シンプル独自哲学シリーズ 観念とは
読んで字のごとく今の心を観る
そのままやないけ!の出オチに感じるかもしれないが、物事はシンプルなほどに奥深いという事をこれから説明していこう
今の心を観る
心は見る事は出来ない
だから観察・観測
シミュレーションして察する
シミュレーションして予測する
現実に置いては自分以外の他者や物質・空間に向けて目で見て行う行為を、自分の中の心という物理的な目では見れない領域にある今をどう捉えるのか?
まずそこに観念する事の難しさがある
観念するには動を静に、そして正にしなければいけない。そこで用いられるのが瞑想や座禅などの心を落ち着ける様々な手法
体のリズムを安定させる
体に影響するエネルギーを全て止める
その時、唯一動いているのが、心
これを見つける事(明鏡止水)が出来れば観念の第一段階は達成
だがこれでは観念にはならない
心はちょっとした事で揺れ動く
こころの言霊は
次々と転がり入る空間
ここでシミュレーションの難しさに言及しよう
シミュレーションとは確定的な条件が安定する事で明確で正確な再現性(何度やっても結果が同じ)が成り立つが、心が揺れ動くとは、そのシミュレーション世界の根幹の土台の条件がグラグラと変わる事
まぁ今の心という自身が欲望に対する感情や善悪の概念で揺れ動くのだから、それは深層心理の観念世界にも影響を与える事に等しい
故に今の心が安定しないと観念の意味が無い
ここが第2ステップ(正気を保つ)の難しい所
だけど、ここまで自律制御する事ができるようになればあとは微調整するだけ
言うなれば1mm単位でずらしてシミュレーションする、あるいは0.01mm単位で微調整もかけられるからこそ、たらればの観念シミュレーションが早く正確に洞察できるようになり、そして微調整でしか見つけられない
不確定な原理を見つける事で今までにない結果が見つかることがある
言うなれば死中に活路を見出すような、固定観念に囚われた常人には思いつきもしない逆転の発想が生まれたりする
青天の霹靂(思いもよらない事が起きる)
そういう突然の閃きが起きる人は思慮深く、いろいろと想い巡らせる
思とは四角い枠に囚われた十(全て・自由)を見る心
慮には七の文字があるが、七は回転すれば力
思慮とは四角・枠の全てを見る力
思想シミュレーション観念世界を捉える力
ここで現実に視点を戻そう
そんな思慮深い人=寡黙で黙っている人に対して、追い詰めた者はこういう
やっと大人しく観念しやがったか(・∀・)ニヤニヤ
脱力し無抵抗になり諦めて仏様に泣きつきに現実逃避している様を大人しく(空気を読んだ行動)…とでも勘違いしている描写だが
追い込まれた状況で黙って観念するとは、全く真逆の意味で、深く深く現状を受け止めた今の心が描く思考シミュレーションのパターンを時間も空間もない中で意識は反復し
永遠とも言える時間の中で、そこで終わった可能性世界(過去)を捉え向き合った上で、じゃぁどうすれば良かったのか?を振り返って対策を探している
これが長い長い思考の転生の意識の旅の始まりであり、現状を打破できる策を探すために意識は核分裂してそれぞれ役割を持つ。思慮深い人ほどより多くへと分裂して可能性を同時に模索する
あまりにも多くの情報が増えると、気が回らず分裂した意識が本来の戻るべき空間を忘れてしまいその意識が途切れてしまうが
答えを見つけて、あの追い詰められた絶体絶命の状況を切り抜けられる算段がついた!と言う意識が、分裂した意識が一つに戻るために核融合を開始する
そしてそのシーンの瞬間に意識が戻り時間は動き出す
ひとつの観測している現実の中で、押し黙り諦めたように生きる気力や希望を失った死に体の目に火が灯り、次の瞬間に突然息を吹き返し、起死回生の状況打破の一撃を放つ
状況打破は、今の自分という状態も今の自分が置かれた状況も打ち破る
起死回生もまんまその意味
起きて死んで回って生きる
七転び八起き
七回転んで八回起きる
輪廻転生の別の表現と行ってもいいだろう
それは現実では一瞬の出来事のように思える
そんな裏技のような方法を一体どうやって思いついた!?
と、咄嗟の機転を効かせた閃きのように見えるかもしれない。だけどそれはまさに死中に活路を見出すために分裂した意識が、途方もない魂の経験値を積んできたから為せる事
死の文字は月の力を地に押しやるシンボル
月とは人間の体の中、臓器
臓器とは月の蔵の器という宝
宝の言霊は、分かれた力の場
この世はでっかい宝島
そうさ今こそアドベンチャー
ってか( ⚭_⚭)✧Σ(゚д゚;)
今のあなたの人生は…本体の意識ではなく、何かを解決するために手段を探している意識のコピー、必要な魂の経験値を積む役割を与えられている
なぜ同じ空間に他者という線引きされた意識が存在しているか?それは魂の学びの段階や役割が違うエネルギーがあるからこそ、探している答えがある空間だから
答えを見つけるとは、ネット検索のように上澄みを汲み取るようなうわべの知識を得る事ではなく、その必要と感じた知識を実践し自らの意識が生まれた理由のために使わなければいけない
それを宿命(役割)といい
そのために導かれる問題が運命という
運命から逃げるとは役割の放棄であり
それが起きるのがその次元に存在する欲(邪魔)に自我が囚われる事
欲は現実という周りからの影響で受けるエネルギーであり、本質的な宿命を邪魔するライバルでもある。これは同じ空間において先駆者たちが答えを導き出すために生み出した魅力的な叡智のエネルギー、しかしその生み出されたエネルギーが大きければ大きいほど、周りに影響を与える事になる
だから自分にブレーキとという名の自制をかけるのは自分。一切皆空・色即是空の自分しかいないはずの観念シミュレーション世界に問題をもたらすのも自分(エゴ)
エゴを手放すと言ってもエゴ(欲)が世界を作っているのだから、それは世界を否定する事になり探し物も見つからない。ならば自我(現実意識)と潜在的な自我(宿命のガイド)が手を取りお互いを尊重すればいい
これが死中に活を見出す秘訣
私の場合は潜在的に誰もが不幸になる事を望んでいない、にも関わらず自我の私は多くの悲しんでいる人や苦しんでいる人の情報に意識がむく矛盾
それはつまり、そういう人の心の重みを取り除くという事こそが求める結果であり、それが結果的に私の心が穏やかでいられる。その方向に導くために目を向けて気づくのが潜在意識、声をかけて道を示すのが現実意識の役割なんだろう
死中(現実)に活路(真実)を開く
それって多分、多くのライトワーカーがそれぞれの時代、それぞれの場所で目や手の届く範囲の人達にやっている事
心を穏やかにとは、観念を促すため
本当の自分と繋がり今の自分がどうすればいいか?の役割を思い出す事
全ては心の在り方(。-人-。)
でも全員に必要なわけじゃない。なぜなら破滅という人生経験を味わう役割(自分で選んだ)の人もいるのだから
気づきに至る参考記事
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