶ってます

せーの!の言霊の意味は
引き受けて短く時間をかける という意味

掛け声をかける人は、多くの人が力を発するタイミングを合わせる為にその責任を引き受け、そして、短く指揮をとる

こんなふうに言葉が伝承して残されている事自体がアーク(契約の箱)=神輿を運ぶ者達の力を生み出す掛け声が伝承として広まった証

それがアークが人々にもたらした力
神輿=みこし=かみおこし

みこし
実態が転がり出た示し

かみおこし
力の実態が奥から転がり出た示し

逆にいえば、このアークを開こうとすると、雷が落ちる等の災いの気象現象が起きる事から、それは物質的には開いては行けないパンドラの箱でもあるのかもしれない

だから担ぐ者達は本当の存在を隠し、逆に本物を探し中身を奪いたい者達が探そうとしている。これは例えるなら宗教の嘘が暴かれると、信仰心は消えてしまうのと似ている

相手の力(信じる力、精神性)の根本をへし折り、無力にさせたい者達はどんな手を使ってでも弱み掴んで信仰心を奪おうとする

いつからこの国の人々は無信仰・無関心になったのか・・宗教に興味もなければ、自然にすら興味を持たず、お金お金お金・・┐(´д`)┌ヤレヤレ

徳川埋蔵金だとか
戦後の隠し金山だとか

メディアや考古学者等、学会の息のかかったもの達を使い、人を金欲という精神汚染して、文字通り犬にして嗅ぎつけさせようとする。そして、それを公開処刑のように晒し上げて貶めたい

「お前らの信じる物はこの程度の事だw」とゴルゴダの丘にキリストを磔にして晒す逸話を世に広めるように(こっちは捏造)

この神輿=アークがいかに重要な物であり、それが暴かれるとあらゆるパラドックスの特異点にもなりかねないバランスブレイカーなのではないか?と思えたきっかけは

もしかしたらNetflixでたまたま、ゲッターロボ・アークっていう作品が公開されてるタイミングで見た事が関係してるかも?チラッと見たけど面白くてじっくり見てしまった

ゲッターロボって三体合体が基本=三位一体
しかもパイロットそれぞれがしっかりと連携しないと壊れてしまうほどに脆いという表現

これは心技体とも取れるし、精神、肉体、魂とも取れる

またゲッターって名前も=手にいれた者
ロボ=テクノロジー

真ゲッター=真の力を手にいれた者
ゲッタードラゴン=龍の力を手に入れた者
ゲッター・アーク=信じる力を手にいれた者

失われたアーク・契約の箱・未知のテクノロジー
その存在と逸話がある事自体が信じる者に信仰の力を与えている

でも大事なのは…

まとめ 神輿(アーク)とは己の中にある

信じる力って面白いんですよ?

というのも多くの人は「信じさせられる」という状態であり、それは一種の「情報による暗示」であり「マインドコントロール」という状態。他人が言ったことを信じるというのは、その他人への信頼が揺らいだ瞬間にその洗脳状態から目が覚めます

その時点で信じてきた力を失う訳だから 抗う力なんかある訳がない

そして「何かを信じさせられる」という事は、それを「意図的に破壊」すれば、効率よく精神的な支えをへし折って弱くする事ができてしまう訳です

金に依存してきた者は金を奪えば何もない
地位や権力に依存してきた者は地位や権力を奪えば何もない
提供されてきた食に依存してるものは生産する力さえない

信じさせられてきた信仰というのは、それを取り上げられたら力を失う
これが力あるものに帰依するという他力本願の構図であり リスクでもある

その仕組み利用して、先に与え(借金・弱み)いつでも取り上げられる(抵抗への制裁)ように支配者たちに都合よく創られてきた世界

農・漁・工・医「業」がつくとお金に苦しむ話

信じさせられた人たちは、世間体の顔色を伺って同調しないものに圧力をかけて偽りの秩序を正当化して本来の力(個性)をどんどん力を失います

世間体という第四密度の謎の体の役割

シジルとシンボルマーク 契約と多数決は呪術

そんな烏合の衆はいくら数を増やして徒党を組んだ所で、誰か自分以外がやってくれるだろうと他力本願なために最後はこうなります

道ずれ・一網打尽

ワクチン開発の権威が語る 人類の免疫機能が停止する警告

そういう人達は与えられた上限・限界(常識)という100%の設定をみんなで越えないように足を引っばり合い、一生懸命、決められた枠から出ないようにする眠ったままな上に、目覚めても盲目で何をしたらいいか自分で決められない羊になる訳ですが・・

『自分が信じる!』という感覚は、自分の潜在意識の意志決定自由意志で同意して選択するという事であり

一蓮托生
意味:結果のよしあしにかかわらず、行動・運命を共にすること

自分の力を引き出してくれる潜在意識、あるいは潜在意識の自分の決定に素直に従う・同調した時は

限界なんてないですからね?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
社会的・一般常識的な限界というのはルールの枠の中での話。その枠の外出たら限界を測る物差しなんかないですから(笑)

だから宗教を盲信する人(教信者)然り
忠義や恩義に熱い人間(任侠)然り

そういう限界がない振り切った精神性を持つ人たちが、それを戦争という争いのエネルギーに使うと恐ろしい存在になってしまうのはわかりますよね

だから信じる力って常識の中では計り知れない未知の力を引き出せる訳です

欲は与えられ影響して生まれる力(有限)
意欲は何の影響も受けず自ら湧き出る力(無限)

「欲」と「意欲」の本質の違いの話

そんな約束の地へ約束の物(アーク)を運ぶという強い意志を持って、何世代にも渡ってその役割と信じる力を継承してきた者達にとって、その神輿を担ぐ姿こそが根付いた地での伝統となり、祭りとして大衆文化になり、今も尚、その存在を忘れられることなく、年に数回の神(人々が信じる力)を祀るという信念は途絶えていない

※今は意図的に起こされた騒ぎのせいで、それすらもできないけどね

どんな小さな田舎にも農業の五穀豊穣祈願や町のイベントとして山車や神輿を担ぐお祭り文化は定着し、場所、場所によって担ぐ形も大きさも変わっているからこそ、特色の違いがあっておもしろい訳です

その中で、世界三大火祭りと言われる ねぶた って言うのがね、まるで箱に宿りし精神がホログラムで具現化されたようなファンタジー神輿だと思う

神輿

という事は…

ラッセラー(青森市)
ヤーヤードー(弘前市)
ヤッテマーレ(五所川原市)

の掛け声も古代ヘブライ語ルーツかな?伝統のルーツは諸説色々だけど、それもあくまでもどっかの誰かが、古事記とか日本の教科書に設定された捏造の歴史の嘘を暴かないように、矛盾しないように都合の良い学説で生まれたと考えれば全てひっくり返る

戦後はあらゆる歴史も神仏の概念も書き換えられた以上、今伝えらえれている歴史の教育が正しいとは限らない。正解を声高らかに語る奴が不正解を伝え歩いてるラッパ吹き

真実を(個人的に)知りたければ、伝承が受け継がれている地域を旅するほうが確実。戦前の日本の歌を聞けば、とおりゃんせの歌は怖い歌じゃないよ?と人から人への伝え方ひとつで認知が変わるという事実もしっておこう

通りゃんせの歌の失われた2番3番に真実があった

神輿や祭りのルーツはそんな単純な物ではないだろうな~と考えると、やっぱりエネルギーの巡りとそれが自然に浸透して定着した影響なんだろうなと思う

自分の力(アーク)を引き出すには、自分(神)を担ぎ上げればいい
ヨッコイショ!で精神的に立ち上がり、ドッコイショ!で肉体から力を引き出す

それが自分を奮い立たせる力というエネルギーであり、実は無意識にみんなやってるよね?(笑)いつどこで誰がそれを教えた?癖にするほど子供の頃からやってきたか?

誰も教えてないのに、日本人の心の奥から無意識に出る言霊って不思議だね~(´ー`*)ウンウン

今度からヨッコイショ!って言葉が出た時、自分は言霊という精神テクノロジーのエネルギーを使ってると自覚するとおもしろいよw日々何気なく使ってる言葉の意味やルーツを知りたくなってくると思う( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)

これとかおもしろ深いですよ

正解と解脱?

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